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綱ヶ背橋  作者: 伊東歩
2/8

宇宙人

「祐君は宇宙人って信じる?」

「宇宙人?」

 コッペパンをほおばっていた祐樹はつい突飛な声を上げてしまった。

「いきなり何言いだすの?」

 ぐっと気合を入れてから牛乳を口に含みコッペパンを流し込む。祐樹は牛乳が苦手だった。飲めないというほど嫌いではないが好きでごくごく飲む子が信じられないくらいだった。言ってみれば優衣みたいな子だ。優衣は紙パックが凹んでしまうくらいに力いっぱいストローを吸ってからパックを平たく潰した。

「昨日テレビでやってたの。宇宙人の乗ってるUFOってのが最近よく見かけられるんだって。唐橋市もちらっと出てたよ」

 小学校に上がって、祐樹は幼稚園の時のように自由に優衣と二人で昼食が食べられなくなってしまいがっかりしていた。クラスも別々で休み時間くらいしか会話をすることすら出来なくなってしまったほどだ。しかし2年生になった今年、優衣と同じクラスになれて、その上席が隣同士になったときには飛び上がって喜びたくなるほどだった。再び給食の時間が好きになった。ずっと隣りあわせなのでついでに勉強の時間も好きになれた。考えてみればなんともゲンキンな性格だ。

「僕そのテレビ観てないや。宿題やってた。面白かった?」

 宿題のせいで観られなかったと言ったが半分は嘘だった。実際宿題はしていたのだが、番組の趣旨が宇宙人はとても恐ろしい存在かもしれないという作りだったので祐樹には怖くて観ることが出来なかったのだ。だがそれを観たという優衣の手前そんなことは恥ずかしくて言えなかった。

「面白かったよぉ、って言いたいトコだけど正直怖かった」

 優衣は恥ずかしそうにふふふと笑った。

「どんな感じなの?宇宙人って」

「えっとねぇ・・」

 優衣は机の中から筆箱を取り出した。女の子に人気のアニメのキャラクターが描かれているカラフルな筆箱だ。そこから筆箱と同じキャラクターの描かれている鉛筆を一本取り出して、さらに机から適当にノートを取り出す。表紙をめくりその裏にせっせと鉛筆を滑らせていく。

「こんな感じ」

 祐樹に向かって誇らしげにノートを掲げる。その顔はどうだと言わんばかりに自信に満ちている。

「・・怖いキューピーちゃん?」

 ノートに描かれていたものは、一見人間のような形だが頭でっかちに大きなつり目、体は裸で手足は不自然に細い。

「どこがキューピーちゃんよ!怖いでしょ、色は銀色なの」

「へぇ~」

 と言うしかなかった。

「それだけ?」

「すごいねぇ」

 と言うのが精一杯の感想だった。正直優衣のつたない絵ではさすがに恐怖までは伝わってこなかった。

「・・まあいいけどさ」

 優衣は不服そうに口を尖らせてノートを閉じ残っていたスープを飲み干した。

「ごちそうさま。あれ?祐君」

 優衣の咎めるような声に祐樹は心持ち肩をすくめた。

「ニンジン残しちゃだめよ」

 おかずの乗ったプレートの隅には小さく角切りにされた人参が小さな山を作っていた。

「だって」

「だってじゃないでしょ。ちゃんと食べなきゃ大きくなれないよ」

 数人の男子生徒が楽しそうに談笑しながら教室を後にした。この学校では給食を食べ終えた者から昼休みに入っていいので、早く遊びたい子供たちはさっさと食事を済ませて外へと繰り出すのだ。祐樹は食事の遅さと昔ながらの性格的な問題で相変わらずそんな活発なグループの輪に入ることができなかった。とは言えまったく変わっていないわけでもない。

「さ、早く食べて私たちも遊びに行こ」

 優衣に催促されて、祐樹は嫌いな人参を、これまた嫌いな部類に入る牛乳で無理やり流し込んだ。

「よし食べた!えらいじゃん」

 嫌いな食べ物が少なくない祐樹はほぼ毎日こうやって優衣に後押しされて給食を食べる。優衣に応援され、よく食べたと褒められるとまるで母親に褒められたように嬉しい。思わず笑みがこぼれるほどだ。

