綱ヶ背橋の約束
「祐君は綱ヶ背橋の伝説って信じる?」
「つながせばしの伝説?何それ?」
祐樹の返事に、優衣は信じられないといった表情を見せた。その驚愕振りに思わず圧倒されてしまう。
「知らないの?高田町に住んで何年になるのよ」
「今年で12歳だから、ちょうど12年になるね」
「何に対する“ちょうど”よ?てか何まじめに答えてんのよ。ホントに知らないんだ」
祐樹は周りを見渡した。気付けば教室内には祐樹と優衣の他に数人の女子生徒しか残っていない。あまり会話をしたことがなかったので、助け舟を求めるのは難しそうだ。外は夕焼けで赤く染まっていた。
「今何時?そろそろ帰ろうか」
二人は授業が終わってからずいぶんと話し込んでいたようだ。とは言えたいした話ではない。ほぼ優衣が一方的に喋って、祐樹が相槌を打つといった感じだった。
「祐君、話逸らすの下手ね」
優衣がにやりと笑う。そしてこほんと咳払いを一つして背筋を伸ばした。右手を顔の横に持ってきて人指差しを立てる。
「ここ高田町には奥名川って川が流れてるでしょ。それがどこから流れてるか知ってる?はい、尾藤君」
突如人差し指を向けられて祐樹はびっくりしてしまった。
「え、あぁっと、ワカリマセン」
ふうとため息をつく優衣。そしてまた始める。
「愛宕山よ。その愛宕山に小さな小川があるじゃない。覚えてる?幼稚園のとき遠足で登ったとき休憩したとこ。」
祐樹は目をきょろきょろと、記憶を手繰り寄せる。不意に、小川のほとりにずらり並んで腰掛ける園児の姿が脳裏に浮かんできた。
「ああ。あったね、山下りて麓のトコに。へぇ、あそこから流れてるんだ、知らなかった。でも道に沿って流れてたし、橋なんてあったっけ?」
「あったよぉ。古―い小さなやつ。覚えてない?ほら、先生にあの奥って何があるんですかって誰か聞いてたじゃん」
頭の上で電球がパッと点灯するイメージが浮かび、ぽんと手を叩いた。
「あぁ~、あったね。草ボーボーで先が見えなくてね」
「そうそう、奥に祠があるところ」
そっか、と呟いて、祐樹はその時を懐かしく思い出していた。直子先生は今も元気でやっているだろうか。
「あれから愛宕山登った?」
「え?ううん、登ってないよ。祐君は?」
「一回だけお父さんと初日の出を見に行ったよ」
「へぇ~。綺麗だった?」
「だね。でも寒いし眠いしって記憶の方が強いよ」
そう言ってふふふと笑った。優衣も呆れたように顔をほころばせた。
「それで、何の話し?」
祐樹の質問にはっとする。
「忘れてた。その綱ヶ背橋にはある伝説があるんだって」
優衣の目がキラキラと輝き始めた。先ほどと同じようにこほんと咳払いをして背筋を伸ばす。
「むかーし、お母さんたちが私たちくらいの頃に流行ったらしいんだけど」
「その時点で伝説じゃないんじゃない?」
「揚げ足を取らないの。ってかその頃に流行ったってだけで、その伝説自体は昔からあったんだってば。それでその伝説ってのはね、満月の夜に、手を取り合って綱ヶ背橋を渡った男女は永遠に結ばれる。っていうものなんだって。」
「・・ふーん」
「予想通りのリアクションね。で、それだけ?」
「それだけって言われても。それが本当だったらすごい話しだね」
「でしょ!すごいロマンチックよね」
優衣は両手を胸の前で組み、うっとりとした眼を窓の外へ向けた。夕焼けは先ほどより濃くなっている。薄暗くなってきた。いつの間にか教室には優衣と祐樹の二人だけになっていた。
「でも本当なのかな?」
つい呟いた。あ、今のは言わない方がよかった?おずおずと優衣の顔を見上げる。
「分かってないなあ。たとえただの伝説でも、そんな伝説のあるところに二人で行く、ってのが大事なんじゃない」
怒った様子ではない。ほっと胸をなでおろす。
「そんなもんかな?・・まあいいか、そろそろ出よう」
祐樹は席を立ち机の横のフックからランドセルを取り上げた。優衣も、小走りで自分の席からランドセルを持ってきた。
グラウンドでは、男子生徒数名が何か大声で叫びながらサッカーボールを追いかけている。
「優衣ちゃんも混ざってくれば?」
「あのね、低学年じゃないんだから、さすがにもう男の子に混じって遊ぶほどやんちゃじゃないよ。祐君こそやればいいじゃない」
「優衣ちゃんと違って、僕は今でも運動は苦手なの」
「相変わらず得意なのはこれだけ?」
優衣が腕を前後に振り、走るまねをした。マラソンのことである。
「得意ってほどでもないけどね」
祐樹がはにかむ。だが確かに、運動の苦手な祐樹が唯一他人と競える競技が長距離走だった。その実力は同学年の中でも抜きん出ているほどだ。
「そろそろ持久走の季節だね」
その言葉に衝撃を受けたのは、一年生の冬だった。持久走って、あの持久走?
