〔6〕
高速道路に上がってしばらくは順調に走っていたのだが、とうとう降り出してきた雨に流れは停滞し、ついに車は動かなくなってしまった。
おりしも夕方のラッシュ時間である。成田空港まで後少しの所なのに、一般道に降りようにも降り口まで辿り着けない。
暗く重そうな雲に閉ざされた空から、強く弱く、不規則なリズムで冬の訪れを告げる冷たい雨が降り注ぐ。
神崎が暖房を入れると、見る間に窓が白く曇った。
「早くに出てきて正解だったな。まあ、時間には間に合うだろうから心配はいらないよ」
「いいんです、遅れても。千葉から、そのまま電車で成田まで行くつもりでしたけど……余った時間を一人でどうやって、つぶそうかと思ってたんですよ。誰かと話していられるだけで、落ち着きます」
会いたくない相手なのか? と、神崎はいぶかる。
どうやら遠方からの友人を歓迎しているようには見えないし、少しも嬉しそうではない。
額にかかった長い髪の陰から垣間見えるその切れ長の目が、窓の外よりも、もっと遠くを見ているように思えた。
「サイレンを鳴らして路肩を走るわけにはいかないんですか? アメリカの警官は、私用でそういった職権乱用をよくしてましたよ」
「向こうと違って日本警察は公務員だからね、そんな訳にはいかないさ」
どうやら今日のアキラは、いつもよりお喋りになっているようだ。
神崎に気を許しているのか? それとも話すことで気を紛らわせたい事でもあるのだろうか?
おそらくは他人に表情を探られるのが厭で、長く髪を伸ばしているのだろう。理知的だが、冷たい瞳。
この歳で、こんな風に達観した少年を神崎は見たことがなかった。
「下の一般道に降りれば近道を知っているのに、これでは手も足も出ない。俺の実家は成田にあるんだよ」
「館山から叢雲に通ってたはずでは?」
「親父が小学校の教師でね、転属で成田に来て家を建てたのさ。だから俺も最後の一年は寮生だったんだ」
「へえ、じゃあ、寮の先輩でもあるわけですね」
「兄貴と呼んでくれてもいいよ」
「それは遠慮します。」
二人は顔を見合わせて笑う。
「君は兄弟がいるのかい?」
「弟が一人、まだ小学校五年生です。両親と今埼玉にいますよ。父は銀行員なんですが、やっぱり転勤が多くて……俺が叢雲に入った途端に、向こうに行ってしまいました」
「それで寮に?」
「あの学園が、気に入ってましたからね。何だか個性的なヤツが多くて」
それは神崎も感じていることだ。だから彼も、あの学園が好きだった。
「個性的と言えば、彼等はどうしてる?」
事件後の学園の様子では無く、個人的な親しみを込めて神崎は篠宮優樹と秋本遼のことを聞いた。
「篠宮は期末で赤点取って、毎日放課後に秋本が付きっきりで勉強を見ているようですよ。他の奴等は相変わらずですねぇ、来栖はアメリカ留学が決まったみたいで張り切ってますけど」
彼等の様子が目に浮かび、神崎の口元がほころんだ。
『叢雲』の事件後、何度か所用で会ってはいたが、事あるごとに関係した学生達が気に掛かっていたのだ。
「この仕事をしていると時々、非凡な人間の存在を強く意識することがあるんだよ。彼らがそうだと断言はできないが、何か強い力が働きかけているような気がするな。そういった者達は類い希なる才能を発揮して世に出る者もいるし、一方で間違った方向に使ってしまって犯罪に手を染める者もいる。しかし……使い道がわからずに、迷い、悩み、苦しんでいる者も中にはいるようだ」
アキラは自分を見つめる視線を受け止めた。
「何が、言いたいんですか?」
その時、前の車が少し動き、後ろからクラクションを鳴らされた神崎は少しだけアクセルを踏んだ。
「君は時々、ひどく辛そうな目で秋本遼を見ていただろう?」
神崎は正面に、アキラは窓の外に、それぞれ視線を移す。
「君の働きは、非凡な才能のなせるわざだ。あれほど熱心に事件に関わったのは遼君のためだけなのか?」
「気のせいじゃないですか? 来栖と違って、そっちの趣味はないし。俺は、ただ好奇心が旺盛なだけの高校生です。厭だな、買いかぶらないでください」
探りを入れたつもりが軽くいなされ、神崎は口を噤んだ。
秋本遼と関わることでアキラは、自らに贖罪を課しているような気がした。それが何であるかはわからないが、助けてやれるなら友人として手を差し伸べたいと神崎は思った。
大人でも子供でもない、微妙な時期の危うさが心配だった。
外は既に闇に閉ざされ、動きを止めた車のテールランプが赤とオレンジ色の光を雨に濡れて滲んだ窓にゆらゆらと映しだす。
途切れ途切れに聞こえる警察無線。
ワイパーの規則的な動き。
不規則な雨の音。静かな、沈黙。
「あいつに、秋本ほどの強さがあれば良かった……」
突然、アキラが小さく呟いた。
「神崎さん、渋滞を抜けるまで俺の話を作り話だと思って聞いてもらえませんか? 何しろ国家機密に関わることなので、真面目に受け止められると、貴方の命に関わるんですよ」
「仕方ないな、退屈しのぎに聞いてあげようか。」
神崎は笑って、無線の音を少し絞った。




