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第十三話

居間と地図の間を隔てる扉は開け放たれており――

その奥の薄暗がりに俺はいた。


地図の間――

あの円形の小さな部屋。

石造りの壁面には、巨大な羊皮紙の地図が掛けられている。


壁の一角には、先ほど俺が放った血の攻撃によって穿たれた小さな穴があった。

かすり――

壁の向こうからラトの足を弾いた時に開けた穴。

石材に食い込んだ深紅の染みが、戦いの痕跡を静かに物語っている。

その穴を通して、時計の間の狂ったような針音が微かに聞こえてきた。


既に最初の戦闘で飛び散った血液は、時間の経過と共に完全に乾いていた。

茶色く変色した染みが石床に食い込み、もはや俺の制御が及ばない状態になっている。

魔力を失った血液は、ただの汚れに過ぎない。


俺は手にした銃を見つめた。

ラトの愛用する短銃とは異なり、これは長い銃身を持つ武器だった。

黒光りする金属の表面、精密に作られた機構、そして重厚な存在感。

武器庫から奪ってきた、この世界でも珍しい形状の武器――銃。


俺は左腕の傷口に意識を集中させた。

まだ血は流れ続けている。

深紅の液体が規則正しく滴り落ち、石床に小さな水溜まりを作っていた。


ぺちゃ、ぺちゃ。


血が落ちる音が、地図の間の静寂に響く。

俺はその出血を銃の銃身に向けて操作した。

深紅の液体が重力に逆らって立ち上がり、金属の表面を這うように移動していく。


血液はやがて銃身全体を覆い、深紅の銃へと変貌した。

これで銃の威力と精度が飛躍的に向上するはず。

血の魔術によって制御された武器は、俺の意志通りに弾道を描くだろう。


俺は銃の機構を改めて思い出す。

勇者サトウの手記にあった通り、この武器は火の魔石を爆発させ、その力で土の魔石を発射する仕組みになっている。

しかし武器庫から取り外した時点で、既に空の状態だった。

弾薬が装填されていないのだ。


火の魔石も土の魔石も、俺は持っていない。

だが――


俺の視線が居間の暖炉に向けられた。

パチパチと薪の爆ぜる音が心地よく響き、琥珀色の炎が部屋全体を照らし出している。

その炎の中核に埋め込まれているのは、もちろん火の魔石。


先ほど居間に逃げ込んだ際、俺は既に準備を整えていた。

暖炉の燃料として使われている、赤く輝く小さな結晶。

あれを血液で包み込み、加工すれば火薬の代替として使用できる。

俺は操作していた血液の一部を細い糸状に成形し、暖炉の炎の中から小さな火の魔石を一つ取り出していたのだ。


そして弾丸――


俺は足元の血の水溜まりを見つめた。

左腕から流れ続けた血液が、石床に深紅の小さな池を作っている。

勇者サトウの手記によれば、本来は土の魔石を弾丸として使用するのだが――

血液を高密度に圧縮すれば、同様の効果を得られるはずだ。


俺は慎重に足元の血液を操作し始めた。

まず火の魔石を血液で包み込み、爆発的なエネルギーを制御可能な状態に加工する。

そして残りの血液を、小さく硬質な球体に圧縮していく。


そうして完成した血の弾薬を、慎重に銃の装填口へと送り込んだ。

これで準備は完了した。


俺は血に染まった銃を構え、居間の方向に狙いを定めた。

地図の間の薄暗がりから、暖炉の明かりに照らされた居間を見渡す。

ラトの小さな影が、赤いベルベットの椅子の前に立っていた。


兎耳がぴょこんと動き、琥珀色の瞳がこちらを捉えている。

愛用のリボルバーが既に俺を狙って構えられており、薔薇色の唇に勝利の笑みが浮かんでいた。


「お兄さん、もう逃げなくていいの~?あれだけ必死だったのにね~」


愛らしい声が居間に響く。

その声色には絶対的な自信が満ちていた。

無敵の能力を持つ彼女にとって、俺がどんな武器を手にしようとも脅威ではないのだろう。


「ねえねえ、その銃でなにするつもりなの~?もしかしてその銃で遊びたい?難しいんだよ~銃って。正確に射撃するの、ラトちゃんも習得するまで大変だったんだから~」


ラトは余裕そうに、達観した表情で俺を見つめる。


「それにその銃で何をしようと、ラトちゃんは傷つけられないんだよ?それで何をしようと無駄だよ~。なのに足掻くの?けどけど、いいよ~。よく分かんないけど、貸してあげる」


