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あの日の一歩  作者:
3/6

第二章

 ここはどこだろう。机と椅子があるが、黒板がないので学校内ではなさそうだ。後ろを見ると女の子たちが立っていた。私はその人たちを一度見るとすぐに下を向く。その人たちは顔が無かった。言うなればのっぺらぼうと同じように口も鼻も目もなかった。

「ねぇ、雪に手を出さないでよ」

 のっぺらぼうの一人から女子特有の低い声が発せられる。

「もしかしてゆーわくしてるの?」

「ひっどーい!」

 耳障りな甲高い声がする。汚い。ただ、反論するにもその必要性と言葉が思いつかない。私は黙って何も言わなかった。

 すると、聞き覚えのある声がした。顔を上げると、桜のような髪形をしたのっぺらぼうが話していた。

「沙里、そんなことしてたんだ…。だから、私に先輩の場所を教えなかったんだ」

 不思議と恐怖は沸かなかった。しかし、私は必死に桜に弁解しようとした。あの人とは何ともない、ただの友人未満の人だ、と。

「違うよ」

 そう発した声は掠れ、相手の耳に入らなかった。

 他の女子がまた上から嘲笑うように話す。

「あんたは別の場所を探せばいいでしょ?」

「あそこしかないんだよ」

 私は急いで反論する。あの場所であの時間を過ごすことが私にとっての『幸せ』なのだと伝えたかった。

「他のとこ探してみなさいよ。行動範囲ぐらい増やしたら?」

 その反論が耳に届いたのか分からないが、今度は煽るように言う。

 桜にこの人達を止めてほしいと目で訴える。しかし、表情が読めないのっぺらぼうで、しかも桜の気持ちは私のことを考えてはいないことが明らかだった。

「あんたなんか友達でもない」

 冷たい桜の声が教室に響く。私は友達ではないと言われ、がっかりした気持ちとホッとした気持ちが入り交じった。

 そして、それ以上の言葉を聞かないように頭をシャットダウンさせた。


 窓から当たる太陽の光で目を覚ました。私の部屋は太陽の光が直接ベッドに届く。起き上がるとベッドには汗がつき、額にも汗がついていた。夢の内容を思い出すと目に涙がたまる。

「……ひどい夢…」

 私はホッと独り言をつぶやいた。自分が一番恐れているものが夢として出てきたらい。それから、音楽をスマホから流し、ベッドの上でぼーっと過ごす。

「沙里?起きてる?」

 下の階からお母さんの心配そうな声が聞こえた。時計を見ると起きる時間から二十分も過ぎていた。

「…起きなきゃ…」

 弱々しい声が部屋に響く。スマホを取り、音楽を止めようと手を伸ばす。

『自分が居るところでは楽しそうにしないでほしい』

『虐められた人は、一生忘れない記憶で傷なのを忘れないでほしい』

 いつだか何処かで聞いた言葉が蘇り、スマホを取ろうとした手が止まる。

『真似しないで。本当にやめてほしい』

『なんで私だけ止めるの?だから、私だけが痛い目に合うんだって言ってたよ』

 そんな言葉が聞こえた。しかし、ここは自分の部屋で聞こえるはずがなかった。私自身が想像した声で聞こえるはずがない。

 私はベッドに震える体を押さえながら私は独り言をつぶやいた。

「…ごめんなさい。って、謝っても許されないのに…馬鹿じゃん」

 掛け布団を頭までかけ直し、丸くなる。その間も音楽は止まらずに私の好きな曲をかけ続ける。

「沙里ー!早くしないと遅刻するわよ!」

「ん…」

 切り替えていかないとだめだ。ご飯を食べて制服に着替え、学校に行かないといけない。そう考えて動こうとするが身体が言うことを聞かなかった。私は無理に起きることはなく、ずっと横になっていた。

