餌
「え…餌…?」
しばし呆然としてしまった僕がやっとの事で聞き返せたのはそれだけだった。すると、我が意を得たりとばかりに薄く笑いながら浮世さんは口を開いた。
「そう、餌じゃ…生きたまま生皮を剥ぎ、逝ってしまわぬよう注意しながら丹念にその血肉を少しずつ、丁寧に食らっていく。悲鳴をあげるのは初めの内だけよ、限界を超えた痛みに気絶と覚醒を繰り返しながら、次第に声をあげる気力すら失っていく…嗚咽なんだか呼気だかもわからぬ音を漏らしながらもまだ逝けぬまだ逝けぬと、そうさね、その―ーー」
「うわあああ!」
そのあまりにも恐ろしい語りに、恥も外聞も捨て去り逃げ出そうとする僕だったが、見た目からは想像も出来ない力で肩を掴まれその場に留められる。
「まてまて、冗談じゃ冗談。さっきワシはあかなめだと名乗ったろうに。聞いたこと無いのか、あかなめ。風呂場とかの水場に残った垢をなめて綺麗にしてくれる善良な妖じゃろうが」
そ、そうだった、この人はさっき自分をあかなめだと紹介したのだった。えっと…それじゃあ、餌っていうのは…
「そう、坊主の垢のことさね」
「そ、そうか、僕は人より垢が多いから…!」
「まあ、そういうことじゃよ。近年は、どこもかしこも薬の影響が強くてな。綺麗な、と言ったら違和感があるが、純粋な垢を食べたいというに、薬の味が混ざったような垢ばかりでのう。人の文明が進んだ結果だというのは分かっていても儂らにとっては、の…。それで人から直接垢を取れればというのはすぐに思いついたのじゃが、並の人相手ではまだ生きた皮膚ごと削り取ってしまうかもわからんしな…ヒヒヒッ!」
そう言って笑う浮世さんは怖いけど、冗談…ですよね?
「それに、坊主の垢は特別うまい、これは何故か全くわからんがの。」
ほ、褒められたのだろうか…
「そ、それで、僕が餌になることで、僕のデメリットとか、め、メリットとかは、あるんですか?」
「クヒッ、まあ、ワシとてここまで永らえておるからには、人の道理というものも心得ておるわい。恩知らず、というものに成り下がるつもりもないからの。坊主のデメリットは特に無い。坊主の状況をしっかりと鑑み、適切だと判断した場面以外では、垢をなめたりせんわ。で、気になるメリットじゃが、坊主の、あれだ、めんたるけあ、をしてやろう」
そう、得意げに言い放った浮世さん。なんだろう、カタカナ語が気に入っているのだろうか…?
「メンタルケア?」
「そうじゃ。特別な血筋でも無ければ、修行をしたわけでもない坊主がワシを見ることができているのじゃ、余程の心の傷じゃろうて。それを解消するために、坊主の人生のあどばいざーをしてやろうというわけさね。悪くない取引じゃろ…?」
そういって、その深い闇のような瞳を向ける浮世さん。その吸い込まれるような瞳に囚われながら僕は思考を深めていく。今の話に不可解な点はなかっただろうか。古くから、化生や悪魔の類と契約を結んだもので、ロクな最後を遂げたものはいないと言われている。用心に用心を重ねた上で、結論を…ひっ!
「悩むこともないだろう、のう?」
ペロリ、と首筋をなめられた。そして、思い出した、先ほど逃げようとして逃げられなかった事、肩を掴まれた時の物凄い力を。そうか、これは契約なんかじゃない…実質承諾しか選択肢の無い、脅迫…
「わ、わかり…ました…」
冷や汗を書きながらかきながら答えた僕とは対照的に、そうかそうかと浮世さんは実に愉快そうに笑っていたのだった。
浮世さんの口調が安定しないのは、300年以上あちこちを旅してきた影響で各地方の方言が入り混じってしまった為です。