ラトの言葉に嘘はないだろう。

彼女の固有魔術『止針ノ兎刻ししんのとこく』は、確かに絶対的な防御能力だった。

どのような攻撃も通用しない、理不尽なまでの無敵性。


だが――


俺の唇に、微かな笑みが浮かんだ。

暗がりの中で、血に染まった銃が鈍く光っている。


「……そうか。ありがたく貸してもらうよ。銃、いい武器だな。たとえ魔力がない者でも、ある程度の火力が出る。そしてこうして血を纏わせれば、威力は容易に壁をも砕く」


「……ふ~ん。お兄さん、なんか雰囲気変わった?さっきまであんなに愚かしく、絶望に悶えてたのに。あの顔が好きだったのにな~どうしちゃったの?なんか思いついた?なんで?もう諦めたの?それとも何か策でもあるつもり?」


確かに――俺は落ち着いていた。

先ほどまでの焦燥感や絶望感が嘘のように消え去り、冷静な思考が戻ってきている。

それは何故か。答えは簡単だった。


「策はさ、一応思いついた。だが一か八か、奇跡の連続。それでも諦める理由にはならない。あの時は諦めようかと思ったよ。無敵の固有能力なんて、どうしようもないってな。けど……もう諦めない」


「それをラトちゃんに言うってことは、結構自信があるんだね。へぇ~そっか~、なんか可哀そうだね。まだ諦められないなんて」


「可哀そう?」


「そ~。諦めた方が賢いと思うんだけどな~。もちろん死ぬのが怖いのは分かるよ。でもね、無駄な足掻きを続けて最後に絶望するより、今ここで潔く死んだ方がずっと幸せだと思うな~。死んだ後に自分の愚かさを理解して後悔するより、生きているうちにその愚かさを受け入れて諦める方が、きっと心安らかに逝けるよ。諦めたらそこで満足したまま死ねるんだよ。それって幸せなことじゃない?」


薔薇色の唇が微笑みを浮かべ、兎耳が優雅に揺れている。

その表情は確かに美しく、まるで天使のような清らかさを湛えていた。

その醜悪な本性を隠しながら……。

だから――俺は否定する。


「幸せ?違う。全く違う。諦めたら幸せだなんて、そんなことはない。諦めたら、諦めた自分を許せないまま死ぬんだ。他に大事なものがいっぱいあったはずなのに、それをすべて投げ捨てて、諦めて死ぬんだよ。それは救いじゃない。むしろ……絶望だ」


「……ふ~ん。お兄さんはそう思うんだ。ぷっ、あはははは!」


ラトが声を上げて笑った。


「けどね、ラトちゃんはね~、お兄さんのその考え方は危ういと思うよ。諦めないってのは一見、美徳のように聞こえるかもね~。けどね諦めがなきゃ、そこから進むことはできないんだ~。諦めないせいで、そこに固執し欲に溺れる。気付けば自分が一線を越えているとも気付かないでね~」


「一線……面白いことを言うな。ではラト、お前の一線とは何だ?俺はその一線を越えていると思っているのか?」


「もちろ~ん。そうじゃないと、こんなに死をお勧めしないよ~」


死をお勧め……

料理店のメニューみたいなテンションで言うな。


「このダンジョンに入る時点で、み~んな一線を越えてるんだよ。だってまだ誰もこのダンジョンの突破者は居ないんだよ?なのに飛び込むなんて、自殺志願者みたいなもんだよ。こんな場所に来ないでさ、人並みの人生を歩んでいた方が幸せだったと思うよ」


「このダンジョンの外に幸せがなかったら……このダンジョンにしか幸せがないのだとしたら、それは自殺志願者なのか?」


「ふふ~お兄さん。芯を食うこと言うね。このダンジョンの中にしか幸せがないのなら、それは……賢い選択なのかもしれない。けど例え幸せを求めた選択をしたとしても、死ねば一緒。どうしようもない愚か者だよ。お兄さんはまさにそう。こうして今、ラトちゃんに殺される。死んだときに気付くよ、あ~あ自分って愚か者だったんだな~って。ラトちゃんには分かる気がする」