 それから十分ほど経った後、心配になった母親が部屋に入ってきた。

「大丈夫?」

 その声は少し小さかった。よく片頭痛になるのでそれだと思ったのだろう。

「今日、休む。頭痛」

 その言葉だけ発し、布団をかぶって寝たふりをする。本当は頭痛なんてなかった。ただ単に行きたくなかった。

「わかった。学校には連絡しておくから薬飲みなさいね」

 心配するような声色で部屋を出ていった。こういう時に片頭痛は便利だ。痛いと思えば痛いのだから嘘はついていない。

 その後に「行ってきます」と声が聞こえた。家は共働きなので昼間は誰も居ない。その誰も居ない空間が好きだった。1人だけの世界に感じて。スマホを見ると8時半。ぼーっとすると時間が早く過ぎる。

 のんびりとベッドから出て一階に降りる。朝ご飯にはラップがかかっていた。そのラップを取り、ご飯を食べて二階に戻る。

 そしてベッドの上でスマホをいじる。戦争などのニュースを見ると苦しくなるので新刊の情報収集やネットに上がっている気になった小説を片っ端から読み進める。

 小説も区切りよく完結し、余韻に浸っていると、スマホの時計が目に入る。スマホは十時を指していた。ふと、高台に行きたいと思った。理由はない。ただ行きたくなったから行く。それだけだ。それからの行動は私服に着替えて靴を履き、高台に行くのは動作もなかった。

 いつもの道を通り、高台に着いた。夕方に寄るのと昼間に寄るのでは見方が全く違う。昼間は車の音が少なく、学校に通っている子どもの声がする。それから、お年寄りの姿も多い。私は椅子に座って雲を眺める。雲はゆっくりだが、確実に動いていた。

「…あの人は来ないよね」

 会いたいというわけでもないが、少しがっかりしながら、ポツリと呟いた言葉だった。

「誰が居ないの?」

 後ろからそんな声が聞こえて驚いた。今の時間は2時間目の中盤。そんな時間帯にここに居るのはずる休みをした人しか居ない。後ろを振り返るとやはりいつもの服で立っている。

「あれ?今日は学校だよね?」

 その人は気の抜ける声色で喋りかけてくる。一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐに笑った。

「今日は学校休んだんです」

「ずる休み?」

「…はい」

 この人には嘘は通じなさそうだった。それに私自身嘘を吐くのは嫌気が差していた。

 この人と出会っておよそ3ヶ月が過ぎた。この人は嘘を話したとしてもそれを素直に受け取ってくれるだろうし、何も聞かないでくれるはずだ。必要以上に踏み込まない、人との距離感が分かる人だった。

 その人は驚いたように目を開いた。そして、感心したようになにかを呟き、にやりと言った。

「へぇ…、君って意外と悪い子だったんだ」

「私だって酷いことの2つや3つ、それ以上やりますよ」

「ひどいこと?」

「…自己嫌悪での満足感しかないんです。自分、こんなに苦しんでいてすごいでしょ、って感じの。最低ですよ、ほんと」

「今まで何があったの?」

 私が自分自身を嘲笑うように言うと、その人は優しい声で聞いた。

 この人の声は声だけで怒ったり、優しくなったりしている。どうしてそんなに上手く声を使えるのだろうか。

「私は…」

 過去にあったことをすべて話してしまった。誰もいないということと、その人がゆっくりした子供に話しかけるような聞き方が原因なはずだ。

 過去に仲の良かったグループの友達の一人が「苦手だから」という理由で遊びに誘わなかったり、極端に嫌がったりして、一緒にいじめたこと。そして、いじめが先生にバレた。一時間こってり怒られたが、親には言われなかった。どうしてかは知らない。

 その時の先生が信用した人から裏切られたような顔をしてこちらを見ていたのが印象的だった。

「どうして止められかったの?」

 そう、先生は言った。私はそれまで先生に酷く怒られるような悪いことはしていなかった。いつも常識はあった。だから余計、先生に、友人に失望させたんだと思う。

 それからはいじめを絶対にしない、してはいけないと心に誓い、その子に謝罪もした。その子も赦してくれたのだろう。普通に遊んでくれたこともあった。でも、いつも私の心の中にはいじめをした事実が残っていた。その事実はふとした瞬間に突然思い出される。今日思い出した言葉のように。

