〔2〕
黒服に『マックス』と呼ばれた男は、苦々しい表情から一転、笑顔になった。
「……私は嬉しくないがね、カザック少佐。このガキの抵抗で、十五分ほどのロスタイムを、あんたに与えてしまった」
「ふむ、貴重な十五分だったな……私には十分だ」
ちらりと、カザック少佐はアキラに目をやった。
「君の名は?」
「須刈アキラだ」
挑むように睨み付ける。
もとはと言えば、こいつからキリアンは逃げてきたのだ。キリアンは結局、カザック少佐の手に落ち始末されてしまうのか?
「アキラ……か、覚えておこう」
カザック少佐はマックスと呼ばれた男と、その仲間を部下が鮮やかに拘束する様子を事もなげに見ながらキリアンに歩み寄った。
アキラは素早く、その前に立ちはだかる。
「キリアンを、どうするつもりだ。殺すのか?」
眉をひそめアキラを見た、薄い灰色の目がすっと細くなる。
「マックスは拘束した、その必要はない。どけ」
だがアキラは動こうとはしない。
ふっ、と、カザック少佐は冷笑を浮かべた。
「何のつもりだ? ポートオーソリティーでは油断した部下が無様な体をさらしてくれたが、今度はそうはいかんぞ」
「キリアンを、自由にして欲しい」
「貴様の関知することではない」
二人のやりとりをじっと聞いていたキリアンの手が、アキラの肩に置かれた。
「いいの、アキラ。ありがとう……」
そう言って笑った顔は妙に明るく、幸せそうに見えてアキラは言葉を失う。
本当に、良いのか?
何故、そんな顔をするんだ?
「少佐、バスルームで少し身支度する時間を下さい。あまり、ひどい顔のままで彼らと別れたくないんです」
目を泣き腫らせた顔を見て、カザック少佐は黙って頷いた。
キリアンが、バスルームの戸を開けようとした時。
「キリアン!」
聞き覚えのある、だみ声に名を呼ばれ手が止まった。
「ジェフ、生きていたのか!」
シンシアに肩を支えられ、入り口に立つジェフの姿にアキラは歓喜の声を上げる。
「馬鹿野郎、死んでたまるか! 間一髪で、シンシアに助けて貰ったんだがな……」
「あと五分、見つけるのが遅れていたら危なかった。不本意だけど、少佐と協力したから間に合ったようなものね。ともあれ、タフな男だねえ……かなりの出血だったのに」
呆れた口調のシンシアに、アキラは駆け寄る。
「キリアンを、助けられないのか? もしかして、あんたなら彼女を助けられるんじゃないのか?」
シンシアは、その訴えに辛そうな顔で答えた。
「我々に、彼女の立場を擁護する権利はないのよ」
ジェフが無言で、アキラの頭を乱暴に撫でた。
「シンシアから話は聞いたが、どうにもならん」
「くそっ!」
やり場のない怒りを拳に込めて、振り上げる。
だが、叩き付ける先がみつからない。
アキラの震える拳を、ごつごつとしたジェフの大きな手が優しく包み込んだ。
「二人ともありがとう、私、行きます。短い間だったけど、何だかお父さんとお兄さんに守ってもらっているようで、とても嬉しかった。ずっと、忘れない」
キリアンが微笑んだ。精一杯明るく、そして、とても寂しく。
だがバスルームのドアが閉まった瞬間、厭な予感がアキラを突き動かした。
急ぎ駆け寄り、ドアに手を掛ける直前。
くぐもった破裂音が、聞こえた。
カザック少佐が前に立つアキラを突き飛ばし、バスルームに飛び込む。
「しまったっ! なんて事をっ!」
頭の中から全てが抜け落ち、目の前が、真っ白になった。
「まさか……そんな。まさか……キリ……アン……?」
最悪の事態を否定しながらアキラは、ようやく立ち上がった。
しかし願いは虚しく、うち砕かれる。
バスルームから出てきたカザック少佐が抱きかかえたキリアンの、こめかみから流れる幾筋もの赤い線条。
「この子に銃など持たせおって!」
怒りを宿した灰色の目が、責めるようにアキラを見た。
絶望と恐怖。
全身を虚脱感が襲い、手が震えた。
「……っ……あっ……あ、うっあっ! うぁあああぁぁっ!」
息が、出来ない。
掻きむしるように、咽をおさえる。
「アキラっ!」
シンシアの手を振り払い、必死に足を引きずりながら駆け寄ったジェフが、倒れ込むアキラを支えた。
二人に冷たい視線を投げ、カザック少佐はキリアンを抱いたまま部屋を出た。
何も、言うことが出来なかった……。




