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好きと嫌いの境界線

定番ネタだなという感じですが、アッサリしていて読みやすいと思います。ケンカップルです。

カチカチカチカチカチカチカチ

軽快で単調な音が隣から聴こえてくる。

カチカチカチカチカチカチカチ そのスピードは乱れることなく一定だ。

カチカチカチカチ…

「…って、いつまでやってんの、それ。いい加減イライラするんですが」

パソコンのキーボードを打つ手を止めて私は隣の席を見遣る。隣の席には今年30歳に足がかかるとは思えない童顔の男性がいて、手にはシャープペンシルが握られていた。

「いや…全然芯が出てこなくてさ」

そう言いながらカチカチと音を鳴らし続ける男性に苛立ちを覚える。思わず眉間にシワが寄ったのを自覚しつつ、私は極めて冷静に話しかけてみる。

「他のを使ったら?」

別にそのシャープペンシルに拘らなくたって良いでしょうに。

そんな私の助言をスルーして彼はとうとうそれを分解し始めた。

「あのさぁ…明日までに作り終えなきゃいけない資料があったはずだけど。そんなことしてたら間に合わないよ」

昨日の昼、係長から頼まれた資料のことをきっと忘れているんだろう。じゃなければ時間がかかることが分かっている資料作成を放り出して、こんなシャーペンに時間を費やすわけがない。

呆れながら伝えた言葉に彼はやっと顔を上げて私の方を向いた。

「大丈夫、間に合うから」

「…どこからその自信が来るんだか。ほら、私のシャーペン貸すから直すのは後にしたら?」

「良いよ。後少しで直りそうだから。ありがとう」

せっかくの申し出を一刀両断で切り捨てた彼に、私の苛立ちは最高潮に達する。それでもその怒りを外に出さないのは、偏にここが職場であり、この男と同じで私も今年30歳になる分別を持たなければならない大人だからだ。

「あっそ、じゃあ頑張って」

せめてもと嫌味たらしくエールを送れば、彼も

「どうも」

と抑揚のない声で返事をした。


何よ、腹立つ!!!


