第四章
そして、その人に行動した結果を伝えようと久しぶりに高台へ行ったが、その日は来なかった。その次の日も、休日も、一週間経っても来なかった。
不思議に思った沙里は海原にお昼休みに相談をすることにした。
海原に朝、登校してから慣れたように話しかけ、お昼、一緒に食べる事ができるか聞く。
海原はうれしそうに笑っていいよ、と承諾した。
昼休みになると、海原の席へ向かい、海原に声を掛ける。
「あの…大丈夫ですか?」
「うん。じゃ行こっか」
「ね、それ私も行っていい?」
「陽菜さん?えっと…他のお友達は?」
「彼氏と食べるんだってー。イチャイチャしやがってって感じ。ま、幸せならいいんだけどさ」
「そっか」
「俺はいいけど、宮葉は?」
「…いいよ。でも、話についていけないかも知れないけど、それでいいなら」
「いいよー、屋上で食べるんでしょ?憧れてたんだよね」
陽菜はスキップをしながらお弁当を取りに行った。
「話についてけないってどういうこと?」
「雪さんについて、聞きたいことがあるんです」
「なるほど」
「おっ二人さーん!行こー!」
海原が仰け反るほど屋上に行けるのが余程嬉しいのか、陽菜のテンションが上がっていた。
「わかったわかったから!」
海原が職員室で屋上の鍵を貰っている間に陽菜と沙里は先に階段を登っていく。
「ね、沙里ちゃん」
「ん?」
「話って私も聞いていいの?」
「いいよ。他の人にとっては大した事じゃないし」
「他の人にとって……沙里ちゃんには大事なことなんだね」
「うん。私がここにいるのもその人のおかげかも知れないし」
「へぇ…そんなに。じゃあ、その人に感謝しないと、沙里ちゃんに合わせてくれてありがとうございますって」
「言い過ぎだよ」
「何話してんの?」
海原が後ろから声を掛ける。手には前回と同じく鍵を人さし指に入れ、くるくると器用に回していた。
「んー?」
「雪さんが私にとって大切な人だってことです」
「…雪先輩のこと話してたの?」
「はい」
海原は相槌をうちながら鍵を開ける。海原が扉を開けると陽菜がミサイル並に勢いよく屋上に飛び出した。
「ちょ…陽菜!」
「陽菜さん!?」
「やっほーい!」
困惑している二人をおいて楽しそうに屋上を駆け回る。手に持っているお弁当が型崩れしてしまうのではないかと不安に思っているが、陽菜は気にしないのだろう。
海原は呆れたように屋上の真ん中に腰を下ろす。私もその右前に座り、二人で陽菜を見る。海原は何かあった時にすぐ動けるよう立膝で見ていた。
「あー、楽しかった!」
二人の視線に気がついたのか、こちらに小走りで走ってくる。よく見ると少し頬が赤い。恥ずかしいのか、それとも走って顔が赤くなってるだけなのか。
「ごめん、屋上に入るの初めてではしゃいじゃった」
「別にいいよ。危ないことしなきゃ大丈夫だから」
「そうなんだ」
「うん」
海原が面倒そうにあぐらをかき、膝に肘を乗せて顎に手を置いていた。
「んで、宮葉はなんで俺を誘ったの?」
「雪さんは、元気ですか?」
「雪先輩?最近は病室でのんびりしてるよ。どした?」
「最近、高台に来てないんです。容体が悪化したとかはないですか?」
海原は少し間を開け、考えていた。
「ないよ」
「それならよかった…」
「雪って誰?海原の呼び方すると先輩?」
「そうだよ。俺の先輩。んで、宮葉の友達?」
「違います。友達じゃなくて、ただの知り合いです」
「え、そうなの?」
「はい」
海原は驚いたように前のめりに聞いた。陽菜は少ない情報から頑張って理解しようとしているのだろう。顎に手を当て、唸っていた。
「雪先輩からあの子は親友って言われたんだけど」
「え?」
「だから雪先輩にそこまで言われんのすごいなって思ってたのに…。ただの知り合いって…」
「…相談とかは、友達だと出来ないので」
「そうなの?」
「はい。嫌われるのが嫌なんですよね」
「へー」
