#6
「悠斗様」
「どうしたの、こんなところで。……と、ああ、君もいたんだ」
「……ええ、まあ」
悠斗は不思議そうな顔をして姫樺を見たあと、栞を見てにっこりと笑う。その笑みは相変わらず綺麗で、怖い。
「悠斗様、あまり女の子を苛めるものではありませんわ」
「オレは彼女を苛めてなんかないけど。ねえ、葛葉さん?」
「は、はい! 私は神楽木様にいじめられておりません」
「ほら、彼女もこう言っている」
「悠斗様が言わせているのではありませんか…」
呆れたように言う姫樺に悠斗は微笑む。
気心の知れたやり取りに栞は内心で驚いた。しかしそれ以上に、場違い感がして居た堪れない。
「…もう、そんなことばかりしていると、神楽木さんに言いつけますわよ」
「はは…それは勘弁して…いや、本当に」
「あ、オレ用事があるから」とそそくさと悠斗は逃げるように立ち去った。
そんな悠斗の姿に栞は驚きっぱなしだ。
「…本当に、あの方は神楽木さんに弱い…」
苦笑して呟いた姫樺に栞は慌てて頭を下げた。
「ありがとうございます、橘様」
「なんのことかしら? 私はただ思ったことを言っただけよ」
「そうだとしても、私が助かったことには変わりありませんから。だからお礼を言わせてください」
にっこりと笑って再びお礼を言うと、姫樺は照れくさそうに視線を逸らした。
こうして話してみると、姫樺は噂や話に聞いていたほど悪い人ではないようだと栞は感じた。
(恋は人を変えるというけれど…橘様もそうだったのかも)
もしそうだったら恋って厄介だな、と栞はどこか他人事のように考えた。
「…ねえ、あなた、悠斗様に何をしたの?」
「え…?」
「悠斗様はそんなに根に持つような方ではないのに、未だにあなたを許してないようだったわ。ねえ、何をしたの?」
「何と言われても…私が特に何かしたというわけではなくて…」
「嘘。じゃあどうして悠斗様はあなたに構うの?」
「ええっと…あの、引かないで聞いてくださいね…?」
栞は悠斗に構われることになった経緯について姫樺に話した。
姫樺は他の女子生徒とは違い、悠斗に対してそんなに憧れを抱いているようではなかったし、なによりも悠斗の事をよく知っているようだった。だから、栞の話を信じてくれるのではないかと思ったのだ。
まあ、その代わりというべきなのか、栞は自分の趣味である小説の話をしなければならず、とても恥ずかしい思いをしたが。
「なるほど…納得したわ」
「納得して頂けて何よりです…」
姫樺はうんうんと何度も頷いていた。
納得して貰えて良かったと思うが、それ以上に精神的な何かが削られて栞は帰りたくなった。
まだ授業は残っているので帰れないのだが。
「ね。そのサイトって私も見れるのかしら?」
「ほえ…? え、ええ…ここの生徒なら誰でも会員になれますから…」
「私にそのサイトを教えてくださらない?」
「ええっ!? 橘様に!?」
「まあ。私は見てはいけないの?」
怒ったように眉を寄せて言う姫樺に栞はブンブンと勢いよく首を横に振った。
姫樺が見てはいけない、というわけではない。ただ、姫樺がそのサイトを教えて欲しいと言ったことがすごく意外だったのだ。
このサイトは文芸部にしか作品は投稿できないが、閲覧することは会員であれば誰でも可能であり、常に同士や読者を募集している。そのため、一人でも会員が増えるのは大歓迎なのである。
栞はスマホを取り出し、姫樺のアドレスを聞いてそのアドレスにサイトのURLを送った。
メールが来たのを確認すると、姫樺はにっこりと微笑み、「ありがとう」と言った。
「これくらいお安い御用ですけれど…でも、意外です。橘様もお好きなんですか?」
「私、基本的に読書はしないのだけど…恋愛小説は好きなの。それに…あの二人の話を読むのはとても面白そう」
「はあ…」
「家に帰ったらゆっくり読んでみるわ。このサイトにはあなたの作品もあるの?」
「ええ、あります。あ、でもどれかは教えません。さすがに恥ずかしいので…」
「どうして恥ずかしがるの? ひとつの物語を書ききれるってすごいと思うわ。私には小説を書ききることなんてできないもの」
「え…」
予想外の姫樺の言葉に栞は言葉を失った。
誰かにすごいと言われるのは、すごく久しぶりだった。
「あ、あの…ありがとうございます」
「どうしてお礼を言うの? あなたって変わっているわね……ああ、あの人に似ているのね。だから、悠斗様も…」
「え…?」
不思議そうに首を傾げたあと、姫樺は何かに納得するように小さく呟いた。
だがその呟きはとても小さく、栞の耳には届かない。
姫樺は微笑み、「なんでもないわ。気になさらないで」と言い、それではと一礼して背筋を伸ばしたまま歩いて去っていく。
そんな姫樺の後ろ姿をぼんやりと見送ると予鈴が鳴り、栞は慌てて教室へと戻っていった。