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丑の刻参り

 「うわああああああああ!!」


 その異常な光景に僕は思わず大きな悲鳴を零してしまう。するとすぐに、朝食の準備の為に起きていたであろう母親の


 「大丈夫?」


という僕を気遣う声が台所の方から聞こえた。慌てた僕は一つ深呼吸をして頭をクリアにすると、


 「大丈夫、悪い夢を見ただけだから」


とだけ返した。幸いにも母さんは特に不審がることもなく、そう、とだけ返すと、包丁の規則的な音が聞こえ始めた。


 「ほぅ、これはなかなか面白いことになっておるのう」


 これまたいつの間にやら横にいた浮世さんが僕の変色した左腕をしげしげと眺めながらそう言うと、唐突にその長い舌を伸ばして黒い風穴のある辺りをぺろりと一舐めした。


 「うわっ、浮世さん!急に何を!?」


 突然の蛮行に抗議する僕のことなど無視しながら、彼女は神妙な顔で咀嚼するように口を動かし、ゴクリと喉をならすと、再びその口を開いた。


 「ふむ、まあ、味わうまでもなくそうじゃないかとは思っとったが、呪いの類かねえ………坊主、誰かに恨まれる心当たりはあるかいな?」


 舐める必要はなかったの!?――ーじゃなくて、誰かに恨まれる心当たり?


 「自分で言うのもなんだけど、あんまり人に恨まれるようなタイプじゃないような気がしますけど………」


 おどおどとしながらそんな事を言うと、浮世さんはきょとんとした後、堪え切れないとばかりに腹を抱えて笑い出した。


 「じ、自分でそんな事を言うやつがっあるか?ヒヒッヒ…ウッ…ヒッヒィ………悪人正機とはよく言ったものさねえ…ヒィッひッ」


 機嫌が悪いよりは良いほうが良いが、ここまで笑われると流石に少し気分も悪くなるというものだ。


 「笑い事じゃ無いですよ!わざわざ呪いなんか掛けてくるほど恨まれる心当たりなんて微塵も無いし………あっ」


 恨みに対する心当たりとは少し違うが、直前まで見ていた夢はどうも無関係とは思えない。


 「なんじゃ、己の罪科にでも行き当たったかいな?」


 にやにやとしながら訪ねてくる浮世さんに心がささくれだつが、現状頼れそうな人物は他にいないため仕方がない。


 「恨まれる心当たりとは違うんですけど――ー」


 そう言って僕は直前まで見ていた夢の仔細を浮世さんへと伝えた。話が進むに連れて浮世さんは何やら確信を得たような様子であったが、同時に、笑っていいのか真剣な顔をすれば良いのか分からず苦心の果てにたどり着いたとしか形容できないような表情になっていった。


 「うむぅ………とりあえず今坊主を襲っている呪いの正体はおおよそ分かった、分かったのじゃが、まあ………なんじゃ、とりあえず結論から言うと、坊主、このままではあと6日ほどで帰らぬ人となるぞ」


 え?


 「ええ!?結構一大事じゃないですか!?なんでさっきから若干笑いをこらえたような表情をしてるんですか!?」


 ほとんどヒステリックに抗議する僕へ手を向けてどうどう、と家畜をなだめるように振る舞う浮世さん。


 「まあまあ、とにかく話は最後まできけい。坊主を襲っている呪いは、大御所中の大御所、有名所の鉄板所、丑の刻参りと呼ばれるものさね」


 そう言うと浮世さんは口角を引き上げニヤリと笑った。

 丑の刻参り。誰もが一度は聞いたことがあるような、あるいは日本一有名と言っても過言では無い呪いの儀式である。燃えさかる蝋燭を頭に固定し白装束を身にまとった女性が、連夜、誰にも見られぬようひっそりと神社へおもむき、呪いたい相手に見立てた藁人形をご神木へと釘で打ちつけるという儀式だ。儀式は連夜行われ、七日目に満願となる。儀式が成就すれば呪われた相手は命を落とすとかなんとか。


 「ええ!?なんで、そんな恐ろしい儀式の対象にされてるんですか!?」


 「落ち着かんか、話は最後まで聞けと言うとるだろうに。坊主が標的にされた理由じゃが、それもまあなんとなく察しがついておるのよ、実はな、この呪い、【宇治の橋姫】という女性が行った儀式がそのルーツであると言われることがあるのさね」


 浮世さんが言うには、宇治の橋姫というのは、嫉妬にとりつかれ、妬ましい女を取り殺したいと願った末に生きながらにして鬼と化し、妬ましい女のみならず、誰も彼も殺す悪鬼と成り果ててしまった女性の事らしい。伝説上の宇治の橋姫が鬼と化した儀式こそが丑の刻参りのルーツだというのだ。


 「それで、その宇治の橋姫の話が、僕が標的にされた話とどう関連するんですか?」


 そう先を催促すると浮世さんはきょとんとした後呆れたような顔になった。


 「まだ分かっとらんのかこの腐れ坊主は。つまり、あれじゃよ、坊主が狙われとるのは、歪んだ色恋沙汰が原因じゃろうということさね」


 は?色恋沙汰、というのはどういう意味で―――ピンポーン――ーと、思考を遮るように唐突に玄関のチャイムがなった。母さんは料理中でまだ出られそうに無いという事なので、僕が応対することになった。はーい、今出ます、と僕が玄関のドアを開けると、


 「ふふ、その、来ちゃいました………なんちゃって?」


 そこには、学校指定のバッグに加えて、なにやらやたら大きな包みを持った水越さんが立っていたのだった。

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