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6 卒業舞踏会 前

 


 鏡の中で、とうもろこしの髭のような金糸が、美しく結い上げられていく。

 毎朝悪戦苦闘しているのが嘘みたいだ。

 細くて柔らかく癖のある髪は、ひとつに縛ってもすぐにふわふわ広がって、みっともなくて面倒臭い。雨の日なんていつも最悪だ。

 第一王女付きの侍女は、難なく纏めてコテを当て、完璧な巻きを作り出した。


「すごい……」

 思わず漏れた感嘆の声に、後れ毛を処理していた侍女が笑んで答えてくれる。


「毎日の事ですもの。本当にリア様の髪質は、ササミラ様にそっくりですのね」


 ああ、それはだって。


「従姉妹ですから」

 何十回と繰り返した科白を口にする。

 忘れてなどいない。ササミラ姫と私の外見はそっくりなのだ。


 初夏にあった十六歳の誕生日も滞りなく済ませ、被害は寝間着だけという最小限に食い止めた。もう一生男装でもいいかなーなんて、思ってしまうくらいズボンの快適さと履き心地にも慣れた。


 ジクジク痛むまやかしの恋心と、ヒューの日課はそのままに、私は今日エンディングのその日を迎えました。



 エンディングのパートナー決めイベントは、卒業舞踏会で行われる。

 学園の全生徒と教職員が参加し、日没から真夜中まで続く一年に一度の祭典。

 舞踏会の最後に、卒業生が上げる魔法の花火は、国外にも知れ渡る学園の名物になっていたりする。


 舞踏会では卒業生は勿論、在学生も正装を求められる。

 ササミラ姫も参加するこの舞踏会でドレスなんて着たら、衆人環視のもと膝上丈の奇跡が再来しそうで、私は当初騎士服でベルをエスコートすると決めていた。

 出来上がった騎士服に袖を通して、ギリギリする兄の目の前でベルと予行で踊ってみせたりと、余裕の日々を過ごしていたのに。


 二週間前、決闘を申し込まれた。

 放課後、呼び出された東棟の裏庭まで意気揚々と赴く。

 この頃になるとベルの告白相手以外にも、力試しを挑んでくる男子生徒が現れていたので、その手の類だと決めつけて。

 学園在学中、如何なる勝負も全戦全勝が密かな目標です。


 佇んでいたのは一人の女子生徒。

 四回生だという彼女は、舞踏会でヒューに告白するつもりだと宣言してきた。

 言われてみれば、ヒューの周りで彼女を何度か見かけたことがある気がする。最近は減ったものの、強固なファンは存在してる。それこそやっぱり、ヒューが刺されないか不安です。


 私は関係ありませんので、どうぞご自由に。


 そんな風に言って、片手を上げて立ち去れるほど、気持ちを吹っ切れてはいない。

 勝敗以前に、そもそも決めるのはヒューだよね、とか。これどう考えてもポンコツイベントに組み込まれてない? だとか。

 思う事は多々あるのに、正装したヒューが次々に女性の手を取ってダンスを踊る姿を想像したら、他の事はどうでも良くなってしまった。


 勝手に見つけてその手を離さず、勝手に兄の代わりにして、そして勝手に好きになった。

 ゲームの展開だと言われればそうなのかもしれないけれど、一つ一つの行動は私が意志を持って決めた事だ。

 それに、今抱えるこの苦しいほどの悩む気持ちを、強制力なんて言葉で片付けられるのは癪に障る。


 私もヒューと踊りたい。

 着飾った姿を褒めてもらいたい。

 だから理由なんて、今はそれで十分だよね。



 正々堂々と決闘を申し込んできたのだ。受けなければ女が廃る。

 私は母に急ぎの魔法文を送った。

『ケッセンアリ。ブキヲモトム』

 電報風なのは、あえての演出だ。読みづらいと家族の間でもっぱらの評判です。


 でもこれだけで母には伝わった。

 翌日には仕立て屋とお針子の一個小隊が送られてきました。

 二年ぶりの娘のドレスの新調に、母のテンションは鰻登りだったらしい。


 ドレスが膝上丈の魔改造で出来上がらないかびくびくしていたけれど、何とか無事に仕上がった。ベルやササミラ姫と被らないようリサーチ済みらしく、私は首を縦か横に振って、案山子のように立っているだけでよかった。二年前よりだいぶ胸囲がアップしたらしく、心の中で密かにガッツポーズをする。腰回りはこれまた男子制服で楽をしたせいかアップしていて、仕立て屋の目がちょっと焦っていて申し訳なくなった。あ、コルセットそんなに締めないでっ!?


