第一幕 侯爵令嬢ゼノヴィア・エイダムス
ずっと憧れていた先輩のメイドが屋敷を去ったと、同僚から聞いたのは午後の休憩の時だった。
詰所の廊下を駆け抜ける。休憩中だった同僚達が驚愕と奇異の視線を向けていたが構ってなどいられなかった。
最奥の部屋の扉を勢いよく開けて飛び込み、蝶番が軋んだ。
中に居たメイド長が驚いたように目を見開き、すぐに咎める様に眉を顰めた。
「何事ですか?騒々しい」
いつもなら身の竦む厳しい視線も今はまるで気にならなかった。息を整えるのももどかしくメイド長に詰め寄る。
「先輩が……マリエルがお屋敷を出て行ったって本当ですか!?」
あぁその話か、そう言わんばかりにメイド長は小さく息をついた。
「本当です」
血の気が引いた。あのマリエル限って、と。
彼女は私が新人だった頃から色々と指導してくれたベテランのメイドだ。 いつでも手早く完璧に仕事をこなす彼女に何か粗相があっただなんて有り得ない。
「おかしいですよ!! もうこれで九人目ですよ!? それもお嬢様の世話役になった人ばかり……」
マリエルだけでなく、エイダムス侯爵家では相次いで使用人がやめていた。 新人が仕事の厳しさに耐え切れず去っていくというのならよくある話、別段不思議なことじゃない。
それでも旦那様は穏やかな人柄の方なので多少の不手際くらいなら許して下さり、決してお屋敷を去っていくメイドは多くはなかった。
それが、この二年ほどで九人。
彼女らは新人どころではない、皆が長年仕えてきたベテランばかりがやめていく。はっきり言って異常だ。
メイド長もそれは分かっているのか、困惑した表情をしていた。
「私も理由を聞いたのだけれどね、誰も教えてくれないの。ただ、これ以上お仕え出来ませんというばかりでね」
それなら、お嬢様の世話役から外せば良かったじゃないか、そう思った私の心中を読んでか、分かりやすいほど顔に出ていたかメイド長は苦笑して頭を振った。
「それも言ったのよ、無理なら他の仕事をしなさいって。でも、旦那様とお嬢様に申し訳が立たないから……と」
どういう意味なんだろうか、と首を傾げる。
とんでもなく我侭で傲慢で嫌がらせ紛いのことをされていて耐え切れなくなった、というなら分かる。
でも、それなら申し訳が立たないということはないような気がする。
「お嬢様はそんなに酷い方なんですか?」
そう問うと、メイド長はまさか、と小さく笑った。
「とても聡明な方よ、歳不相応なくらい。ただ、ちょっと難しい方ね」
ますます意味が分からない。聞く限り、マリエル達がやめていく理由がどこにもない気がするのだが……
「お嬢様――ゼノヴィア様がお生まれになった時、奥様が亡くなられたことは知っていたかしら?」
知っている。私が仕え始めたのは丁度五年前、ゼノヴィア様が生まれた年だった。臨月間近だったのにわざわざ顔を見せて下さった事を覚えている。
「それを気に病んで、心を閉ざしてしまわれたらしいの。屋敷内でお嬢様の笑った顔を見た人はいないんじゃないかしら」
まさか、と心中で呟く。
確か、ゼノヴィア様は五歳のはずだ。母親が居ない事を寂しいと思っても不思議じゃないけれど気に病んで心を閉ざすだなんて聡いどころじゃないと思う。
「さてと、早いところ世話役の後任を決めないといけないわね」
どこか得体の知れなさを感じ、思案に耽ってた私を余所にメイド長はどこか疲れた表情で名簿を取り出し、目を走らせていた。
「私にやらせてもらえませんか?」
マリエル達が何故やめたのか知りたいというものあったが、それ以上にゼノヴィア様がどんな人物なのかそれが気になり私は咄嗟にメイド長にそう言っていた。
メイド長が驚き、予想はしていたけれど渋るように眉を顰める。
「貴女が……ねぇ」
確かに私は彼女達のようなベテランではないし、どちらかといえば失敗の多いほうだ。メイド長が渋るのはある意味当然と言えた。
でも、逆に言えばお嬢様に関わろうと関わるまいとそのうちクビになってもおかしくはなく全く痛くない人材だと自覚していた。
「お願いします!! その代わり、どんなことがあろうと必ず報告すると約束します」
メイド長は困った顔をしながら、分かったわと頷いた。
そうして私は今、ゼノヴィアお嬢様の部屋の前にいた。
ゆっくりと深呼吸をして扉を叩く。程なくして、はい、と子供らしく甲高い少し舌足らずな返事が聞こえた。
「失礼します」
僅かに頭を下げて扉を開き、部屋に入る。
色鮮やかなドレスと装飾品に埋もれるように、ゼノヴィア様は既にベッドに身を起こしていた。
そこには淡い水色の髪の幼子の姿があった。
どことなく奥様に似た顔立ちをしているのに、整いすぎた相貌のせいかまるで、人間味が感じられない。
まるで宝石のような、というのは褒め言葉だったはずだけど、他に言い表しようのない硬質な輝きを帯びた青い瞳はこちらを観察するように向けられていた。
ごくりと思わず、唾を飲み込む。
「……世話役を仰せつかりました、ペスと申します。今日から宜しくお願い致します」
無機質な視線を浴びながら何とか、言葉を紡ぐ。
喉が急激な渇きを訴えていた。
そのまま嫌に長い沈黙が続き、ゼノヴィア様がふ、と視線を下げてよろしくと呟いた。 とても、平坦な声だった。
◇
鳥の鳴き声に目を覚まし、薄く目を開ける。
窓から部屋に差し込んでくる光からは、日が随分高く昇っているように感じられた。
(ちょ……!? 目覚まし鳴ってないぞ!?)
