〔3〕
「うちのカメラマンの鷺ノ宮を、随分と前から紹介してくれと頼まれていたのになかなか時間がとれなくてね。もともと人と会うのが嫌いなやつなんだが、『叢雲』の学生だと言ったらやっと時間を作ってくれたんだよ。例の事件には彼も興味があって、取材に行きたがっていたのに別件が入ってしまったんだ」
須刈アキラは、石井の後に続いて署内の長い廊下を歩きながら何度も警察関係者の探るような視線を感じていた。
犯罪者になって、連行されているような気分だ。
しかしそんな居心地の悪さを感じているアキラに比べ、佐野はあまり気に止めてはいないようだ。羨ましい性格ではあるが、鷹揚な人間は多分報道カメラマンには向かない。
希望している山岳カメラマンは、佐野にとって良い選択といえるだろうなと、アキラは思った。
叢雲学園に山岳部はないが、裏手にある岸壁で練習するクライミング同好会に佐野も参加しており、受験する大学には名の知れた山岳部と写真部があるのだ。
さすがに部外者を見る視線から早く逃れたいと思い始めた頃、ようやくアキラと佐野は中枢からかなり外れた所にある報道部の小部屋についた。
部屋はカメラ機材や書類が薄高く積まれたデスクが所狭しと並ぶ雑然としたところで、霞がかかったようにたばこの煙が立ちこめている。コーヒーと、埃の匂いが混ざった淀んだ空気が咽にしみて、慣れるまでは胸のむかつきを抑えなくてはならなそうだ。
「汚いところで悪いが、どうせなら報道部の実態を知ってもらおうと思ってね。おい、鷺ノ宮」
涙が滲みそうになる目を凝らすと、書類の影からタバコをくわえた若い男が顔を出した。
「あいよ。汚いところにようこそ、学生さん」
無精ひげに、ぼさぼさの頭。くわえタバコにだらしない服装。想像していた通りの人物が登場し、アキラが可笑しさを噛み殺す。
「んで、どっちが報道カメラマンの実体を研究に来たんだ?」
鷺ノ宮は二人を値踏みするかのように眺めた。
「いや、こいつらはお前の出身大学を受験する前に、写真部のことや山岳部のことを聞きたいだけだよ」
石井の言葉に「なあんだ」と、鷺ノ宮はつまらなそうな顔になる。
「あ、でもこいつは、以前報道カメラマンになりたいようなこと言ってましたよ。紛争地帯を、自分のカメラで捉えたいって」
余計なことを言ってくれる、と、アキラは佐野を見て小さく溜息をついた。
確かに以前、一年で写真部に入った佐野にそう言ったことがあるが、まさか覚えていたとは思ってもいなかったのだ。
鷺ノ宮は興味深そうにアキラを見て、にやりと笑った。
「へえ、君の名は」
「須刈アキラと言います」
少し構えて、アキラが答える。
鷺ノ宮の視線は、内面を射抜くような鋭さがあった。
「カッコいいもんなぁ、戦場カメラマンは。やっぱり死線をくぐって遠い国の悲劇を感動的に伝えることに憧れたりするんだろう? でも現実は甘くないぜ。望遠レンズをバズーカと間違えられて味方から砲撃されたり、民間人だと思って怪我人を助けようとしたら、いきなり腹に鉄の玉をもらったり……」
「そういうの、俺はゴメンですよ。痛い思いするのは厭だし。正義に憧れてた頃もありましたが、今はもう、目の前の現実の方が大事ですから」
「ふうん、…生意気なこと言うガキだなぁ」
二人の間に、緊張した空気が漂った。
「なんだ鷺ノ宮、学生相手に絡むなよ。すまないね、須刈君。こいつは大学時代に中東でカメラマンをやってて死にかけたことがあるんだよ。そのせいか報道カメラマン希望者には必ずこう言って絡む悪いクセがあってね」
「はあ、別に俺は報道カメラマンになりたい訳じゃありませんから……」
アキラは石井に笑顔を返す。
「ああ、そうだ佐野。俺ちょっと神崎さんの所に用があったんだ。そっちに行ってもいいか?」
「いいけどさ、大学の話、聞かないのか?」
「後でお前から聞かせてもらうよ。すみません、石井さん。知人にちょっと用があるので席を外させてもらっても良いですか?」
「もちろん、かまわんよ。もともと君は和紀に付き合って来てくれたんだろう? 私たちは暫くここにいるから、用が済んだら戻ってきたまえ。署内を案内してあげるよ」
「はい、ありがとうございます」
部屋を出ようとしたアキラはドアに手をかけて立ち止まると、振り返って鷺ノ宮を見た。
「鷺ノ宮さん……貴方はいま、安全なところにいる自分が嫌いなんですか?」
一瞬二人の視線が交錯する。
鷺ノ宮はタバコを灰皿に強く押しつけ、苛つきを隠そうともせず立ち上がった。
しかし、言いかけた言葉を聞こうともせずにアキラは部屋を出ると、静かにドアを閉じた。