第50話
この話は人に聞かれると面倒になるためシセルとフロリーナの二人は船尾へと移動し、話を始めた。
「以前から言っていたことだが、俺はお前たちが言っている『ズウォレスの黒狐』とは違う」
「というと?」
夜風に金色の髪をなびかせながら、フロリーナは小首をかしげた。
「俺はいわば2代目、先のベルトムントとの戦争でそう呼ばれていたのは初代の方だ」
初代のズウォレスの黒狐……
興味深そうに顎に手を当てながら、フロリーナはシセルの話を聞いた。
「俺はかつて先代の弟子だった。共に戦場を渡り歩き、ベルトムントとの戦争が終盤に近づいた時に先代は老いを理由に引退して、俺に異名を託した。『ズウォレスの黒狐』の輝かしい偉業はほぼすべてが先代のもの……俺はあくまで名前を渡されただけだ」
「で? あの女と一緒に居たという仲間はその先代だと?」
ああ、シセルは静かに頷いた。
「確かなのか?」
「お前が射られた位置からあの女の居た場所までの距離は大体ベルトムントの短弓の最大射程、そしてあの見通しの悪い森の中から正確に的に射る技量……この二つを備えた弓兵、暗殺者なんて数えるほどしか居ない。外見も一致する」
「そうか……」
フロリーナの反応は少し落胆が入っていた。
「正直に言うと少し残念だ。私としてはシセルには象徴のように立ち振る舞ってほしかったんだがな」
「象徴?」
ああそうだ、そうフロリーナは頷いた。
「シセルを拾った時。私は心が躍ったよ。我々の革命の日、かつての英雄である『ズウォレスの黒狐』が味方に、それも我々ズウォレス人の象徴とでも言うべき弓を携えてやってきた。これほど運命のようなものを感じたのは初めてだった」
「そうか……」
ーー俺に、象徴になれるような武勲なんてない。
ずっと詳細を言わなかったのがあだになった。
「だがシセル、その弓の腕は間違いなく本物だ。だから頼む。そのまま『ズウォレスの黒狐』を演じていてほしい」
「仲間を騙せと?」
できるなら御免被りたい。
「勝つためだ。味方にそれほど強い存在が居るとなれば少しは士気もあがるだろう? だからそのまま無敵で最強な弓兵を演じてほしい」
「……分った」
上官命令とあれば、不服であろうと従う。
最低限兵士として戦うならばそれくらいは志しておくべきだろう。
それがどれだけ下衆な上官だとしても。