 少し大人っぽい紫色のドレスは、溜息が出るほど完璧な仕上がりだ。

 その色はヒューの瞳と同じ色。

 母の手配した仕立て屋は、この色一択で攻めてきた。

 母には隠し事なんて出来たためしがない。



「リア、先に行くぞ」

 扉越しに兄の声が掛けられる。

「はーい。くれぐれもベルをきちんとエスコートしてね」

「当たり前だ!」

 最後の怒ったような声は照れ隠しだ。

 私がドレスを着たので、ベルのエスコートが出来なくなってしまった。勿論渋る兄に私がお願いするという形をとったけれど、本音は違う。少しは兄にも頑張って欲しい。

 これで告白くらい出来ればいいんだけれどね。

 そんな風に思いながらニヤニヤしていると、侍女が声を掛けてきた。


「さあ、お待たせいたしました。とっても素敵ですわリア様」

「ありがとうございました」

 ササミラ姫から特別に貸し出してもらった侍女の皆さんにお礼を言って、足早に部屋を後にする。彼女の後に髪結いをやってもらったので、既にだいぶ遅れている。


 卒業舞踏会の着付けと髪結いの為、メイドや直しのお針子を学園側が用意してくれていた。夜会に出たことのない生徒も多くいるため、彼女達への配慮だ。専属侍女を使うことは原則禁止されている。実家から一斉に送られてきたら、大混乱だしね。ただでさえ寮の中は今、戦場と化している。

 私もメイドさんに着付けをして貰ったところまでは良かった。問題はこの髪。扱いにコツがいるんです。本人さえも持て余すとうもろこしの髭。

 そこで、見かねたササミラ姫が侍女を貸し出してくれたと言う訳です。流石に王族には専用の侍女と侍従が付いてる。

 ちなみにベルの侍女にはこの髪は扱えなかった。膝をつき挫折に呆然とする侍女さんには、悪いことをしたなあ。


 ほんの少しだけ廊下を急ぐ。


 ササミラ姫との関係はそれなりに良好と言えなくもない……多分ね。同盟の集まりではササミ姫って呼んでる。あっちもテリア呼びするし、おあいこです。

 ちょいちょい衝突イベントは起こるものの、当人同士にやる気が無いので何とも締まらない、緊張感のないお芝居みたいな喧嘩イベントになるのだ。

 今では周りに、ベルと諳んじる騎士ごっこの延長だと認識されている。

 ササミラ姫の信頼度低下もある程度収まったみたいなので、及第点だよね。


 寮の玄関ホールに向かっていると、途中で声を掛けられた。

 男は、この日の為に用意されたお仕着せの制服を着ている。


 お急ぎくださいと案内されたのは、立派な二頭立ての馬車だった。


「え?」

 屋根付き馬車なんて……と訝しんだが、後ろから首に衝撃を受けて、あっけなく意識が暗転してしまった。



 ・・・・・・・・・・



 私は馬車が苦手だ。

 子供の頃、兄とヒューが街に行くのに連れて行ってくれなかった時があった。

 たまには少年二人で遊びたい時もある。けれどその当時の私にそんな説明が通じるはずも無く。

 午後出掛けると知った私は、昼食の後用意されてる馬車に近づき、馬を観察する振りをして馬車に乗り込んで隠れた。馬車の中はクッションの付いた椅子が向い合せになっている。そして座る部分が開閉式の上蓋になっていて、中が物入れになっているのだ。

 そこに隠れて二人を待った。

 いつの間にか眠ってしまったのだろう。

 起きた時には馬車はガタガタと揺れていた。荷物入れの中は揺れが直接伝わって、身体全体を揺すぶられるみたいだ。真っ暗で光の入ってこない中、上蓋はいくら押してもびくともしない。人が座った上蓋は、僅か七歳の少女の力で開きはしなかった。

 泣いて叫んで拳で叩いた。

 車輪と馬の蹄にかき消されて、二人にはなかなか届かなかった。

 二人が気付いた時には、物入れの中でひきつけを起こし昼食を見事に吐いていた。


 あれ以来、暗くて狭い場所が怖い。


 馬車ならば屋根なしにしか乗れない。それだって、出来れば遠慮願いたいくらいだ。

 馬に乗れるようになってからは、もっぱら移動手段は乗馬に頼っている。


 そんな私のトラウマを、もちろんヒューは知っている。

 この格好では馬に乗るわけにもいかない。

 だからエスコートしてくれることになった時、膝をつき私の手を取り、彼は言ったのだ。

『お嬢様に喜んで頂ける、とっておきの乗り物を用意します』と。


 舞踏会場までの移動手段に二頭立ての馬車なんて、彼が用意するはず無いのだ。

 馬車特有の振動にこみ上げる酸っぱさを感じて、苛立ちとともに目を開けた。




「これはこれは、漸くお目覚めですかササミラ姫」

 慇懃無礼な態度の男は、馬車の向かいの席に座っていた。小柄な男は隅の闇と同化するように、ひっそりと座っている。


「おっと、変な動きはするなよ。いくらお姫様だからって、変なことすりゃあの世行きだ」

 私の隣に陣取る男は正反対で、存在を主張するかのような大きな声とやや大げさな仕草だ。鍛えているらしく、厚い胸板と丸太のような腕をしている。座席が圧迫されて狭い。力仕事には自信があるのだろう。


 その自信のお蔭か、私は猿ぐつわも噛まされず、両腕を封魔の手錠で戒められているだけで済んでいる。

 幅十センチくらいの腕輪を両手首に嵌められ、鎖が渡されているような造りだ。残念ながら、気合いで何とかなる代物じゃない。ここは魔法学園だから、魔法に対しては一応警戒しているらしい。

 さて、ここまで冷静に分析してみたものの。


「ひ」

「ん。何だ、悲鳴か?」

 隣の男は中途半端な私の声に、首を傾げる。向かいの男はジッと無表情を保っている。



 人違いーっ!!!



