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名前で呼んでよ

姉弟の恋愛に不快感がある方はスルーしてください。



「なんでアンタがここにいるわけ」



「それはこっちのセリフだ。馬鹿姉貴」



私の目の前に座る男は、東洋人にありがちな彫りの浅い顔をしかめて悪態を吐いた。ご丁寧にちっと舌打ちまで付けて、さも私が悪の権現だと言わんばかりだ。

そんな目の前の男を睨めつけながら、私はジョッキのビールを一気に飲み干した。飲み干してから、まだ乾杯の音頭を取る前だったなとか、それなりにイケメンな男の子たちがドン引きしているなとか気付いたが既に後の祭り。開き直った私はジョッキをドンと机に置くと、彼の顔に自分の顔を近づけた。鼻先が触れそうなくらい近づいたから、至近距離にある彼の目が驚きに見開かれる。真っ黒な瞳は光を反射してキラキラ煌めいていて綺麗だ。

「な、ん、で。アンタが合コンにいるのよ。つい最近20歳になったばかりのヒヨコがいっちょまえに色気づいてんじゃねぇよ」

訳の分からない言いがかりをつけて啖呵を切った私に、場が静かになる。多分痴話喧嘩か何かだと思っているんだろうが、皆が固唾を飲んで見守っているのがひしひしと伝わってくる。

というより、何に私は怒っているんだろう?

周りの空気に冷えてきた頭がそう訴えてくるが、今さら上げた拳は下げられないし、「酔っちゃったかも〜」みたいなブリっ子は無理だ。誤魔化すほどの演技力も演説力も無い。先ほどから視線が突き刺さって痛い。

仰け反って顔を離した彼は眉間に深いシワを刻んだかと思うと、息を吸い、そして怒りを吐き出した。

「………うるせぇ。お前だってまだ21のくせに年上ぶるんじゃねぇよ!俺がどこで何しようが俺の勝手だろ!」

確かに。

そう思ったくせに私の口は勝手に言葉を紡いでいく。

「はぁ?ふざけないでよ!1歳の差は大きいんだから!」

「ふざけるなはこっちだ!だ、れが、夕飯作って、服洗って、ぐちゃぐちゃにした部屋を片付けてやってると思ってるんだ!この前だってパンツは手洗いだから別にしておけって言ったのに、一緒に洗濯機に入れやがって。そういうことができるようになってから年上ぶれ!」

パンツ…

隣にいた私の友人が呆然と呟いた。

「何よ!自分はお前の面倒見てやってるみたいな上から目線。拓実だって、私が朝起こさなきゃ起きないくせに!アンタのお弁当を作ってたのは私よ!」

話が少しずつ脱線しながらも、だんだんヒートアップしていく私たちに、彼の友人の一人が恐る恐るといった感じで間に入る。

「あの…姉弟喧嘩をそろそろ止めてもらえると嬉しいんだけど。ほら、席の時間も決まってるし」

いかにも人の良さそうな柔和な顔立ちをした彼の友人の目が「早く何とかして」と言いたげに潤んでいる。

「あ〜…」

頭が急速に冷えた私の口から零れたのは何とも間抜けな嘆息。拓実も気まずそうに天を仰いだ。


いたたまれなさすぎる。


楽しいはずの場を乱した私たちは丁重に謝罪をすると、そそくさとその場を後にしたのだった。




自宅までの道を私たちは無言で歩いていた。本当は別々で帰りたかったのだが「痴漢多発地域を一人で歩くとか馬鹿だろ、お前」と拓実に呆れられ、仕方なく一緒にいる。

私はそっと隣を見上げた。見慣れた仏頂面は頭一つ分上にあり、真っ黒な瞳がどこを見ているのか見当もつかない。きつく結ばれた唇は開くことはなく、街灯の薄明かりではその色さえ判別できなかった。

今隣にいる拓実の気持ちも視線の先も分からないのに、その存在は驚くほど近い。喧嘩したくせに腕は触れ合いそうなくらい至近距離にあるから、拓実の熱が伝わってくる。

よく知っているはずの弟が分からなくて不安なのに、その体温を隣に感じるだけでホッとする私はおかしいのだろうか。それでも、その得体の知れない安心感に肩の力がゆっくりと抜けていく。

