5)街へ、再び
舞踏会から数日。
相変わらず屋敷では、両親が「次は誰々の息子が…」と婚約話を持ち出していた。
「もう聞き飽きたわ!」
レナは大きな声で叫び、椅子から立ち上がる。
そしてお決まりのコース――秘密の扉から抜け道へ。
裏階段を駆け下りる足取りは、舞踏会の夜よりも軽やかだった。
あのとき出会った青年、エリオットの顔が頭にちらつく。
――あの人なら、私を笑わないかもしれない。
その予感が、妙に胸を弾ませていた。
宿舎から拝借したメイド服を再びまとい、レナは城門を抜けて街へ。
石畳の広場、行き交う人々、商人の威勢のいい声。
令嬢の衣を脱ぎ捨てた彼女にとって、ここはまるで別世界だった。
「いらっしゃい! ちょっと手伝ってくれないか?」
八百屋の主人が大きなカゴを抱えて困っている。
レナは即座に駆け寄った。
「任せて! 力仕事は得意よ」
笑顔で野菜を運び、子どもたちと冗談を交わし、時には洗濯物を干す手伝いまで。
働くたびに「ありがとう」と返ってくる。
それが、婚約や家柄とは無縁の“自分”を肯定してくれるようで、胸があたたかくなった。
夢中で働いていたそのとき――背後から、低い声がした。
「なるほど。本当に抜け出して働いておられるとは」
振り向けば、見慣れた黒髪の青年。
エリオットが、腕を組んで立っていた。
「えっ、な、なんでここに!?」
「偶然だ。任務で城下を回っていたら、見覚えのある顔を見つけてね」
レナは頬を染めながらも、負けじと胸を張る。
「いいじゃない。こうして働いてみるの、楽しいのよ」
「貴族の令嬢が言う言葉ではないな」
「でしょうね。でも、私にはこっちの方が合ってる気がするの」
エリオットはしばらく黙っていたが、やがて小さく息をついた。
「……不思議だ。あなたの奔放さは、なぜか人を惹きつける」
その真剣な瞳に、レナの心臓が一瞬跳ねた。
胸の奥に広がるざわめきは、舞踏会の夜よりも強い。
けれど、彼女はすぐに悪戯っぽく笑ってみせる。
「ふふん。じゃああなたも手伝っていく?」
「騎士に荷物運びをさせる気か」
「いいじゃない。面白いでしょ?」
エリオットはほんの少し考えて――肩をすくめた。
「……わかった。少しくらいなら」
二人並んで野菜のカゴを運ぶ姿に、周囲の人々が「お似合いだ」と囁く。
レナは顔を赤くしながらも、心の中で密かに笑った。