慌てて跳ね起きた俺の目に飛び込んできたのは、そろそろ見慣れてきた豪奢な室内と目の痛くなる色とりどりの衣類だった。
目覚ましなんて鳴るはずなかったな、と苦笑しながら、顔にかかる淡い水色の髪を掻きあげる。
生まれたばかりの頃、ずっとメイドさん達の髪色を非常識だ非常識だと思っていたが、俺の髪色が一番非常識だったという笑えない話である。
長く伸ばしたウェーブがかった髪はまるでクラゲのようだと思った。
本当は煩わしいので切ってしまいたいのだが、そうもいかない事情がある。なんと、今世の俺は女に生まれていたのである。
ゼノヴィア・エイダムスと言うのが今の名前だ。 女らしいのかは分からないが、元日本人の感覚としては少し語感が格好良いのが救いだった。
ちなみに本当に貴族の家に生まれたようで爵位は侯爵。 日本語だと公爵も侯爵も『こうしゃく』で困ったことだろうが、この星では明確に単語が異なるので間違いはない。
家族はエイダムス侯爵である父と、五つ離れた兄が一人。
母は、俺が生まれた時に亡くなったらしいので、肖像画でしか見たことがない。
ちなみにそのことは三歳のときに兄に教えてもらった。お前のせいで母様は死んだと。
不可抗力だと思うのだが、まぁ八歳の子供には酷かもしれない。
おかげで兄妹仲は未だギクシャクしたままだが、デリケートな問題であるので時間が解決してくれるのを気長に待とうと思っていた。
(それにしても目覚まし時計か)
新たに生まれ落ちて早五年、最近はこの世界に慣れつつあったと思っていたのだが、癖というものはなかなか抜けないようだ。
物心はとうに付いているはずなのに、前世の記憶はまるで減ぜられている気がしない。
いや、記憶は零れ落ちている。もう、前世の俺の顔も朧げにしか思い出せないのに、自意識が『俺』のままなのだった。
ふいにノックの音が聞こえ、心臓が跳ねた。
どうやらメイドさんが起こしに来てくれたらしい。
今一度、言おう。
今の俺は女である。幼女とでも表現すべき身体にサラリーマンだった人間の意識がそのまま入っている。
二十台後半の男に貴族令嬢を演じろと、演じ続けろと言われているのである無期限で。
深く息を吸い、呼吸を整える。
よし、来るなら来いと気合を入れてなるべく平静を装って返事をした。
「はい」
失礼しますと入ってきたのは、見覚えのないメイドさんだった。
貴族というのはそういうものなのか、俺の世話をしに来るメイドさんはコロコロ変わる。もしかしたら当番制とかになっているのだろうか。
俺としては、名前を覚えるのが大変なので出来れば統一してもらいたい。
ペスと名乗った少女は、歳の頃は十六くらいだろうか。
赤毛というよりは橙に近いが許容範囲、くりっとした丸目の快活そうな少女だった。 そばかすが少し目立つが顔立ちも整っている。
というより、この星の人間は総じて容姿の水準が随分高いように思う。
俺―――もとい、ゼノヴィア嬢を鏡越しに見たときには美幼女だと思ったものだが、平均点が元々高いのなら実は中の上くらいなのではないかと最近は思い始めた。 何より、このクラゲ色の髪のせいで台無しである。
そんなことを考えていると、ペスがどこか居心地悪そうな表情を見せ始めていた。
どうしたのだろうと不思議に思い、大事なことを忘れていたと気が付いた。
「宜しく」
気恥ずかしさを誤魔化す様に視線を逸らす。
挨拶されたら挨拶を返しましょう。子供でも分かる常識です。
勘違いモノも含みます、ということで視点変更をしてみましたが、判りにくかったでしょうか? まだ、ゲーム的要素は少ないですね。
何か無駄に長々と書いた割に確信的な部分が表せてませんが、次回に回しますね。