 その後はまた別の問題が出てきた。前のグループとはクラスが離れ、そのままその子たちとは遊ばなくなった。そして、別の4人の友達と遊ぶようになったのだが、叩き合いのゲームがその友達の間で流行っていた。でも、その流行がわからず、ただ単にそれは駄目だ、危ないと1人の友達を中心に掴み、「危ないから、やめた方がいい」と話していた。自分なりの勇気を出した一歩だった。だが、それも裏目に出た。自分が止めた子が休みがちになった。心配になっていた時に他の人から呼び出され、事情を聞くと、「自分一人だけ掴まれるといっぱい叩かれるからやめてほしいって言ってたよ」と言われた。そう聞いて、すぐに反論がでかかった。なら、その遊びをやめればいいのになんで辞めないんだろう、と。でも頭を何かで殴られたような衝撃が入ったのも事実だった。そんな些細な事もわからなかった自分に反吐が出た。

 それから、私は人の嫌なことに酷く鈍感だということをやっと自覚した。人に言われなければ嫌なことが分からず、察することもできない。無意識のうちに嫌なことをしてしまう。自分が嫌われるのは嫌だから、表に出さないように。素直になることを自らが止めた。いや、声に出して反論することや意見を出すことを面倒臭がった。何も言わなければ、誰も必要以上にかかわらなければいじめにも、辛いことにも巻き込まれることはない。

 それからは特定の友人を作らずにふらふらと話しかけられたクラスの人についたり、つかなかったりを繰り返した。最低限の関わりしかしないから喧嘩もいじめも起こらないし、知ることもない。それがひどく楽に感じた。それからは本音を話すと涙が出たり、言葉がつっかえたりするので話すことはなくなった。

 そんなことを言葉をつっかえたり、何度も言い換えたり、涙をポロポロと流したりしながらその人に話した。その間、その人はなにも言わず、ただ空を眺めていた。それが、私にとって嬉しかった。

 必要以上の干渉をせず、つかず離れずの関係。1番楽な関係だった。

「と言うことがあって、今では中学であった親友と本だけが唯一家族以外で安心できる人です。その子達にも自分の意見を言うことが怖いんですけど…。後はここが何も考えなくていい場所でした」

 そう言って言葉を締める。私は深呼吸をして呼吸を整え、涙を止めるのに集中した。

 小学校から起こった今の私になった過程をすべて話してしまった。幻滅したのだろうか、それとも何も思わなかったのだろうか。この手の話をしたことがなかったから分からない。

「大変だったね。…あ、いや、同情は無粋だったか…」

「もういじめをしていませんし、人の嫌がることをしていないはずです。すみません、長々と。そろそろ帰ります」

「待って。もう少し話そう」

 立ち上がろうとする私をあの人が呼び止めるなんて初めてだった。

「なにをですか?」

「君はどうしたいの?」

 そう聞かれた。恐らく、あの話の続きだろう。私は座り直して前を向く。

「話すことはありません」

「君はその子達に謝りたくはないの?」

「勿論、謝りたいです。でも、怖いんです」

「どうして怖いの?」

 この人は怖くはないのだろうか。小学生で明確な分別が分からなかったとは言え、一番駄目な酷いことを行って、今更再度謝りに行くなんて。

「だって、今更、何言ってるんだって。そんなこと思い出させないでよ、って。どうせ謝ったらそこで終わりなんでしょ。そう否定されるのが嫌なんです。だったら、この思いはずっと私が持って忘れないようにしたほうが良いと思いませんか。それとも貴方は怖くないんですか?」

「怖い、と思う。でも、いつまで経っても変わらない。君も苦しんだままだよ」

「知ってます」

 そんな事は既に知っている。身にしみて分かっている。でも、謝って罪悪感が消えて、その子達のこと忘れて、もう1回あんなことしたら…。そんな恐怖が思い出すたびにのしかかる。