「勝手に分かられても困る。そもそも俺は死なない」


「もう~頑固だなぁ。愚か者だと死んでから分かるより、愚か者であると悟って諦めて死んだら、それはきっと諦めなかったものよりは愚者じゃないとラトちゃんは思うんだけどね~」


ラトの瞳が、俺を睨む。


「ま、諦めないのはお兄さんの自由だけど。ふふっ、ラトちゃんはいいよ~。だってまたその希望とやらを、徹底的に絶望に塗り替えるの、こんな会話なんかよりさいこ~に楽しそうだから~。絶対に勝てない相手に挑み続けて、最後の最後で心がポキっと折れる瞬間――それを見るのって、もう滾っちゃう思いだよ~」


愉悦の笑み。恍惚とした表情。

相変わらず性格のどす黒い少女だ。

俺はラトの言葉を聞きながら、冷静に彼女を観察していた。


距離はおよそ十メートル。

居間の中央に立つ彼女と、地図の間の入り口にいる俺との間には、暖炉の明かりが作り出す明暗の境界線が走っている。


近距離戦闘能力――圧倒的だった。

あのドロップキックの威力、人間離れした反射神経、兎人族の天賦の身体能力。

俺の剣技では到底太刀打ちできない領域にある。


遠距離攻撃手段――愛用のリボルバー。

建物を破壊するほどの威力を持つ、彼女の切り札。

この距離なら確実に命中させてくる精密射撃の腕前。


そして何より――無敵能力。

どのような攻撃も無効化する、絶対的な防御性能。


弱点が見当たらない。

完璧すぎるほどに完璧な戦闘能力。

近距離遠距離と隙が無く、おまけに無敵能力付き。

おまけが大きすぎる気もするが、とにかくその手足をもがなければ始まらない。


「もう、そんな難しい顔して、ずっとなにか考えてるでしょ。まあそんな事いいけどね~何をしようが、何を企もうがさ~あはははっ、想像したらもう興奮しちゃうよ。あの顔を思い出すと今でも笑いが止まらない。これまで見た中でもナンバーワンに秀逸な表情だったよ」


「そうか。照れるな」


「えへへ、またみたいな~あの顔。あはははははははっ」


俺はラトの狂笑を聞きながら、密かに左腕の傷口に意識を集中させていた。

これまで魔術に利用してきた出血――しかし、もう限界だった。

頭がくらくらしてきている。視界の端が微かにぼやけ、足元がふらつき始めていた。

これ以上の出血は危険だ。まだ体内の血液は利用しなければならない。

意識を失えば、それで終わりになる。


それに――銃を構えるには、この出血は邪魔だった。

左腕の出血による痛みが、狙いを定める際の集中を妨げている。

精密射撃を行うには、完全な静寂と安定が必要だ。


俺は血液操術で傷口を完全に塞いだ。

深紅の液体が凝固し、出血が止まる。


しかし――出血を止めただけで、痛みがなくなるわけではない。

それでも出血し続けているときよりましだ。

歯を食いしばりながら、血に染まった銃を構え直した。

左腕の痛みに耐えながら、右手で銃身を支え、狙いを定める。

汗が額から滴り落ち、視界が微かにぼやけた。

それでも――引き金にかかった指は、確実にラトを捉えていた。


「あはははっ、あはは……ははっ、じゃあさ~足掻いてよ。そこまで言うならさ~、策があるのならさ~、もっと頑張って!もっと諦めないで欲しいな~。その絶対に折れない意志――それを最後の最後で完全に砕いてあげるから!」


ラトもまた、愛用のリボルバーを俺に向けて構えた。

白い手袋に包まれた手が、武器を完璧に制御している。

その狙いは正確無比――俺の命を確実に刈り取るだろう。


二挺の銃が、互いを狙って構えられた。

居間の暖炉だけが、静寂の中でパチパチと薪を爆ぜさせている。

時が止まったような緊張感が、空間を支配していた。


「だからさ、だから――その企んでいる策ってやつ、見せてよ!見せてさ!最後に絶望して死んでくれる?お願い!せめてラトちゃんを楽しませてから死んでね♪」


――!


