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唇を固く結び、ただ刀を振るう。
自然な動作の中に極意はある、と彼の師はよく語った。
「死合いなんてな、いかに相手の警戒網をうまく潜るかだ。お互い観察し合って、感じ合っている最中、相手を仕留めるなんて並大抵のことじゃねぇ。相手もこっちも必死だからな。
だから……肝要となるのは、相手に警戒されない自然な一歩よ。何気ない、普段歩くのと大差ないその一歩が相手を殺す為の肝となるのよ。……なにわかんねぇ?
じゃあお前さんはまだ二流だな。
よかったじゃねえか、まだ成長の余地があるってことだ――――」
その言葉をかみ砕き、理解に努めながら刀を振るう。
彼は頭が良くなかった。それこそ素振り一つにさえ、お小言をもらっていたのだが、生憎彼の頭には耳に胼胝ができるほど言い聞かされたその言葉を除いて、残ってはいなかった。
体が熱を帯び、じんわりと汗が滲んできたところで、小石を踏み分ける音が近づいてきた。
彼は動きを止め、すぐさま納刀する。
「あらら、続けて続けて」
声の主へと彼は無表情で視線を向ける。
そこには、以前釣殿で出会った少女がいた。
年の頃は十代後半から二十代前半だろうか。
特徴的な琥珀がかった大きな瞳。黒髪は光が差すほどなめらか。
その肌は、今は赤みがさしているが、本来は雪に紛れるほどの白さだろう。
彼女は地面へと座りこむ。着物が汚れるといった躊躇いもない。
「……履物」
そこで彼が初めて口を開いた。
「えっえっなになになに」
その眼が輝くような幻視さえ覚える明るさで、態々立ち上がり彼に詰め寄る。
しかし、彼は口を開こうとはせず、無言で彼女の足元を指差した。
それに気づいた彼女は一転、一息に冷めた。
「ああこれ……抜け出してきたからそんな準備なかったの」
彼女は履物を履いていなかった。足袋が朝露に濡れて湿っていたせいか、汚れてしまっている。
彼は納得すると、背を向け歩きだした。
「ねぇどこへ行くの?」
彼女は問いかけた。しかし、胸の内では若干の期待を抱いていたりもする。
だが、彼は振り向きもせず
「……帰る」
その一言を言うと、すたすた行ってしまう。
「待て待て待って!」
彼は不機嫌そうに振り向いた。その表情に彼女も内心うっ、と怯む。
……が彼女は元来負けず嫌いなのであった。
「履物を用意してくれないかしら」
彼女なりに考えた結果、お願いという形で落ち着いた。
彼はというと不機嫌面なまま、今度はずんずん近づいてくる。
そしてひょい、と猫のように彼女を持ち上げると、帰路につこうと歩き出す。
「ちょっ!!……ぶふっ…ぶふふっ、楽しいかもこれ!」
彼女も最初こそ驚いたようだが、すぐに慣れ楽しむ様子さえ見せている。
そして、行けーあっちだー、という指示の声が屋敷に響く。
日常は屑屑と変化を遂げ、その先が日常と相成る
それが良質なものになるか悪質なものになるのかに関わらず――――
釣殿…平安時代頃、寝殿造りのお屋敷に造られた魚釣場。
でも平安時代という設定ではない。