「大丈夫だよ。だって、そんなに沢山考えたんでしょ」

「なんでそんな事がわかるんですか」

 声を荒げてその人を見ながら言う。でもその人は驚きも戸惑いもしなかった。ただ、私の目をじっと見て本心を探っているような感じがした。

「なんでって、僕だってそうだから」

 その人も私と同じだとでも言うのだろうか。のほほんとしていて、誰にでも愛され、自分を持っている人とその正反対の私と。

「僕も話すよ。僕だけが君の秘密を知るだけじゃフェアじゃないしね。僕の名前は、冬乃雪。今この学校にいる冬乃夏帆の従兄弟だよ。僕は、今学校を休んでいるんだ。三年になったと同時に発覚したから丁度半年になってないくらいかな?病気でね。病名は…知らなくていいよね」

 その人はどんどん自分のことを打ち明けていく。

「病気になって二ヶ月後ぐらいに夏帆さんに酷いことを言ったんだ。『僕なんかいなくてよかった。殺してよ』って。夏帆さんは僕の肩を勢いよく掴んで『そんなこと言わないで』って泣きそうな顔で言った。すぐに謝ったからその場では許してくれたけど本当は悲しかったと思う。たまにどうしてあんなこと言ったんだろうって思う。でも僕は死を考えることは悪いことではないとも思う。矛盾かな?」

 その人はこちらを向き、私に返答を求めた。私は首を振る。声は掛けてはいけない気がした。その人は空から視線を下げて住宅街の方を見ながら話す。

「病気が発覚して治りかけてきてから僕は、学校に行けるときは放課後だけ行くようにしてるんだ。あとは、外出許可が出たときに少しだけ散歩したりね。ここって、奥に山が見えて、下には住宅街が並んでいるでしょ。どこにでもある風景だけど、病室で白い壁ばかりみているとこんなにもきれいに見える場所があったのかって思って最初に見たときは驚いた。ここで星空を見れたらきっと綺麗だろうなって思う。それと同時に何でこんないい場所がほとんどの人に見つからないように隠れるようにあるんだろうって不思議に思った。でも穴場を見つけたようで嬉しかったから人には言わなかった」

 それから、一拍開けて続けた。

「昔から僕は何でもそれなりにできるから色んな人と友達だったんだ。でも、病気になって入院。でも最初はクラスの人とか、友達、後輩もお見舞いに来てくれたけど、その人達はどんどん僕を置いて先に進むって考えたら悔しくなって来た人全員に当たったら誰も来なくなった。まぁ、当たり前なんだけど。段々人が少なくなって今では週に1回後輩が来るだけになった。その方が楽だよ」

 ふわりと笑いながらこちらを見た。私は桜のことだと思った。桜は、この人が好きだと言っていた。多分、入院してることは知っているだろう。

「君のクラスに海原悠介って子がいるでしょ?」

「海原?」

 名前に挙がったのは桜ではなかった。

「そう。あれ?いなかったっけ?」

 思考をめぐらし思い出す。よく話しかけてくる人だった。あまり興味がないのでどんな顔だったかは思い出せないが。

「居ます」

「その子はね、僕の後輩なんだ。いつでも本を読んでいる子がいるって聞いていたんだ。その子は1人が好きなのかと聞くとそうでもなさそうといった。1人が好きなのではなく、人に壁を作っているって言っていたよ。そう聞いたときは君だとは思わなかったんだ。だって、僕と居るときは壁なんか作らないで普通に話しているように感じたから」