「何それ?」
手袋の上から両手を擦りながら白い息を見つめていた祐樹は、ピタとその動きを止めた。
「何それって、祐君知らないの?」
「聞いてないよ」
「聞かなくても分かるでしょ、普通。しょうがないなあ、教えてあげる。持久走っていうのはね、長い距離を速く走るっていうスポーツでね・・」
「知ってるよ。僕が聞いてるのはそこじゃなくて」
「え?ああ、持久走大会の話し?」
「大会なの?」
眼を見開く。
「って先生は言ってた。冬にやるんだって」
祐樹は一気に憂鬱な気分になった。優衣と二人での下校は楽しい時間以外の何物でもない。しかしそんな話しをされるとちょっと切ない。
「でも祐君、毎日学校まで長い道通ってるじゃない。意外に持久走得意なんじゃない?」
「運動は苦手だよ」
優衣は不意に足を止めた。
「どうしたの?」
振り返る祐樹は、優衣の顔を見て驚いた。
「何か怒らせるようなこと言ったっけ?」
「祐君はいつもそう」
「そうって、何が?」
「もっと自信持たなきゃ。やってみなきゃ分かんないじゃん」
優衣はまだ立ち止まったままだ。
「じゃあ、頑張るよ」
「約束よ」
ようやく一歩だけ進んで、小指を立てた右手を出した。
「何?」
「指きりげんまんって知らない?」
優衣は、横に首を振る祐樹の右手を取り、自分と同じように小指を立たせた。
「こうやって指を繋いで、ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます、指切った!」
勢いよく繋いだ指を振りほどく。初めて聞くリズムに呆然としている間に、何やら儀式は終わったらしい。
「それで、これ何?」
「約束のおまじない。じゃあ帰ろっか」
そう言って、優衣はようやく笑顔を見せてくれた。
優衣からその話しを聞いた1週間後のホームルームの時間に、先生から持久走大会開催の話しが出た。「持久走大会があります」その言葉に、男子生徒は驚きとやる気の声が上がり、女子生徒からはただただ非難の声があげられた。祐樹も、気持ちは女子生徒派だったが、さすがに声には出さなかった。前もって優衣から聞かされていたこともあり、「ああ本当だったんだな」と落胆するのみだった。
それから約一ヶ月後に大会が開催された。大会とは言っても、一日で全学年の競技を行うわけではなく、週末を挟んで6日間に分けて行われる。1年生の部は金曜日に行われた。朝礼が終わると同時に体操服に着替える。それだけでは寒いので、上からジャージを着込んで教室を出た。
「寒いね」
優衣が話しかけてきた。いつも通りの笑顔だ。
「優衣ちゃんは運動得意でうらやましいよ」
優衣はきっと表情を硬くし、「約束覚えてるね」と祐樹に念を押した。こくりとうなずくと、またにこりと笑顔を見せた。
グラウンドに出ると、寒さは一層祐樹の体を硬くした。先生の指示で皆ウォーミングアップを始める。ジョギングで走る程度で、息は相変わらず白いが、だんだんと体の冷えは薄らいでいった。10分ほど経って、ホイッスルの音がグラウンドに響いた。集合の合図だ。
