#8
悠斗は栞の「神楽木様が結構好き」という台詞に予想外に動揺してしまった自分に戸惑った。
誰かに好きだと言われることには慣れている。それこそ、家に帰れば事あるごとに凛花に「ゆうくん大好き!」と言われているくらいだ。凛花に大好きと言われるとくすぐったい気分になって「しょうがないな」と思うが、他の女性に言われても何とも思わなかった。
素直に嬉しいと思う。だがそれ以上に面倒だと思ってしまう自分が確かにいる。
だというのに、なぜ栞に「結構好き」と言われてあんなにも動揺してしまったのか。いつものようにありがとうと言って流せばよかっただけなのに。
「…なんでだろう」
「なになに、どうしたの?」
はっとして、声のした方を向くと、凛花が興味深々な様子で悠斗を見ていた。
凛花はにこにことして悠斗の近くに寄ってくる。
「何か悩み事? ねえねえ?」
「姉さんうるさい…」
「うるさいなんて酷いわ、ゆうくん! お姉ちゃんはただゆうくんが心配なだけなのに!」
「あー…はいはい、ありがとう」
「なあに、その適当な返事は?」
プンプンと可愛らしく凛花は怒り、そんな凛花を悠斗はあしらう。
今日は凛花の相手をする気分ではないのだ。できればそっとしておいてほしい。
そう思うが、気を遣ってそっとしておいてくれるような凛花ではないことを、悠斗はよくわかっていた。
「ねえ、悠斗」
「…なに」
「やだ、そんなに怒らないで? お姉ちゃん悲しいわ」
「……あっそ」
大袈裟に嘆く凛花に悠斗は素っ気なく返事をする。するとそれが凛花には不満なようで、むっと眉を寄せた。そして悠斗の隣に腰をおろし、「悠斗」と厳しい声音を出して悠斗を見つめた。
「…真面目な話。本当に悩みがあるなら私に言って。私じゃ頼りないかもしれないけど…でも、私はいつも悠斗に助けられているから、ちょっとでも悠斗の助けになりたいの」
「姉さん…」
凛花の顔を見ると、凛花の顔は真剣そのもので、本当に悠斗を心配しているようだった。
そんな凛花に対して子供っぽい態度を取ってしまったことを悠斗は反省し、「…じゃあ、オレの話聞いてくれる?」と凛花に問いかけると凛花は笑顔で「もちろんよ」と答えた。
そして今まであったことの大筋を話しさきほどの疑問を告げると、凛花はなぜか微笑ましそうに悠斗を見つめた。その視線がなぜか悠斗には居心地が悪く感じた。
「…なるほどね。それって結構簡単な話だと思うわ」
「簡単…?」
「そう。きっとね、そんなに難しく考える必要もないくらいシンプルな事よ」
「シンプルな事…? 姉さん、勿体つけてないできちんと教えて」
「だーめ。それは悠斗自身がきちんと見つけないといけない答えだから、私は教えてあげないわ」
「はあ…?」
「私が答えを教えることはとても簡単よ。でも、それは他人が見つけた答えで悠斗の答えじゃないから、意味がないの」
「…意味がわかんないんだけど」
「つまり、頑張りなさいってこと」
「はあ?」
凛花はそれ以上教えてくれる気はないようだ。
にこにこと笑って「近いうちにその子を私にも紹介してね」と言うだけだ。
(…彼女に姉さんを会わせたら……きっとわけわからない事を言うんだろうな…)
目を輝かせて興奮した様子で妄想を語る栞の姿がありありと想像できる。
そんな栞の姿を思い浮かべ、知らず知らずのうちに笑みを零していた悠斗を、凛花はにこにこと見ていた。
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「ねえ、いい加減に教えたらどうなの?」
「絶対にいやです」
依然として断固としてあのいかがわしい小説の在り処を教えない栞に、悠斗は栞の強情さに白旗をあげたくなってきた。だが、やっぱりあれが出回っているのなんて認めらない。だから白旗を上げるわけにはいかないのだ。
「神楽木様こそ、いい加減諦めてくださいませんか?」
「絶対にいやだ」
「……」
「……」
お互いに一歩も譲る気はなく、二人は睨み合う。
その睨み合いで、先に視線を逸らすのは決まって悠斗だった。
悠斗はため息をつくが、ため息を吐きたいのはこちらの方だと栞は内心で言う。
「本当に君って頑固だよね」
「神楽木様こそ」
「……君と話していると調子が狂う」
「無理に話しかけてくださらなくて結構ですけど」
そう栞が言うと、悠斗はなぜか傷ついたように瞳を揺らした。
悠斗のその変化に栞は首を傾げる。そんな傷つけるようなことを言った自覚は栞にはさっぱりなかった。
「…君は、オレのことを小説にするくらいなのに、オレのことそんなに好きじゃないよね」
「…どういう意味ですか?」
「別に自慢じゃないけど、オレ、君みたいな態度を女の子にされたことがない」
「はあ…それは、まあ確かに。私みたいな態度を取る方なんて滅多にいらっしゃらないでしょうね」
悠斗は男女問わず人気があるが、男子よりも女子の方が人気が高い。
だから栞のような冷たい態度で接する女子はほとんどいないだろうことは容易に想像がつく。
「…まあ、君を脅すようなことをオレはしているわけだし、嫌われても仕方ないか…」
「え? 私、神楽木様のこと嫌いじゃないですよ」
「え」
悠斗は栞の台詞に目を見開く。そんな悠斗に栞も目を見開いた。
(私、悠斗様のことが嫌いって言ったことあったかな?)
