#2
桜丘学園はお金持ちの子息令嬢が通う、小学部から大学部まであるエスカレーター式の学校である。小学部からお受験をし、そのまま大学部まで進み卒業する人が大半を占めるが、中には途中から入学してくる人もいる。しかしそれは少数派だ。
そんな少数派に神楽木悠斗も含まれる。彼もその姉も高等部からの外部生だ。外部入学をするには優れた成績を修めければならない。そのため、小学部からの繰り上がり組よりも外部生の方が成績優秀な者が多いのが桜丘学園の現状だ。
そう。多いというだけで、外部生の皆が皆、成績優秀というわけではない。
実は栞も中学からの外部入学であるが、成績はパッとしない。良くもないが悪くもない。つまり、普通なのだ。見た目も十人並みであるし、特に運動ができるわけでもない。
地味で目立たない、空気みたいな存在。時折クラスメイトからも存在を忘れられる、それが葛葉栞である。悠斗とは正反対の位置にいると言っても過言ではない。
普通に過ごしていれば、悠斗と栞に接点なんて出来るはずがなかった。
学年も違うし、栞は生徒会に入っているわけでもない。廊下ですれ違うことがもしかしたらあるかもしれない、という程度の接点しか持ちえないはずだった。
悠斗が卒業するまでずっと悠斗を遠くから眺めて楽しく妄想していこう。ああ、でも悠斗がいなくなったら妄想ができなくなる…それは少しさみしい。そんな風に栞は思っていた。
───それなのに。
「君の探し物はこれ?」
目の前に差し出されたのは、栞の誰にも見せられないメモが書かれた小さなノート。
誰にも見せられないネタ用ノートを栞は迂闊にも落としてしまい、それを探していた。だからノートが見つかった事に栞は一瞬喜び、そのノートを拾ってくれた人物を見て固まった。
「か、神楽木様…」
よりにもよって、一番拾われたくない人に拾われた──。
栞は絶望で目の前が真っ暗になりそうだった。
(いったいどんな確率なの!? なんでよりにもよって悠斗様に…!)
この時ほど自分の迂闊さを呪ったことはない。
いや、自分を呪うのはあとでいい。今はなんとか悠斗を誤魔化すことを考えるべきだ。栞はそう頭を切り替え、必死に言い訳を探した。
しかし、平凡な栞の頭ではうまい言い訳など思いつかず、ノートだけ受け取って逃げようと決めた。
「これって君の物だよね?」
「は、はい、そうです。それは私の物です。探していたんです…見つかって良かった。拾ってくださり、ありがとうございます」
栞はペコリとお辞儀をし、そっと手を差し出した。しかし悠斗はそんな栞を見てもにっこりと微笑んだままで、手に持っているノートを栞に返してくれる気配はない。
変わらない悠斗の表情に、栞は背に冷や汗が伝うのを感じた。
(…なんでかな。悠斗様は確かに微笑んでいるのに…怖いって感じるのは…。私の気のせい…? 気のせいだよね…あは)
冷や汗も嫌な予感もあるのに、栞は自分の気のせいだと無理やり自分に言い聞かせた。
「あ、あの…そのノートを返し」
「───持ち主を確認するために、中を見させて貰ったんだけど」
「え…」
栞の台詞の途中で悠斗は喋り出す。それは普段の温和で礼儀正しい悠斗からは考えられない行為であり、その事に戸惑ったのと、その台詞に栞はとても動揺した。
しかしそれは悠斗に拾われた時点ですぐに考えれたことであったので、ノートの中を見たと言われてもそれは想定内の台詞だった。だが、実際に言われると精神的ダメージが想像以上に大きく、結果栞はとても動揺して言葉を失ってしまった。
その栞に反応に悠斗はくすりと笑いを溢したが、その目は決して笑っていない。
これはまずい、と栞は焦った。
「なかなか面白い事が書いてあるみたいだね?」
「それは…その…」
焦った栞は必死に言い訳や言い逃れるための台詞を考えた。
そして口に出した台詞は、まさに墓穴を掘る、という言葉に相応しいものになった。
「か、勝手に人のノートを見るなんて、酷いですっ!」
「酷い?」
悠斗は面白い事を聞いた、と言うようにその綺麗な眉毛を持ち上げた。
そして綺麗ににっこりと笑う。
普段の栞なら、その綺麗な笑みを見てぼうっと見惚れ、それから想像を膨らませていただろう。しかし、この状況ではさすがに見惚れることも、想像を膨らませることも出来なかった。
「オレからしてみれば、人に見られたくないような内容を書いているものをうっかりと落としてしまう方がどうかと思うんだけど」
「そ、それは…」
悠斗の言っていることは正しい。もとをただせば、栞がノートをうっかりと落としてしまったのが悪いのだ。それなのに、わざわざ拾って持ってきてくれた人に中を見るなんて酷いと文句を言うのは筋違いというものである。
ぐうの音も出ずに栞が黙り込むと、悠斗は一歩栞に近づいた。綺麗な笑みを浮かべながら近づいてくる悠斗が怖くて、栞は悠斗が一歩踏み出すと同じように一歩下がった。
栞は一歩下がるたびに追い詰められていくような気がした。
それは残念なことに気のせいではなく、確実に栞は追い込まれていった。悠斗に上手く誘導され、気付いた時には背中に壁が当たりもうこれ以上下がることが出来なく、尚且つ一目に付きにくい場所に追い詰めれていた。
「このノートに書いてある内容…これってオレと姉さんのことなんだろ?」
「ち、ちが…!」
「『愛しい彼女の柔らかな体を抱き寄せた。「姉さん…」「だめ…だめよ、悠斗…誰かに見られたら」「そしたらその時だよ。この気持ちがいけないことだとわかっていても』…」
「いやああああ!! やめてえええ!!!」
悠斗はノートを開き、その内容を読み始めた。
自分の書いたもの…それも人前では決して話せず言えないような内容を音読されるのは拷問に等しい。
羞恥心に耐え切れず、栞はあっさりとこれが悠斗とその姉のことを書いたものであると認めたのだった。




