灰色の目覚め
普通の12月の午後だった。
2年B組の教室は、いつもの騒がしさで満ちていた。
「文化祭の準備、もう終わった?」「テストやばいって」「優里、また実行委員長やるの?」「剣くん、剣道の試合どうだった?」
後ろの席で、鈴木陽向が突然立ち上がって叫んだ。
「あ、お前屁こいたろ! 絶対零だろ、それ!!」
クラス中が爆笑。
被害者とされた小林颯が、短く刈った髪をかきむしりながら赤面して反撃。
「ちげーよ! 陽向の椅子が鳴っただけだろ!」
遠藤遥は肩までの柔らかい茶髪を揺らして、大きな瞳を潤ませながら「やだー、臭いー!」と可愛く顔を覆う。
隣の中島彩花は、ふんわりしたロングヘアを指で巻きながら「遥ちゃん、息止めて!」と慌ててフォロー。
大野健太は無造作な髪をぼさぼささせ、のんびりした丸顔で「まぁまぁ、誰でも出るよな〜」と笑ってごまかす。
清水大輔は寝癖の残った頭を枕にし、眠たげな目で「うるせーな……寝かせろよ」とぼやく。
石井奈々は小柄な体を縮こまらせ、細い目で「もう……最悪……」とネガティブに呟き、
吉田亮は無表情の長顔で「どうせ俺のせいにされるんだろ」と諦めたように肩をすくめる。
渡辺美咲はツインテールを揺らして「優里ちゃん、仲裁してー!」と甘えた声で助けを求め、
佐々木悠人は短髪を整えながら「優里さんならすぐ解決しますよ!」と熱心にフォロー。
高木剛は筋肉質の体を椅子に預け、太い腕を組んで「うるせえ、静かにしろよ」と低く笑い、
伊藤蒼は鋭い目つきで「面白えな、もっとやれ」と煽る。
岡崎真由は眼鏡を押し上げ、几帳面な顔で「みんな、ホームルーム始まるよ! メモ取らなきゃ!」と注意。
森翔太は日焼けした顔で「よし、俺が窓開けるぜ!」と元気に立ち上がる。
加藤あかりはスケッチブックを抱え、夢見がちな大きな瞳で「匂い……なんか芸術的……?」と呟き、
木村拓海はオタクっぽい前髪を直しながら「これ、なろうの異世界転生の伏線じゃね?」と小声で言う。
林美月は放送委員らしい大きな声で「静粛にー! 先生来るよー!」と叫び、
山田詩織は不安げな細い顔で「本当に臭い……やだ……」と縮こまる。
担任の白峰聖先生が教壇に立ち、穏やかな声で言った。
「みんな、静かに。ホームルームを始めます。」
藤原剣が後ろの席で腕を組み、斎藤優里が前の席で振り返って笑う。
影山零は窓際で一人、スマホをいじっていた。
橘樹咲楽の笑い声が響き、天ヶ瀬葵が少し離れた席で小さく微笑む。
誰も、異変に気づかなかった。
最初は、香りだけだった。
金木犀の、腐ったような甘い香りが、教室全体を包み始めた。
「なんか……匂いしない?」
誰かが呟いた。
次の瞬間、窓の外の空が灰色に染まった。
光が消えた。
教室の蛍光灯が一斉にちらつき、床が振動した。
「地震!?」
剣が立ち上がる。
だが、揺れはすぐに止んだ。
代わりに──
教室の中央に、光の円が浮かび上がった。
灰色の花びらが、どこからともなく舞い落ちる。
金木犀の香りが、息ができなくなるほど濃くなった。
「みんな、離れて!」
白峰先生が叫ぶ。
だが遅かった。
光の円が広がり、教室全体を飲み込んだ。
40人全員が、光の中に落ちた。
叫び声。
笑い声。
泣き声。
祈りの声。
すべてが、灰の香りに混じって消えた。
灰色の空が、果てしなく広がっていた。
最初に目覚めたのは、斎藤優里だった。
冷たい。
息をするたびに肺が凍りつきそうな、底知れぬ冷たさ。
体が重く、頭がぼんやりする。まるで長く深い眠りから無理やり引き起こされたような感覚。
優里はゆっくりと体を起こした。
視界に飛び込んできたのは、崩れた石碑と灰に覆われた平原だった。
足元には、氷の結晶のようなものが無数に散らばり、踏むたびにカサカサと乾いた音がした。
風が吹くたび、灰の粒子が舞い上がり、肌を刺すように冷たい。
「……みんな?」
声が震えた。
自分の声が、妙に遠く聞こえる。
すぐに、近くでうめき声が上がった。
「うっ……ここ、どこだよ……」
藤原剣が体を起こし、周りを見回す。
いつもの熱血な目が、珍しく動揺を隠せていない。
「優里! 無事か!?」
