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第二幕 婚約者スコット・オーリバス

3/29 何処に挿入するか迷っていた『父様』の苦悩を冒頭に追加しました。

 封の開いた手紙を眺め、眉間の皺を揉み解してため息をついた。

 

 娘のゼノヴィアが笑わないと知ったのはあの子が五歳になった時だった。

 妻を失い、寂しさを紛らわすように私は仕事に没頭していて娘も同様に母を失って深く傷ついていたことに気がつくことができなかった。

 そして、使用人達に任せて、手のかからない子だと思っていたことを深く後悔することになる。

 

 改めて目を向けてみれば、娘の有様は酷いものだった。

 いつでも顔を強張らせ、視線を所在なさげにさ迷わせる。使用人に対してさえ怖々と顔色を伺っているように見えた。

 

 食事か風呂、或いは書斎に本を借りに来るときくらいしか姿を見せず、一日中、部屋に篭りきるというのが娘の常だったようだ。

 

 特に息子のレナルドとの仲は最悪で、掴み掛り罵倒したという話は聞いていたがそれ以来、ろくに顔も見ず殆ど居ない者のように接していたようだった。

 

 あまりにも暇を取る使用人が多いので侍女頭を呼び出し問い詰めれば、決して咎めないでやって下さいと何度も念を押されてからようやく教えられた。

 曰く、娘は気味が悪いのだと。


 いつでも小さい体をさらに縮こまらせて、口数は少なかったが雄弁に語っていた。

 私はこの家にいらないの、と。


 これはあまりに不憫だ。

 そう思い、何か欲しい事は無いかと問うたが返ってくる答えは決まって、要りません欲しくありませんとしか言わず、無理やり買い与えれば有難うございますお父様、だ。

 

 そして、娘に笑顔を取り戻してやりたいと、私が躍起になった結果それが更に娘を苦しめることになった。

 領民に多大な負担を強いれば、まだ立て直せないことはない。だが、それは子の代、孫の代に禍根を残すことになるだろう。

 だから、私がこれからやるのは禁じ手だ。立場を、身分を考えろと私が常に諌める役だった友人に助力を請おう。

 

 だが、もし万が一うまくいかなかった時の為にも、この手紙の中身は娘に伝えておかなくてはならないだろう。

  

 

 ◇



 八歳になり、俺に家庭教師が付けられた。

 語学や算術を始めとして、ずっと知りたいと思っていた地理学や歴史はたまにしつこく食い下がり先生方に渋い顔をされていたが、日々精力的に取り組むようにしていた。

 ……ダンスやピアノは、必要と言われるからには必要なんだろう。一応はご令嬢だ。


 その中でも何にも増して、入れ込んでいたのはマナーと礼儀作法だった。

 存在するか知れない運命の数奇に、生れ落ちて以来、貴族令嬢を演じ続けろと言われ続けてきた俺だが、女に生まれ変われば自然と女らしい所作が身につくと思ったら大間違いである。

 

 流石にぶら下がるモノが無いので、大股開いて椅子に腰掛けたり口が小さいので飯にがっつくといった真似は出来なくなっていたが、日々メイドさん達を観察して動きを真似ることで何とか、騙し騙し過ごしていた。

 

 それが言葉遣いから歩き方、お辞儀の仕方まで懇切丁寧に教えて貰い、尚且つその通りにやれば淑女に見せ掛けられるというのである。

 いつボロが出るか、と戦々恐々と周りを伺っていた俺には救いとしか思えなかった。

 

 それとは別にもう一つ。

 最近、驚愕の事実を知ったのだが、俺はメイドさん達に怖がられていたというのだ。

 緊張のあまり、常に顔を強張らせていたのだから無理も無い。なので、最近は大丈夫だよ、怖くないよと笑いかけることにしているのだが、効果はイマイチのようだった。

 

 ともかく、俺は貴族令嬢の“マニュアル”を手に入れたことで、だいぶ心の負担が軽くなっていた。

 生まれ変わったのが貴族で良かった。そんなことを思ったのが、つい三日前のことだ。




 そして今、俺は貴族の息女に生まれたことを盛大に呪っていた。


 婚約の話を『父様』が持ち出したのは、夕食の時だった。

 とても歯切れ悪く話し始めた言葉を要約すると、俺に寄越す物品が圧迫して我が家は財政難に陥っているということ。そして、とある伯爵家が援助を持ちかけてきていて、その見返りに俺を伯爵家に嫁がせろと要求している、ということだった。


 この世界、身分の差というのは絶大だ。

 侯爵と伯爵、序列で言えば一つしか変わらないがその一つの間には隔絶した壁が立ちはだかっているといって良い。

 なので、普通は伯爵家の息女を侯爵家に嫁がせて、繋がりを持とうとするものだが、それには目上の家の裁量次第という不確実さがついて回った。


 だが、弱みを握られていれば別である。

 基本的には上から順だが、実は爵位に関わらず多大な金を持っている家は少なくない。特に山脈にかかる領地、自領内に鉱山を持つ者などは潤沢な財を築いていることも多々あった。


