羈旅
その青年はいささか困難極めたる問題をかかえていた。
それは彼のもつ病的なまでの神経質所以たるものかはたまた単なる悪習慣によるのかまたはその両方であるのかは誰にもわからぬことではあるし、仮にそれを知れたことで何か状況が一変するとは思えぬ。ただ彼は大変な危機感を感じていたし、回復の矢先が見えぬとて蒼然な悲壮感を抱えていた。それはもちろん睡眠に入る前のすなわちベッドに横になってみようかとするときの言葉では言い尽くせぬほどの不安感、日中における自身の仕事に対しうつらうつらの状態でしか取り組むことのできぬ周囲への申し訳なさだったりが入り交じり大いに十代の多感なる心を苦しめた。第一にこの傾向が見え始めたのはいつ頃だろうか正確には記憶してはいないがおおおよそのところここ一二年のことである。そしてそれは彼が様々なものに対し疑いを持ち始めた時期と重なっており、物質的な所以としてはこれだろ
うことは誰の目に対しても明らかだ。そこで何とか環境というものを変えようと旅に出かけることは思慮深い側面もある一方、後先を考えることなく行動に移ることの多くをしてきた彼は躊躇する間もなく旅支度をし行き先は行く時々で決めようという結論に至るわけだった。
以下はその羈旅の記録である。