鳥奏
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ん、これは……こーちゃん、ちょっと待ってもらえるかい?
この木の幹のあたり、どうも妙だと思わない? やたら一ヶ所だけ削れているし、羽毛もへばりついている……まさか今どき、「鳥奏」の気配を見るなんてね。
ん、こーちゃんは鳥奏を知らなかった?
これはね、鳥が自身の鳴き声だけでは伝えきれない、表現しきれないものをあらわすための、コミュニケーション手段とされているんだ。少なくとも、僕の地元ではそう教わったんだけど……そっかあ、ポピュラーじゃないのかなあ。
――ん? だったらその地域特有の異常事態が、鳥同士の間であるんじゃないか?
おお、こーちゃん、さすがにスルドイねえ。
そう、この鳥奏あるところ、起こるとされる奇怪な現象が僕たちの間で伝わっている。
ときに、人間サマにも影響があるようだから、僕も話をいくつか聞いたことがあるんだ。
そのうちのひとつ、聞いてみないかい?
むかしむかし。
山へ薪をとりに出かけていた村の男が、奇妙な声を聞いた。
最初はハトの声かと思ったものが、ほどなく歯ぎしりをする犬のうなりに代わり、長く長く響いてくる。
てっきり、鳥が犬に襲われたのかと、男は思ったらしい。
しかし、犬らしきうなり声が、あまりに長く響いている。相手を威嚇するにしても、こうももたつくことは、村の犬たちでもめったにない。
実際に飛びかかるなり、逃げるなり、吠えたてるなりと、次の段階に移行しそうな気配があるというのに。
いったい、何が起きている?
音を頼りに、男は先へ進んでみた。うなりが大きくなる方を探りながら、歩を進めていく。
いよいよ、出どころが近いか……と思った矢先。
ふっと手をかけた木の幹から、突然に木くずが舞った。同時に、幹から伝わる衝撃。
てっきり、自分が体重をかけてしまったために、幹が折れかけたのかと思ったが、違う。
自分が手をかけたのとは、反対側の側面が大きくえぐられていた。
こぶし大も幹の側面をえぐったその傷跡は、表皮の下にある明るい黄色の繊維をさらしていたが、そこに添えられるのが無数の羽。
一枚一枚は、男の指に乗っかってしまうほど小さいもの。それが十枚以上散らばって、幹へしがみついていた。
――鳥が、幹へ体当たりした?
瞬間を見ずとも、男の脳裏はその様を容易に想像してみせる。
幹に身体を打ち付けながらも、そこで止まることのないスレスレを、この鳥は思い切りよく抜けていったんだ。
もし、中途半端に上昇したり、軌道を変えたり、速度をゆるめたりしていたのなら、こうも羽が見事に張り付くはずがない。
それだけの度胸が、これを成した鳥にはあったということ。おそらくは、自分が手をついたときには、ちょうどその反対側から抜けていったところだったのだろう。
そして、またも犬に似たうなり声を男は耳にする。
自分が先ほどまで歩いてきた方向からだ。
声の主らしいものに、男は道中で出くわしていない。潜んでいたか、あるいはこちらと行き違う形で移動をしていたのか……。
そこから男は、何度もうなり声のする方へ向かい続けたが、たどり着けなかった。
代わりに、幹を削り取るほどの体当たりのかまされた痕跡を、目の当たりにしていく。
数回は最初に見つけたように、幹の側面へひとつ。こぶし大の傷と、たっぷりの羽毛がこすりつけてあるだけだった。
しかし、うなり声を追っていくうちに、幹の傷は変化していったのだとか。
男の腕一本分の間をおいて、二つの傷が縦に並ぶときがあった。
歯型を思わせる細かさで、傷が並ぶことがあった。
傷そのものも、すでについていたと思しきときから、先ほどのように通りかかった瞬間にえぐられて、こさえられるときもあったとか。
また、自分の脇で木が一本、新たな傷とともに揺らされるのを見て、男はついのけぞり気味になってしまう。
最初の傷から注意をし続けているが、やはり傷を負わせる、鳥と思われるものたちの動きは速い。
気を張っていても、まともに姿をとらえることができないんだ。
達人の投げる石つぶてを上回るかもしれない。影の横切ったことが、かろうじて肉眼で察せられるのがせいぜい。
新たに傷ができる瞬間は、どうにか目にできている。その威力、おそらく自分にぶつかってきたなら、ただでは済まないだろう。
引き返すべきでないか、と心の中でちらつく声もある。
でもそれ以上に、「もう一本、あと一本」と実態を知りたがって、ぐずぐず引き伸ばしていきたがる気持ちが勝って、つい男の足を先へ進めていってしまったんだ。
そして、これまでで一番の奥地へ入り込んだとき。
かのうなり声も、一番の近場で響いてきた。
それはもう耳元。人同士であれば、吐息がぶつけられてもおかしくないだろう距離から、殺気を帯びる響きを感じた。
やられる、と反射的に思ってしまうほどの危機感を、この間近で男はようやく覚えたのだが、例の傷もまた黙っていない。
これまでで一番、集まってきた。
いま男を取り囲む木々から、次々と音が立つ。
木くずが舞った。影が走った。そして、自分と行き違いになるのがせいぜいだったこれまでと違い、四方から自分のすぐ右手の、抱え込めそうな位置にある空間へ、無数に交差していく軌道を見せたんだ。
その意味は、すぐ分かった。
影が横切るや、うなり声はとうとう悲鳴へ早変わりしたからだ。
同時に、どぼりと赤黒い液体が影の通過した空間から垂れ落ち、あふれ出る。
男の服にもいくつかひっつくほとばしりと、土への無数の血だまりが、数えきれない交わりの果てに作られた。
そして終わる。うなりどころか、新たにあげはじめた悲鳴すらもかき消えて、代わりに男の足元あたりで落ち葉たちが振動とともに、かすかに舞い上がった。
何かがここに倒れ落ちたのだろうが、すかさず飛行する影たちが、そのあたりを通り過ぎる。そして影たちもまた、ぴたりと気配を見せなくなってしまったんだ。
ためしにつま先を動かしてみる男だけど、その足は何もとらえない。
仮にさわれるものだったとしても、あの影が先ほど持ち去ってしまったのだろう。
おそるおそる確かめてみる、周りの木。
そこにはこれまで見てきた傷と羽毛の集まりが、一番の頻度であらわれて、男の目を見張らせたのだとか。
あれは狩りだと男は踏んでいたらしい。
鳴き声では邪魔され、存分に伝えられないことを、鳥とおぼしきものたちはああして連絡しあった。
そして自分には得体のしれない獲物を、仕留めてみせたのだと。