海原はそう言いながらお弁当の蓋を開け、中の卵焼きを食べようとした。
「なるほど!」
その時、陽菜のよく響く大きな声が屋上に響き渡った。陽菜が海原を指差しながら言う。海原は一瞬驚いたのか動きが止まったが、その後なかったかのように卵焼きを食べる。
私は落ち着かせるために心臓部分に手を当て、深呼吸をする。
「その雪って人は沙里ちゃんと海原の大事な人で沙里ちゃんの相談相手!」
「まぁ…あってるけど…」
海原がミートボールを食べながら、同意する。私も頷き、ご飯を食べる。
同意したのを見た陽菜はガッツポーズをしてお弁当を開ける。
「うわ…」
陽菜がドン引きするかのような声を上げる。
二人は陽菜の目線の先にあるお弁当箱の中身を見る。中はパスタがご飯に重なり、タコさんウィンナーは二本とも端の方に押されていた。ピーマンの肉詰めは真ん中で偉そうに座っている。その他の野菜も色んなところに散らばっている。
「あーあ、あんなに振り回すから」
「だってだってー!」
海原は呆れたように言う。陽菜は悔しそうに海原に反論するが、海原は適当にあしらった。
「あ、そうだ。気になるなら雪先輩のお見舞いに行ってみる?」
海原に図星を突かれ、頭を垂れている陽菜を横目に海原は言った。
「まだ入院してるの?」
「あぁ。一応、まだ治ってないから」
「そっか…」
「宮葉も一緒に行く?お見舞い」
もうお弁当を食べ終わったのか、しまい始めていた。
陽菜は「おいしい」と悲しそうに言いながら食べていた。
「良いんですか?」
「いいんじゃない?」
「行きます。お見舞い、行きたいです」
「わかった」
海原さんはスマホでなにかをすると、顔を上げ、言った。
「今日の帰り、病院に案内するよ。放課後、昇降口で待ってて。掃除当番だから少し遅れる」
「わかりました。ありがとうございます」
「別にいいよ」
海原は陽菜に持っていた小さい一口サイズのゼリーを渡す。私もオレンジを一つ、陽菜の空になったお弁当にころんと入れる。
陽菜は目を丸くしてこちらを見た。
「いいの!?」
二人は笑いながら「いいよ」と声を合わせた。それを聞いた陽菜は嬉しそうに目を輝かせ、ゼリーとオレンジを頬張った。
それからお弁当を片付け、教室に戻り、いつものように授業を受けた。
6時間目の授業が終わり、移動教室から戻ってくると、教室で海原が電話をかけていた。その表情は険しそうだった。海原は沙里を見つけると、電話を切り、近づいて声をかけた。
「ごめん。少し来て」
私が海原さんについて教室を出ると不安そうに言った。
「雪先輩、事故にあったって電話があって…。命に別条はないって。…とりあえず、もう放課後だから一緒に病院に来て」
海原は自分に落ち着かせるように私にいった。私は海原の言葉に頷き、放課後、二人で病院に向かった。
海原に案内されながら病室に入ると、先生が居た。先生は私たちに気づくと、こちらに歩いてきた。
「海原さんと宮葉さん、どうしたの?」
「俺、雪先輩の後輩で、事故にあったって聞いて」
先生は納得がいったような顔をした。
「それで、雪先輩の容態は大丈夫なんですか?」
海原が足早に先生に聞くと、「特に命に別状はないけど、脳に損傷があって、記憶障害があるかも知れないんだって」と言った。
詳しく話を聞くと猫を助けようと道路に飛び出してバイクに轢かれたらしい。三人は病室に眠っているその人を見た。
その人は静かに呼吸をし、目を閉じていた。それから数分間その人の顔を見ていたら目が開いた。
「雪先輩!」
「…海原…?」
その人はどうしてここに居るのかわからないという表情だった。先生が医者を呼びに行き、海原はホッとしたような顔になった。
「今日は宮葉も来てくれたんですから。心配させないで下さいよ」
「…えっと、海原、久しぶりだね」
「え…」
「あと、宮葉って誰?僕、知らないんだ。ごめん」
「な、何言ってるんですか?宮葉ですよ。雪先輩の友達の…、じゃなくて親友か…?いや、知り合い?」
