〔2〕
翌朝早く、ジェフはキリアンをモーテルに残し車でアキラと空港へ向かった。
飛行機のチケットはモーテルからネットか電話で取ることが出来たが、所在が知られることを恐れ直接空港カウンターに行くことにしたのだ。
「便利なのか不便なのか、わかりゃしねぇ。俺のように、ろくなハイスクールしか出てなくても今時コンピューターが使えないと、どうにもならなくてなぁ。だがそのために、どこの誰が何をしようとしているのか、知りたい奴には筒抜けだ」
追っ手の正体は分からない。
しかし強力な組織力を持って、近隣のモーテルからチケットを取ろうとする人間を調べることなど簡単だ。
「俺も何度かこの空港を使ったことがあるが、ニューヨーク行きは何本もある。陸路を行くよりは安全だろう。ただマイアミ行きはあまり本数が無くてな、うまく早い便をとれればいいが」
アキラは無表情にジェフの話を聞いていた。
バックの中には壊れたカメラがあり、役に立たなかった自分がいる。
それでも、もう二度と会うことの無いであろうキリアンは別れぎわ首に手を回し、「あなたのおかげで自由になれたし、思い出も貰った。ありがとう」と言って頬にキスしてくれたのだ。
ふわりとした甘い空気と、抱きしめた腕に残る感触が胸を締め付ける。
「カメラ、壊しちまって悪かったな」
突然、すまなそうに呟いたジェフに、アキラはキリアンの影を払った。
「いいんだ、たぶん直せると思うし。あの時あんたは、俺を助けてくれた」
駐車場でアキラを突き飛ばし、覆い被さるように銃弾から庇おうとしたジェフの巨体を思い出してアキラは少し笑った。
「そうか、直るといいな。大事なもんなんだろう?」
「俺の初めてのカメラだ。いろいろな思い出があったけど、おかげでまた一つ増えた。それに……」
今までは、好きと言うだけでただ漠然とシャッターを押してきた。
アメリカに来たのも特に強い目的があったわけではなく、漠然とした何かから逃げ出したかったからだ。
だが今は、何から逃げようとしていたかが解る。
目的を持って写真を撮りたい、そんな強い思いがあった。
このままでいるのは厭だ。キリアンのために何も出来なかった自分にも、出来ることがあるはずだ。
それを見つけたい。
言葉尻を濁らせたアキラに、ジェフが訝しむ目を向けた。
「それに? 何だ?」
「あっ……うん、アメリカで頼もしい友達が出来たしね」
「それは、俺のことか?」
「ああ」
はっはっは、と、ジェフが笑う。
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。俺達は友達だ、もうガキ扱いは二度としねぇよ」
「そう願いたいな」
肩を竦め、すましてアキラはそう言った。
空港の駐車場に車を止め、アキラとジェフは国内便のカウンターに向かった。
「ニューヨーク行きなら、デルタが一番早いか?」
目算を付けて周りを見回し、デルタ社のカウンターを見つけたその時。
「よお、ジェフ。こんなところで貴様に会うとは思わなかったぜ、元気にしていたか?」
いきなり背後から声をかけられ、驚いたようにジェフは振り返った。
すると、いかにも親しそうな笑みを浮かべた男が、女のような歩き方で肩を揺すりながら近づいてくる。
背の高い、痩せぎすな体格。細い顎に薄い唇。獲物を追う猟犬のような鋭い目は、表情に反して笑ってはいない。
危険を知らせる信号が、アキラの脳裏を走った。ジェフも警戒している、見知った人物でないことは確かだ。
「あんた、誰だ? 人違いじゃないのか?」
「おいおい、薄情なことを言うなよ。俺はなぁ……」
痩せぎすの男は言い終わるより早く、ジェフの脇腹に鈍く光る黒いものを突きつけた。
油断した、と思う間もなく屈強な体格をした三人の男に挟まれ身動きが封じられる。
身なりは普通だが、獣臭い感じのする三十歳前後の男達だ。
「《リーダー》はどこだ? おまえが連れ回しているはずだ」
「シンシアの、仲間か?」
ジェフの問いに、痩せぎすの男は唇の端を上げて笑った。
背筋が凍る、残忍な笑顔。
シンシアの仲間にしては荒っぽいやり方だが、黒服の男のような軍人の匂いはない。
「シンシア? ああ、ボルティモアのスタンドで一緒にいた女だな。コンビニで捕まえようとしたが、上手く逃げられてしまった。あの女は、どこの組織の者だ? 《リーダー》と一緒にいるのか?」
スタンドのコンビニでシンシアに絡んだのがこの男だとすれば、かなり前からマークされていたことになる。
第三の追っ手だろうか。そもそもキリアンは、何かから逃れるためにアメリカにきたらしいが、この男達がそうなのか。
「しつこく追い回すには、まだまだ色気不足だと思うがねぇ……。いったい、あの子のどこに惚れてるんだ?」
痩せぎすの男は唇を舐め、目を細めてジェフを見た。
「色気に勝る、宝があるのさ。さっさと居所を吐かないと、あの坊やと一緒にチェサピーク湾で魚の餌だ」
「この時期、海水浴も悪くない」
「貴様が良くても、あのガキはどうかな?」
男が合図をすると、アキラの肋骨の間に銃口がねじ込まれた。
内蔵を圧迫する硬い異物に、全身が総毛立つ。
抵抗すべきかと目で問えば、ジェフは小さく首を振った。だがその顔には、焦燥感が滲んでいる。
「あいつは関係ない……ただのヒッチハイカーで、ここまで乗せてきてやっただけだ」
「ほう、では二、三発プレゼントしてチェサピーク湾に捨てるとしよう。顔が知られては困る立場なのでね」
「やめろっ!」
大声を出したジェフに向かい、男は口元に指を立てると嬉しそうに言った。
「しいっ、ここで騒がれたら困るんだよ。これから大声を出せる場所に連れて行ってやる、そこでゆっくりと聞いてやるよ。のたうちまわり、命乞いする悲鳴をな」
ぞっ、とするような狂気の笑みを男は浮かべた。
こいつらは、シンシアや黒服とは違う。まともな連中じゃない。
アキラの背に、冷たい戦慄が走った。




