TS転生 恋のキューピット
私、クリスティーナは第一王子のシリル殿下を巡って、女同士の醜い争いに興じていた。
「シリル殿下、ご趣味は何ですか?」
「シリル殿下、このスイーツ美味しいですわ!」
「シリル殿下、今週のご予定はどうですか? もし良ろしければ――――」
私だって、今参りますわぁ、シリル殿下あああ
「シリル殿下ああ――――」
その時である。
ちょ、みんな、力強――――
女たちの群れに押し出されて、私は吹っ飛び地面に頭を打ち付け、意識を失った。
◇◇◇
夢をみた。
夢と言うより、記憶というべきか。
前世、というものなのだ。
そして、最後、何もない空間に綺麗な女性が現われる。
「ああ、麗しの綺麗な人……、貴方の名前をお聞きしても?」
私は気が付けばそう言っていた。
何故か言わずにはいられなかった。
「私の名前はありません。神という存在なのです」
「んー?」
どゆこと?
「貴方に使命を与えます」
「ふむ」
「シリルとエルザの恋のキューピットになるのです。
成功しなければ、この世界は滅びます。
エルザは特別な力を宿しています。
シリルと結ばれなければ、エルザは怒りと悲しみ、様々な感情が混ざり合って、力が暴走し、世界を破壊してしまうのです。
私は貴方が二人の仲を取り持つのに一番最適な人間であると判断しました。
そして、男だった前世を思い出した貴方はさらに最強なのです」
「最強?」
「元々社交性に優れていますが、前世の男性の記憶を思い出すことで、男女どちらの感情もより深く理解することができ、人の相談を受ける人材として、恋のキューピットとして、最強になったのです」
「ウーン?」
「あと、エルザのその力は、破壊ではなく、本当は聖なる癒やしの魔法なのです。
できればそれも気付かせてあげて欲しいです」
「うんうん」
「では、お願いしましたよ?」
「よく分かりませんけれど、分かりました。乙女のお願いには弱いのです。フフッ」
「貴方とこうやって交信するのは本来禁忌事項、世界の崩壊がかかっているので特例として認めてもらえましたが、もう貴方に干渉することは出来ません。しかしちゃんと監視し…………見守っていますからね? 分かりましたか?」
「はい、必ずや。麗しの乙女、いや…………、フッ、麗しの女神」
「むう、本当にちゃんと分かっ――――――」
◇◇◇
「……うえ? 一体、何が……?」
目が覚めると、メイドが慌てて駆け寄った。
「お嬢様!!」
「私はどうしてしまったのかしら……?」
「もう1週間も寝たきりだったのですよ、本当に良かったです」
「あら、そうだったの?」
「今、旦那様と奥様をお呼びします」
「ええ……」
私は混乱していた。
ええっと、一体、何がどうなって……?
すぐにお父様とお母様が部屋に入ってきて抱きしめられた。
「クリスティーナ、良かった、本当に良かった」
「もう、心配でどうにかなってしまいそうでしたわ、ああ、クリスティーナ……」
「心配おかけして申し訳ありませんでした、お父様、お母様」
その後、医者が診察をすると、もう大丈夫、ということだった。
いや、あの、大丈夫ではないかも……?
私、えっと俺? えっと? はあ? どゆこと?
んーー???
私は前世を思い出した。
私の前世は男だった。
日本という国で、35歳に病気で一生を終えた。
短命ではあったが、ああ、楽しい人生であったなあ、と振り返ってもそう思う。
前世では顔が良いこともあってかなりモテた。
女たらしとよく言われたが、紳士であっただけのつもりである。
今世の私、クリスティーナは女。現在12歳。
伯爵家に生まれ、まあまあ幸せに過ごしている。
そして今世でもなんと顔が良い。
しかも前世を上回るほどに……。
そしてイケメンに弱い。
男、女と性別は違うが、根本的な性質は同じである。
それと、他に、何かあった気がする………………。
ウーン、忘れてしまったのですわ。何か途轍もなく重要なことを…………。
……まあ、重要なことであるなら、その内思い出すことでしょう!
