第33話
「頼んだぞ。ブラーム、シセル」
「任せてくれ」
「死なない程度に頑張るよ」
真夜中、メラント島の南部では小さな船に食料を積めるだけ積み込み出発の準備を進めていた。
目的の場所はホルウェ港。
旧ズウォレス領に居る兵士達にフロリーナからの指令を伝えに行くのだ。
「向こうに着くまでに転覆するなよ」
月明かりに照らされながらフロリーナはブラームに羊皮紙を渡す。
「そんなドジは踏まないさ。シセルはともかくな」
「俺だって多少船は漕げるさ」
二人は示し合わせたかのように櫂を掲げ、船を出し始めた。
砂浜をずるずると二人で引きずり水辺に来た瞬間……
「ああシセル。渡し忘れるところだった。これを」
シセルを呼び止め、彼にフロリーナは赤い布切れを渡してきた。
赤地に向かい合った獅子の紋章が刻まれたそれはズウォレス王国の旗。
ブラーム達が腕章代わりに付けている物と同じ物。
「シセルは仲間だからな。それをつけて堂々と戦うと良い」
「ありがとうよ」
シセルは渡された旗を早速つけようとするが、一人では付けづらい。
「仕方ない奴だな。ほら」
「すまんな……」
悪戦苦闘するシセルを見て苦笑するフロリーナ。
シセルから旗を渡してもらい腕に付けてくれた。
子供の身なりを整える母親のようだった。
「行ってこい」
「ああ、行ってくるよ」
「シセルはどうでもいいが俺が死んだら墓にはビールをかけといてくれ」
月明かりに照らされ夜風に黄金色の髪を揺らすフロリーナは穏やかに笑っていて……
こんな戦争中の厳しい状況下でも、綺麗だと思った。
「意外ときついな……これは」
「我慢しろシセル。ホルウェ港に着いたらこれに荷物を担いで同志の所まで行くんだぞ?」
「くそったれめ……」
夜の海上で波に揺られながらシセルとブラームの二人はホルウェ港を目指していた。
「……いい笑顔だったな」
「お? 惚れたのか? フロリーナに」
思わず漏らしたシセルの言葉に、すかさずブラームが茶々をいれた。
「普通にそう思っただけだ。他意はない」
「なんだそうか……まあ惚れるのはやめといたほうがいいが」
苦笑いするブラームを見て、なにやらシセルは引っかかるものを覚える。
「一体何でだ? あの見た目だ、言い寄って来る男なんていくらでもいるだろ?」
やっていることはともかく、フロリーナの見た目はとてもいいと言って差し支えない。
こんな状況でもなければとっくに結婚でもして夫とよろしくしていてもなんらおかしくはないだろう。
「お前、フロリーナの別名を知ってるか?」
「別名?」
「お前に『ズウォレスの黒狐』って呼び名があるようにフロリーナにもある。『悪魔』って呼び名がな」
悪魔……なるほど敵からならそう呼ばれても分かる気がする。
「ああ、今のは味方から呼ばれてる異名だ」
「何?」
ーー味方にそんな風に呼ばれているのか?
「まあその話は同志に接触するまでに暇つぶし代わりに話そうか」
「あ、ああ……」
二人はとりあえず今やる仕事、櫂を漕ぐことに集中することにした。