「親友から知り合いの振れ幅すごいけど…」
「あ…いや、えっと…宮葉からしたら知り合いで、雪先輩からしたら親友っていうか…」
「…それ、大丈夫?」
「本人がいいって言ってるんで大丈夫だと思いますけど…。って、それより!」
海原は混乱し、雪に必死に説明する。それと同じように雪もここはどこなのか、なぜここにいるのかなど説明を求めていた。
海原は私と雪さんは春から知り合った友達であること、そして雪さんのおかげで私と仲良く出来たこと、私と出会ったことで笑顔が増えたこと。それらを海原は必死に雪に伝えた。
私は海原が雪に説明している時から、足下が崩れ落ちたかのような錯覚に陥った。
それと同時に私は記憶喪失になったと察した。そういう本を何冊か読んだことがある。だから、平常運転だと言い聞かせて自己紹介をした。
「私は宮葉沙里です。海原さんと同級生です。よろしくお願いします」
「うん、よろしくね。宮葉さん」
人が変わったような感覚がした。正確にはその人の中の違う人と話しているというような、そんな感覚がした。
医者が診察すると記憶喪失だと診断された。それもここ半年の記憶がなくなっているらしい。
先生と海原は涙を堪えるような顔をして、海原は手で握りこぶしを強く握っているのが見えた。雪は何も知らないように窓を見て、半年の過ぎた年月をただ見ていた。雪の顔半分は見えているのに私には表情が分からなかった。
医者が病室をでてから少し落ち着くと、先生が「そろそろ暗くなるから帰りなさい」というので私達は病室を出た。
帰り道、海原は自分も悲しいはずなのに私に笑わせるような明るい話題を振ってくれたが、笑う余裕などなく、海原の独壇場になっていた。
途中で海原と別れ、家に帰るとすぐにベットに入り、着替えることもなく眠った。
なにか話せば泣いてしまいそうだったから。
「やぁ、こんにちは」
ただ広い場所で何もない空間で誰かが話しかけてきた。周りが暗いのにその人だけはぼんやりと明るく光っている。
「貴方は誰、ですか?」
そう不思議に思いながら聞いた。
今は秋でもう少し経てば冬に入るはずだ。なのに男の子は半袖の学生服を着ていた。
「この物語の作者だよ」
そう優しい声で意味のわからないことをいった。男の子の声は高くも低くもない。印象に残る声でもないし、記憶に残るわけではなさそうだ。
でも、男の子の声は頭の中、胸の中にすっと入ってくる。
「作者?それに、この物語って…」
自分は心当たりがなかった。しかし、この物語とは、ここの地球にある、自分自身の住んでいる場所を言われているような気がどこかでした。
「そう。君は僕が作った人間さ。僕の思い通りにこの物語もあらすじも物語は進む」
「本、みたい」
「なんだ。驚かないんだ。まぁ、そういう人に作ってるからそれもそうか」
そう悲しそうにポツリと呟く。
「僕はしがない小説家でね。いつも君達の声と姿が脳裏に浮かんでいたんだよ。だから、1回話してみたくてね。こういう物語も良いんじゃないかと思って」
そういった男の子(小説家)はそう言って、ニコリと笑った。
「今その小説は内容は簡単に決めたものの、手探りで全体を補っている状態なんだ。もう少し経ったら完成になるから待ってて」
「…それって、完成って私達が終わるってことですか?」
「違う!」
小説家は大きな声で否定した。私は驚き、肩を上げる。
「じゃあ、なんですか?私はここに生きてます。私がいる場所は終わらないんです。なら勝手に完成するとか言わないでください」
「……ごめん」
小説家は保護者に叱られたときのように小さな声で謝った。
「…でも、それじゃあ、私達は駒に過ぎないってことですよね」
小説家の意見や考えでその人の言動、想いが簡単に、悪ければ気分で変わってしまう。それは、その物語にしても失礼だと思った。その世界でその人達は生きているのだから。でも端役は居なくても物語が進む。私はそのー部だと言っている気がする。なんだか、全体的に小説家は最低だ。
