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決闘!

作者: 絵室 ユウキ

 一世一代の大勝負。

 男には、生きていればそういう局面に出会うときが必ずあると昔からいうものだ。熱血の少年漫画で兄貴的なキャラクターが死に際に言い放ったりするのを、俺は今までに何度も見てきて、俺も少年時代にはそんなものなのかなと思っていた。でも勿論その中には疑いのような、疑心暗鬼な感情もあった。

 しかし、今は言い切ることが出来る。男には自分の運命を大きく変える、絶対に勝たねばならない大切な戦いがあるのだと。そして俺はまさに今、その大切な勝負に直面しているのだ。

 一週間後に控えた、彼女の誕生日。俺はその日に彼女にプロポーズをしようと決めた。付き合ってもう二年になるし、お互い年齢的にも結婚を考えてもおかしくはない年でもある。プロポーズには、婚約指輪が必要だ。男勝りなくせに、ロマンチックなところがある彼女には、効果があるに違いない。そんなものを用意していなくても、彼女がプロポーズを受けてくれるだろうとは思う。しかし、人生における大切なイベントだ。手を抜くわけにはいかない。

 そこで俺は先月、一人勇んで宝石店に足を運んだ。俺には場違いな雰囲気ではあったが、彼女のことを思えば、何のことはない。優しい女性店員のおかげで、何とか指輪の購入にまでこぎつけた。

 俺が彼女のために選んだ指輪は決して高すぎる値段ではなかったが、残念なことに俺の貯金ではわずかに足りない額だった。月々の安月給と俺の趣味のアレのせいで、日々の生活は決して楽なものではなかった。それにも関わらず俺がその指輪にこだわったのは、ひとえに彼女のためでもあったが、それと同時に男の見栄とプライドがあった。

(まぁ次に勝てたら何とかなるか……)

 そんな軽率とも言える気持ちで俺はローンを組み、その指輪を買った。


 ローンの返済期日は、明日。給料日はまだ先。口座に残されている金は、四万。それだけでは足りないのだ。つまり俺は絶体絶命の状況に立たされている。どうしてこんな突発的に高価な指輪を買ってしまったんだろうかと、自分を呪いたい気持ちになる時もあった。

 けれど、と俺は自分を奮い立たせる。

 あと六万あれば事足りる。今日一日だけでいい。神様が俺に微笑んでくれれば、何とかならない額ではない。そう、ギャンブルの神様が微笑んでさえくれれば。


 パチンコ屋の入り口の前に立ち、深く深く息を吸い込む。くたびれたジーンズのポケットに押し込んだ財布の中には、三人の諭吉が息を潜めている。もう一人の諭吉は補欠として温存することにした。

 ポケットの外から手を当てて、今一度ギャンブルの神様に祈りを捧げた。

(頼む! 今日の結果に俺の人生がかかってんねん……今日勝てたら、もうギャンブルは辞める! 最後の頼み、聞き届けてくれ。神様!)

 自分を奮い立たせパチンコ屋の自動ドアをくぐり抜けると、鼓膜がビリビリと痺れるようなけたたましい音に襲われた。

 店内は俺と同じように馬鹿げた奇跡を求める人間達で一杯だった。彼等の熱気がはっきりと目に見えるようだ。全員が敵に思えてしまうほど、攻撃的で張り詰めた空気。いつもなら、だらだらした人間にしか見えない客達が、今日だけは戦国時代の猛者のように見えた。

 仕事の合間に来ているように見えるスーツ姿の中年男、暇を持て余している中年の主婦、年金の使い方を間違えている老人、そして、俺のように生活を賭けた戦いをしているのであろう若者。それぞれがほぼ同じぐらいの割合で混在している。様々な人々が様々な目的を持ち、同類の欲望を煮えたぎらせながらパチンコ台を睨みつけている。不思議な光景だ。しかしそれゆえに圧倒される。

(くっそ、負けてられへん。負けへんぞ)

 圧倒されてしまいそうになる臆病な自分に言い聞かせる。

 パチンコ台から出されるやかましい音に負けない大音量で、今日のオススメがアナウンスされる。俺は迷うことなくそのアナウンスに従った。

 自分の第六感をフルに張り巡らせ、台を選ぶ。迷いだすとキリがない。こういうときには思い切りというのも必要なんだと思い、余り吟味することなく一つの台の前に座る。

(当たるときは当たるんやしな。今日の俺は絶対いける!)

