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ぷわぷわと中空に浮いた白い輪が、顔に当たって霧散する。

ひどい臭いだ。だが顔の筋一つ決して動かさない。


目の前の男は、ただ道具としてある自分を評価しているのだ。

嫌われようが構わないが、食いぶちに困ると碌なことにならない。それを知っているからこそ、ある程度の我慢も必要なのだ。



その様子を満足げに眺めた男は、煙管をもう一度ふかすと勿体ぶって話し出した。


「御苦労、では仔細報告したまえ」


目の前の人物はこの屋敷の総取締役だ。


姫に不自由がないよう。屋敷に不埒な輩を入れぬよう。そして姫が逃げぬよう監視するのが役目だ。

元は優秀な商人であったらしいが、その手腕で領主すら無視できぬ資産を築き、その財で権力を得、ここまで上り詰めたらしい。


「……死傷者は三、内二が死亡、もう一人は重傷。いずれも、うちの兵ではない。


魔物は自分が……」



「ふむ……なるほどなるほど、さすがは鬼か」


顎をに手を当て考えるそぶりを見せるが、おそらく俺の監視役に全て聞いているんだろう。



あいつは、こいつのことをどう思っているのだろうか。

この男は屋敷に女を連れ込んでは、手籠めにしている。自室も寝殿に造らせ、その中で毎日酒池肉林という話だ。現に今も紫煙の臭いに混じって、雄と雌の香りが漂っている。

自身の屋敷でここまでされるのは、不快ではないのか。


「どうした?報告はもういいぞ。下がれ」


考えに浸っていると、声をかけられた。

ちょうどいい。この臭いが服に移るのは我慢ならない。



「ところで……ずいぶん姫と仲がよろしいそうじゃないか」



襖を開けようとした瞬間、そんな声を投げかけられた。

振り向くと、濁った眼をした醜い人モドキがいた。

こいつも人ではなかったらしい。


「……特には」


どうせ俺の見聞きしたことは全部こいつの耳に入る。


慎重……というには聞こえがいいが、臆病なのだ。

常に二名程、俺には人が付いている。

いわずとも知れることを話すほど、おしゃべりではない。


「……ふんっ、まぁよい。どうせあの姫は……」


最後まで聞かずに、部屋を出た。

俺には関係のない、どうでもいい話だ。

それよりも、早く刀を手入れせねばならない。

刀身の血糊を大雑把に拭っただけだ。



外では、まるでこちらを非難するかのように、肌を突き刺す様な冷気が身に吹き付けた。


まったく……どうしろと言うのか。









自身の部屋の襖をくぐると、部屋の中央部に鎮座する異物が目に入った。

威風堂々とした動作で、急須からお茶を湯呑に注いでいる。もちろん俺の私物だ。


「ちょっと……寒いんだけど」


襖をあけた状態で突っ立っていたので、外の風が入るという文句だろう。

確かに部屋が冷えるのは、自分にとってもよろしくはない。


襖を閉じ視線を戻すと、静かにお茶を啜っている姿がそこにはある。


「何をしている」


理解できなかった。一人でこんな男のいる部屋に入るその無謀さが。

噂を知らない訳ではないだろうに、それなのに接してくるその心が。


「私にだって一人になりたい時はあるの。でも一人ぼっちが続いたら寂しいじゃない」


落ち着き払ったその姿は、こちらまでその雰囲気に呑まれそうになるほどで……


「こっちは、今から仕事だ。出て行ってもらわねば困る」


思わず自制してしまうほどに、引き込まれる。


「えー、それって私がいたら出来ないこと?」


出来なくはない……いやそれはこの女から言葉を取り上げることになるので、やっぱりそれはできないことなんだろう。


「……出来ない」


「嘘ね。今間があった。それに目が泳いだ。

今までのあなたの視線は、射抜くようにじっ、と相手の目を見るものだったのに。

人はね思考する時には、目が上に泳ぐのよ」


反論は……ないというより、出来なかった。



仕方なしに押入れを開け拭い紙を取り出すと、それを湯呑を包むように持ち暖をとっている女の口に突っ込む。


「むぐっ?!……なに!」


奇声を発すると、すぐさまその紙をとり、抗議してくる。

しかし、その抗議から察するに、彼女はまずその動作の意図が知りたいらしかった。

好奇心が旺盛なのだろう。


「一言もしゃべるな……それが条件だ」


その一言で彼女は押し黙った。

やっと取り掛かれる、そう思った瞬間、外から騒がしい足音が聞こえた。

ぱんっ、と勢いよく襖が開かれる。


「姫様を知ら「寒い!!」」


その姫の一喝で事態が収束した。

そろそろと襖を閉め近づいてくる、その兵士二人の口に、俺から奪った紙を突っ込み一言もしゃべるなと命ずる。二人の兵士はその剣幕に押され、コクコクと首を上下に振るばかりだ。

そしてこちらにきらきらした目を向ける。どうやら仕事の内容が気になるらしい。


本当に好奇心旺盛なことだ。




刀を腰から外し置く。

そして自身もまた、紙を口に軽く咥える。

唾が飛んで、その水分で刀が錆びないようにする措置だ。

しゃべらなければ……等と思うが、息を突いたりするだけでも、唾は飛んでしまう。


刀身を鞘から抜く。兵二人を見るが見慣れた風景なのか、警戒はしていないようだった。

一応その場で拭ったが、血糊が残っているとすぐ刀身が脂で白くなる。


今回は、血をそれなりにかぶったので、柄から手入れしなければならない。


拭い紙とともに押入れから取り出した。目釘抜きを使い、目釘を抜く。

刀の柄はこれだけで支えられているため、存外脆い。

振動を少しずつ与え、柄が緩んでくると鍔を押し、茎といわれる刀の下部を引き抜く。

切羽、鍔、ハバキと外し、拭い紙で刀を拭う。これによって、古い油や血糊を落とす。

脂の曇りをとるため、打ち粉を丁寧につけ拭う。

あとは、錆防止の油を均等にのばし、組み直せば出来上がりだ。


柄が緩んでいないか、刃がくすんでいないか、研ぎに出さずに平気か、等々、確認し終えた後、ゆっくりと納刀する。



口から紙をとり周りを見ると、目を見開いて呆然としている姿が目にとまった。

後ろの護衛も何やら驚いているようだ。

特別なことは何もしていないのだが……。


彼女が紙をとる仕草をする。取っていいのかと聞いているようだ。

頷くとすぐ詰め寄られた。


「その刀って有名なものなのかしら!」


「いや無銘だ」


「手際がすごかったわ、いつもこれをしているの?」


「今回は使った後だったから柄までやったが、本来は刃の部分だけだ。手際に関しては知らん」


「使ったって……あなた今日何してたの?」


「魔物の討伐を」


「ふぅぅん、すごいのね」


あまり理解していない風だった。

当然だろうこの箱入りの姫様は魔物を見る機会さえ、あるのだろうか。


後ろの二人に視線をやると、一人は驚いたような顔で、しきりに頭を撫で回している。

もう一人は未だ、口から紙さえ取っていない。



……もういいだろう。そう思い声をかける。


「ところで、お前らは何しに来たんだ?」


その言葉にはっ、とする二人。


「姫様、御傍付きの者が探しておいででした。それと、お出かけの際は、私どもに……」


「分かった分かったって……。またね」


長くなりそうな気配を察したのか、護衛二人をグイグイ外に押しやると、自身も出て行った。


その様子を見ながら、急須に手を伸ばす。



お茶はすっかり冷めてしまっていた。








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