ラトのリボルバーから、轟音と共に弾丸が放たれた。

火薬の爆発が居間を震わせ、硝煙が白い霧となって立ち込める。


同時に――


――!


俺も引き金を引いた。

血に包まれた火の魔石が爆発し、血液で成形された弾丸が銃身を駆け抜ける。

深紅の軌跡を描きながら、俺の渾身の一撃がラトに向かって突進した。


二つの弾丸が、空中を飛んでいく。

ラトの銀色に輝く弾丸と、俺の血に染まった深紅の弾丸。

時間が引き延ばされたような感覚の中、二つの死の使者が互いに向かって突進していく――


――!


金属音が響いた瞬間、ラトの弾丸が弾き飛ばされた。

俺の血液弾がラトの銀色の弾丸に直撃し、その軌道を大きく逸らしたのだ。

弾かれた弾丸は壁に激突し、石材を砕いて無残に変形した金属片となって床に転がった。


「――!?」


ラトの琥珀色の瞳が驚愕に見開かれる。

彼女には理解できなかったのだろう――弾丸同士が空中で衝突するなど。


だが俺には――そうなることが分かっていた。


彼女はいつも心臓を狙っていた。

これまでの戦闘を振り返れば、ラトの射撃パターンは明確だった。

確実に仕留めるために、必ず急所を狙う。


血液に完全に制御されたこの銃であれば――

俺の心臓を狙う軌道上に、弾丸を撃ち込むことは可能だった。


ラトは強い。

能力にも甘えず、体術にも甘えず、銃の技術を磨いていたのだろう。

だからこそ、正確無比な射撃技術。

その技術を――努力の結晶を――俺も信じて、銃弾を放った。

血の魔術によって導かれた弾丸が、計算通りにラトの攻撃を迎撃したのだ。


「びっくりしたよ~。まさか弾丸を弾丸で撃ち落とすなんて――」


ラトが慌てて次の発砲の準備を始める。

愛用のリボルバーの弾倉を回転させ、新たな弾丸を装填しようとした。

彼女にとって俺の弾丸は、自分の攻撃に弾かれて無力化されたように見えていたのだろう。


しかし――

俺の血液弾は弾丸に弾かれてもなお、ラトを捉えていた。

血の魔術で制御された深紅の弾丸は、衝突の衝撃を吸収しながら軌道を変化させる。

弾かれたのに曲がる、曲がる、曲がる……

物理法則を無視した、信じられない曲線を描いて――


ラトの愛用するリボルバーの銃口に、まっすぐ吸い込まれていった。


「――え!?」


――!