力任せにキーボードを叩いたら、間違って別のボタンを押したらしく、Excelの数式が飛んでしまった。

「ああっ!」

愕然として頭を抱えたら、隣からフッと鼻で笑うのが聞こえた。隣の彼を睨み付けると、可笑しそうにこちらを見る目とぶつかる。

「何やってるんだよ」

「見ての通りです。何か文句ある?」

「別に。それ、直してやろうか?」

ニヤニヤしながら言われた言葉が私の癇に触る。

「結構よ!」

「Excel苦手なくせに。完成するの明日になるぞ」

「はぁっ?!ケンカ売ってるの!?」

だんだんヒートアップして彼の胸ぐらを掴もうとした時、

「水瀬さん、松木さん。ここは職場です。仕事に集中できないのなら、ここを辞めて別の職を探すことをお薦めします」

頭上から降ってきた声に私たちが恐る恐る顔を上げると、にっこりと笑顔を貼り付けた係長がいらっしゃった。笑顔の割に目が全然笑ってない。

「「すみません」」

二人で頭を下げ、仕事に戻る。30になるというのに叱られるなんて恥ずかしい。

「水瀬君のせいで怒られたじゃない」

「松木さんが先だろ」

係長が席に戻るのを見計らい、こそこそと互いに非難し合う。

今日は叱られてしまったが、普段は叱られないレベルでこんなやり取りは毎日あるから、周りは見慣れたもので反応はしない。時折生温かい視線をくれるだけだ。



水瀬馨(みなせかおる)松木里桜(まつきりお)は犬猿の仲。



この会社での常識であり、当人同士もよく理解している。もはや馬が合わないのだからどうしようもない。

いつものように小競り合いをした後、私たちは各々の仕事に戻ったのだった。





人間には相性がある。相性が良ければ何をしても大抵うまくいくが、相性が悪いと相手の言動にとことん苛立ちを覚えてケンカに発展する。

私と水瀬君の関係は正に後者だ。ケンカするほど仲がいい、なんて嘘だと思う。私たちはびっくりするほど仲が悪い。周りの人がからかうことができないほどに相性は最悪だ。

それなのに私たちには腹立たしいほど共通点がある。年齢や出身地、家族構成、趣味や生活スタイル。驚くほど合致していて、当然のことながら、行動範囲や持ち物も似てきてしまう。先日、ケンカの原因になった水瀬君のシャーペンと全く同じ物を私も持っていたりと、気持ち悪いくらいそっくりなのだ。

とは言っても性格が合わないんだから、そんな共通点はケンカの原因にしかならず、必然的に私たちはどうでもいいことで揉める。私も30歳になるし結婚相手を探さなければと考えているが、水瀬君だけはその候補に挙がらない。いや、挙がるわけがない。



…と思っていたのに。




「俺たち、来月結婚します」




まさか二人で並んで皆の前で報告することになるとは思わなかった。呆気にとられた表情で私たちを見つめる職場の皆さん。…その気持ち、よく分かります。

「これからも私たちをよろしくお願いいたします」

微妙な沈黙の中、私たちは頭を下げる。結婚の報告なのにこんなに静まり返っているなんて、私たちの時くらいだろう。でも皆の驚きは分かる。二ヶ月前の私も、こんなことになるとは思ってなかったし信じられなかったはずだ。質の悪いドッキリだと疑った自信がある。



でも、現実なんだよね。



左手の薬指に嵌まった指輪をそっと撫でる。それだけで胸が温かくなり、隣に立つ水瀬君を見上げた。繋がった目線に水瀬君がふわりと微笑み、私の手をそっと優しく握る。それがあまりに幸せで、私は目を閉じた。






「松木さん、お疲れ」

缶コーヒーを差し出してきたのは水瀬君。こういう優しさは素敵だと思うのに、どうして嫌味たらしいことばかりするんだか。そう呆れながらも私はそれを素直に受け取った。

「ありがとう。水瀬君、まだ帰らないの?」

「俺は仕上げておきたい仕事があるからね」

苦笑する水瀬君。時計を見ればもう就業時間はとうに過ぎていて、これからまだ仕事をするとなると終電間際になってしまう。

私は彼の机の上のパソコンの画面を覗いた。

「これ、本当に終わる?」

見れば、明日の会議の資料のパワーポイントが開かれている。確か急に社長の意向で会議が開かれることになり、急遽プレゼンをしなければいけなくなったと聞いている。そのプレゼンの担当者に抜擢されたのが水瀬君だ。

窺うように彼の顔を見ると、彼は小さく息を吐いた。

「社長の気まぐれだろうと、仕事だから。やるしかないよ」

そう言って水瀬君はパソコンに向き直る。ここのところ仕事が立て込んでいて外回りの後でも残業をしていた彼の顔は見るからに疲れ切っていて、目の下には隈ができていた。

「手伝おうか?」

気づけば私はそう提案していた。驚いたように水瀬君がこちらを向く。

「その内容は私、ちゃんと頭に入ってるから。この前久世君を手伝ってデータ集計したし」

久世君は水瀬君についている新人君だ。不器用で半泣きになりながらデータ集計をしていたから、ついこっそり手伝ってしまったのだ。

新人君が隠していたであろう事実を知り、水瀬君は器用に眉を上げる。

「何やってるんだよ、アイツ。道理で資料の出来が良かったわけだ。悪かったな、忙しいのに」

「良いよ。新人の時って皆そうじゃない」

新人がベテランと同じだけ仕事ができたらそれはそれでビックリだ。

「ありがとう。助かったよ。俺の指導不足だな…」

珍しく落ち込んでいるのか表情は暗い。

私は引き出しから常備しているチョコを取り出して水瀬君の机に乗せた。

「困った時はお互い様。…そもそも私たち、同期なんだから甘えてくれたって構わないのよ?」

水瀬君がいつも私に遠慮しているのは分かっていた。助けて、の一言があれば助けてあげるのに、意地っ張りで仕事にプライドを持つこの男は、私を突っぱねる。だから私も素直になれないし、水瀬君に頼りたくなくなる。

