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やぎのゆうびん

作者: 弥七

 俺は黒ヤギ。若いころは散々やんちゃをやって近所じゃ有名だった。そんな俺ももういい年だ。いつまでも放蕩暮らしなんかできなくて、今じゃ建築士の免許を取ってせっせと家を作ってる。気が付きゃ俺も立派な社会の歯車に成り下がっちまった。最初のうちは親方に怒鳴り散らされ、毛が抜けてしょうがなかった。

 そんな俺ももう部下ができる年だ。親方も去年死んだ。

 そんなころになって、ようやく社会の歯車も悪くねぇ、俺がいなけりゃ社会っつーもんは回らないんだってことに気が付いた。

 歯車は替えが効く。替えが効くけど、今回ってる歯車がないと、社会は今を回ることができない。

 いまを回ってる俺はここにいる俺しかいないってわけだ。

 

 今日ももう夕暮れ。帰ったら酒でも飲んでテレビを見ながらいつの間にか眠りについてるんだ。そんな時にはちょっと寂しく思う。俺にも一人くらい、恋した雌でもいりゃあなぁ。

 その時だった。俺は、俺の住んでいる築数十年のいつ崩れてもおかしくないぼろアパートの前に、郵便ニワトリがいるのを見つけた。郵便は大体気が付かない時に運ばれている。他人の家に配達してる姿はよく見るが、自分の家に配達にくるニワトリを見るのは珍しいなと思った。

「よっす。こんな時間に配達なんてめずらしいな」

「ああ。いや、これは普通の仕事の郵便じゃなくてな。直接手渡しでお願いされたんだよ」

 コッコ、コッコ。喉を詰まらせたかのようにしゃべるニワトリはその羽毛でぶわっとした手に封筒を握っていた。宛名は黒ヤギ。差出人は白ヤギだった。


「あの野郎……!? 今更手紙だとっ……」

 その文字を見た途端、あいつの顔が脳裏に浮かぶ。あの白くぼんやりとした輪郭を思い出すと、腸が煮えくりかえる思いだった。

「直接お前に手渡してくれってさ。確かに渡したからな」

 ニワトリはそういうと、トサカをひるがえし、バサバサと走り去った。

 茫然としながら、俺は再び手紙に目を落とす。

 封筒は薄く、便箋一枚しか入っていないだろう。しかし、俺はそれを読む気にはなれなかった。なぜなら、俺はまだ白ヤギのことを許したわけではないからだ。



***


 黒ヤギは手紙を受け取っただろうか。

 あの日、あの時。僕は彼を裏切った。しかも、そのせいで彼は大変な目に遭った。すべて僕のせいだ。

 だから、僕ができる精一杯のことを、あの手紙に込めた。

 彼は受け取ってくれるだろうか。

 僕は、気を抜けば深い眠りに落ちてしまいそうな頭を振り、角を壁にこすりつけて意識を保った。



***


 俺が手紙のことを思い出したのは、手紙を受け取った日から一週間のたった日のことだった。

 それまで、完全に忘れていたわけではないが、手紙を開けて中身を読む気にはなれなかったのだ。仕事も忙しかったし、俺としてはもう白ヤギのことを完全に忘れ去ってしまいたかった。まるで、白ヤギの記憶を呼び覚ますと、それだけで当時の不幸が今の俺に降りかかってくるような気がしたからだ。

 しかし、手紙の内容は気になった。読むつもりなんかサラサラなかったが、なぜ今更になって白ヤギが手紙なんかよこしてきたのか、気になってしまったのだ。

 そこで、俺は思いついた。読まずに手紙の中身を知る方法。それは簡単だ。

 白ヤギに聞けばいいのだ。そう思いいたると、俺はペンを握り、手紙をこしらえた。

 あとはこの手紙を郵便ニワトリに渡せばよい。



***


 

 黒ヤギから手紙が届いた。郵便ニワトリは頭に響くコッコ、コッコという鳴き声で何事か言っていたが、僕は彼を無視して手紙をむしり取った。

 僕は封を切り、その手紙の内容を読んだ。

『悪い、手紙なんだが、読まずに食っちまった。申し訳ねーが内容を教えてくれないか?』

 僕は頭が真っ白になった。

 読んでない? 

 僕は彼の神経を疑った。読まずに手紙を食べるヤギがあるか? 確かに黒ヤギはずいぶんズボラなヤギだが、ここまでとは思わなかった。

 僕は絶望した。

 このまま、ふてくされて眠ってしまおうかとも思った。

 しかし、待てよと、僕の頭の中である考えが浮かんだ。本当に手紙を食べたのか? もしかしたら、読んだうえで、僕にこの手紙を送ってきたのだとしたら。

 僕は思い頭を振って、再びペンを取る。

 もう一度、手紙を書くために。



***


 家の前に、郵便ニワトリを見つけた時、少し心が騒ぐのを感じた。さすがにあの内容はまずかったかもしれない。届いた手紙を読まずに食べたうえ、その内容を再び教えてくれというのは、意味不明だ。

 ニワトリはもう何も言わずに、手紙を渡してきた。

 俺は決心を決めた。届いた手紙の封を切り、俺は手紙の内容を読んだ。

『ごめん。手紙の返事をもらったんだけど、読まずに食べてしまったんだ。よかったら手紙の内容を教えてくれないかな?』

 俺は言葉を失った。

 こいつ、どういうつもりだ?