小さな爆発音が響いた。

ラトの手の中で、愛用のリボルバーが内部から破壊される。

銃身が膨張し、弾倉が歪み、引き金の機構が完全に破綻した。

黒光りしていた美しい武器が、一瞬で使い物にならない鉄屑と化す。


「ええええええええ!?」


ラトが絶叫した。

その瞬間――俺は駆け出していた。


地図の間から居間へと一気に距離を詰める。

左腕の痛みを無視し、血液で強化した脚力を最大限に発揮して床を蹴った。


駆けながら、俺は革袋から小瓶を引き抜いた。

最後に残された、小さなガラスの容器。

コルクを親指で弾き飛ばし、中の血液を宙に解き放つ。


綴織つづれおり!」


深紅の液体が空中で鋭い針状に成形され、ラトへ向かって飛んでいく。


「意味わかんないけど……そんな攻撃は意味ないよ!」


ラトは困惑しながらも、血の魔弾を当然のように手のひらで受け止めた。

白い手袋に包まれた掌が、軽々と遮る。

無敵の固有魔術『止針ノ兎刻ししんのとこく』の前では、どのような攻撃も意味をなさない。

赤い染みが白い布地に滲み、彼女の掌を薄っすらと汚した。


飛び散った血液の雫が石床に落下。

深紅の液体が石床の上に小さな水たまりを作り、無力に広がっていく。


「意味もないのに足掻くにも飽き足らず、ラトちゃんの愛銃を破壊するなんて――」


ラトが怒りをあらわにするときには既に、俺は剣を抜き放っていた。

懐から滑るように現れた刃が、暖炉の明かりを鈍く反射する。

剣身を纏う血液は、常に流動し続けていた。


距離はもう三メートルを切っている。

俺は剣を大きく振りかぶり、ラトの首筋を狙って斬りかかった。


「だから……意味ないんだよ!」


ラトは剣の軌道を見極めると、無敵であることをいいことに左腕で受け止めにかかった。

防御も回避もせず、ただ腕を剣の軌道上に差し出す。


「無敵なんだから!」


血に染まった剣が、ラトの左腕に激突した――


―――!!!


激しい衝撃音が居間に響き渡った。

金属と見えざる障壁がぶつかり合う、鈍く重い響き。

同時にバチバチと電撃のような音が空気を震わせ、魔力同士が激しくぶつかり合う。

激しい突風と、空気のうねり。

火花が散り、空間が歪むような異常な現象が二人の間で発生する。


それでも――二人は静止していた。


俺の剣は確かにラトの腕に届いていたが、やはり彼女の肌を傷つけることはできない。

見えない壁が剣と腕の間に存在し、完璧な防御を形成していた。

纏う魔力を激しく揺らめかせ、腕一本で俺の全力の斬撃を受け止めている。


「こんな意味もないことを、よくやってくれたね。この愛銃、とっても気に入ってたのに!」


ラトの兎耳が逆立つ。


「愛銃をわざわざ壊すだなんて、もしかしてラトちゃんを怒らせたいの?言ったよね?お兄さんがこんなに頑張って一撃を放とうと、ラトちゃんには意味がない。こうして防がれる。腕にも傷一つ付かない。これが現実だよ?認めたら?……おい!認めろよ!」


腕と剣の鍔迫り合いが始まった。

俺は剣に更なる血液を注ぎ込み、威力を増大させようとする。

ラトは兎人族の膂力を存分に発揮し、俺の攻撃を押し返そうとした。


バチバチと魔力がぶつかり合う音が続く中、俺は冷静にラトを見据えた。


「そんな怒るなんて、焦ってるのか?無敵なんだろ?ならそこまで怯えるなよ」


「焦ってない!ただ怒ってるだけ!」


ラトの声が、わずかに上ずっていた。

言葉では否定しているが、その瞳の奥で何かが揺らいでいるのを俺は見逃さなかった。

兎耳の動きも先ほどまでの軽やかさを失い、小刻みに震えている。


無敵の能力を持つ彼女が、負けるはずなどないと確信しているのは間違いない。

しかし――理由なくとも彼女の本能に何らかの警鐘を鳴らしているのだろう。

さすが野生の勘とは、侮れないものだ。


「ラト、お前、弱くなったな」


「は?何それ?意味分からないよ!」


俺の声が静かに響く。

鍔迫り合いを続けながら、俺はラトの変化を指摘していく。


「これまでお前は、俺のあらゆる攻撃を回避してきた。その身体能力、その反射神経――確かに人間離れしていた。でも今のお前は違う。無敵の能力に甘えて、受け止めることを選んだ。それが証拠だ」


「だから、だからなにさ?ラトちゃんは無敵なんだよ!それはいかなる状況でも、変わらない!」


「いや――最初に会ったときのお前の方が、戦士として遥かに強かった。今のお前は――無敵という盾に依存した、ただの甘えた子供だ」


「なにを言って―――」


ラトが反論しようとした瞬間、彼女の表情が変わった。

琥珀色の瞳が見開かれ、困惑から驚愕へと変化する。

俺の剣を纏う血液が、彼女の腕の一部を覆い始めていたのだ。


深紅の液体が、まるで生きているかのように彼女の左腕に這い上がっている。

ラトの肌に直接触れることはできないが、その周囲を包み込むことは可能だった。

血液が手首から前腕にかけて薄い膜を形成し、赤い帯のように巻きつき始める。


「え――これ、何?なんで血が――」


ラトの声が震えていた。

無敵の能力によって血液は彼女の体を傷つけることはできない。

しかし、覆うことはできる。


さて……


命を懸けた、反撃と行こうか。


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