「壁…」

 言葉を繰り返す。壁。人と人を妨げる、関わりに線を引くために作った私の壁。

「いつ知ったんですか?それが私だって」

「それは…、海原に聞いたほうが早いよ、うん」

 要領を得ない返答をされ、言葉を変えた。

「じゃあなぜ、冬乃さんはそれを知ってもここに来て私と話をするんですか?病気のことも話して。話さなければずっと知らなかったはずなのに、わざわざ教えたんですか?」

「1つ目の質問は君と話をするのは楽しいから。2つ目は君の言いたくない事を話したのに僕は話さなかったらフェアじゃないだろ?…ただそれだけ」

 その人は指をピースにして話した。

「すごいですね」

 素直に尊敬する。ふと、桜のことを思い出した。これなら、桜と付き合っても仲良くできそうだ。線引きはきちんとしてる。

「そうかな?」

「はい」

「君、今レンアイについて考えたでしょ」

 なんで考えていたことがわかるのだろうか。エスパーなのか、人の表情に敏感なのか…。

「それ、面倒なんだよ。君みたいに壁作ってみようかな…」

 ため息を吐くように下を向いた。その人は静かな声で愚痴を吐いた。

「良く言えば好きになってくれた人だけど、悪くいえばただの追っかけ、ストーカーだよ。人のこと好きになるのはいいけど振ったら振ったで群れたり、言いふらしたりしないで欲しいよ。めんどくさい。プライバシーってもんが無いね」

 口をつぼめ、面倒くさそうな顔をした。この人は暗い表情があまり出ない。こんな顔をするのか、と驚いた。

「僕が他の女の人と話したらその人はあるグループたちに質問攻めにあって最終的には関わってこなくなる。振ったら僕は有りもしない噂を流される。そうなると僕は学校の居場所が無くなっちゃう。あと一年、あと一年って考えてたけど、やっぱ無理で。ストレスで病気になって入院。これじゃ、頑張ってた意味ないなぁ…」

 言葉が出なかった。この人はそんなにモテていたのか。恋はするものではないと改めて思ってしまう。

「恋はする必要がないですね。本の中だけで十分です。そう思いませんか?」

 その人も同意すると思っていたのに意外な返答が返ってきた。

「そんな事はないと思うよ。恋は相手を美化し過ぎてしまう。でも、驚くべき行動力にもなる。使い方で吉と出るか凶と出るかはその人次第だし、見方によっても変わるよ。だから、恋は面白い。ま、僕に関わらない場所で、っていう条件付きだけど」

「なるほど」

 人の行動次第で変わるというのはよく考えたものだ。

「ありがとうございました。冬乃さん」

「あのさ、冬乃って名字で呼ばないでくれる?」

「なんでですか?」

「冬乃って二人いるじゃん、だから、わかりやすくするため。いいね?」

 先生だからわかりやすくする必要もないと思ったが愚痴を聞いてもらった手前あまり文句は言えなかった。

「わかりました。あなたのお陰で少し気持ちが落ち着きました」

「それは良かった」

 その人は安心したように笑った。優しいけど、ちゃんと自分の意志をもつ人だ。それに会ったことがある中で一番自分自身を知っている。

「質問です。好きな人はいますか?」

 桜が好きといったときから一度聞いてみたかった。その人は目をパチクリとし、笑った。きっと、この笑顔におちたんだな、と嫌でも察しがつく。それぐらい綺麗で、優しい笑顔だった。

「どっちだと思う?」

「どっちでもいいです。私は関係ないので」

「じゃあ、教えない!」

「そうですか」

 好きな人がいるかどうか聞いてどうするのだろうか。もしも居たら、桜だと思い、応援するのだろうか。はたまた、いなかったらどうするのだろう。もう桜とは話をしないかも知れないのに。

