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君が待ちわびる黄昏で  作者: 霞花怜(Ray)


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第21話 八月 青空に溶ける夕暮れ

 結陽に抱かれたまま、夏希は立ち尽くしていた。

 この状況を、どうすればいいか、わからない。


「……帰っちゃい、ましたね」


 振り返ったら、壁に飾られた大きな絵が目に入った。


(俺をモチーフにして描いてくれた絵だ。俺が大好きな秋晴れと、結陽さんが好きな黄昏と)


 その真ん中に、自分がいる。

 気恥ずかしいのに、それ以上に嬉しくて、今更直視できなくなった。


「敬語、夏希君のほうが戻ってる」

「え? ……あ」


 結陽を振り返ったら、人差し指で唇をふにっと押された。

 敬語をやめてとお願いしたのは夏希だったのに、うっかり言葉が出た。

 

「僕から会わないと言ったのに、夏希君に会わなくなったら、僕はまともに絵も描けなくなった。情けないね」


 結陽の両手が夏希の顔を包み込んだ。


「もう一度、ちゃんと伝えさせてほしいんだ。僕は夏希君が大好きで、離れたくない。もしかしたら僕は君を傷付けるかもしれないけど、それでも、側にいてほしい」


 額同士が、こつんと当たる。


「夏希君の返事を、気持ちを、聞かせて」


 夏希の頬を包む結陽の手が小刻みに震えていた。

 その手を、ほとんど無意識で握った。


「傷付くかどうかなんて、一緒にいてみないとわからないし。傷付いたかどうかなんて、俺じゃなきゃ、わからないよ」


 結陽が額を離して顔を上げた。


「会えない一カ月間のほうが、辛かった。だったら一緒にいて傷付いたほうがいい。それに俺、結陽さんと一緒にいて嫌な思い、したことない。離れたくないとか、涙が出るくらい好きとか、こういう気持ち、結陽さんが初めてで、どう伝えたらいいか、わかんない」


 想いが胸の奥から込み上げて、昇った熱さが目から流れ落ちる。


「充分、伝わってる。夏希君は、表現が上手だから、いっぱい伝わるよ」

「結陽さんだって、ここに展示されている絵、ほとんど……、ぁ、ぅん」


 唇がやんわり重なって、互いの熱が混ざり合う。

 啄ばむような口付けから、少しだけ割り開いた口に舌が忍び込んで、夏希の舌をチロチロと舐め挙げた。

 くすぐったくて、びくりと震える。

 その震えまで抱きしめて、結陽の腕に閉じ込められた。


「ん……はぁ……」


 唇を離した結陽が微笑んだ。

 

「涙目で蕩けてる夏希君、可愛い。この顔は初めてだね」

「だって、こんな、キス……、初めて、だから」


 まるで大人みたいなキス、初めてだ。


「やっと、夏希君のファーストキス、もらえた」


 結陽が嬉しそうに笑んだ。


「僕が空の絵を描いた理由は、夏希君。夏希君に教えてもらった色だ。空は、夏希君がくれたモチーフだよ」


 個展のほとんどの絵が空を主役にした絵だ。

 まるで、夏希を描いたと言われているようだった。


 二人で、壁の絵を見上げた。

 

「俺と結陽さんが混じった絵に見えるね。絵の中の俺の顔、空を見上げてる時の顔だよね?」

「どんな表情にしようか、最後まで悩んだんだ。けど、やっぱり僕は、空を見上げている時の夏希君が好きだ。夏希君がどんな顔で空を見ているのか、夏希君に教えたかった」

「笑ってないのは、わかってたけど」


 真剣に見ている時と、ぼんやり眺めている時と、きっと色んな顔をしているだろうと思う。


「夏希君が空を見上げている時はね、色んなものを探している目をしてる」

「探してる?」

「空の色が昨日とどう違うかとか、どんな風に表現する色かとか、雲の形や厚さや色とか、流れる速さとか鳥が飛ぶ姿とか。どの角度が一番好みかとか、考えていそうな顔」


 意識していなかったが、そうかもしれない。


「そういう時の夏希君は真剣で、だけど時々、ぼんやりしている時もあって。ちょっと気が抜けた感じが安心して見えて、僕は好き。でもその夏希君は、僕だけが知っている夏希君にしておきたかったんだ」

「結陽さんしか知らない俺は、いっぱいいると思う」


 照れくさくて、夏希は目を下げた。

 空の話をこんなにした相手は、結陽だけだ。

 結陽が満足そうに夏希の口元に口付けた。


「夏希君、僕ね、本当は黄昏が嫌いだったんだよ」

「そう、なの?」


 結陽が戸惑いがちに視線を落とした。


「僕には、人にはあまり話したくない過去があって、夕暮れ時は、そういう嫌な過去を思い出すから嫌いだった」


 心臓が小さく跳ねた。

 結陽が語りたくない過去はきっと、レイプ事件だ。


「じゃぁ、なんで、黄昏刻に神社にいたの?」


 初めて出会った黄昏で、一心不乱にスケッチブックに向き合う結陽の背中を思い返す。


「自分の気持ちを払拭したかったから。新しい場所に来たし、嫌いを嫌いのままにしたくなかった。そうしたら、黄昏の薄闇から、夏希君が現れた。怖かっただけの黄昏が宝物を連れてきてくれたんだ。だから僕は、黄昏が好きになった。夏希君が好きな青空も大好きになった」


 結陽の視線が他の絵に向く。

 たくさんの空の絵を、夏希もぐるりと見回した。


「頭の上に広がる空を忘れていた僕に、空を描かせてくれたのは夏希君だ。上を向くと色んなものが見えるって、教えてくれたのは夏希君だ」


 自分は、そんなに大層な人間ではない。

 いつもなら、そう思う。

 けど今は、結陽の言葉が素直に嬉しい。


「そんな夏希君が好き。僕だけの夏希君になってほしい。僕を夏希君の、恋人に、してほしい」


 真っ直ぐな言葉に喜ぶ心が、少しだけ震える。

 こんなに強い想いを、自分は受け止めきれるのだろうか。

 だけど。戸惑う気持ちを欲しがる愛が上回った。


「俺も、結陽さんを独り占めしていいの? 俺の結陽さんって、思って、いいの?」


 未来を期待された才能ある若き天才画家。

 そんな人の恋人が自分なんかで良いのだろか。

 頭ではそう思うのに、嬉しくて堪らない。


「夏希君だけの、僕にして。夏希君じゃなきゃ嫌だ。夏希君じゃなきゃ、ダメなんだ。この先、何があっても側にいてほしいのは、夏希君だけだよ」


 胸に抱かれて、唇が重なる。

 今日だけで、何度もキスしている。

 会えなかった一か月分を取り戻すように、熱が溶け合う。

 舌が絡まって分け合った熱まで溶けてしまいそうで、夏希は必死に結陽にしがみ付いた。

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