 ここで、もし、この手紙の内容を信じるなら、こいつは俺の返事の内容を知らずに、俺に全く同じ内容の返事をよこしてきたことになる。しかし、そんな偶然はあり得ない。

 だとすれば、あいつは俺の返事を読んだうえで、この内容を返してきたのだ。ということは、何かこの文章に意味があるのだろうか。

 わからない。だが、面白い。どうしてあいつはこんな返事をよこしたのか、知りたい気持ちが沸き起こった。こうなればこっちもそのつもりだ。俺は返事をしたためた。



***


 黒ヤギから返事が来た。

 内容は同じ。

 だが、そう来てくれると思っていたし、またそれが嬉しかった。

 僕はすっかり重くなってしまったペンを握り、返事を書く。

 

***


 

 そんな奇妙なやり取りが、数か月続いた。

 もはや、日課となりつつある。俺はもうあいつがあきらめるのを待っていた。半ば意地になっていたのだ。最初は軽い気持ちで送り付けたあの手紙が、まさかここまで発展するとは。俺の家にはあいつの書いた手紙が山のように積み重なり、もう最初の手紙がどこにあるのかわからなくなってしまった。別に返事の手紙を取っておく必要はないが、日々積み上げられていく白ヤギの手紙が、この数年間あいつとの間に開いていた隙間を埋めてくれているような気がしたのだ。

 これが恋ヤギとの恋文だったらどんなに幸福なんだろうか。そんなバカなことを考えるくらい、白ヤギの手紙は膨れ上がっていた。最近はもうあいつの文字もしわしわのよれよれで適当に書かれたものが多い。

 白ヤギのことを思い出す。あいつの裏切りのせいで、俺は勝手に悪者扱いされた。あれは忘れもしない、少年時代の俺たちのこと。

 俺はそれまで、やりきれないもやもやした気持ちを抱えて、それをどこにぶつければいいのかわからなかった。やんちゃをし始める少し前のことだ。その頃は、友達は幼馴染の白ヤギしかいなかった。

 俺は親ヤギとよくぶつかっていた。本気で家出をすることに決めた時、白ヤギは俺と一緒に家出してくれると、向うから言い出したのだ。俺は白ヤギのことを本当の親友だと思っていたし、また向うもその思いで言い出してくれたことが嬉しかった。二人で夜、汽車に飛び乗って、だれも知らない大地へ行こう。そこで、ただ地面に生えてる草でもむしりながら、一日中走り回って暮らそう、そう約束した。

 そして、約束の日の夜、あいつは待ち合わせ場所にこなかった。

 俺は汽車に乗れず、親ヤギに掴まり、ひどいとばっちりもうけて、しばらく外出すらできなかった。とばっちりというのは、その夜、ちょうど商店街のシャッターに爆竹をくらわして小火を起こした奴がいるそうだ。その犯人が俺だとみんな決めつけた。

 俺は何も信じられなくなった。そして、一番ショックだったのが、それ以降白ヤギは俺の前に姿を現すことはなかったことだ。

 後に、聞いた話によると、あいつは家族ごと、遠くの街に引っ越したそうだ。引っ越しは数日前から決まっていたことで、それを知ったうえで俺と一緒に家出をするとか言い出したのだ。

 俺はまだ白ヤギを許していない。

 いまの俺は社会人として、まっとうに暮らしているが、あの当時はもうまともに生きていく気なんか起きなかった。あいつさえ、裏切らなければ。そう思ったのは、もう数えきれない。


***


 今日も、黒ヤギからの返事が来た。

 内容は、いつもと同じ。まるで、すぐ近くに黒ヤギが居て、僕らはつながっているような気がした。

 しかし、このつながりも、また、断ち切らなければならない。

 また裏切ってしまうことを、彼は許してくれるだろうか。


***


 白ヤギからの手紙が途絶えた。俺は初めのうちはあいつが呆れて、この不毛な手紙のやり取りをやめたのだと思った。しかし、いざ手紙が届かなくなると、心の中でざわざわとさざ波が起きるような気持ちがした。

 俺は机の上で山を作る手紙を見つめる。

 ふと、手を伸ばした先には、最初に届いた手紙がある。

 俺は見慣れたそいつを握り、意を決した。


***


 コッコ、コッコ。また、ニワトリの声がする。彼の声はこんな状況になってもはっきり聞こえるのだと、改めて感心した。ニワトリは朝を告げる。もしも、僕が眠った時には、彼が起こしてくれるのだろうか。

 もう眠い。

 眠れない夜はヒツジを数えるというが、眠りたくない夜はヤギでも数えればいいのだろうか。

 僕は今まで届いた黒ヤギの手紙を数えた。


***


 俺はニワトリの首根っこを捕まえて、コッコ、コッコ言わせながら、白ヤギのところにやってきた。あいつにそっくりな真白な建物には、清潔なにおいがした。俺の黒い毛が不自然なほど、浮き上がるこの場所に、あいつはいた。

 よく眠っている。目を閉じてベッドに横たわっていた。

 ニワトリは珍しく、しとやかな声で悲しそうにないた。

 その様子に、俺は歯を食いしばった。どうして、気付いてやれなかったのだろう。簡単なことだったのに。手紙を素直に読んでいたら。つまらない意地を張ってあんな手紙を書くから、こんなことになったのだ。


 白衣を着たウサギがやってきて、モソモソした声でしゃべる。俺に外へ出るように言っていたが、俺は聞かなかった。

 そして、白ヤギの前で、俺は最初に届いた手紙にかぶりついた。奥歯でくしゃくしゃに噛み砕き、ゴクリと飲み下す。そうすることで、こいつの苦痛を分かち合えればよかった。

 俺は白ヤギに手紙を書いた。そして、枕元にそっと置いた。

 ウサギは無理やり俺を部屋から追い出した。


***


 黒ヤギさんからお手紙ついた。

 白ヤギさんたら、読まずにそのままだ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ヤギである意味が感じられて面白かったです [一言] ヤギ同士仲直りできるといいですね
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