「では持久走大会を始めます。まずは女子の部から」
女子の走るコースは、200mのグラウンドを4周、つまり800m。石灰で引かれた真っ白いスタートラインにずらりと並ぶ。「位置について、よーい」パーンという乾いた音とともに一斉に駆け出した。
「頑張れー」「行け行けー!」
男子たちはグラウンドの内側で応援している。祐樹もそれに混ざって優衣に声援を送りたかった。だが、寒さと緊張と、そして何より内気な性格がそれを邪魔する。しかし、そんな必要もなかったかもしれない。あっという間に、脚の速い子と遅い子の差が、もうすぐで一周となるところだった。
「優衣ちゃん速―い」
先生たちも思わずそう叫んでいた。優衣は、一人どころか、3、4人ほどに一周差をつけてゴールへと突き進んだ。その直前、グラッと体が傾いたかと思うと、体勢を立て直すことが出来ずそのまま前のめりに倒れてしまった。ああっと、一斉に声を上げる。祐樹もそう呟いた。その隙に数人の女子生徒が優衣を追い抜いてゴールしていった。優衣は顔を歪ませ、ゆっくり立ち上がった。「頑張れ」心の中で叫ぶ。右足の膝からは血が滲んでいる。見ている祐樹の方が痛くなった。だが優衣は、くっと唇を噛み締め、残り数十mを走りきった。にわかに拍手が起こった。発信源は、祐樹ではなかった。先にゴールした女子生徒の一人だった。それに感化され、更に数人が拍手を送った。優衣は照れくさそうに笑いながら、服に付いた砂を払った。祐樹も、誰も気付かないくらいこっそりと手を叩いた。
女子生徒全員が走り終わり、息つくまもなく次は男子の部。スタート地点へ向かう祐樹の腕が後ろからさっと掴まれた。振り返ると、うっすら涙目の優衣が立っていた。
「惜しかったね。膝大丈夫?」
「悔しい。セツジョクを晴らして」
「・・セツジョクって何?」
「それは聞かないで」
それで何をどう晴らせと言うのだろう。しかし、負けず嫌いの優衣の悔しさは分かるつもりだ。30人もの人数が横一列に並ぶことは出来ない。スタートラインのすぐ後ろはすでに数人の男子に埋め尽くされている。仕方ないのでその後ろに入った。緊張のせいか、急に心臓が高鳴りだし、苦しくなった。「位置について、よーい」先生の声が遠くに聞こえる。パーンと、音が祐樹の脳に響く頃には他の皆は走り出していた。慌てて後を追う。祐樹は、普段学校に向かうのと同じくらいのスピードで走った。それが速いか遅いかと聞かれれば、中の上。大して早くもないスピードだ。祐樹は全体の中盤の位置で走り続けた。頭の中で必死に、優衣が待っている通学路を思い浮かべた。早く優衣に会いたい。その気持ちで、少しでも早く走れる気がしたからだ。しかし、順位は一向に上がる気配を見せなかった。現実はそんなに甘くはないということか。ただ、奇跡でなければ、人があっと驚くことなど簡単に起こり得る。
「あと2周」
ストップウォッチを見ながら、祐樹のクラスの担任の小林先生が声を上げた。その時祐樹の脳裏に浮かんだのは、あと2周、もう?
