お約束
「やれやれ、ワシの出番はなかったようじゃの。して、その娘が坊主が告白に失敗した娘とやらかの」
積もる話もあるじゃろうから、と言うと浮世さんは吹き飛んだ野衾の方へと歩いて行った。
「それで恋川さん、怪我は無い?」
そう言うと僕は、恋川さんの全身を確認したが、目に見えて怪我をしている場所はなさそうだった。
「はい、芳員君に助けて頂いたので………本当にありがとうございます」
うっすらと頬を桃色に染める恋川さんの様子に、自身の胸の鼓動が早まるのを感じる。恋川さんはその両手を彼女の胸の辺りにもってくると、所在なさ気に重ね、少しためらうように口を開いた。
「それで、その………あの日、芳員君が私に話してくれた事の返事をしなくては、と」
あの日、恋川さんを気絶させてしまったその日以来。僕らの間には会話は存在していなかった。気絶させた張本人である僕から話しかけることは躊躇われたしーーーいや、単に勇気がなかっただけかーーーさっきの恋川さんの言葉通りなら、彼女も話したいという気持ちはあったようだったが。故に、僕と恋川さんとの間で交わされた最後の会話は、僕からの告白。その一方通行な思いの伝達であった。
「その、私も、芳員君のことが………」
まるであの日の再現をするかのように、強い風が吹いた。桜の花びらこそ舞わなかったが、もうすっかりと緑になってしまった桜の枝がざわざわと音をたて、その身を震わせる。恋川さんが今まさに告白の返事を告げようかというその瞬間。
「やっと、見付けました…!芳員君、大丈夫でしたか、あっ………!?」
勢い良く走りこんできた水越さん。しかし、血を失ったばかりで無茶をしたことが祟ったか、その足をもつれさせると勢い良く僕の方へと倒れこんできた。心構えの間もなく訪れた予期せぬ衝撃に僕は水越さんごと地面に倒れこむ。せめて自分が下になるようにと、水越さんを抱え込むように腰に手を回し自分の背中を地面と水平に向ける。衝撃の予感に思わず目を閉じると、どん、と背中がコンクリートに触れる思い感覚に次いで、唇に、ふ、と予想外の柔らかい感触があった。不穏な予感を覚えつつ恐る恐る目を開くと、目の前には両の目をきつく閉じた水越さんの顔があった。いや、それだけではない、端的に言えば、唇と唇とが触れ合っていた。遅れて水越さんの目が徐々に開いていく。一瞬の内に起きているはずのそれは、なぜだかとてもスローに感じられ、野衾と戦っていたとき以上のアドレナリンが脳内で分泌されているのを感じさせた。
「ひゃっ!」
事態を認識した水越さんが小さくつぶやくと僕の前から飛び退いた。貧血ぎみの身体で勢い良く飛び退いた水越さんの身体がフラつき、地面にその腰を打ち付けると同時に、張り詰めた糸が切れたように、恋川さんが走りだした。
「あ、恋川さん!待って、これは誤解でっ!」
まるで、不貞を発見され、彼女に逃げられたしょうもない男の様なセリフを吐きながら、どんどん離れていく恋川さんを追いかけようと立ち上がる。いそいで追いかけようとする僕の近くで、腰を打ち付けた水越さんがいてて、と小さく声を上げた。それを見た僕は、病み上がりの水越さんをここに放って置くわけにもいかないし、恋川さんの誤解もとかなければならない、という状況の板挟みで頭が真っ白になり、行動不能に陥ってしまった。
僕が情けなくオロオロとしていると、野衾との戦闘時の音を聞きつけたか警察官がやってきた。警察官へここであった一連の出来事ーーー同じ中学校の女子生徒が野生動物に襲われていたので助けようとした、という話ーーーを説明すると、交番で簡単な事情聴取をするから付き合ってくれないか、と言われてしまい、とうとう恋川さんを追いかけることはできなくなってしまったのだった。
「ヒヒヒヒヒッ!!まったく、坊主はとんでもない女泣かせじゃのう。英雄色を好む、などとも言うが、優れた資質を持つものの元には自然と人が集まるものなのかもしれぬの」
警察署へと連れて行かれる僕を見ながら、浮世さんはいつものおかしな笑い方で愉快そうにそう言った。いつまでもその場でニヤニヤと笑い続け、ついてこない浮世さんに不自然さを感じた僕がついに路地の角を曲がり、浮世さんの視界から消えようとしたその時、すこし寂しそうな顔をした浮世さんが呟いた。
「坊主は、ちゃんと心の傷を乗り越えたようじゃの」
ーーーこれでもう、ワシがいなくても大丈夫かね。