「…なんで、拓実は合コンにいたの?」

ぽつりと呟けば、拓実の肩がぴくりと跳ねる。

「別に合コンに行かなくたって、拓実はモテるじゃない。この前も告白されてたよね」

何も言わない拓実に構うことなく、私は言葉を続ける。

拓実は私と全く違う外見をしていて、美形の部類に入る。一つ一つのパーツがはっきりとした派手な顔からは程遠いが、涼しげな容貌は彼を知的でミステリアスに見せている。実際に拓実は優秀だから内面が外見に滲み出ているだけかもしれない。背も高く細身で、剣道の腕前はなかなかのもので。見た目のクールさとは裏腹に面倒見も良いのだから、モテるのは当たり前だ。

対して私は良くも悪くも凡庸な外見だ。焦げ茶の髪の毛はフワフワしていて綿菓子みたいだし、腫れぼったい目は辛うじて奥二重だけど茶褐色の瞳は明瞭ではない。やや丸顔で、ぽてっとした唇は悪目立ちする。身長も女の子の標準から越えてしまい、最早可愛いとは言い難い。


本当は姉弟でなければ、隣を歩くことなんて有り得なかったんだろうな。


ぼんやりと考えて、私は声を出さずに口元を歪めた。

姉弟、という響きが私たちを縛りつける鎖のように身動きを取れなくさせ、仄暗い幸福を私に運ぶとともに大きな引け目を連れてくる。

「私に拓実の行動をとやかく言う権利はなかったね。…さっきは言い過ぎたけど。あんな風に言われたら気分悪いよね?ごめん」

思ったとおりに謝れば卑屈な心が前面に出てきて、私は自分の言葉に一人傷ついた。

…私に拓実の行動を制限する権利はないのだ。たまたま弟だというだけで、私は何を場違いなことを言ってしまったのか。

でき損ないの姉と優秀な弟。

分かっていたはずなのに、気づいたら暴言を吐いていた。

拓実はやっとこちらを見て、そして足を止める。つられて足を止めた私を忌々しげに見つめると、彼は大きく溜め息をついた。

「姉貴は分かってない」

「何が?」

「俺が何で、お前を姉貴って呼んでるのか全然分かってない」

拓実の言いたいことが理解できない。

私はぽかんと彼を見上げた。その様子に彼は苛立たしげに前髪をくしゃりと右手で掻き上げる。

「俺と姉貴は血が繋がってない。でも、姉弟という間柄であれば姉貴は俺から逃げないだろ。遠慮しないで俺といてくれるだろ」

血が繋がってない、という言葉がチクリと胸を刺す。

私と拓実が姉弟になったのは私が中学1年の時。両親の再婚で家族になったのだ。当時拓実は「夕紀」と私を呼んでいたのに、気づけば呼び方が「姉貴」に変わっていて。まさかそんな理由だとは思いもしなかった。

私は拓実の本当の姉じゃない。その引け目は彼にしっかり伝わっていたらしい。

「姉貴が俺から離れようとしているのは気づいてた。大学に行く時間をずらされたり、俺が家にいるときばっかバイト入れたり。今回の合コンもそうだ。適当に彼氏作って逃げたいって気持ちが透けて見える」

彼の言葉は的確に私の心情を言い当てる。

彼の言に付け加えるならば、大学に入学をしたのを機に実家から逃げて下宿を始めたのも、本当は拓実の傍にいたくなかったから。

きっとそれさえ気づいているんだろう。でもならば何故、拓実は敢えて私と同じ大学を選び、下宿先に転がり込んできたのか。

「なら、どうしてその気持ちを汲んでくれないの?分かってるなら放っておいてよ」

そうしたら私はいつか、この胸の痛みを忘れられた。穏やかな気持ちで拓実と向かい合うことができた。

彼は私を無表情に見下ろしている。能面のような顔が柔らかな光に照らされて、滑らかな肌が白く浮かび上がる。無機質なのに、目だけは怒りを内包して強い光を放っているのは異質だ。

思わず一歩後ずさった私に、拓実は自嘲的な笑みを向けた。



「自分じゃどうしようもなかったんだ。俺は、ずっと姉貴が好きなんだから」



オレハズットアネキガスキ…?



