あかなめ少女
(…カ…ワシ…ウマそ…カオリ…)
落ち込みながらも家路を行く僕の耳に、かすれたような大きさで、少女の声のようにも聞こえる音が聞こえた気がした。自分のすぐ後ろで囁かれたように聞こえたその声に驚き後ろを振り向くが、声の主と思しき存在は影も形も見当たらない。今いるのは左右を住宅に挟まれたごく普通の一本道で、隠れたりするようなスペースは無いように思える。
「精神を病みすぎて幻聴まで聞こえるようになったか」
自嘲気味にそうひとりごちると、再び歩みを進める。なんだか心なし肩まで重くなったように感じる。この年で肩こりかあ…ホント中学に入ってからろくなことがないなあ。そうぼやいた僕の首筋に、一瞬こんにゃくが滑ったかのような感覚が走った。
「うわっ」
思わず大きな悲鳴を上げ、慌てて首筋を手で確かめるがそこには何もない。何もないのだが、確かに、そこにさっきまで何かが合ったと言わんばかりに何かの粘液のようなものが付着していた。あまりの不気味さに思わず早足になる。タッ、タッ、タタッ…
「タタッ…?」
確かに、いま足音が一つ余計に聞こえた。頭が真っ白になった。なにかいる…?逢魔が時にはまだ少し早い、太陽も元気を残したこんな時間の怪奇現象。
僕は家へとかけ出した。全身全霊の全力疾走。もつれる足を気合で立て直し道を急いだ。コンクリートブロックが流れる。風のように、あるいは一本の矢の如く走る。見えた!我が家だ。家に入るための最短ルートを見積もる。家の敷地に…入った。庭のポストの裏に隠された我が家の鍵を奪取、そのまま勢いを殺さずに鍵穴にインサート。最後に一瞬後方を確認ーーーよし、誰もいない!僕は勢い良く玄関に飛び込み扉を封鎖した。
全力疾走のおかげか、さっきまでの肩の重さもなくなり、ホット一息。すると、全身が汗だくになっている事に気がついた。ただでさえ汗の量が多いのだ。このままでいたら両親に迷惑をかけてしまう。ちょっと早いがシャワーを浴びなくちゃ。荷物だけその場に下ろすと、なるべく床を汚さないように気をつけながら僕は直接風呂場へと向かった。
服を脱ぎ風呂場へと上がる。そう言えば、水場は霊の類を惹きつけるとかテレビ番組で言っていたのを聞いたことがあるような…さっき怪奇現象を体験したせいか、そんな普段なら一笑に付すような考えが浮かぶ。そんな、まさかな…苦笑いを浮かべながら目の前の姿見を見たその時だった。
姿見に写る自分の姿、その後ろに少女が、赤い着物を身にまとった、オカッパ頭の少女がいた。
ひっ、と悲鳴を上げそうになるのをこらえ、後ろをゆっくり、ゆっくりと振り向く。そこには今さっき見た少女の姿はなく、檜の壁が広がるのみだった。見間違い、だったのかな…?そう思い元の方に向き直った。
目の前、ほんの鼻先三寸もないところに少女のカオガアッタ。
オカッパ頭の少女はニタニタと不気味な笑みを浮かべながらこちらを見つめている。恐ろしさに硬直し動けずにいる僕の目の前でその口が静かに開いた。何かをしゃべるのかと身構えた僕の予想に反してその口からは舌が伸びてきた。いや、これは本当に舌なのだろうか。僕の首をゆうに一回り出来てしまいそうなほどの長さのそれを魅せつけるように伸ばした少女は、その舌で僕の顔をずるり、とひと撫でした。そしてその長い舌をゆっくりと口の中にしまうと、彼女はその目を細め愉快そうに言ったのだった。
「ヒヒっ、実に甘露な垢じゃのう…それで、坊主、わしが見えるのかい?」