 再度、弱気になりそうな自分に言い聞かせる。

 そして両手を合わせ、再度祈った。

(全てはあいつのため。俺は絶対にやる! あいつを幸せにするんや)

 そう心の中で唱えてから、一万円札をパチンコ台に差し入れた。


 決着がつくのは、思いの外早かった。自分の表情が見る見るうちに変化していくのが分かる。口元が緩んで仕方ない。

 ――俺の勝ちだ!

 俺は勝利を確信していた。すでに俺の背後には玉の敷き詰められたドル箱が積み上げられている。この量ならば、目標の額に到達するのは時間の問題だと言える。顔がにやつくのを堪えるのが大変なくらいだ。

 今までにない程、俺は好調だった。自分でも信じられないくらいだ。ギャンブルの神様は、俺の思いの強さを認めてくれたんだ! これで、あいつを喜ばせることが出来る。勝っていることが嬉しいのも勿論だが、彼女を喜んでもらえるというのが何よりも嬉しい。

(さて、この調子でいってくれよ!)


 そして時間が流れ、俺は閉店と共にパチンコ屋を出た。出ざるをえなかった。そして俺の瞳からは、涙が出そうになっていた。出ざるをえなかった。

 ――あれだけ好調だったのに。裏切りは、驚くほど早く俺を襲った。あれだけ積み上げられていたドル箱は、まるで幻だったかのように次々と姿を消し、それに導かれるかのように俺の財布の中にいた諭吉達も、いつの間にか行方をくらましていた。いや、行方は知れている。パチンコ台に吸い込まれていったのだ。

 見事なまでの丸坊主。言葉も出ない。手持ちはゼロ。俺は、負けた。

 今までギャンブルに溺れ続けていた俺に対する仕打ちとして、これ以上のものはない。ギャンブルの神様も、よく考えたものだ。こんな時に、こんな形で。

 パチンコ屋の裏の人気のない路地で、俺は一人地面を蹴りつけた。もう、彼女に会わせる顔がない。借金まみれの婚約指輪なんて、受け取ってくれるはずがない。そんなものを貰って誰が喜ぶものか。

 それに、と更に俺は自分を追い詰める。

 彼女は根っからのギャンブル嫌いなのだ。俺がギャンブルにはまっていることを知った時には、本気で別れを告げられた。しかし、もう絶対に辞めると彼女に誓って何とか別れずに済ませた。

 それなのに、俺はギャンブルを続けていた。彼女に隠れて。週に一回はパチンコ屋のあの騒がしい音を聞かなければ気が済まなかったのだ。我慢をしても、二週間が限界だった。挙句の果てがこのざまだ。罰が当たったとしても、当然文句は言えない。

 せっかく、結婚して彼女と永遠に幸せになることを夢見て、楽しい毎日を送っていたのに。付き合っていて、嫌になることも勿論あった。けれど、それを乗り越えられたのも、彼女といる時間が何よりも幸せだったからだ。ギャンブルで大勝した時の喜びなんかとは比にならないくらいに。その幸せがずっと続けばいいと思い、結婚だって決意したのだ。

 いつの間にか、堪えていた涙が溢れていた。傍から見れば、パチンコで大負けして泣いている、ありえないくらい馬鹿な男に見えるだろう。事実、半分はそうなのだが。今の俺には周りの目を気にしている余裕などない。頭の中は、彼女への言い訳と、借金を返すあてをどうするかということと、負けたことへの悔しさと、明日からの生活への不安と、彼女からの別れの言葉を考えることで精一杯だった。頭が混乱してパンクしそうになっている。もう全てのことから目を背け、何もかも投げ出してしまいたかった。

「何してるん?」

 彼女の声がした。ああ、きっと彼女はそう言うに違いない。涙で滲んだアスファルトの上に、呆れ果てた彼女の顔が浮かび上がる。俺の口から堪えきれずに嗚咽が漏れ出した。

「ケンちゃんやんな?」

 ――え?

