〔4〕
穴の中は、小さな部屋になっていた。
丸テーブルに粗末な椅子が四脚。並べられたポーカーチップとカード。さしずめ隠れ賭博場といった様相だ。
壁際には小さなテレビと頑丈そうなチェスト。そのチェストの棚からジェフが取りだしたのは、二丁の小型拳銃だった。
「やれやれ、こんなもんでも何かの役には立つか。武器があるなんて言わなきゃ良かったな。小型拳銃くらいしかないのに、あんな連中が乗り込んでくるとは思わなかった。どうやら脅しが利きすぎちまったか」
ほれ、とばかりにその一つ差し出され、アキラはごくりと咽を鳴らした。
「オートマチックが良いだろう〈SIG P203〉だ。これなら、その細っこい腕でも使えるはずだ」
ジェフはチェストの引き出しに弾を探しているのだろうか、しかし事もなげに言われても受け取ることなど出来ない。
「グズグズすんな! マガジンに弾は入ってるが、ちゃんと一発目を装填して忘れずにセーフティーを……おい、まさか使えない訳じゃねぇだろうな?」
無言で頷くアキラにジェフは、呆れたように口を開けて信じられないとばかりに目を見開いた。
「俺は日本からの旅行者です。アメリカの高校生と違って銃の扱い方なんか習ってないし、触ったこともない」
「はあ? ジャパニーズ・ボーイか」
「言わせてもらえば、もう十七だ。ボーイは止めてくれ」
精一杯の虚勢に、ジェフが声を立てて笑った。
「ジャパニーズにしちゃあ、やけに鼻っ柱の強いガキだな。横須賀に、おまえみたいなのはいなかったぞ。いいから、とりあえずその大事そうに抱えてる鞄の中にしまっとけ。今は逃げるのが先だ」
言われて初めて、自分の胸に抱えていたナイロンバックの存在に気が付いた。
クッションに包まれてはいるが、小型の一眼レフは無事だろうか?
早くしろ、と、グリップでつつかれ、アキラは仕方なくファスナーを開けると渡された銃をクッションの隙間に押し込んだ。
いきなり、バッグがずしりと重い物に感じられる。
「俺の名はジェフリー・ヘイワードだ。ジェフと呼んでくれ。そっちの方はさっき聞いたが、おまえはなんて名だ? ボーイでよけりゃ、そう呼ぶが」
「アキラ、須刈アキラだ」
「OK、アキラ。この部屋には『ドラゴン・テイル』のカウンター裏と、表通りにあるデリの地下室からしか出入りできない。だが奴等はプロだ、すぐにここを見つけるだろう。床下から下水道に出てウエストサイドの方まで案内してやるから、あいつらを捲いて俺はおさらばだ。いいな?」
頷くより仕方のないアキラを背に、ジェフは汚れた床のカーペットを引き剥がした。
そこに現れたマンホールの蓋を腕の筋肉を張らせて引き上げると、暗く深い穴から冷たい風に乗ってゴミ溜めよりも酷い匂いが吹き込んでくる。
「早くしろ!」
顎で促されて息を一つ飲み、アキラは底へと続く梯子に足を掛けた。不意に暗くなって見上げると、ジェフがカーペットを被った格好で蓋を閉めようとしている。
「奴ら、もう嗅ぎつけやがった……急ぐぞ!」
その言葉に慌てて底まで下りたアキラは、足下の見えない不安から壁に張り付いた。しかし見れば小さな電気が灯り、状況が確認できそうだ。
改めて辺りを見渡せば、そこは東京の地下鉄トンネルが狭く思えるほどの空間だった。
「ついてきな」
暗い補助灯を頼りに、ジェフはまるで自分の庭を歩くかのように迷うことなく、数多に分かれたトンネルを進んでいった。
多少は体力に自信のあるアキラでさえ、大柄なその歩幅についていくのがやっとだ。完全に息が上がったキリアンは、時折立ち止り倒れそうになる。
キリアンを案じて引き返したアキラが肩を支えようとしたとき、頭越しにのびた腕が軽々と目の前の身体を宙に持ち上げてしまった。
「この方が早い」
コーヒー豆の麻袋さながらにキリアンを肩に担いだジェフの歩は、緩むどころか早くなった。小走りになりながらアキラは、はぐれまいと必死に後を追う。
いったい何ブロック歩いたであろうか。
雨に濡れた身体はすっかり冷え切り、疲労と眠気、加えて空腹が重なる。もう一歩も歩けそうもないと思ったとき、ようやくジェフの足が止まった。
「その様子じゃあ通りに放りだして、はいさようならって訳にはいかねぇな。……横須賀ではかみさんが日本人に随分と世話になってたから、ほっとくわけにもいかないか。ほら手を貸してやるからもう少しがんばれよ、俺のアパートが近くにある」
差し出された手を弱々しく払いのけ、アキラは前屈みになった上体を無理矢理起こした。
「一人で、歩ける」
「ほう、鼻っ柱だけじゃなくて根性もあるじゃねえか。気に入ったぜ、ボーイ」
反論する元気が既にないとわかって、にやりと笑ったジェフは壁に向かうと手探りで何かを探し始めた。
薄明かりの中それが鉄の扉だと気が付いたとき、閂の所在を探り得たジェフによってそれが鈍い金属音と共に開かれる。
四角に開いた暗闇の中から、明らかにこの地下道と違った匂いの空気が吹き込んできた。
「先に行きな、もう歩けないってんなら、おまえも担いでやるが」
からかうような口調にむっとして扉の中に入ったアキラは、ちろちろと細く水の流れる狭い石段を壁を伝いながら上っていった。十二、三段進むと頭が何かに当たり、暗闇の中振り返る。
「押してみろ、開くはずだ」
何も見えず、くぐもったジェフの声だけが下方から低い振動となって鼓膜に届く。体力的に自信がなかったが、ここでこのアメリカ人に馬鹿にされるのは真っ平だと、満身の力を込めて頭上の壁を押しあげた。
労せずして、錆びた鉄枠と鋲が打たれた分厚い木の扉が持ち上がった。
差し込む明かりは眩しいほど強くなかったが、下方に位置するジェフの顔を判別できる。促されてアキラは穴の外に出た。




