第55話
夜、撤退中のシェフィール軍に対し、ズウォレス軍では追撃を行わなかった。
『ズウォレス軍では』の話だが。
「クソ! あの黒髪の野郎と白髪のジジイだ! あいつらをどうにかしろ!」
雪の積もった草原を全力疾走するシェフィール兵の後方を追跡してくる2つの影。
ある時は木の陰に隠れ、草原に伏せ、追いかけられれば退き、逃げれば追いかけてくる。
ずる賢いその姿はまさに『狐』の名前が相応しい。
「なんでこの暗闇の中で正確に急所が射れる?」
「知るか。とっとと退け。流石の腕前だが数が違いすぎる。たかが2人で俺達を全滅させることなんてできないし。第一狙ってるのはお偉いさんか上官殿だけだ。俺達雑兵なんて見向きもしないさ」
この兵士の言う通りであった。
追いかけてくる2人は指揮を執る隊長格の人間を集中的に攻撃している。
または人に指示を出した人間。
それ以外は無視して逃げるのを一切邪魔してこないのだ。
「黒い髪、そんであの弓の腕、ズウォレス兵……」
「あれが噂の『ズウォレスの黒狐』ってわけか。死んじゃいなかったんだな」
再び弓を構えだした兵士達の後方に居る2人、一体次は誰の頭を射抜くのだろうか?
迫りくる矢を視界に捉えた兵士は祈りを捧げた。
シェフィール兵が撤退を続ける中、フェーンの居るズウォレス軍は残存するシェフィール兵の掃討をしていた。
「こっちに来てくれ! フロリーナ様が負傷!」
松明を持った兵士が叫ぶ。
幸いにもフェーンに残ったシェフィール兵は少数ですぐに掃討は終わるが……問題は別にあった。
フロリーナの負傷である。
「下腹か……どうだ?」
鎧を脱いだフロリーナの白い下腹は血にまみれて真っ赤、駆けつけた医者は顔を思わずしかめた。
「縫うのは可能ですが……それから先は……」
崩れた建物の壁に背中を預け座るフロリーナは意識こそはっきりとしていたものの出血があり脂汗が酷い。
周囲の兵士を不安にさせないため笑顔を絶やさないが、顔が引きつっている。
「手早くやってくれ……私はどうも医者というのが苦手でな」
「誰か大麻……いや芥子持ってないか? フロリーナ様に吸わせてやってくれ」
「俺のがあるぞ」
痛みを軽減させようとしたのだろう、医者が周囲の兵士に尋ねると1人の兵士が名乗り出てきた。
手にはトウヒの木でできた筒を持っている。
「いや、それはお前達で使ってくれ。より重症な人間に」
ーーそれは私も使いたくないしな。




