【書評】戦争は人類の趣味なのか・・・戦争と平和についてちゃんと考えたい人のための本
【お断り】以下の一文は、ちょうど10ヶ月前にネットにアップしたものです。
この当時、私の頭の中にあった戦争イメージはウクライナ戦争どまりで、まさかペルシャ湾で戦争の火の手が上がるとは思っていませんでした。
前川仁之『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』は、コンパクトかつ平易かつ深い味わいのある名著だと固く信じます。
「この時勢に呼ばれた本なのではないか」と空恐ろしくなるほどです。
【書物データ】
前川仁之『人類1万年の歩みに学ぶ平和道』(インターナショナル新書)
発行 : 集英社インターナショナル
発売 : 集英社
2024年6月12日 第一刷発行
新書 : 384ページ
【原タイトル】
少しでも商売っ気のある編集者は、本書に必ず目を通しておくこと
【書評・本文】
[1]
「寝転がって読める平和の本」なんて初めて見たよ。
「平和について考えよう」となると、カントの『永久平和のために』みたいに、いきなり難しい所から入り、背筋を正して読む事を強制される「うひゃあ」系か、さもなきゃ使命感が過ぎて暑苦しい「正義の押し売り」または「平和の宣教師」系か、どっちかだもんなあ。
本書のことは、池上彰や関口宏の時事解説・歴史解説番組みたいな知的エンターテインメントと捉えるべきだろう。
ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』みたいな雰囲気も漂う。
(もっとも著者はハラリが嫌いみたいだが。本書、342-344ページ参照)
語学が著者の武器になっているのは間違いない。スペイン語でもイタリア語でも正則アラビア語でも、何でもホイホイだ。英語、フランス語なんて言うに及ばずだろう。
ドイツの作家エルンスト・ユンガーを「邦訳と英訳でしか読んだことがない」(本書、234ページ)と書いているから、ドイツ語には余り目を向けなかったのかもしれないが。
公開されたプロフィールによると、著者はアカデミズムの圏外で生きて来た人らしい。
こう言う人は、本を読めば読むほど「雑学キング」になる。「教養オバケ」になる。スノッブ(知的俗物)に成る。それが通り相場だ。
ところが、著者は違う。
(著者の本を手に取るのはこれが初めてなので、即断はできないのだが)この人には持続する志がある。
何か芯のような物があって、その追求に生涯を捧げて来た人だ。
そうでなければ、本書のような体系的かつイッポン筋の通った本は書けない。
「原稿そのものの執筆期間は合わせて半年もなかったろうと思うが、内容の蓄積と熟成には二○年くらいかかっているだろう」(本書、369ページ)との事だ。
確かに、ちょっとやそっとの資料調べで、これほど内容の濃い本は書けない。
長い間、温めて来たテーマの、いわば「お蔵出し」だったんだろう。
たとえば本書219-227ページでは、カール・マルクスに発する社会主義インターナショナルの平和志向が、第一次世界大戦の勃発を前に空中崩壊してしまう過程を詳述している。
この惨状を前に、スイスに亡命中のレーニンは「戦争を革命に転じる」思想的営為に着手するのだが、これについて著者は「それはもはや本書の扱うところではない」(同、227ページ)と矛先を転じているのである。
これは一つの見識だ。
ロシア帝国内のライバル政党を蹴落とすため、レーニンが掲げた看板「パンと自由と平和」は結局のところ看板倒れに終わってしまったのだから。
「労働者の祖国」を救ったのはトロツキーやトハチェフスキー、ブジョーンヌイと言った労農赤軍の「軍国主義者」たちだったんだから。
レーニンが死んだ後も「国際共産主義」の建て前だけは守っていたが、「大祖国戦争=第二次世界大戦」に至って、ナチスドイツとの対抗上、旧ソ連はロシア人本位の大国主義を表に出すようになった。もう社会帝国主義と言われても仕方ない。
もしも「レーニン沼」にハマッていたら、本書はそれだけで終わっていたろう。
ここを避けて通るとは「なかなかどうして」な本だ。
[2]
そうは言いつつ、本書は案外、マーケティング的に面白い所を突いて来たのではないか。
そのうち『3時間で分かる平和学入門』とか『見るだけで分かる世界の平和』と言ったムック本が出始めるのではなかろうか。
少々失礼かもしれないが、本書は『サルでも分かる平和入門』式のインスタント本をチャチャッとでっち上げる際の良きタネ本になると思う。
混ぜ物のない濃縮ジュースより、水で薄めたバチもんの方が良く売れるのは、商売と言う物が持っている本質的な矛盾である。
「マーケティングは魔の学問だ」と言い替えてもよい。
[3]
話を戻すが、私たち日本人の心の奥底に、戦争への不安=平和へ希求は秘かに芽生えつつあるのではないか。
「あって当然」と思っていた世界平和が、なんだかアヤしい方向に向かいつつあるのだから。
「局地紛争」はアフリカや中東だけの話じゃなくなった。
ウクライナみたいな先進国でも、いつ血まみれになるか分からない。町が瓦礫だらけになるか分からない。
シリア内戦やロヒンギャ難民はひとごとでも、ウクライナ戦争はそうは行かない。
ウクライナは小麦と言う農産資源大国であり、対するロシアは天然ガスと言う地下資源大国であり、そして両国ともNATOやEUに接しているのだから。
その悪影響は、ジワジワとだが日本にも効いて来る。
地政学的に微妙なエリアでは、いつ暴力沙汰が発生しても、おかしくない。そんな世の中になりつつあるのではないか。
そんな漠とした不安が、拡がり始めるかもしれないから。このニッポンでも。
[4]
そういう時こそ「知は力なり」だ。
一例を挙げれば、本書・第二章でラモン・リュイ(1232年頃-1315年)なる「元祖・多文化共生主義者」を長々と紹介しているのは「相互理解と寛容こそ平和の大前提」と訴えたいからだろう。
確かに思い当たるフシはある。
最近では我がニッポン国にも「中学生に漢文を教えるのは中国崇拝を植え付ける事になるから止めろ」等と、平然と主張する「小説家」が現れたのだから。
世も末だ。知的頽廃も、ここに極まれりだ。
同じ保守派でも、石原慎太郎や三島由紀夫は、そんな程度の低い事は言わなかった。
本書が啓蒙的な意義を果たしてくれる事を強く望む。
[5]
「本書は核開発の話でおしまいなのか」と思っていたら、それはそれは物凄い、スーパーストロングなラスボスが出て来た。
その名は、ここでは明かせないなあ。
「それは読んでのお楽しみ」と言うことで。
(以上)