「それは違う、絶対に。確かにこの物語は無数にある物語や本の一部だ。でも、その本を取ってくれて、心が軽くなった。そんな感想を持つ人もいるかも知れない。だから、君たちは駒じゃない。同じものはない、たった1つの歯車なんだ。絶対に」
反論するように強く、でも子供に言い聞かせるように優しくその人は言う。
「歯車…」そう口の中で言葉を転がす。その言葉はころんと舌の上で楽しそうに転がっているように思えた。
「うん。この言葉は受け売りだけど、僕が一番その人との会話で好きな台詞なんだ。『歯車は1つなくなるとそれ以降、使えなくなる。それに少しでも寸法が違えばもう動かないし、代わりのものはない。だから、人は繋がり、助け合って生きる。それが出来なければ人類は滅ぶよ』そう言った人がいてね」
「…だからって、こっちの思いすら動かして、楽しんですか?」
「…うん。楽しいと言われれば楽しいし、苦しいと思えば苦しい。それに僕はこの物語を数年前から頭の中で転がしていた。この話をいつか文字におこしてみたい、と。だから、これを聞いた所で自暴自棄にならないで欲しい。まぁ、僕が書いてるからそんなことはないけどね」
小説家と話していると疲れる。体力を吸われているような感覚に陥ってしまう。
ただ、一つ気になることがあるとすれば、この後、雪さんはどうなるのだろう。小説家がこの物語を書いているならその後も分かるはずだ。
「…この後どうなるんですか?」
それを口にした瞬間、なにか未来を知ってしまうような、そんな悲しいような、虚しいようなそんな気がしたが、気にしないように考えを消した。
「…分からない」
小説家は申し訳無さそうに首を振った。やっぱり、この人は嘘つきだったんだ。この世界は本当にあって、物語みたいな話はないことも知っていた。たくさんの本を読むと、そういうものが嫌と言うほどわかってしまう。
「やっぱり嘘つきなんだ」そう言って肩を下げた。すると、小説家は悲しむような顔をして続けた。
「そう。僕は嘘つきなんだ。いや、この世界とも言わず、全て嘘つきなんだ。正直な人なんて面倒臭い。でも、それがあるから面白いんだ。言葉で人を殺すことも助けることも出来る。そんなのは誰にでも出来る。やろうとしない、受け取ろうとしないだけで。人に触れることや文字、文化、様々な物に触れることは自分自身や他人と楽しむために必要だと僕は思う。だから、僕はこの物語の人と話してみたかったんだ」
そんな事は綺麗事に聞こえた。でも、何処かで皆同じことを考えているはずだと、心の底では綺麗事を語っていると思った。それと同時にただの理想郷であることも。
小説家との会話でわかったことは何もなかった。ただ、無駄な時間を過ごしただけだった。
理解も意味もわからなかった。でも、頭の中で何処か自分と繋がりを感じていた。
「そろそろ時間だ。じゃあね。物語にも人生にも必ず楽しいことがある。諦らめずに勝手に頑張れば良い。勝手に幸せになって、勝手にみんな死んでいくんだから」
そう言って、小説家は消えた。
小説家が消えるとそこにはただ広く、暗い場所に一人で立っている私だけがいた。なんの音も明るさもない。真っ暗な場所に戻され、また一人になってしまった。悲しくもなく、嬉しくもない。喜怒哀楽がなくなったように何も感じなかった。
スマホのアラームで起きると、昨日の夜、夢の中で誰かと話をしたような気がした。でも、まるで本当に話していたかのように鮮明に聞き取れたのを憶えている。その人とは会ったことも、話したこともないのに。小説家との会話は少しだけ憶えていた。
小説家の言葉は心の中の広い海の中に綺麗事が浮きのようにぷかぷかと浮かんでいるようだった。
でも、そんなことが気になるより、雪さんの記憶喪失の方が心配になる。それも小説で読むより、ずっと重かったから。ストラップがあったから、いいことがあったと喜んでいるとすぐに悪いことが起きる。お守りはもう力がなくなってしまったのかもしれない。