男子の走る距離は女子よりも1周多い5周。1kmということになる。祐樹の家から学校までの距離の、約半分。3周走った時点で、祐樹が毎朝走っている距離の3分の1にも満たない。困惑しながらも、祐樹は徐々にスピードを上げることにした。一人、また一人。あっという間に追い抜いていく。普段の登校時よりもかなりのハイペースだ。でも全然疲れない。それどころか気持ちが良いくらいだった。
「ラスト1周!」
この時点で祐樹は驚異的な追い上げを見せていた。たったの1週で10人以上ごぼう抜きしていた。このまま行けば一位も夢じゃないかもしれない、そう思った瞬間、祐樹は突然の腹痛に顔を歪めた。走る速度もがくんと落ちる。やはり速すぎたか。長距離走自体は慣れたものだったが、それほどまでに早く走ることはやっていない。わき腹を押さえる。残りは半周。今にもうずくまりそうだった。
「ゆうくーん!」
はっとした。優衣の声だ。瞬間的に、毎朝見るあの光景が蘇る。優衣が、両手を振って祐樹に微笑みかけている。大声で、祐樹におはようと叫んでいる。その姿が見えると、祐樹はダッシュで優衣の元へ駆け寄るのだ。そうだ、早く優衣ちゃんのとこに行かないと。祐樹はキッと、半周先のゴールを睨み付けた。そして、全力で走った。わき腹の痛みも忘れて。ぐんぐんと速度を増し、再び祐樹は気持ちよさを感じていた。目の前にはゴール、その手前に数人の男子生徒。
「ゴール!」
結局、祐樹は4位でゴールインした。疲れと、思い出したわき腹の痛みで、その場に座り込んだ。うつむいて、必死に息を整える。隣に誰かが座り込んだ気配を感じた。右膝に絆創膏が貼ってある。
「速かったね。やればできるじゃん」
優衣はいつも通りの笑顔を見せた。何か言おうと口を動かすが、息が上がって上手く言葉が出ない。
「はあはあ言い過ぎ。何?」
優衣が笑う。祐樹は、やっとのことで一言だけ呟いた。
「やっぱり、運動は苦手だよ」
優衣は、何それ、と言ってふふふと笑った。
祐樹も、途切れ途切れの息で、優衣に合わせてふふふと笑った。
「ねえ、ヒトの話し聞いてるかい?」
優衣の言葉に、ふと我に返った。もう優衣の家の前だ。いつの間にか、二人は足を止めていた。祐樹はただ優衣に合わせただけだったが。
「あ、ごめん」
「また妄想に浸ってたな」
優衣がぷうっと頬を膨らませ、上目使いで祐樹を睨む。
「妄想ってか、思い出に浸ってた」
「つまり、聞いてなかったってことね」
「・・ごめんなさい」
優衣はふうとため息をつき、祐樹に向かって人差し指を突き出した。
「次の満月はいつ?」
「知らないよ。優衣ちゃんは?」
「私も知らない。でも今日でないことは確実よ。昨日見たときは半月にもなってなかったし」
祐樹は、そう、とだけ言って考えをめぐらせた。何の話しだっけ?満月・・
「綱ヶ背橋の話か」
思わず口にしてはっとした。しかし口から出た言葉は飲み込めない。
「・・本っ当に聞いてなかったのね」
優衣の目つきが更に厳しくなった。
「ごめんなさい」
先ほどと同じように謝った。優衣も、先ほどと同じようにため息をついた。
「もういいよ。また明日ね」
優衣はふくれっ面のまま、玄関のドアを開けた。一度だけ振り返り、あかんべーをした後で、軽く手を振った。祐樹は、笑おうとして失敗した、引きつった笑顔でそれを見送った。
翌日の早朝、一時限目が始まる前にトイレに行こうと教室を出たときだった。
「祐樹」
背後から声を掛けられ、振り返る。そこには、心なし緊張した面持ちの義信が立っていた。相変わらず祐樹よりも背が高く、軽く見上げなければいけないほどだ。
「何?」
「ちょっといいか?」
トイレの入り口のすぐ横にある手洗い場に体を持たれかけ、うつむき加減に義信は一つため息をついた。
「先にトイレに行っていい?」