 金で恩を売りつつ、確実に家を大きく出来る。下種な発想ではあるが、見事な手腕だと舌を巻いた。

 何より、まだ若すぎるために婚約という形にして、子を産める体になった時点で婚姻の話を進める算段らしいという周到さだ。

 

 恥ずかしながら、この時まで俺は全く分かっていなかった。

 貴族令嬢とはどういうものなのかと。

 前世は男でした、などというのは言い訳にもならない。


 領地的にはまだ余裕があり、どうしても嫌なら勿論断ることも出来る云々という話を聞き流しながら心中でぼやいた。

 

(……馬鹿じゃなかろうか)


 どうせ聞こえないのでもう一度。

 

(馬鹿じゃなかろうか!!)

 

 頭を抱えたい衝動に駆られながら俺は深く後悔していた。どうしてもっと早い段階で強く突っぱねていなかったのかと。

 当たり前だ、侯爵家と言えど無限に財を蓄えているわけではない。使えば使うだけ目減りしていくのは考えれば分かることだった。

 

 好意だからと甘受せずに諌めるべきだった。大体、誰が家を傾ける程のお金を使い込むと思うのか。

 あの無駄に煌びやかな、最近圧迫感すら感じる部屋にいくら使ったかなど考えたくも無い。

 

 話が終わった頃にはとても食事の続きをしようとは思えず、部屋に戻ります、とだけ言い置いて食堂を後にした。

 

 話は伝わっているのか途中擦れ違ったメイドさん達は皆、気遣わしげな視線を向けてきた。

 実はそういう態度が余計に人を傷つけると覚えておいたほうがいい。

 そこは笑い飛ばすべきなんだ。無様な奴め、と。その方がずっと気が紛れる。

 


 部屋に戻ると相も変わらずギラつく豪奢な室内が目に入り、憤りを感じた。

 全部叩き壊してやりたい衝動に駆られたが、そんなことしても仕方ない。 ため息を一つ吐いて、メイドさんを呼び出した。


「お呼びでしょうか」


 程なくしてやってきたメイドさんが恭しく頭を下げるのを見ながら部屋を手で示す。


「悪いけど、明日の朝一番に全部売り払ってきて貰えるかしら」


「えぇっ!? お嬢様それは……」


「うちにはお金が足りないのでしょう? こんなところに広げておくくらいなら少しでも足しにするべきだわ」


 驚いて目を見開き、言い淀む彼女を手で制し、有無を言わさず言葉を続ける。


「いい? 全部よ。服は二、三着残して後は全部売り払って。 分かった?」


 まだ何か言いたげだったメイドさんにしつこいくらい念を押して下がらせると、どっと疲労感が押し寄せてきてベッド横たわる。

 ぼんやりと天井を眺めながら『父様』に言われたことを反芻していた。


(そうか……、貴族様だもんなぁ)


 中身はともかく、外側は間違いなく女である。

 前世では幸運にも男に生まれたが、あちらでも数十年前はそうだったと聞いたことがある。

 人を好きになって結婚する必要がない分は気が楽、とも言えるが、親が婚姻を決めたなら従わなければならない。

 例え、それが二十も歳の離れた相手だろうと、だ。

 話の限りでは殆ど身売りに近いが、それでも俺がどうのこうのと言っていいものではなかった。

 

 結構じゃないか、と自嘲する。

 少なくとも俺はこの家に必要とされているいうことである。

 俺はこんなに役に立ちますよ、と示す絶好の場を貰ったということでもある。

 少なくとも育ててもらった恩義は十分あり、ありがた迷惑とは言え愛情は注いでもらったと思っている。

 それらを仇で返すつもりは毛頭ない。

 

 仮に、逃げ出したとしてどうしろというのか。

 昼間受けている授業で知った事だが、その星はまるでファンタジーの世界である。

 人の営みから外れたところにはモンスターとでも形容すべき生き物が多数生息していると教えられた。

 

 クラゲのこの身で生きられる程、優しい世界ではないと理解している。

 体力がない、と知識に度合いを傾けていたツケが、まさかこんなことに回ってこようとは思っても見なかった。

 

 そういう『行為』は男の頃でも機会に恵まれなかったが、誰だって未知は怖いものだ。

 あとでメイドさん達にでも聞けばいい。なんだ、何の問題も無いじゃないか。



 そんな、ある種の開き直りを込めて目を閉じた俺の覚悟を、ぶち壊してくれたのは次の日のことである。

 


 

主人公は一応、一人称『俺』で男言葉のままですが、元男だからというこだわりは特に無くて女らしく振舞おうとは思っている、そんな感じです。

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