 その一言で、俺は現実に返った。彼女の――ミナの声は俺の脳内ではなく、確かに現実のものだったのだ。ついに幻聴まで聴こえてしまうほど、俺は正気を失っていたのかと思い、恐る恐る声のした方を見上げてみた。パチンコ屋の裏でうずくまっているという情けない姿をミナに見られるわけにはいかないので、全て幻であって欲しいと切に願いながら。

 俺の目の前には、今一番会いたくない人が俺を見下ろしていた。今でなければ、一番会いたい人として殿堂入りしている人物なのだが。

「ミナ……?」

 半分泣きじゃくりながら、俺は訊ねた。そんなことはしなくても、目の前に立つ女性がミナであることは分かりきっていたのだが、訊ねずにはいられなかった。

「こんなとこでうずくまって……どうしたんよ」そう言って彼女は、視線を俺に合わせるためか、俺の傍らにさっとしゃがみ込んだ。ミナの口調は本当に俺のことを心配してくれているようだった。何だかんだと言っても、やはりミナの存在は俺にとって心の支えなのだ。優しい声を耳にした俺は、思わず彼女の胸に泣きつきたくなった。

 ――しかし、俺は見てしまった。ミナの胸元に、先客がいるのを。

大切に抱きかかえるようにして、彼女はその胸にあるものを抱いていたのだ。それは、少し大きめの紙袋。

 紙袋の中身が直接見えることはないが、今の俺にはその中身が嫌になるほどはっきりと把握できた。そう、それは――パチンコ屋で出した玉を換金する前に店から渡される、景品だ。それを彼女はどっさりと手にしている。紙袋でなければ持ちきれないほど、どっさりと。

 彼女は今まさに、その獲得した景品を数多の諭吉に変化させようと店を出てきたところなのだ。

 俺は思わず、何よりも先に聞いてしまった。他に言わなければならないことがあるはずなのに。聞かずにはいられなかったのだ。

「なんぼ勝ったん?」


 パチンコ屋で感動的とも言える出会いをした俺達は、気まずい空気のまま二四時間営業のファミレスに入った。ちなみにさっき俺がミナにした質問の答えは、俺が叩き出したことのない大記録だった、とだけ言っておく。ちなみに、指輪も軽く買えてしまえそうな額だった、とも言っておこう。

「お前、ギャンブル嫌いやって言うてへんかったっけ」

 平静を装って安っぽい味のコーヒーをすすりながら、ミナに訊ねる。先にミナが雷を落としてくるかと思ったがそうではなかった。どうやら、俺に黙ってパチンコをしていたのがばれたというのが、彼女にとっても相当ショックだったらしい。借りてきた猫のように黙り込んでいる。

「だって……」罰の悪そうな顔をして、ミナはようやく口を開いた。

「パチンコ打つ女なんか、ケンちゃん絶対嫌がると思ったから……。ケンちゃん、女の子らしい子が好きやん? 嫌われるの嫌やったし、軽い女みたいに思われたくなくて、どうしても意地張ってもうて、つい……。そんで、ケンちゃんに辞めてって言うたからには自分も辞めようって思ってたし……」

 泣きそうな顔をしながら、必死に訴えているというのがよく分かる。ちょっとビビリ過ぎなんじゃないかと思うくらいだ。俺にも落ち度があるということを、今の彼女はすっかり失念しているようだ。

「いや、別にパチンコ打ってようが俺は構わんけど……現に俺かってこの有様やしな」

 苦笑しながら言う。今の財布の状況を考えると、苦笑いさえもしてられないぐらいなのだが。

「おあいこやな」

 今度は、彼女を安心させるため、出来る限り明るい表情で笑いかけてみた。するとミナも表情を緩ませ、「そやな」と呟いて微笑んだ。可愛い笑顔だ。しかしそれゆえに、俺の良心がズキンと痛んだ。俺はまた、この表情を曇らせることになる。

「なあ、ミナ」

「何? もう大丈夫やで、気にしてないから」

「いや、その話はもうええねん。もう一つ、お前に謝らなあかんことがあるんや」

 俺がそう言った途端、案の定ミナは表情を強張らせた。深く息を吐き出し、覚悟を決める。

「実は俺……最近ちょっとでかい買い物してさ。ローン組んで買ったんやけど、今日で金ほとんどなくなってもうて……今んとこ、ローン返せる金ないんよな」

「はあ?」

 さっきまで泣きそうになっていたとは思えないほど、怒りに満ちた声をミナは発した。男の俺が怖気づきそうなくらいだ。男の弱点は、好きな女だ。俺は一生、ミナには勝てないんだろうなと、何となく思った。

「何買ったんよ。どうせまたいらんもん買うたんやろ。何で後先考えんと、ポンポン何でも買うん? その癖直しやって、なんべんも言うてるやんか」

 ああ、まさにかかあ天下。結婚したらいつか、毎日こんな風に小言を言われるようになるんだろうか。

「いや、いらんもんちゃうねんて」

「嘘やな、正直に言いや。何買うたん?」

 現物を見せるより先に、その存在を知らせてしまうのはナンセンスだ。ミナの喜びも半減するし、何より彼女に誕生日に指輪と共にプロポーズをするという計画が台無しになってしまう。第一、ミナの機嫌の悪いこのタイミングで言うと、指輪を買ったということ自体、非難されかねない。