「…質問やめます。頭の中でおかしくなりました」

 私は帰るためにベンチを立つ。時間はお昼になっていた。家に帰ってご飯を食べなければいけなかった。

「じゃあ、これあげる」

 そう言って、袋から何か取り出し、私の手の上に乗せた。

「パン?」

「うん。静守屋のパンだよ。前のお礼」

「…ありがとうございます」

 クロワッサンをもらった。

「どういたしまして」

「色んな人が好きになる理由がわかる気がします。色んな人にこうやって優しくされたら、安心しちゃいますもんね」

 ボソッと話すと、のんびりと返事が来る。

「誰にでも優しくはしないよ。でも、真剣にやってる人は応援したくなっちゃうから」

「すごいですね」

「お世辞はやめてよ」

「お世辞じゃないです。本心で言ってます。そんな優しい人世界中探しても見つけること難しいです」

 二人は、もういつものように空を見上げながら話してはいなかった。目を合わせ、会話をしている。

「そうかな?僕にとっては君のほうが優しいと思うよ。」

「私は優しくありません。怒られるのが怖いからなるべく怒らせないようにしているだけです」

 そう話していて、恥ずかしくなった。私は自分のことしか考えていなかったんだと思い知ったから。

「それでも、すごいよ。僕には出来ないことだ。小学生のころの僕はずっと怒られないようにって考えるんじゃなくて、どうして怒られるのかっていうのが気になって人のことなんか考えなかったから。その自由研究だってやったんだよ?」

 その人はすべてを肯定したと思いきや、自分の意見を言うのが上手な人だと思った。あと、笑いを取るのも。周りにはそんな人はいない。最近は学校が離れたため、親友とも話せなくなり、不安なことが沢山続いた。桜は友達だが、今となっては怪しい。

 私はくすりと笑う。

「…じゃあ、そろそろ帰ります」

「あ、待って、これもあげる」

「なんですか。これ?」

 急いでポケットから何かを取り出し、手の上に乗せた。手のひらを見るとキーホルダーのようなものだった。

「お守り」

「お守り?」

 お守りと言うには不自然だった。ひよこ型の鉄製のストラップのように見える。それに、色々なところに持っていっているのだろう、ところどころ傷が見えた。

「それ、僕が使ってたお守りだよ。それ持ってるといいことあるから」

「大切なものじゃないんですか?」

「僕は君に持っててほしいんだ。来年から一緒の学年になっちゃうから。その時まで、ね?」

「なんでですか?」

「そうでもしないと君、居なくなっちゃいそうだから」

 その人は少し心配そうにこちらを見た。でも、消えたら楽になれるのだろうか。

「君が来た時、表情がもう限界って顔してた」

 私は驚いてキーホルダーを持っていない手で顔を触る。

「今はそんな顔はしてないけどね。でも、居なくなっちゃいそうで怖いからそれ持っててね。来年になって、学校であったら返して」

「…わかりました」

「ありがとう。じゃあ、またね」

「また今度」

 そう言うとその人の顔が明るくなった。

 帰る時、聞こえた声には考えないようにして家へ帰る。「行動して間違えるより、行動しないで間違いかわからない方がよっぽどたちが悪いと僕は思うよ」そう聞こえた気がした。

 桜から『お昼どこいるの?もしかして休み?』と連絡が来ていたから、『頭痛で休んだ、ごめん』とだけ返しておいた。ストラップのお守りはスマホケースに付けることにした。そこがー番、目に入るから。

 午後は、勉強に取り組んだり、スマホを見たりしていた。両親が返ってくると、心配していたらしく、ゼリーを買ってきてくれた。片頭痛が落ち着いたことを伝え、いつも通り過ごす。

 それから次の日は学校に行こうと決め、眠りについた。最適解はでないだろうが、あの子達にどうやって謝ればいいか考え始めた。


 学校に着くと、すぐに席についた。桜は集合場所に来ないため、LINEをしたら「今日から別の人と行く」と連絡が来た。だから、一人のペースで学校に来た。小説がクライマックスの場面だったので、楽しみだった。犯人が探偵に名指しされ、密室を解いている時に