それからの私は何も考えずに学校に行き、いつものところでボーっと過ごし、家に帰って寝る、という味気がない生活をした。ストラップを学校で返すという約束がなければ、自暴自棄になったかも知れなかったし、海原や陽菜とも話をしなかったかも知れない。
冬に自分の部屋の椅子で本を読んでいると桜から連絡が来た。
「今度の日曜日に会えない?」
それだけの淡々とした文だった。喧嘩をしていないと錯覚するほど軽く、何時間も迷って送ってきた重い文でもありそうだった。
私は一言、「いいよ」と軽く返事をする。
桜から既読がつき、スタンプが送られてきたので、既読だけ付けてスマホをベットに放り投げ、読書を再開した。動揺したくなかったし、余計なストレスを抱えたくなかった。
日曜日に桜と待ち合わせをし、久しぶり会話をした。
「急に誘ってごめんね」
「大丈夫」
「あのさ、まだ…怒ってる?」
「怒ってないよ。ってか、怒る場所ないし」
桜が不安そうに私を覗き込む。私は桜に何に対して怒っているように見えるのだろう。私はそんなことないのに。
「ほんと?よかったぁ!」
桜はホッとしたように笑った。そして、桜は自分の恋愛についてペラペラと話し始めた。
「雪先輩って、病気だったみたいで来年から同じ学年なんだって。病気だったなんて知らなくて、知ってたらお見舞い行ったのに…」
「…そっか」
「うん!それでさ、沙里って雪先輩のただの知り合いって本当?」
「そうだけど」
「そっか!なら、応援してくれる?簡単なことでいいの。紹介とか、私の話題とか出してどう思われているか聞いてくれたり…だめかな?」
桜は上目遣いで私のことを見た。今までは私はお願いを承諾し、海原や陽菜より桜を優先した。雪の気持ちも考えずに学校で桜を応援してやじのようなことをしただろう。でも、
「いやだ」
「え…」
桜の表情から笑顔が消えたのがわかる。でも、人に頼ってずっと誰かといないと行動できないのはどうなのだろう。
いつだって主人公は行動しないと変わらない。成長もしない。
私はいつだって恋愛は本の中で十分だと思っているし、恋をする人の気持ちなんか分からない。でも、体のどこかがムカムカしていた。
「なんで、応援してくれないの?沙里しかいないのに」
「そんなことない。それに、好きなら自分で行動して」
「…沙里は、好きな人がいないからわかんないんだよ」
「わかんないよ。わからないし、分かろうともしない。私、桜に言われた通り、恋をする人のこと、嫌い。でも、恋をしている人を応援したい」
「は?何言ってんの?」
桜は何を言っているのか分からないように首を傾げた。
「……できる限りアドバイスはする。でも、仲を取り持たない」
「…あー、そういうこと。私、沙里のこと、結構好きだったのに。今ので結構傷ついちゃった」
「それぐらいで傷つくなら、私達は仲良しごっこをしていただけ。友達でも、なんでもない」
「…それは沙里の考え?」
「うん」
私は涙目の桜を真っ直ぐに見ながら頷く。桜は涙を流しながら言った。
「最初はいい子だなって思ってたけれど、関わるうちに自分の気持ちが言えない子だと思ってた。私、沙里に頼りっぱなしだったかも。ごめん」
桜は頭を下げ、謝った。確かに桜の言う通り、私は意見を言わなかった。気持ちも、何もかも考えるのを放棄していたかも知れない。それに関して、桜が謝る必要はない。
「桜、謝んないで。私、ごめんなさい。気持ち、ちゃんと言えなくて、否定されるのが怖くて、ちゃんと話せなかった」
「…否定なんかしないよ。沙里は私の話、ちゃんと全部聞いて客観的に考えてくれたじゃん。それに、最後は私の選択に任せてたし」
桜は頭を上げ、そう言った。
私がさっきまで話したことが良かったとは言えないが、桜と自分の気持ちを含めて話すことが出来た。