「すぐ終わるよ」
そうは言うものの、なかなか話し始めない義信に、祐樹は不信な気配を感じた。あの、勝ち気で明るくて、何にでも積極的な義信が何を言いよどんでいるのか。
「あのさ、いきなりなんだけど」
ようやく、ぽつりと呟くように喋りだす義信。義信の緊張が伝わってか、祐樹も思わずごくりと生唾を飲み込んだ。
「祐樹って、優衣ちゃんのことが好きなのか?」
「へ?」
声が裏返った。いきなりすぎる。
「な、何で?」
「だって、いつも一緒にいるだろ」
「まあ、ね。でもそれは昔からのことで」
「じゃあ、特に好きってわけでもない?」
それはない。心の中で否定する。僕は優衣ちゃんが好きだ。でも、いざ改まって誰かに聞かれると、やはり恥ずかしくて正直には言えない。
「どうかな?あんまりそういうの分かんない、かな」
義信の顔が少しだけ上がった。
「俺は、優衣ちゃんの事が好きだ」
どくん、祐樹の代わりにとでも言うように、心臓が大きく飛び跳ねた。手がじんわりと汗ばむ。
「それって」
「友達としてってことじゃなくて」
口の中がからからだ。水が飲みたい。でもそんな、動揺している姿を見せ付けるわけにはいかない、そう思った。負ける気がしたからだ。何にかは分からないが。
「告白するとか、まだ考えてないけど。まだ小学生だしな。付き合う付き合わないってのはちょっと早い気もするし。」
年齢など関係あるのか?祐樹には、そんな判断すら出来なかった。
「まぁ、一応祐樹の気持ちを聞いとこうと思ってさ。ありがとな」
義信は、一方的にまくし立てた後、さっさとその場を後にした。祐樹の答えをどう捉えたのか分からない。しかし、去り際の義信から悲観的な印象を受けなかったということは、自分にとって良いように解釈したのかもしれない。それは同時に、祐樹にとっては悪い解釈ということか。祐樹は、結局トイレには行かず、そのまま教室に帰った。
「どうしたの?黙り込んで。昨日のことだったらもういいよ。元々怒ってないしね」
授業の合間に、祐樹の席まで遊びに来た優衣がそう笑った。祐樹は朝の、義信とのやり取りを考えていた。言った方がいいのかな?もちろん、義信にそんなことを頼まれたわけではないし、勝手にそんなことをしたら告げ口みたいで嫌だ。そして何より、それを聞いた優衣がどんな反応をするのか、考えたくなかった。内気で、背も小さくスポーツも苦手。まるで魅力ゼロの自分と、明るくて面白くて、スポーツも勉強も得意な義信。どちらも同じく自分を好いてくれているのなら、やはり魅力的な義信に惹かれるのは当然だ。いつからか漠然と考えていた不安が突然身近にやってきた。優衣が祐樹に愛想を尽かし、かっこいい男の子と並んで笑い合っている映像が浮かんだ。とっさに首を振りそれを振り払う。
「何やってんだ?」
智弘と隼人がやってきた。
「さっきから黙ったまんま何か考えてんの」
「得意の妄想だね」
「優衣ちゃん」
川島響子が近づいてきた。
「あら皆お揃いなの?」
響子は、幅広い優衣の友人たちの中で最も仲の良い女の子だった。それゆえ、いつも優衣のそばにいる祐樹、そして智弘と隼人とも気軽に話せる仲になっていた。内気な祐樹ら3人にとって、異性の友人というのはなかなか希少だった。それもこれも優衣のお陰だ。その優衣が、いつか自分を捨てる日が来てしまうのだろうか。祐樹は今日何度目かのため息をついた。
「何かあったの?」
「分かんない。ずっとこうよ」
「学校来るときもこうだった?」
「あ、来るときは普通だったよ」
「じゃあ登校後に何かあったってことだね」
隼人は、まるで探偵にでもなったかのようにうーんと唸りながら眼をきょろきょろとさせた。
「ねえ」
ようやく口を開く祐樹。皆が一斉に注目した。
「そろそろ次の授業始まるよ」
