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あるいは現在のアダム、あるいは最後のイブ  作者: 山の下馳夫


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第6話 寝台・夜間

 二人の間で合意を得たものの、すぐさま妊娠へと行動を移すわけでもない。生活環境は整えられているとはいえ、妊娠と出産、そしてそのあとの育児を考えれば、準備は万全である必要があるだろう。


 ぎこちなさは残っていたが、我々は、多くの生物がそうであるように、営巣の準備を始めることにした。安全な住処なくしては子の育成とはままならないものだ。


 我々はここにきて、はじめてつがいとしての行動を始めた。駐屯地内の見取り図を印刷し、お互い意見を出しあい。必要なものを揃えていく。結束は日々強まっていった。


 もはや我々の肉体の性別と心の性別の差異に気づくものはこの世に存在しない。他の生き残った野生動物が我々を観察したら、人類の雌雄とは、元よりこういうものだと思うかもしれない。私たちは神話のように生殖を厳粛なものと再定義し、それに向けて純粋に行動していった。


「ねえ、幸人、本当にこれでいいの?」


 渋谷の無人を確認したあの日から、二週間が経過した。生活環境が整い、二人の距離が縮まってきたと思ってきた矢先、彼女は、ふと思い出したように言った。


 先ほど車を使い、二人で渋谷の廃墟に物資を回収にいったことが、契機だったのかもしれない。


 それは、彼女らしい言動であったが、せっかくこの私が、出産に縛り付けられてもいいと譲歩したことにケチがつけられたようで不快の感情が自分の中に満ちるのがわかった。だが、今彼女の機嫌を損なうわけにもいくまいと思い、自分の意見は覆い隠した。


「ああ、二人で、人類を再興させよう、また、渋谷に明かりが灯ることを夢見てさ」


 物資回収の作業中、ふたりで、多様性の象徴だった渋谷の廃墟を眺めたことを思い出し、なるべく綺麗な台詞を作った。


「むかし、渋谷で会った時は、世の中のルールに縛られたくないってあれほど言っていたのにね」


 そういえば、初めて後藤と会った時、結婚や出産が幸せの形ではないと嘯き、二人で自由に生きることの素晴らしさを語り合ったことを、ふと思い出した。あの時、我々は、我々以外の人々が社会を存続してくれると信じていた。


「そうだね、そういえばそんなことを語ったよね。でもまあ、世の中の方がなくなっちゃったから」


 後藤は、私の言葉にあっけにとられていたが、しばらくして思い出したように笑った。


「そうだけど、二人っていうのは最小の社会でもあるでしょう」


 後藤は笑いながら言った。私は、この時、彼女の笑顔を好ましく思った。彼女の笑顔は自然で、陽気そのものに見えたからだ。


 彼女の言葉の真意に気づいたのは、それから十時間以上経ってからのことだった。


 この日、彼女はまたもや食事を用意してくれた。もとより男性の肉体を持つため、本来彼女の体は私より頑健で、私は、つい用意を任せきりにしてしまった。


 後藤は、最近では時折髭の処理が甘く、また、明らかに私の肉体を注視していたこともあり、往時の男たちを思わせる存在になっていた。つまり、男らしい所作ゆえに、油断していたのである。思い起こせば、遠心分離機やろ過装置を使用した痕跡があった時に、警戒を強めるべきだったのかもしれない。


 後藤が用意した食事を食べてから、明らかに呼吸が荒い、息苦しく、汗が噴き出る。食べたものに毒物が紛れていたわけではない。考えられるのは……、


「アレルギー、のこと、話してなかったっけ?」


 息も絶え絶えに言葉を並べる。鼓動は際限なく早くなっていく。


 私の個室に現れ、こちらを睥睨する後藤に声は届いているはずが、どうにも彼女の反応が鈍い。長身の男の姿をした者は、苦しむ私を前に佇んだままだった。


「……ごめん、私、ずっと怖くて、男になんかなりたくないのに」


 後藤はか細い声で、その真意を語った。彼女は今までどのような環境下にあっても、常に自分の感情を表していた。だが、私と子を成すということを決めた以降、どうやらその感情には大きな矛盾があったようだ。アレルギーには、肉体の疲労時に症状が重篤化するものがある、連日の労働の末に彼女が料理を担当した理由が、あの機器たちの使用理由が、今わかった。


「よく言う――」


 私は、何とか怨嗟の声を吐き出した。ここ数日、眠っている時、後藤の気配を感じる時が何度かあったが、あれは夜這いを躊躇していたのは、どうやら間違いないようだ。薄れゆく視界の中、後藤の血走った両目を捉えた。今までの人生で見て、今となっては懐かしくもある、男の性欲を孕んだ視線がそこにはあった。


 彼女は、自分の中にある男性の肉体の欲を恐れたのであろうか、その欲に従うことは、自分らしくあることの対極の行為であったらしく、彼女は、自分らしくあることを許さない私と後藤だけで構成される社会の方に――かつての私たちのように――変革を求めたのである。


 ああ、なんと、この状況下にあっても、自分の思いを優先するとは、


「これだから、女は……」


 意識が消えていく中、怨嗟の声を洩らした。ずっと嫌いだった高い女の声が、鼓膜を揺らした。

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