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第六話

――!


背後から迫る破壊の衝撃が、俺の身体を容赦なく押し潰そうとした瞬間、視界は純白の光で覆い尽くされる。

重厚な扉が蝶番を軋ませながら勢いよく開け放たれ、俺の身体は宙を舞った。慣性の法則に従って隣室へと投げ出された俺の背中が、冷たい石床と激突する。肋骨に鈍い痛みが走り、肺胞から息が一瞬にして押し出された。脊椎を伝う鋭い痛みが、神経を通じて全身へと拡散していく。


「ごほっ…げほっ……」


喉の奥から漏れる呻き声が、石壁に吸い込まれて消えていく。

だが――生きている。

ラトのドロップキックを正面で受けながらも、俺はまだ息をしていた。

あれは危なかった……。少しでも反応が遅れればあのまま潰れて死んでもおかしくない。

体内の血液操作で強度を保つことが出来たからこそ、俺は無事だ。

その証拠に全身が痛むが、大きな怪我はない。


「しっかしあの銃とかいう武器に、あの戦闘能力。厄介だ……、何とか打開策を……」


息を漏らしながら、石床に手をついて上体を起こそうとした。

掌に伝わる冷たい感触を感じながら筋肉に力を込め、重力に逆らって身を起こそうとする。

その時――


カチャリ。

微かな金属音が響いた。


俺の動きが止まる。

この音は……何度も聞いたことがある音。

嫌な予感が背筋を駆け上がった。


カチャリ、カチャリ。


音は次第に数を増し、四方八方から響き始める。

金属同士が擦れ合う冷たい響きが、部屋の空気を震わせながら不協和音を奏でていた。

そして俺が顔を上げ――


「この部屋、まさか……」


突如として放り込まれた空間は、居間から見て左手に位置する部屋だった。

最初の時計の部屋とは違う空間だったが――

この部屋の壁という壁には、百を超えそうな様々な形状の銃が整然と飾られている。

長い銃身を持つもの、短く太いもの、見たこともない奇怪な形状のもの。

それらが兵器庫の展示品のように、規則正しく配列されていた。


そして――

その全ての銃は金属音と共に、次々と動き始める。

それぞれの銃の下には小さな魔法陣が刻まれており、蒼白い光を放ちながら脈動している。

魔術によって制御された数多の銃が、俺へと照準を合わせた。

侵入者を許さないと訴えているかのように……


「くそっ……!面倒だな」


俺は反射的に革袋に手を伸ばした。

貯蓄だとか何だとか、そんな贅沢を言ってる場合じゃない。

生き延びてナンボの世界。躊躇なく大瓶を石床に叩きつける。


―!


ガラスの破砕音が武器庫に響く。

瓶は無数の破片となって飛び散り、中に蓄えられていた大量の血液が床に広がっていく。

三年の歳月をかけて蒐集した生命の液体が、足元で静かに波紋を描いていた。


「守れ!血織ちおり!」


血液が意思を持ったかのように蠢き始める。

深紅の液体が重力に逆らって宙に舞い上がり、俺の周囲を螺旋状に回転しながら上昇した。

赤い帯が幾重にも重なり合い、厚い防護壁を形成していく。

そして血の繭が完成したと同時に――


――!――!――!