一瞬の空白の後、優衣達は揃ってため息をつきつつ、祐樹の席から離れていった。
「うそ、安藤君が?」
智弘は目を丸くして驚いた。隼人も、態度には出さなかったものの、興味深そうに眼をパチパチさせ、眼鏡をくいと押し上げた。昼休み。3人は校庭のイチョウの木の下に座り込んでいた。
「絶対誰にも言わないでよ」
「分かってるよ」
「つまり、祐樹君はそれを聞いて悩んでたわけだね」
智弘がきょとんとする。
「安藤君が優衣ちゃんを好きで、何で祐樹が悩むのさ?」
「取られるかもしれないから」
祐樹が慌てる。
「取られるって、別にそんなつもりじゃ・」
「かっこよくて、運動も勉強も得意な安藤君と、特に魅力のない祐樹君」
「なるほど。そりゃあ安藤君を選ぶだろうなあ」
「君ら、友達を落ち込ませて楽しい?」
祐樹が恨めしそうに二人を睨んだ。
「まあまあ。でも本当のことだろう」
「僕にはそこまで悩む意味が分からないけどね」
隼人がまた、眼鏡をくいと上げた。
「それはいま隼人が言った通りだろ」
「優衣ちゃんは皆に人気があるからね。祐樹君を捨てて安藤君のところに行こうと思えばすぐにでも行けるはずでしょ」
「小学生のセリフかい?それ」
「僕は色んな本を読むからね。最近は純文学なんぞをちょっと」
「こういう子供を何て言うんだっけ?」
「もやしっ子でしょ。僕最近お父さんに聞いたよ。何してた時だったっけなぁ・・」
「続けて良いかな?」
「あ、ごめんごめん」
「えっと、優衣ちゃんは今も変わらず祐樹君とよく遊んでくれてるでしょ。つまり、今のところは心配することはないってことじゃないかなと」
「今のところは?」
「恋愛対象かどうかは別問題」
「れ・・」
レンアイタイショウ?もちろん、意味が分からないわけではないが、そんなことは祐樹だって考えたことがない。
「まあ、そんなの抜きで現状維持ってのも一つの手だと思うけどね」
「現状維持って・・」
「このまま友達として付き合ってくってことだな。俺たちと同じように」
それはそれで悪くない。と言うか、
「付き合いたいとか一言も言ってないんですが?」
智弘と隼人は、顔を見合わせて、同時にため息をついた。
「じゃあ、一生今みたいにお友達やってくってことか?」
「一生って・・少なくとも今はそれでもいいかなって」
「人生色々。まあ別にいいんじゃない?祐樹君がそれでよければ」
「うう、何か遠まわしに責められてる感じがする。っていうか、僕が優衣ちゃんを好きって決めて話ししてるけど、それも言ってないよね?」
驚愕の表情を見せる智弘と隼人。
「まさか、祐樹・・」
「気付いてないと思ってたみたいだね。ただの友達ってレベルの好意じゃないことは誰が見ても分かるよ。・・安藤君もそれを分かってて、敢えてそんな話しをしたんじゃないかな」
隼人が、顎を引き、思案するように眼をきょろきょろと動かす。得意の探偵顔だ。
「どういうことだ?」
「宣戦布告。いや、けん制?つまり、「お前と俺、どちらが優衣ちゃんに似合う男か、分かるよな?」って言いたかったんじゃないかな」
「まさかぁ」
「自信家の安藤君が、直接告白しないのは言ってみれば不思議なことだと思ったよ。予め、邪魔者を排除して、地盤を固めてから、って考えだったわけだ」
「邪魔者って・・」
「なんか俺、ついていけなくなってきた」
その言葉を聞いて、今まで真面目な顔をしていた隼人が不意に顔をほころばせた。
「面白かったでしょ?」
「へ?」
「いやぁ、今ハマってる小説と状況が似てたからさ、ストーリーになぞって話してみたんだよ」
そう言って、足元に置いていた手提げバッグから一冊の文庫本を取り出した。
「海野香織っていう、デビューしたての作家さん。どう?こうやって、自分と照らし合わせてみると小説ってのも面白いもんでしょ」