「おはよう!」

 と目の前から声が聞こえた。透き通った綺麗な声。海原さんだ。イヤホンを取り、返事をする。

「おはようございます」

「宮葉さん、今日こそはお昼一緒に食べよ!」

 こうやって毎日話題を見つけては朝の1時間目まで話しかけてくる。海原さんは飽きないのか、と不安にも気にもなる。

「別にいいですけど…」

 桜は今日、別の人と食べる予定があったらしいし、今日は1人だったから断る理由もなかった。

「まじ!?」

 海原さんが予想以上に大きい声を出してきた。うるさいという気持ちが伝わったのか、少し恥ずかしそうにして「悪い」と謝った。

「大丈夫だよ」

「よかった…、やっとだ…」

 海原さんは嬉しそうに笑った。

「ありがとう!あ、それでね。今日、登校中に猫がいたんだけど、その猫が足すっごく短くて、かわいかったんだ。帰りもいると思う?」

「…お願いしてみたらどうですか?」

「……お願い?」

「はい」

「どこに?」

「近くの神社。登校途中にあるから」

「なるほど!それはいいな。ありがとー!」

 そう言うと、海原さんは満足したように友達の方に向かっていった。

 おそらく、持っていた小説が残り数ページだったから早く切り上げてくれたのだろう。空気を読むのが上手い。


 お昼休みになると、海原さんがこっちに来た。

「さて、行こー?」

「あ、はい。」生返事をしてお弁当と本、スマホを持って立ち上がった。隣の机から驚きの声が上がっていた。

「嘘ー!宮葉さんと食べるの?聞いてないんだけど」

 少しだけのメイクと丁寧に手入れされている長くて綺麗な髪をなびかせて言った。確かクラスの中心にいる人でいつも笑っていた人だ。クラス会議でみんなの意見をまとめるのが凄く上手かった気がする。

「ごめん!今日は宮葉さんと食べたいって誘ったからまた明日な」

「しょうがないなー!」

 その人は大きく笑う人で明るかった。周りにお花が飛んでいそうな、温かい雰囲気がした。

「宮葉さん、今度うちらとも食べようよ。そういや、あんまり話したことなかったよね?」

 その子の隣にいる女の子が声をかけた。

「うん、誘ってくれてありがとう。えっと…柳さん」

 高校では珍しい胸元にある名札を見て、言った。

「柳さんなんて呼ばれんの久しぶりだよ!皆と同じように陽奈でいいよ」

「あ、わかった。陽奈さん、誘ってくれてありがとう。嬉しかったです」

『太陽のように笑う陽菜さん』と関連付けて覚えようと頭のメモ帳に付け足す。

「えー、結構いい子だね。本を読んでるから話しかけづらかったけど…」

「本を読んでるときは話し掛けても大丈夫だよ。暇してるから」そう嘘をついた。話し掛けられるのは嫌いではなかったから。

 陽菜は「わかった」と柔らかい笑顔で返事をしてくれた。

「あのー…そろそろ行きたいんだけど…」

 海原さんが右手を小さくあげて声をかけてきた。

「お昼休み無くなっちゃうもんね。またねー」

「あ、うん」

 陽菜さんたちはお弁当を持って他の場所へ移動した。いつも通りクラスには暖かい雰囲気が出ていた。その雰囲気は私にとって安心する。

「行こっか」

 海原さんを先頭に後ろをついていく。海原さんは図書室の前まで来ると上の階段に上がった。

「こっちは、屋上しかないよ?」

「大丈夫。鍵もらってるんだ」

 そう言いながら鍵を人さし指でバランスよく回す。海原さんはなにかの権力者なんだろうかと考えていると、それを読み取ったように言った。

「僕、天文部で毎週、屋上で星を見るんだ。だから、鍵を渡してくれるんだよ」

 天文部がこの学校にある事自体に驚いた。流石、私立。

 海原さんが屋上を鍵を開け、入る。それに続いて屋上に出る。真っすぐ前を見るとまず目に入ったのは青空と住宅街だった。

「綺麗…」と呟くと「だろ?」と返事が返ってくる。

 屋上の真ん中に座り、お弁当を開けて食べながら話す。

「屋上に入れるにもいろいろ手続きがあってね。大変なんだよ?」

 海原さんは屋上に入れる条件や経緯を話してくれた。

 まず、屋上には2m超えの柵と柵を乗り越えてしまった場合を考えてその奥に網が敷かれている。そして、屋上の端に小さな先生が監視用(言い方が悪い)の小屋。そして、その小屋に先生がいる間だけ屋上が解放される。屋上に行く人数と時間、鍵を持っている人(天文部限定)の名前を書き、許可をもらってから鍵を受け取ることができるらしい。返却時は返却した時間、人数、所持している人の名前の記入が必須だと言う。確かに面倒な手続きだ。しかもこのシステムはほとんどの生徒に知られていないらしい。

