お弁当
突如玄関前に現れた水越さん曰く、以前の野衾の時の用なことがあると怖いから、一緒に登下校出来ないかという事だった。何だ、そういう事だったのか、と納得できるような人間なら良かったのだけど、ここまで露骨に態度に出された上に、横で浮世さんがニヤニヤと笑っている状況ではさすがの僕もまさかと思ってしまうというものである。と、とはいえ僕には一応恋川さんという心に決めた人が………等と考えていると、いつの間にやら朝食の場が整っており、何故か水越さん含めて一緒の朝食を執り行う運びとなった。朝食を食べてからきたらしい水越さんの前に出ているのはお茶と簡素なお茶請けのみではあったが。あんた(おまえ)もヤるようになったわねえ、等と両親からいじられつつも、なんとかどうにかつつがなく朝食は終了し、羞恥心から逃れるように、僕は足早に学校へと向かうのだった。
「ところで、水越さん、バッグとは別にあるその大きな包みは何?」
学校に到着した僕は、いつも通り授業の準備をしつつ気になっていた事を水越さんに尋ねた。すると、水越さんはフフっと軽く笑みをこぼすと、
「まだ内緒です、お昼を楽しみにしていてください」
とだけ返した。不覚にもその姿に一瞬鼓動が早まるのを感じてしまったが、何事もなかったかのように、そっか、とだけ返したつもりだが、上手くポーカーフェイスができていた自信はない。どうにも朝からペースを崩されっぱなしで、上手くいかないが、そんな僕と水越さんの様子を見て浮世さんは始終その意地の悪そうなニヤニヤ顔を崩すことはなかった。
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お昼の時間を迎えた。僕の通う中学校は珍しい事に食堂で1食毎食券を購入するシステムになっている。なんでも自分で食事バランスを考えた食生活をする力を養う為だそうで、必ずしも購入の必要があるわけでも無いため、毎日お弁当を持ってくる生徒もそれなりに居るのだ。そんな食堂に向かおうとすると、水越さんが声をかけてきた。
「芳員君、一緒に行きませんか?」
そう言った彼女の両手には、朝から目立っていた大きめの包みが握られていた。
「もしかして、その包みって、お弁当とかだったりする?」
そう尋ねると水越さんは少し照れたような表情で告げた。
「流石にバレちゃいましたか、そうです。お弁当です、芳員君の分もあるので一緒に食べましょう」
水越さんは、ね、と念を押すように両手で持った大きな包みを僕の方に押し付けるとくるりと身を翻して食堂の方へと歩き出した。いつになく積極的な水越さんの姿に一瞬ぼうと立ち尽くしてしまうが、直ぐにその後を追いかける。
「僕の分まで作ってくれてるなんて思わなかったよ」
この中学の食堂の料理は決してまずくは無いが、女の娘の手料理が食べれるとなると話は別だ。実は結構嬉しい。
「そうですよ、流石にこんな大きさのお弁当一人で食べるわけないじゃないですか」
冗談めかしてそう云う水越さんの姿はとても魅力的に見えた。
適当な座席を確保すると、水越さんは弁当の包みを広げ始めた。中から出てきたのは4段もある巨大な重箱で、どこをどう見ても到底二人分の弁当には見えない、運動会に来た一家が食べるようなサイズの弁当であった。
「水越さん、これ大きすぎない?」
僕がそう尋ねると、水越さんは少し照れたような様子で返した。
「その、初めて芳員君にお弁当を作ると思って、張り切りすぎてしまって………流石に食べきれませんか?」
食べきれませんか?と訊ねる水越さんの様子はどこか申し訳なさを感じている調子で、僕は慌てて言葉を返す。
「大丈夫大丈夫、ちょっと量が多いかもとは思ったけど、こうみえて僕は結構大食漢だから」
取り繕った言い訳に聞こえないこともないが、あながち真っ赤な嘘というわけでもない。代謝が活発なせいか、昔から消化も早く、見た目より遥かに多くの量を食べることが出来るのだ。
「それなら良かったです。でも、美味しく食べて欲しいので、無理はしないでくださいね。あ、そうだ見てください、男の子は、彩り豊かなお弁当より、こういうほうが喜ぶって聞いたので、この一箱は全部、唐揚げなんです―――」
そんな風に他愛無い会話をはさみながら昼食は続いていった。水越さんの料理の腕は相当なもので、どのおかずも一級品と言って差し支えない程の出来栄えであった。そんな幸せな食事の最中、爪楊枝で止められたアスパラガスのベーコン巻きを食べていた時の事だった。呪いを受け変色していた左腕に痛みを感じ手元が狂った結果持っていた爪楊枝で右手の人差し指を軽く刺してしまった。人差し指は直ぐにぷっくりと膨らむように出血した。それをみた水越さんの眼の色が変わったと思った次の瞬間、水越さんは僕の手首をつかみ右手人差し指をその口に加えたのだった。声を出すまもなく起きた突然の凶行に、唖然としていると、ひとしきり傷口をなめ終えた水越さんが僕の指を解放した。指と口との間をつたう唾液の線が艶かしい雰囲気を醸し出し、どこがとは言えないが戦闘態勢に入りかけてしまう。そんな僕の方を頬を赤らめながら見つめた水越さんは、言い訳がましく言った。
「そ、その、傷は舐めると良い消毒になるといいますから………」
そう告げた水越さんの瞳に、なにやら普通でないものを感じた僕は、もうひとつの事情も相まって、若干前かがみになりつつトイレに行くと告げて席を立ったのだった。