「食べてみるとおいしいでしょ」

「全然。不味いよ」

そう言いながらも優衣と一緒にふふふと笑う。

「ちゃっちゃと片付けて行こうよ」

 二人は空になった食器を乗せたトレイを持ち席を立つ。教卓には食器用のかごが置いてあり、スープ皿や小皿、種類別に重ねていく。最後にトレイを重ねて終わりだ。教室にはまだ全体の3分の1の生徒が食事を続けている。ちょっと前までの祐樹は、これほど早く食べ終えられなかったはずだ。片付けるころには教室には2,3人しか残っていない、そんなことも少なくなかった。そのころに比べると随分と進歩した。通路の、教室に面した壁には出席番号順にネームプレートが張ってあり、小さなフックが備え付けられている。そこに帽子や縄跳びの縄を掛けるのだ。赤や青、黄色などカラフルなとび縄がずらりと並んでいるのはなかなか綺麗な光景と言えるかもしれない。でも悲しいかな幼い祐樹はそんな感受性は持ち合わせていなかった。自分の黄色いとび縄を手に持ち帽子を被る。優衣も準備を整え、

「行こ!」

 と、祐樹の手を引いて靴箱へと向かった。

 1年生も終わりに近づいた1月ころ、体育で初めて縄跳びの授業があった。基本的に運動全般は苦手な祐樹だったが、縄跳びは面白いと思えた。こんなに連続でぴょんぴょんと飛び跳ねることなんて日常生活でそうはない。

 二人は校舎と運動場の間にある中庭に出てきた。中庭にはうんていやジャングルジムがあり、1年生から6年生までが思い思いに遊んでいた。

「私後ろ跳びが出来るようになったよ」

 優衣はさっそく跳び縄を両手で持ち、足で押さえピンと張った。

「よっ」

 とび縄は赤く綺麗な弧を描き、優衣の体をくるりと包む。3、4回ほど回ったところで不意にその動きは止まった。

「あ~ぁ、引っ掛かっちゃった」

「すごいね、僕まだ一回も出来ないよ」

 祐樹はまるで超常現象でも見るかのようなきらきらした眼で優衣を見ていた。

「もう一回やって!」

「ってか見てばっかいないで祐君もやりなよ」

 そっか、忘れてた、そう言ってふふふと笑った。優衣も釣られてふふふと笑った。

相変わらず他のスポーツは苦手な祐樹だったが、優衣が誘ってくれることによって徐々に体を動かすことが楽しくなっていたのは事実だった。運動に伴い、性格も優衣のお陰で少しずつ変わってきていた。1年生の3学期まで友達と呼べるのは優衣くらいなもので、気軽に話しかけられる友達はほとんど皆無だったのだが、2年生に上がり、慣れてきたこともあってか数人の同級生とは優衣ほどではないにしろ話しをするようになっていた。

「今日も縄跳びしてたの?」

 教室に戻り席に着くと、安藤義信が振り返って尋ねてきた。

「うん。義信君もいつも通り?」

こくりと頷く。義信の昼休みの過ごし方といえば専らボール遊びだ。義信とは1年生の頃から同じクラスで、席も近かったお陰か何かと話しかけてくれていた。今回も祐樹のひとつ前の席に座っている。

「たまには優衣ちゃんたちも一緒にやろうよ」

「そだねぇ。祐君はどう?」

「どうって・・僕はいいや。うまくないし」

「上手いとか下手とか関係ないよ」

 義信が笑う。優衣も一緒に笑っていた。最近はこんな風に3人で話すことも少なくない。こうやって優衣と義信の2人が笑っていることも多い。義信は、祐樹はもちろん、優衣よりもずっと身長が高く、運動も得意だった。見る限り食べ物の好き嫌いもない。祐樹が考えている、格好いい男の子の代表のような存在だ。優衣と義信が2人で笑っていると言いようのない不安が頭をよぎる。そのうち、こんな頼りない自分に飽き飽きして、義信と遊ぶようになるのではないか、そんな考えが祐樹を陰鬱な気分にさせるのだ。午後の授業開始を知らせるチャイムが鳴った。まるで救いの音だ。義信が名残惜しそうに前に向き直った。

