第43話
「全員行ったみたいだな。おら、出るぞ」
「寒い……薬の副作用だろうが……」
ホルウェ港が闇に包まれ、空に月と星が出始めた頃。
ようやくベルトムント軍は居なくなったのかシセル達が居る建物の周囲からは何も物音が聞こえなくなった。
そしてシセルも副作用で悪寒がするがようやく正気に戻った。
「シセル、お前は薬の使いすぎだ。少し控えろ」
「使わないとまともに人も殺せないんだよ」
敵を目の前にして反吐を撒き散らすような隙は見せたくないというのがシセルの考えだ。
「……人殺しにそれだけ抵抗ある奴が、よくもまぁ『ズウォレスの黒狐』なんて大層な異名貰えたな」
「それについてはまぁその通りさ。だが何度も言うがその名前は俺のじゃない」
「またそれか。もういい加減認めろよ。いつぞや俺達に見せたあの弓の腕……あんな芸当が出来るのはお前くらいなもんだ」
「……もういい、行こう」
埒が明かないとばかりにシセルは建物の外へと出て行った。
普通なら夜風が心地よいとでも思うのだろうが今のシセルにそんなことを考える余裕は無い。
阿片を使ったあとの副作用で頭の中は一杯だ。
「……薬、控えないとな」
薬の使い過ぎで死亡した事例などいくらでも聞いたことがある。
そんな目にあうなど、死ぬことなどまっぴらごめんだ。
昔は兵士として死ぬ覚悟もあっただろうが今のシセルは兵士ではない。
『元』弓兵なのだから。
同日同時刻、ホルウェ港の廃墟の一つにて……
「あーあー撤退しちまった、偵察とはいえなさけない」
葡萄酒の入った革袋に口をつけながら、誰も居なくなったホルウェ港を眺める人物がシセル達の他に居た。
木枠だけの窓に腰掛けいつぞやベルトムント王の執務室に現れた縮れた白髪の老人の姿が、そこにはあった。
傍らににベルトムント兵がよく使用する短い弓を置き、実に楽しそうに話をし始める。
「儂もそろそろ仕事に出るかな。老体に鞭うたせるとはベルトムント王も酷い事をする。まあ金は沢山貰ったが」
「では船を用意します」
老人のそばで完全に空気と化していた女性が口を開いた。
艶の一切ない白髪を後ろにまとめ上げ、何処にでもあるような麻の服に身を包んだ彼女は愛想という言葉が頭にないのかと問いたくなるほど仏頂面だ。
かなり整った顔立ちをしているのだがその愛想の無さがそれを台無しにしている。
彼女はこの老人の付き添いでついてきたのだが……どうやら不服だったようだ。
「ああ船は使わない。時に君は……ああ名前はなんだったかな?」
「トルデリーゼです」
名前を聞いた途端、老人はしかめっ面になった。
「呼びにくいな。やっぱり『君』でいこう」
「はあ……」
「船は使わない。泳いで渡る。君は泳ぐのは得意かね?」
老人の『泳ぐ』という言葉を聞いてトルデリーゼは耳を疑った。
ーー正気なの?
ホルウェ港からメラント島まで見えるような距離にはあるが、それでも泳いで渡るなんて現実的な話じゃない。
武器も鎧も身に着けた状態で長距離を泳ぐなんて御免被りたい。
「なに、嫌ならついてこなければいい」
そうして爽やかに笑いかけつつ、荷造りを始める老人。
「……いえ、私も参ります。『ズウォレスの黒狐』さん」
トルデリーゼがそう返すと、老人は口角を吊り上げて笑った。