隼人は、自分の興味のある話しをするとき以外はあまり笑顔らしい笑顔を見せない。今は、もちろん満面の笑みだ。
「なんだよ~。変だと思った。小説かぁ」
智弘が、大袈裟にのけ反る。しかし、その声からはほっとしたような印象を受けた。作り話か、祐樹も同様にほっとため息をついた。しかしやはり、優衣には義信のことは黙っておこう、そう思う祐樹だった。
決意というほど厳格ではなく、意志というほど明確ではない。そんなものは、ちょっとしたきっかけであっという間に流れてしまうものだ。誰の格言だったか。隼人ならぱっと答えてくれるかな?祐樹はそんなことを考えていた。その日の放課後のこと。教室を出ようとした祐樹の目の前には、優衣が仁王立ちしている。
「・・さ、帰ろっか」
「あれからどうも気になっちゃってね。是非聞かせてもらえないかしら?」
「何をでしょうか?」
「分かりきったことを」
祐樹は、優衣の脇をすり抜けようとしたが、ことごとく立ち塞がれた。
「帰ろうよぅ」
「じゃあ、帰りながら話してよ」
「・・分かったよ」
黙っておこう、そう思った5時間後には、一番聞かせたくなかった人物の耳に入っていようとは。優衣は、驚いた表情をしていたものの、そこまで嬉しいという顔ではないように見えた。
「嬉しくないの?」
「え、そりゃまあ、嬉しいよ。でも弱ったなぁ」
「何が?」
「だって、今度の満月の夜、祐君と綱ヶ背橋に行こうって約束したじゃない」
昨日の話か。祐樹が思い出に浸っていて聞き逃した話だ。
「2人同時には付き合えないなぁ、ね」
と言いながら、優衣はにやりとした。祐樹は、その笑みの意味は分からなかった。
「2人って、まだ誰かいるの?優衣ちゃんを好きな人が?」
優衣が怪訝な顔を見せた。
「・・祐君は、私と綱ヶ背橋に行く約束をしたんだよね?」
「うん」
「もちろん、OKなんでしょ?」
「うん」
「綱ヶ背橋の伝説、覚えてるよね?」
「うん」
「・・はあ、まぁいいよ。でも、忘れないでよ。次の満月の夜に、二人で綱ヶ背橋に行くこと」
祐樹は、理解できないうちにこくりとうなずいた。それを見て満足そうに笑う優衣。「じゃあまた明日ね」そう言って、優衣は玄関を開けた。振り返って手を振る。祐樹も、それに倣って手を振った。
一人の帰り道。祐樹は、ようやく気付いた一つのことで頭がいっぱいだった。綱が背橋の伝説。そして優衣の「一緒に綱ヶ背橋を渡ろう」発言。それはつまり、事実上の告白ではないか。何を普通に受け答えしてるんだ、僕は。急に顔が熱くなった。きっと真っ赤になっているに違いない。祐樹は、恥ずかしさを堪えつつ優衣の顔を思い浮かべた。優衣とは6年以上の付き合いだ。もちろん、男女の付き合いという意味ではなく。しかしいつもそばにいた。それこそ恋人同士と考えても差し支えないくらい。祐樹は優衣のことが好きだった。今もそれは変わらない。でもこれは、異性としての好意なのか、友人としての好意なのか。考えたところで分かるはずもない。祐樹はただ、純粋に優衣が好きだった。昔からずっと、ただ好きだった。優衣だって、祐樹を好いてくれているであろうことは、いつもそばにいてくれていることで明らかだ。でもそれも、異性としての好意か、友人としてのそれか、祐樹に判断することは出来ない。恋人になる、それはつまりどういうことだろう?人前で、堂々と手を繋げる?そんなの、今でこそ恥ずかしくてやらなくなったが。幼稚園時代には当たり前にやっていたことだ。デートをするとか?休日に一緒に遊ぶことも少なくない。今更何が変わるというのか。それも、考えたところで答えは出ない。ただ、これからもずっと一緒にいたいと思う気持ちははっきりしている。僕は優衣ちゃんのことが好きだ。それだけで十分じゃないか。いつの間にか、顔の熱は治まりつつあった。