私の言葉に水瀬君は返答に詰まる。その隙に私はパソコンを起動し、データを社内メールに添付して水瀬君のパソコンに送った。

「とりあえずそれは完成してる資料だから使って。あと、配布用にレジュメが要るよね?私はそれ作るよ。そういうの得意だから」

ニッと笑顔を見せれば、水瀬君はしばらく呆けた顔をしていたが、やがて小さく笑みを溢した。

「…ありがとう」

少し照れ臭そうに、でも嬉しそうにはにかんだ水瀬君が鼻を啜る。その目に涙が滲んでるのを見つけて、私は目を反らして見ないふりをしてあげた。

「私、終電には乗りたいから。早く終わらせようね」

「夜道を一人で歩かせられないから。車で送ってくよ」

「本当に?やった!…って変なことしないでよね」

いつものように茶化して言うと、水瀬君が笑う。

「バカ、俺は紳士だ」

「嘘だぁ、絶対肉食系の野獣タイプじゃない」

顔は童顔だが、体はガッチリしていてネクタイを緩めた時に見える鎖骨のラインなんか色気がある。それを見てドキドキしたことがあるなんて、絶対に教えないけどね。

「まぁ肉食なのは否定しない」

「ほらね!送り狼にならないでよ?」

「送り狼になりたくなるようなムードもないくせに」

「何よ!私の魅力が分からないなんて」

他愛のない会話をしながら、いつもと違い自分の中に苛立ちがないことに私は気づいていた。恐らく水瀬君もそうだろう。軽口を楽しんでいるというのが表情を見なくても分かる。


なんだか、不思議。


今までの蟠りは何だったのかと思うくらい、私の心は落ち着いている。

もしかしたら、水瀬君が私の手を毎回はね退けるものだから、それが腹立たしかったのかもしれない。まるで自分を否定されているように感じられて、それが辛かったのかもしれない。

その証拠に、今は温かい気持ちに包まれている。



これからも、こうしていられたら良いな。



知らず洩れる笑み。キーボードを叩きながら、私はその温もりを感じていたのだった。



それからも相変わらずケンカはする。でもじゃれあっているようなもので、前みたいな険悪なものではなくなった。皆の前では素直になれないが、二人きりの時は仕事を助け合ったりすることもあるし、食事に行くことも増えた。

自分の生活の中に水瀬君が入ってくることは、最初違和感もあったが、今では彼の存在が当たり前になっていた。




少しずつ、心に花が咲く。




そのことを自覚した時は驚いたけれど、嫌ではなかった。


「松木さんが好きだ。結婚してほしい」


その言葉で、私の中に花が咲き誇る。


「私も水瀬君が好き」


交際期間をすっ飛ばした水瀬君のプロポーズに頷き、飛び込んだ筋肉質な胸の感触やその腕に包まれる安心感、すごく速い心音。すべてが愛しくて堪らない。




「苦手、嫌い」の直線上には「好き」がある。



好き嫌いを決めるのはティースプーン1杯にも満たない僅かな気持ちのさじ加減次第だ。



そのことに気づけたのはもっとずっと後のこと。



ケンカは相変わらずだけど、それも私たちにとっては大切なコミュニケーションだ。


きっとこれからも私たちはぶつかり合いながら、同じ道を歩んでいく。


それはとても幸せなことだ。



どうして水瀬さんと結婚することを決めたんですか?と後輩に聞かれた私は満面の笑みでこう告げた。





「彼の隣が一番安心できる場所だから」

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