第61話
どうか誰も居ませんように。
シセルはそう願いながら、腰の長剣を抜き放つ。
「…………」
足音を殺して、部屋の仕切りに使われている布をどけつつ奥の部屋へと入る。
中は他の家と変わらない椅子と机、それと藁のベッドが置かれただけのただの粗末な部屋だ。
窓の手前に丁度人が入れそうな大きい木箱がおいてある以外は……
ーー誰も出てくるなよ。
心の中でそう祈りながら、シセルは木箱を開けた。
すると……
「あ、ああ……」
木箱の中で体を縮め、小さな子供の口をふさぎ、恐怖に涙を流す若い母親の姿が目に入った。
「お、お許しーー」
「黙れ」
大きな声を上げそうな母親の口をシセルは手で封じ、周囲を警戒する。
「……逃げろ。この家を出て森にでも隠れながら東に進め。ベルトムントまで逃げ続けろ」
母親にだけ聞こえる声量でそう耳打ちする。
シセルというズウォレス兵の言葉に、この母親は驚愕していた。
「おーいシセルさーん! 大丈夫かー?」
「こっちは大丈夫だ! 食糧と水の補給に人手を回してくれ!」
仲間が寄ってきた、時間がない。
「そこの窓からだ、行け」
「あ、あの……」
「早く行け!」
シセルは力ずくで木箱から二人を出すと、窓を指差してそう言った。
「あ、ありがとうございます」
軽い会釈をしながらそう言うと、母親は子供を抱えて窓から飛び出した。
ーーこれで、良かったんだよな。
『牧羊犬』は難民をベルトムントにけしかけるのが主な役割だ、無論他にも色々役割はあるだろうが……
だったら今ここでシセルがやったことも、間違いでは無いはずだ。
「頼むから逃げきってくれ……」
シセルはそう呟いて仲間の所に戻ろうとした。
「嫌やめて!! 助けてーー子供は! 子供だけは!!」
「お母さーー」
先程の母親の声、それに加えて恐らく子供の物と思われる声がシセルのいる家に響き渡った。
慌ててシセルは窓から外を見る。
見えるのはズウォレス兵の人だかりと、そばに転がる二つに分かれた子供の死体。
人だかりの隙間から見えるのは血の気が失せた母親の物と思われる腕。
あの親子は逃げられなかったのだ。
「そうか……」
シセルは抑揚のない声でそれだけ言うと、誰も居ない鍋の置かれている部屋に戻った。
「クソが……」
椅子に力なく腰掛け、置かれていた匙を持ったシセルは口の中に鍋のスープを無理矢理流し込む。
途中むせ返りそうになったがそんなものは知ったことではない。
ただただ鍋の中身を噛み砕き嚥下し食べた。
「クソが、クソが、クソが……」
シセルの青い瞳からは大粒の涙が流れていた。




