〔1〕
発信器の所在をキリアンの能力に頼んで確かめたところ、ダッシュボードの奥とシートの下に薄いカードのような金属片が二枚見付かった。
ジェフはそれを力任せに折り曲げ、忌々しそうに窓から外に放り出すと黙り込んだ。
重苦しい沈黙を乗せ、車はワシントンを迂回して進路をリッチモンドに向ける。
「あの女は、俺の素性を知っていた。敵か味方かわからんが、このまま、お袋の所に行くのは危険だな。待ち伏せされているかもしれん。それにしても迂闊だった、信用した俺の責任だ」
苦渋の表情で、ジェフが呟く。
黙って頷きながらも、アキラの胸中は複雑だった。
シンシアが敵とは思えないが、その正体が不明のまま危険を冒すわけには行かないとわかっている。しかし、ジェフがこれからどうするつもりなのか不安を口にして、弱気を悟られるのは厭だった。
「心配するな、アキラ。今夜はリッチモンドのモーテルに泊まって、明日早く空港へ行くつもりだ。キューバでコーヒー園をやってる叔父の話をしただろう? 現地では結構な有力者で輸送用のでかい船も持っているんだ。飛行機でマイアミまで行けば、パスポートが無くても何とか向こうに渡る段取りを付けてくれるはずだ」
アキラとキリアンの不安を少しでも軽くしようと、努めて明るい口調で言いながらジェフは顔を歪めて笑う。
だがアキラは今にも後方に、黒いコートの男かシンシアの仲間の車が追ってきているのではないかと落ち着かなかった。
キリアンも同じ気持ちらしく、しきりに後ろを気にしている。
ふと見ると、片手はしっかりとアキラのシャツを握りしめていた。そういえば、ポートオーソリティーで初めてあったときもシャツを掴まれた。
小枝のような細い指を包むように、アキラは自分の手を重ねた。
少し、安心したかのように微笑むキリアンに、自分の弱気を恥じる。
きっと何とかなると、その手に力を込めた。
日の落ちる少し前に空港近くのモーテルに宿を取り、なるべく表通りから目に付かないところに車を置いて部屋に入った。
途中のデリでテイクアウトしたベトナム風焼きそばでアキラは夕食を済ませたが、やはりキリアンはあまり口にしようとしない。
「少しでも、食べないと」
優しく諭すように言葉をかけると、やっとクリームチーズをはさんだベーグルを食べ始めた。
「おまえには、少し気を許してるようだな。素直じゃねぇか」
パストラミ・サンドをかじりながら窓の外を伺っていたジェフが、からかうように笑う。
つい癇に障って睨み返すと、ジェフは肩を竦めて決まり悪そうに再び窓の外に目を向けた。
「とにかく何か食っとかないと、身体がもたないからなぁ。明日は早い、飯を食ったら二人はベッドを使ってもう寝ろ」
「あんたは?」
「俺は外を見張っている。なぁに、これでも優秀な歩哨だったんだぜ、一晩や二晩寝なくても何ともない」
そう言って笑いかける顔を見て、アキラは改めてジェフに出会えたことを感謝した。
この人の良いアメリカ人がいなければ、今頃どうしていただろうか?
