3)舞踏会
絢爛なシャンデリアが天井から降り注ぎ、磨き上げられた大理石の床が光を返す。
侯爵家の令嬢として、レナは完璧な笑みを貼りつけたまま、次々と声をかけられていた。
「まあ、なんて素敵なお召し物ですこと」
「先日の件、お母様からも伺いましたよ」
どこからか聞こえる「婚約破棄」だの「わがまま令嬢」だのという噂話。
──はいはい、知ってる。
胸の奥で大きなため息を押し殺しながら、レナはふっと視線を逸らした。
煌びやかな広間の中央、楽団の音色が響く。舞踏会らしい華やぎがあるはずなのに、彼女にとっては退屈な牢獄にしか思えなかった。
「やってられないわね……」
つい小声でこぼし、レナはドレスの裾を軽くつまんで人ごみを抜け出した。
扉を押し開けると、夜風のひんやりした匂いが頬を撫でる。庭に面したテラスには誰もいない。
「ふーっ、やっと息ができる」
柵に肘をつき、空を仰ぐ。星の光が瞬いていて、豪奢な照明よりずっと落ち着く。
けれどその静寂を破ったのは、低く響く声だった。
「……やはり抜け出しておられたか」
振り返った先に立っていたのは、長身の青年。漆黒の礼服に身を包み、真っ直ぐな眼差しでこちらを見据えている。
その名はエリオット・アーデルハイド。──父が言っていた「婚約者候補」の一人。
「な、何よ……あなたまでお説教?」
「いや」彼は首を振った。「噂を確かめに来ただけだ」
「噂?」
「お転婆令嬢、というやつだ」
その言葉に、レナは思わず目を丸くする。
誰もが陰口めいた響きで使うその呼び名を、彼は少しも嫌悪せず、むしろ楽しげに口にした。
「それで? 抜け出した感想は」
「……は?」
「退屈だったのだろう? 舞踏会など」
挑発するでもなく、ただ当然のように告げる声音。
レナは思わず吹き出した。
「ふふっ、あんた変わってるわね。普通なら『淑やかにしてろ』って説教するところじゃない?」
「面白い方がいいと思っているだけだ」
星明かりの下で、エリオットの瞳は真剣に光っていた。
レナの胸に、不思議なざわめきが広がっていく。
──この人なら、私の“脱走”も、笑って受け止めてくれるかもしれない。