 もちろん仲良くなったのは義信だけではない。島田隼人と高橋智弘の二人は、どちらかというと祐樹と似た性格の持ち主だった。智弘は幼稚園から一緒だったが、隼人は小学校に入ってから知り合った。聞くと、私立の保育園に通っていたらしい。どうやら二人とも、近所とは行かないまでも祐樹と同じ方面に家があり、下校はしばしば一緒になることがあった。それで友達になったのだ。とは言えなにせ3人とも内気な性格なので打ち解けるのに時間がかかった。それを手助けしてくれたのが何を隠そう優衣だった。とある下校時、いつも通り優衣と祐樹の二人で帰ろうとしていたときだ。

「あ、高橋君も家こっちなの?じゃあ一緒に帰ろうよ」

 その一言のお陰で智弘と、そして同じような感じで隼人とも仲良くなれたというわけだ。

「祐君は私がいなきゃ友達も作れないんだから」

 そんなことを言われたことがある。普通なら何だと、といきり立つところだが、事実であることに加え、祐樹の性格的なところから、「そうだよねぇ」と、あっさり認めてしまった。

「ちょっと。怒るところでしょ、普通。」

「そうなの?」

「そうなの?って・・」

 そこで一拍置いて、右手の人差し指を立てて諭すように言った。

「男がそんなこと言われて黙ってちゃだめよ。男はイゲンが大事なのよ。ってママが言ってた」

「イゲンって何?」

「う・・それは聞かないで。まあどっしり構えなさいって事よ」

「優衣ちゃんもそう思う?」

「そうねえ・・でも今のほうが祐君らしくていいかもね」

 そう言ってふふふと笑った。

「喜んでいいのかな?」

そう言いつつ、祐樹も釣られてふふふと笑った。


 今日の祐樹と優衣、そして智弘と隼人の4人の下校時の話題は昨日のテレビの話しで持ちきりだった。

「智弘君も観たんだ、昨日の宇宙人の」

「うん。面白かったな」

「でも怖かった」

 残念ながらその番組を見ていない祐樹は話しに参加できなかった。隼人はどうか。

「宇宙人なんていないよ」

 隼人は顔の大きさに比べて若干大きく見える黒縁の眼鏡をくいと押し上げた。

「あら、何で?分からないよそんなの、ねえ祐君」

「え?あ、僕観てないんで」

「僕も観てないよ」

 その言葉を聞いて祐樹はほっとした。話題についていけないのは自分一人だけではないようだ。しかしその喜びは杞憂に終わった。

「前に本で読んだんだけど、UFOの写真とかって偽物が多いんだって。」

「そんなのもあったよ。でもはっきり偽物って分からないのもあって、それは本当のUFOじゃないかって」

「それは手口がこうみょうなんだよ」

 祐樹はその時になってふと気付いた。隼人もしっかり話しに参加してるじゃないか。

「あ、家着いちゃった。じゃあまた明日ね、ばいばーい」

「ばいばーい」

 3人で優衣に手を振り、そしてまた歩き出した。

「でさ、UFOてのはね・・」

 智弘と隼人は再びUFO談義に花を咲かせていた。祐樹は一人ぼんやり考えていた。今日はあんまり優衣ちゃんと喋れなかったな。こうやってちょっとずつ優衣は自分から離れていくんじゃないだろうか。ふとそんなことを考える。一度考え始めると自分の世界にのめり込んでしまうのが祐樹だった。そして話しが合う智弘や隼人と遊ぶようになるんだ。いや、もっと楽しく喋る、例えば義信のような人間に取られてしまうんじゃないだろうか。