爆音が武器庫を震わせた。

様々な口径の銃から一斉に放たれる弾丸の雨。

立ち昇る硝煙が視界を霞ませ、火薬の刺激臭が鼻腔を襲う。

異なる音色を持つ銃声が重層的に響き合い、地獄の饗宴とも呼ぶべき騒音を生み出していた。


多種多様な弾丸が血の壁を叩き、赤い飛沫を四方八方に散らしていく。

空気を裂く音、金属の衝突音、そして硝煙の刺激臭。

弾丸が血液に埋もれ、その運動エネルギーを吸収されながら力を失っていく。


「くそっこんなに血の貯蓄が早くなくなるなんて……。早くここを切り抜けないと!」


血の繭を纏いながら、俺は武器庫の左手を見回した。

そこには別の扉が見える。

俺が転がり込んできた扉から見て、左側の壁に設けられた出口。


俺は血の壁を維持しながら、弾丸の嵐の中を左手の扉に向かって走り出した。

足音が銃声に掻き消され、血の飛沫が宙に舞い散る。

防護壁越しに感じる衝撃が、走る度に全身を揺さぶり続けた。


そして――

扉に手をかけた瞬間、俺は血の壁と共にその向こう側へと転がり込んだ。

背後で扉が閉まると同時に、あの地獄のような銃声が急激に遠ざかっていく。

厚い石壁に遮られ、爆音は微かな振動へと変わった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


俺は荒い息を吐きながら、血の壁を維持したまま周囲を見回した。

とりあえず、あの死の武器庫からは脱出できたようだ。

背中を丸めて膝に手をつき、乱れた呼吸を整えようとする。


その時、周囲の空気が変わったことに気づいた。


硝煙と鉄錆の匂いに満ちていた鼻腔に、今度は古い羊皮紙と革装丁の匂いが流れ込んでくる。

わずかに埃っぽいが、どこか懐かしい香り。

まるで王都の図書館を思い出させるような、知的な芳香。


「なんだここ……?書庫か?」


そこには天井まで届く高い書棚と、無数の書物。

革装丁の古書、羊皮紙に綴られた写本、金箔で装飾された豪華な魔術書。

それらが何千冊、いや何万冊と蔵されており、知識の宝庫とも呼ぶべき空間を形成していた。


書棚は部屋の壁面に沿って配置され、中央部分には読書用の机と椅子が散在している。

天井近くの書物を取るための木製の梯子が各所に設置され、壁面に取り付けられた魔法の明かりが書物の背表紙を温かく照らし出していた。


背表紙に刻まれた文字は、古代語や魔術文字で書かれており、俺には読めないものが大半。

リリィならば、これらの書物を読み解くことができただろう。

王都の魔術学院で学んだ彼女の知識があれば、きっと多くの秘術を習得できたに違いない。

そう思うと、胸が締め付けられるような切なさが込み上げてきた。


妹の面影を振り払うように頭を振り、俺は立ち上がろうとした。

しかし――


「うっ……!」


遅れてやってきた激痛に、俺は再び膝をついた。

ラトのドロップキックを受けた胸部、武器庫の扉に叩きつけられた背中。

アドレナリンが切れると共に、全身の痛みが容赦なく俺を襲う。


やはり疲労だろうか。

短時間でこれほど大量の血液を魔術に転用すれば、肉体への負荷は計り知れない。

さすがに体に応えるな。

これが俺の固有魔術の欠点でもあるが、元々魔法の才能のない俺から見れば贅沢な悩みだ

けどここで痛みに屈するわけにはいかない。


「はぁ……まだ始まったばかりだろうが。気弱になんなよ、俺……」


歯を食いしばりながら、よろけるように立ち上がった。

書棚に手をついて体を支え、血の防護壁を纏ったまま書庫の奥へと進んでいく。

足取りは覚束ないが、止まってはいられない。

ラトがいつ追いかけてくるか分からないのだ。

部屋の奥を見回すと、案の定そこには別の扉があった。

書庫の最奥部、高い書棚に挟まれるように設けられた出口。


「また扉か……」


この一階層は、いったいどんな構造になっているのだろうか。

ダンジョンだし、めちゃくちゃな構造だっておかしくない。


その時――

背後から気配を感じた。


「いぇーい、ラトちゃん登場!」


愛らしい声が書庫に響いた。

同時に先ほど閉じた扉が勢いよく開き、そこにラトの姿があった。

彼女は相変わらず天使のような笑顔を浮かべ、手には例の黒い銃を握っている。


武器庫の壁面に設置された無数の自動兵器は、彼女に対して一切の反応を示していない。つい先程まで俺を標的として猛烈な弾幕を張っていた機械仕掛けの銃器たちが、まるで彼女の存在を認識していないかのように完全に沈黙していた。魔法陣から放たれていた蒼白い光も消失し、すべてが静止状態に戻っている。


「ん~?あ、凄いでしょ。あの子たちはね、ラトには絶対に撃たないの。制御とか大変だったんだよ~。その努力のおかげで~、お兄さんをいじめられたのなら本望だよ~どうだった?ラトちゃんの銃弾のお味は~?」


彼女は武器庫から書庫へと足を踏み入れた。

紅白の縞模様の靴下に包まれた脚が、無音で石床を滑るように進んでくる。

その歩き方は相変わらず滑らかで、重力を感じさせない。


「……味はまあ、悪くなかったよ。少なくともお前の蹴りよりは、浅漬けだった」


「え~じゃあラトちゃんの蹴りの方が、お好みだったってこと~?蹴られて興奮するだなんて、変態さんなんだね~」


「乗ってやったのに、なんで罵倒されてるんだ俺は……。それよりあんな部屋があるなら、事前に言ってくれても良かったんじゃないか?お前は案内役なんだろ?


