第9話
翌日正午……
「周囲に敵影はありません。動くなら今です」
「ホルウェ港方面へ移動したとの報告があります、数は300。武装は盾と槍、騎馬は居ません」
地上へ斥候に放っていた兵士達が地下水道へと戻ってきた。
彼らは全員フロリーナへ報告をすませ、彼女からの指示を待っている。
「予定通りだ。全てな……」
くすりと笑ったフロリーナは指示を下す。
「このままホルウェ港まで直進するぞ諸君。ホルウェ港の敵に奇襲をかける」
「了解!!」
所々まばらに木が生えた草原、そこを徒歩で歩むズウォレス軍達。
その兵士達を見てシセルは一つ思ったことがある。
──こいつらは多分ろくに訓練もされてない。まともな戦力にはならんぞ……
シセルが見ていたのは兵士の身体……正確には筋肉のつき方だ。
「なぁフロリーナ。聞きたいことがある」
「なんだね?」
「こいつらのうち、軍に入っていた経験のある人間は?」
「およそ半分、つまりは50程だな」
たったそれだけ!?そう思わず声をあげそうになったがすんでのところで押さえ、質問を続けるシセル。
「その中で戦場に出たことがある人間は?」
「……さらに半分」
予想以上だ、奇襲してもこれでは勝ち目が薄い。
いや勝てないだろう。
たかだか100人、それも寄せ集めでベルトムントの正規軍に勝てるわけがない。
「まさかとは思うがお前の護衛についてる二人は……」
「安心してくれ、彼等は軍務ついて長い。力もあるよ」
「そうか」
言われて護衛に目をやる。
確かに他の兵士と比べて屈強な肉体をしているし、なにもしていない兵士よりはマシだろう。
だが……
「俺は5年前のズウォレスとベルトムントの戦いに参加しているがこの様だ。臆病風に吹かれてまともに敵に弓引くこともままならんだろう。ましてやほとんど戦争したことも無い人間が戦場の空気に耐えられるのか?」
「それはその通り」
思いのほかフロリーナはあっさり認めた。
「だがもうこれしか残されていなかったのさ。このままでは反抗すらできなくなってーー」
そこまで言ったあたりで、仲間の一人が叫んだ。
「敵の斥候だ! 3人組! 前方にいるぞ!!」
「何?」
叫んだのは先頭の兵士、そして彼らが視線を向ける先には確かに斥候とみられる人間が木陰に隠れるように立っていた。
──まずい!!
ホルウェ港に居るであろうベルトムント軍にあの斥候が戻ってしまえばそれこそ終わりだ。
奇襲攻撃すらも出来なくなってしまう。
「矢を放て! 絶対に生かして帰すな!」
フロリーナの号令で何人かの兵士が走りながら矢を放つが、どれも目標である敵の斥候まで届かない。
──あの斥候が逃げきれれば終わり、戦っても勝ち目は低いがまだ生きられる可能性がある……だったら俺は……
「フロリーナ、持っててくれ」
「何?」
シセルは自分の矢筒をフロリーナに渡し自前の弓に矢をつがえる。
──ギリギリだが……俺なら当てられる。
限界まで弓を引き絞る。
シセルから見てもはや麦の粒のように見える敵だが当てられる、当てられる……
そう自分に言い聞かせ矢を放つ。
そして放たれた矢は風を切る音と共に敵に向かって行き……
「なんだと!?」
過たず敵に命中した。
「次をよこせ! 早く!」
「あ、ああ」
矢筒の中から矢を渡すフロリーナの真っ白い肌に汗がにじんでいる、その青い瞳が限界まで見開かれている。
ざまあみろ、いい気味だ、フロリーナは驚いているじゃないか。
シセルは思わず笑みを浮かべながら次を放つ。
「次!」
立て続けに矢を放つ。
今のシセルの顔つきは人を殺したくないなどと言っていた軟弱な顔つきではない。
兵士の顔だ。
「信じられん……」
「長弓とはいえあそこまで届かせられて、おまけにあてられる人間なんて……」
その場に居る人間がシセルに視線を送っていた。
「……そういえば昔聞いたことがある」
「何をだ?」
フロリーナの護衛が額に汗をにじませながら話す。
「前線で逃げ回りながら敵の隊長や指揮官を討っていた男のことさ。そいつは最終的に心を病んで捕虜の管理を任されて前線から退いたが元々はこう呼ばれていた。『ズウォレスの黒狐』ってな」