「祐樹君どうかした?」

「え?あ、いや何でもないよ」

「じゃあ僕らこっちだから、また明日ね」

「うん、ばいばい」

 結局宇宙人の話しは何らかの決着を着けられたのか。なぜか今頃そんなことが気になってしまった。お父さんが帰ったら聞いてみよう。


「宇宙人?」

 数日振りに早く帰宅した父はタオルで頭をがしがしと拭きながら浴室から出てきた。

「うん、昨日テレビでやってたやつ」

「ちょっと、服着てから出てきなさいよ。せめてパンツだけでも履いて」

 母が夕食を運びながら口を尖らせる。

「いいじゃんか、減るもんじゃなし。なあ」

「ねーっ」

「子供を味方につけるなっての」

「それで宇宙人はどうなの?」

 父は寝巻きを纏い、冷蔵庫から缶ビールを1本取り出してごくりと飲み込む音が聞こえてくるくらい思い切り喉に流し込んだ。

「宇宙人ねぇ・・」

「ご飯時に何の話ししてるの?」

「昨日テレビでやってたろ、UFOの」

 テーブルについて手を合わせる。食事の時はテレビを消すのが尾藤家のルールだったので、夕飯を食べながらもその話題は続いた。

「私は信じないけどね」

 母はそっけなく答えた。

「あっさりとまあ、夢がないよ」

「お父さんは信じるの?」

 父はうーんと唸り、ピーマンの肉詰めにかぶりついた。

「見たことないし断言はできんな。言ってみりゃ幽霊みたいなもんだ」

 祐樹はお茶を吹きそうになった。「幽霊?」なんて怖い響き。

「そ、幽霊。祐樹は幽霊って見たことないだろ」

 こくりとうなずく。

「父さんも見たことない」

「宇宙人の話しはどこいったの?」

 母が口を挟む。

「ちゃちゃ入れるなって。見たことないのに幽霊って怖いと思うだろ。それは言ってみれば少しは信じてるってことだ。見たことないって点は宇宙人も同じ。じゃあ宇宙人を信じるのもありなんじゃないか?父さんはそう思う」

 祐樹は首をかしげた。父の言う意味が難しくていまいち飲みこめない。

「えっと・・宇宙人は幽霊なの?」

「いやそれは・・うん、面白い考え方かもな。宇宙人は実は幽霊で、UFOはさしずめ空飛ぶ棺桶ってところか。新説として学会に発表してみるか」

 父はあははと笑った。祐樹は父の笑顔をきょとんと眺めていたが、やがて一緒にあははと笑った。

 翌日、いつも通り優衣の家の前で優衣と合流し一緒に登校した。

「祐君明日は何するの?」

 明日は土曜日なので学校は休みだ。週末が近づく度聞かれる恒例の質問だった。答えはいつも決まっている。

「別にすることないよ」

 即答。幼稚園時代からまったく変わらないやりとりだった。

「もう聞かなくても分かるようになってきたよ」

 教室に入ると、すでに数人のクラスメイトが登校しており、授業開始までの思い思いの時間を過ごしていた。その中に隼人もいる。隼人は席に着き文庫本を読んでいた。タイトルを見たが、祐樹には何の本なのかさっぱり分からなかった。

「隼人君おはよう」

「あ、おはよう」

「そういえば・・」

祐樹はふと昨日の智弘と隼人の宇宙人口論の結末を聞きそびれていたことを思い出した。

「昨日の話はどうなったの?」

「昨日・・ああ、宇宙人の?」

 隼人は文庫本にしおりを挟み閉じ、傷つかぬようそっと机にしまった。

「結局、決着は着かなかったよ」

「あの後もまだその話ししてたの?飽きないねぇ」

 優衣が呆れた声を上げた。祐樹がそっと囁く。

「優衣ちゃんが言い出した話しだよ」

「それは関係ないでしょ」

「あ、それで僕家に帰ってからお父さんに聞いてみたんだ」

「お父さんに聞いたって宇宙人がいるかどうかなんて分からないだろ」

 今度は隼人が呆れ声で言った。

「えっと・・宇宙人は幽霊がシンセツとかなんとか・・」

「宇宙人と幽霊が親切?」

 優衣が素っ頓狂な声を上げた。

「新説でしょ。つまり新しい考え。宇宙人は幽霊でしたって?」

「あ、そうそう。そんな感じ」

「じゃあ死んだ人は幽霊になって、宇宙人にもなるわけ?」

「馬鹿馬鹿しい。僕は幽霊だって信じてないよ」

「でもそうだったら嫌だなぁ。私死んだ人はかわいい天使になるって聞いてたのに。あんなつるつるてかてかな宇宙人になりたくない」

「かわいい天使って、あのキューピーちゃん?」

「失礼な。今はもっと上手く描けるよ」


「祐樹お帰り」

 その日の夕方。学校から祖母の家に帰ると、母や親戚らが慌ただしく走り回っていた。

「ただいま。どうしたの?」

「祐樹は居間に入ってなさい、おやつあるからね。あ、ちゃんと手洗いうがいするのよ」

 そう言うなり母はまた親戚らとともにそそくさとどこかへ去っていった。何事だろう?祐樹は仕方なくいつものように居間でおやつを食べた。今日は祖母もいない。そろそろ大相撲が始まる時間だ。そう思っていると、祖母が台所から出てきた。

