#10
「なんで二人がここに…?」
戸惑った顔をしつつも、咎めるような口調で問う悠斗に、凛花はにっこりと誤魔化すように笑った。
「えっと…こ、こんにちは?」
もっとマシな言葉はなかったのか。
栞ですらもそうツッコミたくなるような台詞を凛花は言い、そんな凛花を奏祐は呆れた顔をして、悠斗はジト目で見つめた。
「…こんにちはって…何を企んでいるの、姉さん」
「あ、あはは…」
「姉さん…」
「や、やだ…ゆうくん、怒らないで?」
「ふーん…オレが怒るようなことをしている自覚が姉さんにはあるんだね?」
「ぎっくう…」
悠斗はにっこりと良い笑顔を浮かべて凛花に言った。
しかしその目は笑っておらず、その笑みを向けられているわけではない栞の背筋がひんやりとしたほど、冷たい目をしていた。
そんな悠斗の様子にまずいと感じたのか、凛花が助けを求めるように奏祐を見た。
が、奏祐は巻き込まれたくないと言わんばかりにすっと凛花から視線を逸らし、そんな奏祐に凛花は目を見開き、言葉に出さずに表情で「この裏切者…!」と蓮見に告げていた。
「姉さん…オレが怒りだす前にここに来た理由、吐きなよ」
「や、やだ、悠斗ったら…ちょっと高校時代が懐かしくなっただけなんだって…」
「へえーそうなんだ。……って、オレが誤魔化されるとでも思ってるの?」
「誤魔化すだなんて…本当のことだもの…私を信じて?」
「……」
必死に誤魔化そうとする凛花と、それを疑わしそうな顔をして睨む悠斗。
そんな二人を他人事のように眺める奏祐。
これはこの三人ではよくある光景で、珍しくもなんともない図であった。
だが、約一名のとってはそうではなかった。
「……いい」
ぽろりと呟いた栞の声に誰よりも早く反応したのは、この中で一番栞との付き合いが長い悠斗だった。
ハッとした顔をして、悠斗は栞を黙らせようと、栞に手を伸ばす。
「葛葉さ……」
「イイ! とっても素敵!」
悠斗の手は間に合わず、栞はきらっきらっした瞳で悠斗と凛花を見て叫んでいた。
栞の瞳はほんのりと潤み、頬は赤く染まり、うっとりとした表情を浮かべている。いつもの妄想を口走る栞の顔だった。
「怒れる悠斗様を必死に宥める凛花様の図!! やだもう、写真撮りたい…生で神楽木姉弟のこんな姿を見られるなんて……ッ! 私、今日一生分の幸運を使い果たしちゃったのかしら…いいえっ! それでもかまわない!! だって私、こんなに幸せなんだものッ!!!」
「………はぁ、遅かったか…」
頭が痛そうな悠斗と、呆然とした顔で栞を見つめる凛花と奏祐に構うことなく──自分の世界に入ってしまっただけとも言える──栞は自らの妄想を語り続ける。
奏祐が小さく「そういうこと…」と呟いたが、そんな台詞はもちろん栞には届かない。
「葛葉さん、落ち着いて」
「これが落ち着いていられますかッ!! だってこんな、こんな夢みたいな光景を私のこの目で!! こ・の・目・で、見られたんですよ!? それなのに私に落ち着けと!? あなたは鬼ですか、鬼畜ですか! うう…そんな悠斗様も素敵…!」
「……いい加減戻ってきて…」
「ただし鬼畜仕様は凛花様の前だけでよろしくお願い申し上げます…」と泣きながら呟く栞に悠斗は虚ろな目を向ける。
半泣き状態で妄想を語り続ける栞に「ねえ、本当に頼むから、今だけは落ち着いて…いや本当にお願い」と必死に悠斗は頼み続けた。
その甲斐あってか、栞はなんとか落ち着き、自分のハンカチで涙と鼻水を拭う。
そんな栞に凛花が声を掛ける。
「葛葉さん」
「あ…は、はい! も、申しわけありません、見苦しいところをお見せしてしまい…」
栞が本当に申し訳なさそうな顔をして謝ると、凛花はちょっと困った顔もしながらも、笑ってくれた。
凛花様、まじ女神…と栞が内心で思い、拝んだのは言うまでもない。
「あ、あはは…うん、気にしないでいいわ。気にしてないから」
「本当にすみません…ありがとうございます」
「いいのよ。それよりも……」
「……?」
凛花はなぜか栞を見てとても素敵な笑顔を浮かべた。
その凛花の笑顔に栞の胸は大きく高鳴り、顔が自然と赤くなる。
「私の弟を…悠斗をこれからもよろしくお願いね、栞ちゃん」
「えっ…!?」
いきなり憧れの凛花に名前で呼ばれたことに栞はとても興奮した。
(どうしよう…! すごく嬉しい…! 私、本当に今死んでも後悔しないかも…! ところで…なんで凛花様に私、弟をよろしくって言われてるんだろう?)
栞は首を傾げながら、「こ、こちらこそ…?」と戸惑った声音で答えた。
疑問形になってしまったのは仕方のない事だ。なぜ凛花に「弟をよろしく」と言われたのか、さっぱりわからないのだから。
凛花と会ってから栞がしたことと言えば、挙動不審になって妄想を思わず叫んだくらいだ。どちらかと言えば「弟とよろしくしてほしくない」と思われてもおかしくはない。
むしろ栞が凛花の立場だったら家に帰ってから「あの子と仲良くするのはやめさい」と言うだろう。それくらい、今日の栞は変な言動しかしていないという自覚があった。
凛花は栞の返事に満足したらしく、にこっと笑ったあと、黙って成り行きを見守っていた奏祐に目配せをし、それに奏祐は小さくうなずいた。
(以心伝心ってやつかしら…! やっぱり凛花様と蓮見様も素敵ね…まさに理想の恋人同士って感じ)
そんな二人の小さな仕草にも栞がうっとりとしていると、悠斗が焦ったような声で「ちょ、ちょっと姉さん…?」と凛花に声を掛けた。
「悠斗と栞ちゃんの様子を見れて満足したわ。私たちはもう帰るね」
「はあ…? ちょ、ちょっと待ってよ、姉さん…!」
「小言なら家に帰って聞くから。それじゃあ、ごきげんよう、栞ちゃん」
「ご、ごきげんよう、凛花様…」
凛花にごきげんよう、と声を掛けられて栞はハッとして同じように返し、ぎこちなく一礼をした。
それを見た凛花は奏祐と仲良く寄り添いながら去っていく。
その後ろ姿に「ちょっと待ってよ、姉さん…!」と悠斗が叫び、栞はうっとりとした目で二人の後姿を見送った。