桜はポケットから出したハンカチで涙を拭きながら笑った。
「私、雪先輩のこと自分で行動するから、アドバイスとか、そういうのは教えてよ?」
「うん」
二人は笑い、一から友達になるために指切りをした。
それから、時間は慌ただしく過ぎ去った。
また春がきた。今日から三年生として後輩を引っ張り、夢に追いつけるように本格的に動き始める。
沙里は文系、海原は理系の大学へ、陽菜と桜は就職に進路を固め、これに合わせてクラスは大学と就職の別々になり、授業もすれ違いが多くなった。
雪は病気が完治し、高校に復帰することが出来た。そして、理系の大学に進むらしく、海原と一緒にいるところを何度か見たことがある。
友人関係として、沙里を中心に陽菜と桜は仲良くなり、今では二人で買い物に出かけることも多々あるそうだ。
桜は雪が病院から戻ってきたあとに告白をして振られたそうだ。ただ、友人として話せているようで楽しいと聞いている。
雪と海原、陽菜と桜の四人でご飯を食べようと誘われるが、沙里は理由をつけて遠慮していた。
まだ記憶が戻っていないし、雪だけを避けていれば不自然だが、海原も避ければ不自然ではないと考えたからだ。海原には未だにどうして避けるのかという連絡が入るが、適当な理由を言ってごまかせていると思う。
鈴と清佳とは忙しく、なかなか会えないが、何回か連絡を取っている。
それから、沙里は放課後、いつものように高台へ向かい、雪が声を掛けてくるのではないか、雪が隣に座るのでないか、などと淡い期待を持ち、夕暮れまでその場で目を閉じて耳を傾けていた。しかし、その予想とは反して三年生になって五ヶ月が過ぎても、高台に雪は現れなかった。
高台は再び、沙里一人の場所になった。
秋ももうすぐ終わりになるだろうと思われたある日、海原から声を掛けられた。
「今日こそ一緒にお昼食べて貰うからな」
海原は毎週のように一度、沙里をお昼に誘う。沙里は面倒臭そうにため息をついて断る理由を探す。前回は腹痛、その前は頭痛を使った。
「もう俺らだって卒業間近だし、最後に見納めに行こうよ」
「…空の?」
「うん。晴れてるから雲も綺麗に見えるよ」
「…わかった」
沙里はお弁当を持ち、海原の後をついていくように屋上にあがる。
「いるか?」
海原が声をかけながら、扉を開ける。
「お、来たね」
「沙里ー、久しぶり!」
「えっと…確か…宮葉さんだったよね」
陽菜、桜、雪の順で一人一人沙里に声を掛ける。沙里は驚きで体が固まり、石のようになった。
「大丈夫だよ」
海原が静かな声で沙里に言う。
私は深呼吸をして、スマホを取り出し、ストラップを返すことにした。
「ストラップ、私が預かっていたので返します。ありがとうございました」
「えっ、ありがとう。探してたんだ」
雪さんは嬉しそうにストラップを受け取った。去年の部分がすっぽり忘れているのだから私に貸していたことも覚えていない。でも、そんなことはどうでも良かった。ストラップを返せばそれで良かった。
「あ、私、先生に呼び出しくらってるから今日は一緒に食べられないや。ごめんね」
私は申し訳無さそうに手を合わせ、校内に入ろうとする。
「え、そうなの?」
「うん」
陽菜が落ち込んだ声で反応する。陽菜はいつも自分の気持ちに正直だ。でも、反対に海原は不貞腐れた。「折角、雪先輩を呼んだのに」とそんな声が聞こえそうだった。いつも一緒に食べているわけじゃないのか。
「ほんとに呼び出し食らってるの?」
疑うように桜は笑いながら言った。
「本当だって」
私はそう反論しながら戻ろうとすると、雪さんがパン渡してきた。しかもクロワッサン。
「これ、あげる」
「は…?」
私は意味がわからなかった。
「宮葉さんって、パン嫌いだった?」
「いえ、好物ですけど…」
「ここのお店のパン、美味しいよ。なんか僕から教えてもらったんだって。海原が言ってた。多分、記憶失ってるときに知ったんだと思うんだけど…やっぱり思い出せなくて」