「なんで、私とご飯食べよって誘ったんですか?」

「話してみたかったんだよね。雪先輩のことちゃんと見てる人と」

 海原さんの言っているのは色眼鏡を使わないで見ている人、という解釈であっているはずだ。

「宮葉さんって、雪先輩と仲いいでしょ?」

「うん」

 あの人は有名な人らしかった。いや、海原さんは毎週お見舞いに行ってるから別にそんなことはないか、と考え直す。

「新年になってから入院したんだけど、二ヶ月経った頃から外出できるのにしなかった。なのに雪先輩は四月になってからよく病院を出て散歩をするようになったらしいんだ。多分その時から雪先輩と会ってたんだよね?」

「多分…?」私は出会った場面を思い出していた。

「うん。正直、ずるいって思った」

「ずるい?」

「だって、俺の方が今年に入ってからずっと通ってたし、お見舞いの品とかも素直に受け取ってもらうのだって、時間かかったのに、君は出会ってすぐに受け取ってもらったでしょ?」

「パンのこと?」

「うん。驚いたんだ。雪先輩がパンを買ってきた時。そのパンをもらったけど美味しかった。」

 その時はとてもお腹が空いていて誰からでもいいから食べ物が欲しかったんだろうと思った。でも、静守屋のパンが美味しいと言われて嫌な気持ちはしない。

「だよね!すっごく美味しいの」

「でも、雪先輩が話している子が宮葉さんだとは思わなかった」

「え…?」ということは私は変人だと思われたのか、または居ないものとして扱われたのか?毎日のように話しかけられるのに…?

「だって、いい子なんだけど、空回ってそうな子。それでも、優しくて、約束は絶対に忘れないし、守る。時々見せる笑顔が子供みたい。って言ってた。それに、名前教えたのに呼んでくれないって言ってたよ」

「そんなに…。でも、空回っているのはあってます。その他はわかんないですけど」

 雪さんは私のことを意外と自分以上に知っていそうだと思った。

「その後、名前を呼んでくれたって嬉しそうに報告してきたよ。呼んであげたんだ」

「まぁ、いろいろあって…。ところで、海原さんは何で壁を作ってるって知ったんですか?」

 褒められるのがむず痒く、話題を変えることにした。

「そんなの簡単だよ。関わりたくないオーラ出てたもん。でも、違ったんだね。傷つけるのが怖くて壁を作っちゃうんだね。だって、陽菜たちに誘われた時嬉しそうだったし」

「誰だって誘われたら嬉しいですよ」

 あまり話したことがない人でもご飯に誘われたら予定がなければ嬉しいはずだと思った。

「俺の誘いも嬉しかった?」

「はい」

「よかった。でもそうならもっと早く一緒に食べてほしかったんだけど」

 海原さんはホッとしたように笑ってから口をとがらせて拗ねた。

「先約があったので」

「先約?」

「友人です。今日はたまたま他の人と食べるって連絡が来てたので」

「なるほど。その友人に俺は負けてたんだ」

「はい」

「はい!?え、慰めとかないの?」

「必要ですか?」

「いや、いらない」

 真顔で即答された。海原さんは嘘や無駄な気遣いを好んでいないことは話していてわかる。ズバッと話してほしいと思っているだろう。

「あと、そのストラップ見たことあるんだけど…」

 海原さんはスマホのストラップを指差していった。

「これは、お守りです」

「お守り?」

「はい」

 何も聞かないでほしいと思った。それは言葉を見つけられなかったからだ。その人から預かったといえば良いのか、自分で買ったと言って良いのかわからなかった。

「わかった。今日はありがとう。そろそろ時間だから戻ろうか」

「はい。そうですね」

 食べ終わったお弁当を片付け、屋上を出る。

「あ、それから、空が好きなら天文部入ったら?気になるなら見学しに来てね」

 宣伝も忘れていなかったのは面白かった。私はやんわり断ると海原さんは楽しそうにからからと笑った。

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