「あら祐ちゃん、お帰り」

「ただいま。ちゃんと手洗ったよ」

 先に言ってやったぞと自慢げに微笑む。祖母もふっと笑ってくれた。だが「おとなしく待っててね」と言って、やはり周り同様に忙しそうに部屋を出て行った。大相撲が始まった。一人きりで見るのは初めてだ。何となく寂しくなって、祐樹はテレビのスイッチを切った。不意に静けさが部屋中に広がる。部屋の外や庭では親戚らの話し声が聞こえるのだが、自分がいる部屋だけは何の声もない。祐樹がクッキーをかじる音しか聞こえない。やがてその音も消えた。クッキーがなくなったのだ。話し声もお菓子を食べる音もない部屋に自分は一人か。ふと宇宙人の話を思い出した。優衣ちゃんが、人間を連れ去ってしまう怖い人たちなんだって言ってたっけ。背中に寒気を感じた。仏壇の上の遺影がやけに生々しく見えて怖かった。誰かいないかな?いないか・・いや、そういえば隣の部屋には祖父がいるではないか。いつも一人で布団に寝ている祖父。あまり話したこともない近寄りがたい祖父。だが今はそんな人でも寂しさを紛らわしてくれる存在だ。祐樹は、祖父がいる和室へと続く襖をそっとを開けた。

「あれ、じいちゃん?」

 掛け布団がめくれている。そこに祖父の体は見られなかった。祖父もいないのか。上体を起こしている姿すら見たことのない祖父さえもいない。いったいどこに行ったのだろう。急に悲しくなってきた。まるで自分ひとり取り残されているような気分だ。

「祐樹、どうした?祖父ちゃんの部屋なんか来て」

 突然の声にびくっとして振り返った。

「お父さん」

 つい飛びついた。よかった、自分は一人ではない。

「おいおい、どうしたんだよ。・・そっか、祐樹も祖父ちゃんがいなくなって寂しいんだな。」

「え?」

 いなくなった?

「どこか行ったの?」

「え?あれ、聞いてなかったのか?じゃあなんで・・」

「なんで?」

「ここで悲しそうにしてたんだ?」

「みんな忙しそう」

「ああ、相手してもらえなくて寂しかったんだな」

 二人は居間に戻った。父がそっと襖を閉める。テーブルではいつの間に入ってきたのか親戚らがお茶を飲んでいた。「祐樹おいで」母が手を招く。皆一様に疲れた表情をしている。

「終わったの?」

「今のところはね。今夜お通夜なのよ」

「お通夜?」

「そう、お葬式の前の日にするの。お葬式は分かるでしょ?」

 祐樹はこくりと頷いた。確か死んだ人を天国に送るのだと母が言っていた。

「祐樹のお祖父ちゃんが死んじゃったのよ」

 そうなの、とだけ呟いた。祐樹は死というものをちゃんとは理解できていなかった。皆に会えなくなる、そう解釈していた。さっきの自分のように、一人ぼっちになってしまうということか。

「祖父ちゃん、寂しいね」

「そうね」

「寂しいと可哀相だね」

 さっきの自分のように。

「そうね」

 母の声が震えた気がした。祖母が鼻を啜る。誰かがテレビを点けた。ちょうど大相撲が終わったところだった。

居間の、祖父が寝ていた部屋とは逆隣の部屋を覗く。そこには大きな台座が出来ていて、その先の部屋への通路を塞いでいた。台座の上には、お供え物やろうそくなど、他にも祐樹が初めて目にするものが所狭しと並べられている。真ん中には祖父の大きな写真が窮屈そうに据えていた。台座の前には大きな、人間が入れるくらいの、木の箱が申し訳なさげにひっそりと横たわっている。