そう言ってパンを手にのせた。
「もらって良いんですか?」
「うん、いいよ。ストラップ返してもらったお礼」
優しい声で言われた。その声が去年と同じ空気感を感じて、少しだけ懐かしかった。
「ありがとうございます」と掠れたような声でお礼を言い、財布から五百円玉を抜いて渡した。雪さんは受け取らなかったので海原に渡し、踵を返した。後ろから名前を呼ばれた気がしたが、気にせずに教室へ戻った。
その後は放課後になるまで本を読み、なったと同時にいつもの場所へと向かう。あそこは自分ひとりだけの場所となってしまったが、元通りになっただけだった。
ただ、記憶が戻らないのは心配だった。
いつもの道を通り、あの高台で景色を見ている。半年間以上、隣に雪さんが座っていたため、隣の席を空けるのが癖となってしまったのが悲しかった。すると、隣に誰かが座る気配がした。私は変な所に座るな、なんて考えながら気にせずに空を見上げる。
雪さんは記憶喪失で私のことを忘れているため、割り切って自分も忘れることにした。そうすれば悲しいこともないと思ったから。しかし、それを実行するのはストラップを渡したあとと決めていた。ストラップを返さなければ約束を破る事になってしまう。それだけは嫌だった。だから、明日からあの人のことを忘れる。あの人とは知らない人、もう会わないだろう。
でも、今日までは余韻に浸っていたかった。
隣から「久しぶり」と聞こえた。幻聴まできこえるようになったのか、と自分自身で引くと、隣から肩を叩かれた。隣を見ると雪さんが居た。声が出なかった。
「あれ?君、大丈夫?」
「え、あの、思い出したんですか?」
「完全にではないけど少しずつね」
去年と同じ静かな、でも落ち着くことが出来る空気感だった。
「君さ、教室に居ないんだもん。帰るの早すぎない?」
雪は口を尖らせて文句を言った。私は文句を言われようが、それどころではなかった。
「私、雪さんが記憶喪失って聞いて、怖かったんです。私のこと、もう憶えて無くて…。もう一生、この場所を知ってるのが1人だって考えると、悲しくて…」
今まで思っていたことと我慢していたことが溢れ出した。それを雪さんはゆっくり聞いていた。
「あの時、謝りに行く勇気をもらってから、二人に会いに行ったんです。ー人はまだ覚えていました」
これが小学生以来の勇気を出した一歩だった。私は空を見上げてあの時のことを思い出すように話し始める。手紙を書いて、謝罪したい旨や理由を書いたこと。許可が降りたので、直接謝りに言ったこと。今後、いじめや人に辛いことをやらないと改めて心に誓ったこと。それらを話すと雪さんの方を向いて言う。
「雪さんが背中を押してくれて、勇気をくれて助かりました。それと、また新しくその子達と友達になることができました。雪さんありがとうございます」
雪は少し戸惑ったように「どういたしまして、でいいのかな?」と言った。
少し、数分ほどの間が空いた。
「ストラップ持っててくれてありがとう」とストラップがついているスマートフォンを取り出して言った。たった一言なのに、ホッとして、涙がにじむ。
それから、将来のことや今現在のこと、友達との関係などの話したいことが話し終わると2人は静かに雲が浮かんでいる空を見上げる。夕日が沈みかけていた。
次の日は屋上で私、雪さん、海原、陽菜、桜の五人でお昼を過ごした。三人は雪さんが少し思い出した事を話すと、凄く喜んでいた。
真っ青な空に1つのひよこの形をした雲が浮かんでいた。きっと、雪さんの記憶喪失も治るだろう。そう語っているように感じた。
私は眠っていたはずだ。なのになんで花畑に居るのだろう。
「やぁ、また来たね」
聞いたことがある声が聞こえた。
「忘れちゃった?僕はしがない小説家、といったはずだよ」
振り返るとあの時に私を真っ黒な空間に放置した人がいた。
「失礼だなぁ。あれは君の感情だよ。僕が操ってるってわけでも…、あるか」