「え~ラトちゃんと言えど、どこまで親切な女の子じゃないよ。それにさ~丁寧にこうやって体で教えてあげてるでしょ~!兎人族は誇り高き戦士の一族。言葉での説明より、こうやって戦いの中で語り合う方がずっと教えてんだよ~」


ラトが愛用の銃を俺に向けて構えた。

琥珀色の大きな瞳が歓喜に輝き、薔薇色の唇が愛らしく弧を描いている。

しかし、その華奢な手に握られた武器からは、紛れもない殺意が放射されていた。

隠す気もない殺意、昔の俺なら失禁を超えて気絶している。


「もっと教えてもらいなら~、簡単に死んじゃダメだよ~!も~っと長い時間戦って、長い時間殺し合って、そうして体でい~っぱい会話しようよ!」


――!


轟音が書庫を震わせた。

ラトの愛銃から放たれた弾丸が、血の防護壁に激突する。

先ほどからずっと展開し続けている、強固な血の壁。

それは容易に、弾丸を弾き返した。


「俺は言葉で会話したいんだけどな……。それともまだ、この血の魔法が見たくてたまらないのか?」


「え~?あはははっ!やっぱりすごいね〜!面白い!ラトちゃんもっと見た~い」


――!――!――!


立て続けに放たれる弾丸。

血の節約のためにも、銃弾を受け止めず軌道を逸らすことに専念する。

銃弾の衝突音が響き渡り、古書を散乱させていく。

千年の知識が詰まった貴重な魔術書が、次々と床に落下していった。

そんな光景を横目に、俺はどんどんこの書庫の奥へと足を進める。


「ちょっと~そうやって受け流しながら逃げるつもり?待ってよ〜、もっと遊ぼうよ〜!逃げちゃだめ〜!」


止まることのない銃声と、ラトの嬉々とした声。

しかし一々付き合っていても、俺に勝機はない。

俺は書庫の最奥に辿り着くと、扉の取っ手に手をかけた。

血の壁越しに振り返ると、ラトが不満そうに頬を膨らませている。


「あ〜あ、また逃げちゃう。つまんない〜」


俺は歯を食いしばって扉を開き、血の防護壁と共に四つ目の部屋へと逃げ込んだ。

背後でラトの愛らしい笑い声が響いているのを聞きながら、即座に扉を背にして身を寄せる。

そして纏っていた血の防護壁を解除し、深紅の液体を扉全体にべったりと塗りつけていく。


そして深呼吸

あまり詠唱は得意じゃないが、この際仕方がない。

血流を喉に集め、言葉を紡ぐ。


「血と肉は乾き降りて川の如く、強固なる渦とならん。縮織ちぢみおり!」


言霊に呼応し、扉に血の魔法陣が展開された。

その淡い光と共に、血液が扉の隙間という隙間に染み込んでいく。

取っ手の周り、蝶番の部分、床との境目――

あらゆる箇所に血が浸透し、扉と壁を一体化させるように固着していった。

血液に込められた魔力が扉の強度を飛躍的に高め、ある種の金属のような滑らかさと光の反射を得る。


その直後―――


ドンッ!

扉の向こうから激しい衝撃音が響いた。

ラトが体当たりでも仕掛けているのだろうか。

しかし血で強化された扉は微動だにしない。


「お兄さん、そうやって引きこもるつもり~?そんなこと許さないよ~」


愛らしい声が扉越しに聞こえてくる。

少し困惑したような、それでいて楽しそうな響き。


ドンッ!ドンッ!

今度は蹴りを入れているようだ。

兎の脚力を活かした攻撃だろうが、血で固着した扉はびくともしない。


――!――!