続いて、白峰聖先生がゆっくりと立ち上がった。
「みんな……無事? 怪我はない?」
穏やかな声だったが、先生の顔にも困惑が浮かんでいた。
先生はすぐに生徒たちを確認し始め、優里と剣に目配せした。
次々と、26人が意識を取り戻していく。
高橋澪が震えながら「怖い……夢だよね……?」と呟き、
佐藤蓮が澪の肩を抱いて「落ち着け、俺たちがいる」と励ます。
鈴木陽向は無理に笑おうとして、
「まじで異世界転生きたー!? ステータスオープン!!」
と叫ぶが、声が上擦っていた。
松本翔は冷静に周囲を観察し、
「……これは夢じゃない。温度も匂いも、現実だ」
と呟く。
影山零は隅で黙って立ち上がり、誰も気づかないまま空を見上げていた。
優里は、集まりつつある仲間たちの顔を、無意識に見渡していた。
見慣れているはずのクラスメイト。
けれど、灰色の空の下では、どこか輪郭が強調され、別人のようにも見える。
藤原剣は、短く整えた黒髪のまま、角ばった輪郭を強張らせていた。
太い眉と真っ直ぐな眼差しは健在だが、拳を握る指先には微かな震えがある。
それでも前に立とうとする姿は、誰の目にも“盾役”だった。
白峰聖は、肩にかかる長い黒髪を風に揺らしながら、生徒たちを見回していた。
柔らかな目元と細い顎。
いつも通り穏やかなはずの表情が、ほんのわずか歪んで見える。
守るべき立場と、理解できない現実の狭間で、迷っている顔だった。
佐藤蓮は、眼鏡越しに周囲を確認しながら、自然と人を集めていた。
切れ長の目と引き締まった輪郭が、責任感の強さをそのまま表している。
高橋澪は、肩までの柔らかい茶髪を震わせ、丸みのある頬を青ざめさせていた。
大きな瞳は今にも泣き出しそうで、必死に平静を装っている。
松本翔は、無造作に伸びた前髪の奥から、感情を抑えた視線で世界を見ていた。
現実を否定せず、ただ受け入れようとする顔だった。
鈴木陽向は、明るめの髪をかき乱し、無理に笑顔を貼りつけている。
その軽さが、逆に痛々しい。
伊藤蒼は、短く刈った髪と鋭い目つきで周囲を睨み、
不安を怒りに変えて耐えているのが分かった。
そして――
影山零。
少し離れた場所で、長めの黒髪が顔に影を落とし、細い顎と白い肌が灰色の景色に溶け込んでいる。
誰とも視線を合わせず、ただ空を見上げていた。
その横顔だけが、
この世界に“最初から存在していた”かのように、不自然に馴染んで見えた。
優里は、小さく息を呑んだ。
(……同じ顔なのに)
もう、同じ場所には立っていない。
そんな予感だけが、胸の奥に沈んでいった。
田中凛花が石碑に近づき、風化した文字を指でなぞる。
「……読めないけど、何か書いてある……」
山田詩織は不安げに
「早く安全なところに行こうよ……」
と周りをキョロキョロと見回す。
小林颯は
「なんとかなるっしょ! みんなでいりゃ怖くねえよ!」
と明るく言ったが、その声には力がなかった。
優里は深呼吸して、皆に向き直った。
「みんな、聞いて!
今パニックになっても何も変わらない!」
「私たち、絶対に生きて帰る。
だから、まずは状況を把握しよう!!
人数確認から! 怪我してる人いる!?」
剣がすぐに応じる。
「よし、俺が周りを警戒する。
優里と先生はみんなをまとめてくれ」
白峰先生が静かに言った。
「……ここは、日本じゃない。
空の色も、匂いも……全部違う」
風が強くなった。
腐った金木犀の、甘く重い香りが鼻を突く。
「この匂い……懐かしいけど、気持ち悪い……」
澪が顔をしかめた。
伊藤蒼が低く言った。
「……何か来る。みんな、固まれ」
遠くの廃墟から、獣のような咆哮が聞こえた気がした。
優里は、石碑の文字を見つめる。
『……聖……』
『……勇……』
『……灰……』
「……前の人たち、どんな目に遭ったんだろう」
誰も答えなかった。
灰の花が、一輪、優里の肩に落ちる。
それは、ひんやりと冷たかった。
遠くに、巨大な灰の宮殿のシルエットが見えた。
その頂から、冷たい視線のようなものが、確かに降り注いでいた。
26人は、互いの顔を見合わせる。
誰も言葉を発さない。
ただ、灰の風だけが吹き抜けていた。