 出かかった盛大なツッコミを、心の中で完結させた。


 そう、確かに今日の私はササミラ姫の侍女により化粧と髪結いをされている。未だかつてないほどに、似ちゃってるのは認めるしかない。

 まさか通常の長さのドレス丈を恨む日が来ようとはっ。


 思い出させてくれてありがとう、私の個性は膝出しでしたよねー!

 今の私はノット個性。基本に忠実に再現しました的な、ササミラ姫の見事なフェイク品だ。

 泣いても……いいですか?


 隣の多弁な男が述べる所によると、ササミラ姫は学園でさる貴族の子息を袖にしたらしい。その腹いせに、絶賛誘拐中らしいのですが。第一王女を誘拐って本気かい。

 ササミラ姫じゃなくっても、そんな男は振るでしょうよ。


 そう言えば、ゲームの強制力に逆らえずにササミラ姫がヒールで踏んだ生徒の中に、彼女のヒールが病みつきになった男が居たって聞いたような。呪い学科準備室でお茶しながら愚痴ってたかも。

 流石に女子寮までは押しかけてこないって聞いて、うちのヒューに比べたらまだまだね! って返しておいたんだけど。

 …………そのまま誘拐されて姿を消すって、悪役の辿る顛末イベントとして、十分ありそうな気が。

 これ、今更人違いですって言った途端殺される予感しかしないんですけど。よし、出来るだけ黙っとこう。




 ――――この世界も私の運も、やっぱりポンコツだった事をお知らせします。


 馬車が無言と暗闇に支配されてから数分。


 私のドレスの裾がぼんやりと光に包まれ始めた。

 キラキラと光りの粒に変わっていくドレスの裾。

 淡い紫の光に照らされて見える、悪党二人の顔。


 こんな所だけ幻想的なのが本気でムカつく。自分のドレスが膝上丈になる所を初めて目にしたけれど、どっかの魔法少女の変身シーンみたいに凝っていて、開発者の脛を蹴り上げてやりたくなる。

 何だこのタイミング。無事会場行ってたらダンスの途中とかじゃない!?


 せっかくのドレスが。膝上二十センチィィ!



「き、貴様は呪いのドレス(・・・・・・)! 入れ替わるとは何と卑怯な」

 膝上丈ドレスになった途端、向かいの慇懃無礼な男が声をあげた。

 やっぱり判別方法は膝出しか否かですか。ですよね、知ってましたよ!


「私のせいじゃないよねっ!? ていうかそれは私の固有名詞じゃないから!」

 思わず素で返してしまった私は悪くないはず。


 その後向かいの小柄な男と、隣の大柄な男の間で、私の処遇を巡って諍いが起こった。要約すると、売るか捨てるかだ。殺す選択肢が無くってほっとした。

 どうやら彼等は人攫い専門業者らしい。


 五分くらい私は我慢した。じっと壁に寄り添い、それどころじゃないからって耐えた。

 短くなったドレスを押さえるのにも忙しかった。

 でもそろそろ本気で限界だ。


「あの……」

「おう、どうした呪いのお嬢ちゃん」

 隣の男がどんどんフランクになってきてウザい。私のメインが呪いになってる。


「馬車に酔ってしまったのです。申し訳ありませんが止めて頂けませんか」

 長文を口にするのもキツイ。


「それは出来ない相談ですね」

 平静を取り戻したらしい、向かいの男が平坦な声で言う。

「おいおい、ホントに具合悪そうだな。顔真っ青だし脂汗かいてるぞ」

 こんな暗い中で見えるのかと思いながらも、ゆっくり一度だけ頷く。


 よし、いざとなったら向かいの男の膝に吐いてやろう。


「……止めなさい」

 私の決意が伝わったのだろうか、小柄な男が忌々しそうに御者台に合図を送る。


 馬車が止まる寸前、扉から顔を出し這うようにして吐いた。

「あーあー。間に合って良かったな」

 大柄な男が呑気に声を掛けてくる。


 胃の中身を吐いて、外の空気を吸って、馬車はもう止まってる。

 すっきりした頭で、どうやって一泡吹かせて逃げようかと思案した一瞬、一陣の風が吹き抜けた。


「見つけた」


 それは瞬きの刹那に終わっていた。

 馬車の屋根部分が吹き飛んでいたのだ。


 私の目の前で抜剣しているのは、ヒュー・フレイケイド。

 彼の瞳は燃えていた。

 紫ではなく、血のような赤。


 パリパリと帯電したように揺らめく銀青の髪。

 美しさに、思わず肌が粟立った。



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