栞の記憶する限りではそんなことを言った記憶はない。
だが、女子から冷たく接されることがなかった悠斗からしてみれば、栞の態度は〝嫌われている〟と取れるのかもしれない。
「よく考えてください。嫌いな人の妄想なんてできませんから」
「…それは、そうかもしれないけど…」
「私、どちらかと言えば神楽木様は好きですよ」
「えっ」
栞の台詞に今度は悠斗が固まった。その顔は若干赤いが、残念なことに栞はそれに気づいていない。
「だって私の話を最後まで聞いてくださるんですもの」
「…それって…」
「私の話を最後まで聞いてくれる人ってそんなに多くないんです。私は一度熱くなると止まらなくなりますから、それに呆れてしまう人がほとんどなんです。だから、私の話を最後まできちんと聞いてくれる神楽木様は私にとって貴重な方です」
「…そう、なんだ…」
「はい。だから、私は神楽木様のことが好きです」
にっこりと笑い、さらりと告げた栞に悠斗はさらに顔を赤く染めた。
「その好きって──」と悠斗が訪ねようとするのに被せて、栞は熱く語り出す。
「なんと言っても神楽木様はとても整った容姿をされておりますし! 成績優秀、容姿端麗、運動神経抜群、おまけに性格まで良い。こんな完璧な方の唯一の欠点と呼べるのがシスコン…こんな美味しいキャラは滅多にいません! 天然な姉に翻弄される完璧な弟…そして芽生える恋心……ああっ、なんてすばらしいの!!」
「………まあ、そんなことだとは思ってたけど……」
小さな悠斗の呟きは妄想の世界に旅立った栞には届かない。
悠斗は乾いた笑みを浮かべて、栞の〝好き〟が自分の想像していたものと違うことにがっかりしている自分に気づき、愕然とした。
(う、嘘だろ…ま、まさかオレ…)
信じられない思いで栞を見ると、なぜか先ほどよりも可愛く見えた。
ぶんぶんと勢いよく頭を振っても結果は同じで、悠斗は体中の熱が顔に集まってきたかのような錯覚に陥った。
(嘘だ…絶対嘘だ……こんな、こんな……!)
「好きになってはいけないとわかっているのに好きなってしまった二人…多くの障害を抱えながら二人はそれを一個ずつ乗り越えていくの。二人でしっかりと手を握って……!」
興奮した様子で熱く語っていた栞は悠斗の様子がおかしいことに、ようやく気付いた。
悠斗は顔を真っ赤にして前を向いて固まっていた。いったいどうしてしまったのだろうか。風邪でも引いたのだろうか。
「神楽木様…? どうしました? 風邪ですか?」
「え…あ……か、風邪じゃないから大丈夫……うん、オレは大丈夫、大丈夫…」
「…本当に大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だから!」
なぜか自分に言い聞かせるように大丈夫と繰り返す悠斗に栞は首を傾げた。
どう見ても大丈夫じゃなさそうな気がするのは栞の気のせいなのだろうか。
「あー……うん。葛葉さん」
「はい?」
「オレ、諦める気はないし、結構しつこいから」
「はあ…」
「だから…大人しくオレに降参して」
「…どうしてそうなるんですか…?」
不思議そうに答えた栞に、悠斗は微笑む。
───好きになってしまったものは仕方ない。
一時の気の迷いであることを願いたいが、確かに悠斗は今、栞を好ましく思っていた。
栞は先ほどの悠斗の台詞は、あのいかがわしい小説のことを言っていると思っているだろうか、そうではない。あれは栞自身の事を言っていた。
もちろん、あのいかがわしい小説を根絶やしにすることを諦める気はない。あのいかがわしい小説は根絶やしにするのは悠斗の中で決定事項である。
その決定事項にもうひとつ加えられたことがあるのだ。
「絶対に君を降参って言わせるから」
そう言って悠斗は不敵に微笑んだ。
「…簡単には言いません」
栞は悠斗の笑みにときめき、妄想をしそうになりながらも負けるつもりはないことを悠斗に告げた。
二人の視線が交わる。今までなんとも感じなかったのに、なぜか今、栞は胸が異様に高鳴るのを感じ、悠斗よりも先に視線を逸らしてしまう。
(な、なんで…? 勝気な悠斗様の台詞と表情にやられちゃったのかな…)
栞はこの胸の高鳴りはいつものときめきだと結論づけ、そこからいつものように妄想を膨らませた。
いつものように妄想を語り出した栞を、悠斗は優しく見つめる。その表情に栞は気付くことなく、妄想を語る。
妄想女子とシスコン男子の攻防はまだまだ続く。
この話でいったんおしまいです。
ですがまだ続きを書く予定があるので完結にはしません。
まだ付き合ってやるぜという心優しい方は、もうしばらくお待ちくださいm(_ _)m