目の前でキリアンを連れて行かれ、正体のわからない男達に拘束されていたかも知れない。すぐに開放されたとしても、釈然としないままに帰国の途についていたかも知れない。
今、自分のしていることに後悔はなかった。何でも出来そうな気がした。しかし……。
「ところでアキラ……おまえはリッチモンド空港からニューヨークに戻れ。そして日本に帰るんだ」
今までと違う、断固としたジェフの口調にアキラは不意を突かれた。
「キリアンが安全だとわかるまで、俺も付き合う。あんただって、そうするべきだと言ったじゃないか!」
「足手まといだ」
恐れていた、言葉だった。
「シンシアと名乗る女といい、暑苦しい黒服の男といい、あんな連中を相手に逃げるには素人のおまえがいたんじゃ邪魔なんだよ。キリアンだけなら、抱えて逃げることもたやすい。だが、ガキ二人の面倒を見る自信はねぇんだ。おまえは所詮、平和な国で育ったお坊ちゃんだ、この先一緒にいると怪我だけでは済まなくなる」
アキラは、返す言葉を失い唇を噛んだ。
悔しさと情けなさが込み上げて、目尻に浮かびそうになる物を堪える。何でも出来る気が、していたのに。
「おまえは、あの子を俺の所に連れてきた。この先は俺に任せるんだ、それがキリアンを助けるために神様が仕組んだ思し召しってやつさ」
窓から離れ、ジェフは優しくアキラの頭に手を置いた。
「良くやった」
これ以上、ガキ扱いはごめんだと見上げれば、ジェフの小さな目が父親の慈しみを持って見つめている。心から身を案じてくれていると察し、渋々アキラは俯いた。
「……わかった、あんたの言うとおりにする」
傍らで話を聞いていたキリアンの手がそっと、アキラの背中を撫でる。
「お願いがあるの、アキラ。今夜眠るまで、あなたのカメラを貸して貰えないかしら。私には父も母もいなくて家族の暮らしがどんな物かわからない。だけどそのカメラには、とても暖かな家族のイメージがたくさん入っているから、せめてそのイメージを私に貸してほしいの」
足下のバックからカメラを取りだし、アキラは電源を入れてみた。しかし撮影可能を知らせる液晶は暗く、軽くシャッターボタンに触れてみてもオートフォーカスの回る音はしない。
「駐車場で転んだとき、壊れたのかも知れないな。記念写真でも撮ろうと思ったのに」
苦笑してカメラを手渡すと、両手で大事そうに受け取りキリアンは微笑んだ。
「かわいらしい男の子が、二人見えるわ。一人は二歳か三歳、もう一人は十歳くらいかしら。小さい方の男の子は、キモノを着ている」
「多分俺と、弟だ。弟の七五三のお祝いの時だろうな」
「弟さんの名前は?」
「悠斗だ。今はもう十歳だから、その時の俺と同じくらいの背格好だよ」
「とても、かわいい。それに優しそうな女性、お母様ね。笑っている」
「カメラを向けたときだけさ。普段は怒ってばかりでちっとも優しくなんか無いけどな」
くすりと、キリアンが笑った。
「お父様も素敵な方だわ。ご家族を、とても愛していらっしゃるのね……」
「ああ、それは違うよ」
不愉快な語調でアキラが応じると、キリアンは驚いたように目を見開いた。
「父さんは、家族を愛してなんかいない。確かに昔は仲の良い家族だったさ、だけど今は……」
銀行員だったアキラの父は、取締役のポストに就いていたが支店の不祥事で責任を取らされ退社した。
その後、証券会社に再就職したものの上手くいかず、家庭で暴言や暴力を奮うようになったのだ。
いつも標的になるのは、何も言わない母と小さな弟。それを見るのが嫌でアキラは寮のある高校を選び、家を離れた。
「どんな家族でも、居てくれることが幸せだわ。間違いを正すことも、解り合うことも、愛し合うことも、出来るじゃない……」
「キリアン……」
キリアンの眼から、また大粒の涙が落ちる。
「だって……私には何もない、誰もいない。ずっと、ずっと……一人だった」
細い肩を震わせて押し殺した嗚咽を漏らすキリアンを、アキラは強く抱きしめた。
こんな風に、どれだけ涙を流してきたのだろう。
安全だと解るまで、出来れば側にいてやりたかった。しかし自分の存在が危険を招くとあっては、叶わずとも諦めなくてはならないのだ。
「ジェフと安全なところに行けば、友達が大勢できるよ」
「おう、任せておけ」
アキラの慰めにジェフが相づちを打った。
キリアンはアキラを見つめて少し微笑むと、カメラを抱いて目を閉じた。