続いて銃声が響いた。

愛用のリボルバーで扉を撃ち抜こうとしているのか。

しかし厚い木材と血の魔力によって強化された扉は、弾丸すらも弾き返しているようだった。


「う~ん全然壊せない。お兄さんやるね〜」


ラトの声が次第に遠ざかっていく。

どうやら扉を開けるのは諦めてくれたらしい。

演技の可能性も拭い切れないため、魔術の強度を緩める意図はなかった。

しかし……


「ふぅ……」


俺は安堵のため息をついた。

ひとまず、直接的な追撃の脅威からは逃れることができたようだ。

血液の蓄積は更なる減少を見せたが、この切迫した状況においては致し方ない選択だった。

そこで初めて、俺は四つ目の部屋の様子を確認した。


「また時計か……」


部屋の壁には、大小様々な時計が整然と飾られていた。

振り子時計、掛け時計、置き時計――

それらが静寂の中で、それぞれ異なる韻律を刻んでいる。


カチ、カチ、カチ……

チク、タク、チク、タク……


最初に転移してきた部屋を思い出した。

あの時は空間一体に時計が散らばっていたが、今度も壁に整然と配置されている。


ラトの趣味なのだろうか。

それとも何か別の意味があるのか。

趣味だとしたらこの上なく気持ち悪い。あんなイカれた精神性の持ち主の趣味が良いとも思えないが……。

ともかく、銃などの仕掛けは見当たらない。

一時的にでも、安全な場所を確保できたようだ。


俺は疲労で重くなった足を引きずりながら、部屋の中央付近まで進んだ。

そして改めて、自分の置かれた状況を整理しようと思う。


リリィから受け継いだ朱脈操術――

リリィが天から授かった才能の結晶であり、このダンジョンで既に何度も俺を救った神のいたずら。

これは正確に言えば、単純な血を操る能力ではない。

もちろん血を操ることはできるのだが、それはこの能力の本懐ではない。

朱脈操術についてより的確な表現をするのならば……


『血液を魔力と同様に扱うことができる固有魔術』

となる。


通常、魔法を発動させるには魔力を消費する必要がある。

しかし俺の場合、魔力を欠片も所持していないので、代わりに血液を消費することで魔法を成立させることができる。

もちろん血液そのものを操作し、形を変え、物理的な攻撃や防御に転用することも可能だ。


先ほど人間離れした跳躍ができたのも、ラトのドロップキックを受け止めることができたのも、この能力のおかげだった。

咄嗟に血液を足や腕に集中させ、魔力と同様の効果で筋肉と骨を強化したのだ。

そして今、扉を血で固着させることができたのも同じ理屈である。


そもそも魔力というものは、魔法を成立させるだけでなく、流し込んだ対象の潜在能力を引き出す効果がある。

足に流せば脚力と跳躍力が向上し、武器に流せば切れ味と耐久性が増す。

扉に流せば、より強固で頑丈なものとなる。

俺はこの特性を利用したに過ぎない。


ただし――血液を消費すれば、当然ながら疲労が蓄積する。

それでも、魔力を直接消費するよりは遥かに負担が軽い。

魔力の枯渇は即座に意識の混濁を招くが、血液の消費は段階的な疲労に留まる。


つまり、血液という外部リソースを活用することで、本来の実力を遥かに上回る戦闘能力を発揮できているのだ。


「それにしても……」


これは……使いすぎだ。

俺は壁にもたれかかりながら、肩で息をした。

全身の痛みと疲労が、じわじわと身体を蝕んでいく。

肋骨の痛み、背中の打撲、血液消費による倦怠感。

そして緊張と反射的行動による自身の体力消費。


「まだ何もしてないのに、この有様……」


壁の冷たい石材が、火照った背中に心地よい。

時計の針音だけが響く静寂の中で、俺は束の間の休息を味わった。


その時――

微かに、壁の向こうから馴染みのある気配を感じた。

血の匂い――

いや、正確には俺の血液の魔力反応。


「……?」


俺は壁に手を当てて、その感覚を確かめようとした。

確かに感じる。

壁一枚向こうに、俺の血液が存在している。

扉に塗りつけた血液の反応――

ということは、この部屋は……


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