「祐樹、そろそろ着替えようか」

 母が、真っ黒いスーツを持ってきた。礼服という言葉もそのとき初めて聞いた。

「首苦しくない?」

 母がネクタイを締めながら尋ねる。「うん」とは言ったものの、やはり慣れないせいか窮屈に感じた。

 通夜が始まった。お坊さんは何やら呪文めいた言葉を発し続けていた。その後ろで祐樹たちは正座をしている。どれくらい経っただろう、祐樹の足の痺れは限界に達しそうだった。「足崩していいよ」

父がそう言ってくれたが、祐樹は我慢した。えらいな、そう言われたがただの意地だったのかもしれない。不意にお坊さんの呪文が止み、「御焼香を」と呟くように言ってから、お坊さんは体一つ分横にずれた。祖母から始まり、母の姉、その子供たちと、交代で台座の前に座った。何かしているようだが後ろからでは何をしているのか見えなかった。自分もするのだろうか?でも何を?前に行って何をすればいいの?祐樹は足の痺れと相まってそわそわしている。その間にも順番は回ってくる。母が腰を浮かせ、台座の前に進んだ。そして祖母たちと同様に何かをした後に、元の場所に戻った。

「一緒に行こう」

父に促され、足の痺れを堪えつつ二人で台座へと進む。その時、ようやく木の箱の中身が見えた。「じいちゃん」思わず口走った。

「そうだな。おじいちゃん眠ってるな」

目の前に小さな陶器のお椀のようなものが2種類置かれている。その一つからは、線香が作る細く白い、糸のような煙が緩やかな曲線を描きながら天井へ上っている。もう一つのお椀には、細かく砕いた木の皮のようなものが入っていた。父がそれをつまみ、ちょっとだけ頭に近づけた後、煙の立っている方のお椀に入れた。

「やってごらん」

何?それ。祐樹は何となく照れながら、父がやったとおりに真似た。それを2回繰り返し、「さ、行こう」と言う父の声に促されて元の位置に下がっていった。それからも同じように何人もの人が出ては下がり、下がっては出てと繰り返された。今日は、今まで見たことがないくらい、祖母の家に来客があった。どの顔も祐樹の記憶にはない人たちばかりだ。近所の人や祖父や祖母の知り合いだろう。お互いに頭を下げ、小さな声で一言二言話した後に台座の前に座る。ある者は涙を拭いながら、ある者は落胆の色を隠しきれず、訪れる者皆が悲しい顔をしていた。祐樹はそんな光景をぼんやりと見ていた。そして、自分一人だけが悲しいと感じていないことに気付いた。「まだ祐樹には分からないか」いつか父がそう言っていた。自分もいずれは死んで行く者を悲しく想う時が来るのだろうか。祖父とはあまり、というか全く遊んだことがなかった。まるで他人のように感じていた。そのせいもあるのだろうか。では、もしも父や母が死んだら。自分は悲しむことが出来るだろうか。会えなくなるのはやはり寂しい。それは、死に逝く者への悲しみと言えるのだろうか。もしも優衣が死んだら・・どちらにせよ、やはり今は涙は出なかった。

翌日の葬儀も、昨晩の通夜と大した変わりはないように感じた。お坊さんがお経を読み、皆一様に沈んだ表情で佇んでいた。祖母が皆の前で祖父に話しかけていた。祖母の、泣き声交じりの声を聞くと、祐樹も何だか悲しい気持ちになった。葬儀が終わり、親戚一同が火葬場へ移動した。祐樹はその中へは入らず、父と共に火葬場の外から煙突を見ていた。やがて、煙突は昨晩の線香のように細く白い糸を吐き出し始めた。それを見ながら、祐樹は優衣たちと話したことを思い出していた。

「天使になるのかな?それとも宇宙人かな?」

「ん?何か言ったか?」

 祐樹は首を横に振り、祖父の顔を思い浮かべた。じいちゃんの顔は天使より宇宙人の方が似合ってるかもな。父に気付かれぬよう、そっと、ふふふと笑った。煙突から伸びる煙が、風のせいか、ゆらりと揺れた。


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