「それは……言われへん」「はよ言い」「だから」「早く」

 ミナの目は鋭く、蛇のように俺を睨みつけていた。この様子じゃ、嘘をついたとしても簡単に見破られそうだ。どうして女の勘は女にしか備わっていないのだろう。神様は本当に不公平だ。ギャンブルの神様も然り。

 再度、深く息を吐き出して気持ちを落ち着かせる。緊張もしている。吐き気がしそうだ。くそ。

「指輪や」

「は?」ミナの顔が、ぽかんと呆けた。予想もしない答えで、あっけにとられたという感じだ。

「自分の? 何でそんなローン組まなあかんような高いやつ……」

「ちゃうわ。お前のに決まってるやんけ」

 そう言うと、ミナはほんの少しだけ、ほんの一瞬だけ口元にわずかな笑みを浮かべた。しかしその目は未だに蛇の鋭さを保っている。

「ああ、うちの誕生日の? 別にそんな高いもん買わんでいいのに」

 ――くそ、言うしかないのか。

「ちゃうんや。ただの誕生日プレゼントやったら、俺かってそんな無謀なことはせん」

 俺がそう言い放つと、期待と不安に満ちた表情でミナが訊ねた。

「どういうこと?」

「……婚約指輪や」

 緊張がどうとかではなく、ひたすらに恥ずかしかった。まるで、初めて女の子に告白するような気持ちだった。照れ隠しに、ぶっきらぼうにしか言えなかった。情けない男だ。そうでなくても情けないが。

「嘘やろ?」

「ほんまや。来週のお前の誕生日に、プロポーズしようと思ってたんや。それで今日、パチンコで勝って、ばっちり指輪渡してミナを喜ばせたろうと思ってたのに……ぼろ負けしたわ。ほんまにごめん、ミナ」

 そう言って、これでもかというくらいに頭を下げた。何なら土下座でもしようかと思った。素直にそう思うくらい、申し訳なかった。もう、ふられても仕方ない。自分の駄目さ具合に、吐き気がする。もう駄目だ。

 ――沈黙。ミナも何も言わない。俺は当然、もう何も言えない。しかし、さすがに恐ろしくなって、顔を上げた。ふられたくない。別れたくない。こいつと結婚したい。

 ミナと目が合った。

 彼女は、微笑んでいた。

「ほんまに……アホやなぁ、ケンちゃんは」

 そう言うミナの笑顔は、本当に穏やかで、慈母のように優しいものだった。

「え?」

「怒ってたうちがアホみたいやわ。ありがとう、ケンちゃん。全部許すよ。ほんまにありがとう。そういうことなら、ローンのお金もとりあえずはうちが何とかしてあげるから」

 呆れたようにそう話してはいたが、その表情はとても嬉しそうだった。瞳には涙が滲んでおり、今にも溢れ出しそうになっている。口の端が上がり、赤くなった頬にえくぼが出来ている。ああ、俺はこの表情が見たかったんだ。ミナがこんな顔で笑ってくれるなんて。今までで一番幸せそうな笑顔だ。想像以上の、とびっきりの笑顔。感無量だ。俺まで涙ぐんでしまう。

「ただし!」

 突然、ミナが怒気のこもった声で言い放った。思わず身を飛び上がらせる。余りにも俺が縮こまっていたせいだろう、ミナがふっと笑った。

「そのかわり、一生うちを幸せにしてな?」

 ミナは恥ずかしそうに少し俯いている。幸せの余り、思わず笑ってしまった。

「はい、分かりました」

「そんで、さっき聞いたことは忘れるから。誕生日、楽しみにしてるで?」

「はい」


 ファミレスから俺の家に向かう途中、俺達は手を繋いで歩いた。そして、これからもこうして手を取り合って歩いていくのだ。一生、彼女を幸せにするために。

 俺達は約束した。二人でずっと、幸せでいようと。そして、お互いギャンブルは程々にしよう、と。

作者はスロット派ですw


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― 新着の感想 ―
[一言]  はじめまして。  凄く面白かったです。  ハッピーに落ちがあり、元パチンカーの私めには肌に馴染む作品です。  ”実は彼女も・・・”と来るとは思いませんでした。「そう来たかあ!」って感じで…
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