第12話 八月 残暑②
「結陽って、まさか茅野結陽か?」
「健太、知ってんの?」
「武蔵埜森美大の一年だろ。大学入る前から画家として活躍してる天才だよ。親父が引っ張るのに苦労したって話していた逸材。アイツだったのかよ、神社男」
健太が苦い顔で舌打ちした。
「あ、そっか。健太のお父さん、美大の理事長か」
夏希と健太の地元にある武蔵埜森美術大学は、関東圏ではトップレベルの美術系学校だ。
歴史の長い私立大を運営している学校法人の理事長が、健太の父である東野健一だ。事実上の家族経営で代々東野家が役員を引き継いでいる。
「だとしたら、恋人になれねぇ理由も、ちょっとわかるぜ」
健太が嫌そうな顔で話した。
「え? なんで?」
「確か、冬から海外留学の予定が入ってたはず。二年くらい。夏希に悪いって、思ったんじゃねぇの?」
「海外留学……」
二年間もいなくなってしまうのなら、悪いと思うのかもしれない。
(だったら直接話してくれればいいのに。何で隠したんだろう。本当に、それだけかな。もっと別の理由がある気がする)
自己満足に使っているんじゃないかと、酷い言葉を投げた時。あの時の結陽の反応を、夏希は思い出していた。
『違う! それは絶対に違う! そうじゃないから、そうしたくないから……』
あの時の言葉も声も、表情も、全部がいつもの結陽らしくなくて。慌てる様に夏希のほうが不安になった。
「なんで俺が夏希の恋愛相談、聞かなきゃならねぇの。つかそれ、本当に失恋なのか?」
「失恋だよ。もう会わないって言われた。個展の準備も忙しいからって」
「あぁ、八月開催のやつな。絵が間に合わねぇって親父が愚痴ってたな」
「そうなの?」
「当の本人が神社デートなんかしてるからだろ。アイツ、火曜と金曜以外も神社の周りウロウロして誰かさんを探してたみてぇだし」
結陽本人もそれらしい話はしていた。
実際、雨の木曜日に会って保護してもらっている。
「正直、夏希より俺のほうが遭遇率、高かったと思うぜ。週五は見た」
「それ毎日じゃん」
夏希の家の方向的に、本来なら神社を迂回するから、近道しない限りは境内に入らない。
健太は神社の正面である鳥居の前を通るから、遭遇率が高いのは頷ける。
(そんなに、俺のこと探してくれてたんだ。じゃぁ、なんで。結陽さんが俺を拒否る理由って、なんだ?)
不意に、ポケットに入れていた個展のチケットを思い出した。
取り出して、改めて眺める。
「あぁ、チケット貰ったんだ。行ってくれば? 会えんじゃん」
健太がナゲヤリに勧めてきた。
その腕を、がしっと掴んだ。
「は? 何だよ」
「一緒に行って」
「はぁ? なんで俺なんだよ。嫌に決まってんだろ。なんで俺が、お前らの仲直りに付き合わなきゃならねぇの?」
「俺のファーストキス、奪った罰。珍しく俺から誘ってんだから、行ってよ」
図々しいお願いだとは思う。
しかし、他にゲイの友達はいない。ここは健太に頼るしかない。
「こういうお誘い、どうかと思うんだけど? 俺が茅野の前で恋人面してお前にキスとかしたら、どうするつもりなワケ? 言っとくけど、俺まだ夏希のこと諦めきれてねぇからな。中学来の恋心舐めんな」
「それは……」
そう言われてしまうと、誘うこと自体が悪行に思えてくる。
夏希は健太を掴む手を離した。
離れそうになった手を健太が掴み返した。
「俺が夏希のこと好きな前提で良いなら、付き合ってやるよ。俺と絵画展デートして、ちょっとは茅野を焦らせてやったら?」
「結陽さんは焦らないと思うけど」
むしろ「お幸せに」とか言われそうだ。
そんなことを言われたら、夏希のほうが泣きたくなる。
「そんなの、やってみないとわからねぇだろ。俺の予想的には、かなり焦ると思うけどなぁ。そもそも、夏希が誰かに取られるとか思ってねぇから余裕なんだろ」
「そうなのかな。健太の話は、したけど」
しかし、あの話をした時の結陽はちょっと焦っていたかもしれない。
突然キスしたのも、あの時が初めてだ。
(何もしなきゃ、何も動かないんだから。できること、やるしかない)
夏希は腹を括った。
「お、お願いします」
健太の手を握って、ぺこりと頭を下げた。
「俺的には茅野と夏希がちゃんと別れてくれたほうが都合いいし、応援しないぜ。あくまで夏希と夏休み絵画展デートだからな。楽しみにしてるぜ」
「ちょっ、健太……」
握った手の甲に口付けて、夏希の手からチケットを抜き取る。ピラピラと振りながら、健太が満足そうに控室を出て行った。
複雑な心境を抱えたまま、夏希は立ち尽くしていた。