「え?」

間の抜けた声に、妖艶に微笑んだ拓実はまるで知らない男性のように見えた。弟、ではなく一人の男性なんだと、嫌でも実感させられる。


怖い。


初めて拓実を怖いと思っている。そして唐突に彼の言葉の意味を理解した。

彼は私のために弟を演じていた。それは私が彼に弟を求めていたから。優しい彼は、愚かな姉のために、自分の心を殺して弟であろうとしてくれたのだ。

「義理とはいえ、弟に恋愛感情をもたれているなんて気持ち悪いよな。だから言いたくなかったのに」

淋しげに伏せられた目は陰を帯びる。

「なん、で?」

「俺の気持ちをぶつけたら、間違いなく姉貴は逃げるだろ?そしたら二度と隣に立てない。姉貴の笑顔も怒った顔も見せてもらえなくなるのは分かってた」

俯いたまま作った歪な笑顔は泣き出す直前のようだ。闇色の瞳が滲んでいく。それが私の胸にじんわりと染み込み、熱を持って広がっていった。


…なんだ。


「勝手に、私の気持ちを決めつけないでよ」

「え」

驚きに瞬いた拓実の目からポロりと涙が滑り落ちる。どんな表情も綺麗だなんてズルいなぁと思いつつ、私は彼の左手を捕まえるとそのまま自分の頬に添えさせた。

「ねぇ、名前で呼んでよ」

「な、まえ…?」

「夕紀って呼んで。姉貴、じゃなくて」

しばらく私の顔を凝視していたが、私の言いたいことが理解できたのか、やがて拓実の顔が綻んで心底嬉しそうに微笑んだ。

「夕…紀」

掠れた囁きに心臓が跳ねる。

「夕紀、好きだ。ずっとずっと好きだった」

「うん」

「もう離れようとしないで。俺の隣にいて」

左手が頬から耳を辿り髪を撫でたかと思った次の瞬間、私は拓実の腕の中に囲われていた。

「私も、拓実が好き」

胸に額を押しつけてそう告げれば、私を抱き締める腕の力が強くなる。


ずっとずっと叶わないと思っていた。

初めて出逢った時に一目惚れし、一緒にいるうちに拓実の内面に恋をした。

姉弟という枠にいるからこそ、他の誰よりも傍にいられるのが嬉しくて。でもその枠を越えた時に全てを失うのが怖くて。自分の気持ちから逃げるように姉弟という関係を強調した。

いつか拓実に大切な人ができるのを見ていられなくて、だから実家を出て、合コンにも行ったのに。まさか、他でもない拓実に阻止されるだなんて思ってもみなかった。

「……合コンで私生活暴露してごめん。あね…じゃない、夕紀が可愛くて他の奴に持ってかれたくなかったから、つい」

「私はただの数合わせだったんだけど」

「…だから、夕紀から目を離したくないんだ。今回の幹事が夕紀のこと可愛い、付き合いたいって言ってるの知らないだろ」

溜め息混じりの言葉に、私は顔を胸から離して拓実を見上げた。

「嘘でしょ」

「本当だって。だから今回、無理矢理合コンに参加させてもらったんだ。…こんな風に二人で逃げ帰るつもりはなかったけど」

私は呆然と拓実の目を見た。

無理矢理合コンに参加させてもらったって…

「拓実は私が来るの知ってたの?」

じとりと見遣れば、気まずげに目を反らされる。

「ごめん。夕紀がお持ち帰りされたらと思ったら…我慢ができなかった。俺だけの夕紀だったら良いのにって思って」

「………馬鹿」

「ごめん。悪かった」

捨てられた子犬のように潤んだ瞳が私を見下ろしている。

私は小さく息を吐いて、にっこりと笑ってみせた。

「パンツの話まで出てきて恥ずかしかったんだから。

お詫びにオムライス作ってくれたら許してあげる。玉子はフワフワだからね」

「了解」

「じゃあ、帰ろっか」

名残惜しかったが体を離して、私たちはまたゆっくりと歩き始める。

ずっともどかしかった距離は、これからは少しずつ埋まっていくんだろう。

繋いだ手のひらの熱が恥ずかしくて心地よい。ふと見上げれば拓実と目が合ってふたりでクスクス笑ってしまった。

「お父さんたちびっくりするかな」

零れ落ちた言葉に拓実がニヤリとする。

「お袋たちは知ってるから。寧ろ喜ぶんじゃないかな」

「ん?」

「俺の気持ちはお見通しだと。多分夕紀の気持ちもな」

じゃなきゃ一緒に下宿させないって。

そう軽やかに笑う拓実はどこか照れ臭そうだ。

「お義母さんに、拓実をくださいって頼まなきゃなぁ…」

「それ、普通は逆だろ」

「そう?」

「そう。とりあえず週末は帰ろうか」

握り締めた手は力強くて、どんなことがあってもうまくいきそうな気にさせてくれる。

「ずっと一緒にいてね」

微笑えば、拓実が嬉しそうに頷いた。

近すぎると素直になれなくなるんですよね。義理の姉弟だから、さして障害もなく幸せになることでしょう。



お読みくださりありがとうございました。

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