小説家は顎に手を当て、考える格好をしていた。
「今回は何のようですか?」
「あ、そうそう。君の今の思いと雪について、ね」
さっきの声とは真逆のとても明るい声だった。
「雪さんは記憶はほとんど思い出し、私のあの暴露も思い出しました」
「あれだね。いじめたっていう話」
図星だった。小説家は本当に何もかも知っていそうだった。
「なぜ雪さんのこと聞いたんですか?ここの小説家ならわかってましたよね」
「前に言っただろう?最後はどうなるかわからない、と。僕だって分からないんだ。だから、登場人物に聞いたほうが楽だろ?この仕組みは僕でもわかんないけど」
小説家は笑っていた。また面倒くさくなりそうだった。
「君は死にたいかい?」
落ち着いた声で作家は私に聞いた。私はわからなかった。友達も大切な人もいる。悩みも辛いことも死にたいって思うほどではないかも知れない。でも、何処か誰も知らないところへ行きたいと思うことはあった。
ふと、気になったことを聞いた。
「辛くない『死』ってどんなのですか?」
「質問の答えになっていないけど…まぁ、いいよ。それはきっと、誰にも愛されず、誰の記憶にも残らず、時には恨まれたりして。でも、自分は面白かった。もういつでも死んで良いって思える人生で一瞬でこの世から去ることができる。そんな有り得ない人生なんじゃないかな」
「誰にも覚えられないのは辛くないですか?」
「そんなに辛いものだと思わないよ。だって、皆自分だけで精一杯じゃないか。それに死んだ時に泣かれるのはこっちも辛いからね」
確かにそうだった。皆、自分の気持ちに正直に生きている。親しい人が居るとその人のことを考えて悲しくなる場合もある。でも、それとは違うような気もする。
「これは僕の現段階でも結論だ。いまでも正解は出ないよ。だから、生きているうちに自分なりの正解を見つける。これが僕の生涯の目標だよ」
私には遠そうな話だった。私は興味が無い。
「頑張って見つけて下さい」
「君も見つけに行かない?一緒にじゃなくて、一人一人違う考えを持ってるだろう。だから、君も考えてみない?」
「私も?」
どうやって考えれば良いのだろう。難しそうだ。それにめんどくさそうだった。言っている意味もわからないのに。
「別に難しく考える必要はないと思う。なぜ人は死にたくなるか、なんてそんな面倒臭い課題じゃなくて良いんだ。どうして、この人と一緒にいたいんだろう。何でこの人が好きなんだろう。そんなものでも、人じゃなくても無機物でも有機物でも良い。想像でも良い」
「気分だったらね」
「勿論。ネットの住民はそういうのが上手い人が多い。だって、人を批判するにも賛成するにも勝手に色々な想像を付け足しているじゃないか。羨ましいと思うよ。あの想像力が僕にも欲しかった。あ、そろそろ時間かな?じゃあ、お元気で」
「さようなら」
そう言って小説家は足早に居なくなった。また私は花畑に1人ぼっちにされた。でも、前回のときのような絶望感は感じなかった。
今日も朝が来る。明日が来るのは誰かのためなんて言った人はその中に自分が入って居ないと思ったのだろうか。それとも、自分のためにも明日が来てほしかったのかも知れない。明日はみんな平等に来るというのに。自分自身に期待し過ぎず、期待しなさ過ぎず。そんな関係を自分と築けたらがいいな、と思った。これから、もしかたら勇気を出すことをためらうかも知れない。でも、後悔先に立たず。その言葉を胸に刻み、頑張ろうと思った。
また朝が来る。気がつけば朝を楽しみにしている自分が居た。
その日はアラームより早く目を覚ました。そして、思いの外、頭がスッキリしている。自称小説家と話したからだろうか。
「今日も頑張るか」
そう言いながらベットから起き上がり、学校へ行く準備をする。
「またね、…宮葉沙里さん」
男の子が机に突っ伏して寝言で何か言っている。
その男の子の顔には笑顔が浮かんでいた。