私は鏡を見る。
今日はパーティーで、淡いグリーンのドレスを着ている。髪はハーフアップだ。
柔らかく波打つプラチナブロンドの髪に、温かな緑の瞳、透き通るように白い肌、顔の造形的には可愛い、よりも美人といった風だ。しかしキツい感じではなく、とても穏やかで優しい印象である。
左目の下には泣きぼくろがあり、将来はエロ要素になりそうである。
ああ~、何て麗しのお嬢さん……。
いや、いくらなんでもまだ子どもだから、そういう気持ちはないわよ?
将来が楽しみですなあ、ウフフッ
って、自分相手に何をしているんだか……。
――――パーティー会場に足を踏み入れると、私は息をのんだ。
な、なんて楽園なの………………!!!
この世界って美男美女多過ぎよ!
私は今世も前世も一匹狼よ。
前世は女を漁ってばかりいて友だちなんて作らなかった。
今世もシリル殿下と良い男を探してばかりいて……(省略)
一方で、知り合いは多い。
誰よりも多いと自負している。
情報とは武器である。
私はこういう人間関係が上手いのだ。
親しくなりすぎず、かと言って疎遠にもならず、上手い具合の距離感を測ることが出来るのだった。
この日も多くのイケメンとお近づきになって、多くの乙女と話しができた。
ああ、男にトキメキ、乙女にキュンとくる今の私は、2倍お得なのねっ?
少しして、風に当たりたいと思って外に出た。
「――――あら、クリスティーナ様、ごきげんよう」
「エルザ様……!」
何て綺麗な少女……。そして妖精のように可憐だった。
「? どうかしましたか?」
「いえ、何でもございません……」
「そうですか?」
「はい」
エルザ様は、銀の髪に青い瞳の、正真正銘の美少女である。
こんな美少女と普通に話していたなんて、私ったらなんて贅沢な人間だったのだ。この幸福を思い出させてくれたことを神に感謝しなくては。
私はとても美しい少女を見て、目を細めて微笑んだ。
「フッ」
「?」
「とても綺麗ですね」
「何がですか?」
「何でもありませんよ?」
「?」
キョトンとした顔をする彼女は少し、天然要素があるのかもしれないと思う。
何だかとても愛おしく思えてくるのだった。
「クリスティーナ様、何か変わりましたか?」
エルザ様は不思議そうに聞く。
「そうですねえ」
私は頬に手を添えて考えた。
「とてもエロいですわ」
「え、えろ?」
私は彼女からそのような言葉が出てくると思わなくて驚いた。
「あ、いや、失礼しました」
エルザ様は慌てたように取り繕った。
ウーン、やはり天然なのだろうか…………。
「いいえ」
私はそんな彼女に優しい笑みを向けた。
エルザ様の耳が少し赤くなっていたのだった。
二人で会場に戻ると、私はふと、一部に人が集まっているのを見つける。
シリル殿下?
「エルザ様、シリル殿下ですよ? 行きましょう!」
「まあ!」
エルザ様は嬉しそうである。
私たちはうきうきしながら駆け寄って行った。
そして乙女の中に突っ込んでいく最中、目眩が起こった。
――ああ、麗しの乙女がたくさん、その中心にシリル殿下…………!
この感動をどう表現すれば良いのか……。あぁ、神よ…………!
「へ? クリスティーナ様!?」
乙女たちに群れに押し出されて、私は吹っ飛び地面に頭を打ち付けた。
その瞬間声が聞こえた。
「ちょっとお! あんた、なんで忘れてるのよ!? ちゃあんとシリルとエルザを――――」
「痛たたた」
私は打ち付けた頭が痛くて唸っていた。
「ねえ聞いてるの!?」
その時新しい声が加わる。
「――――あああっ! それもうダメっていったでしょ!? 一回だけなの!」
「ごめ、後ちょっとだけ、ちょっ」「ダメッ!!!」――――――
声はプツリと途絶え聞こえなくなったのだった。
その後すぐに私は意識を失った。
「――クリスティーナ、お前は当分パーティー禁止だ」
「へ……?」
お父様は真剣な顔で言う。
その横でお母様はとても心配そうに私を見ている。
「お前はか弱い乙女だ。人混みに弾かれただけで吹っ飛ぶのだ。もう一度こういうことが起こったら、と思ったらもう心配でいられない」
「クリスティーナ、人が多い催し物は貴方がもう少し成長してからにしましょう」
「それは、残念ですわ……」
私は一言そう言った。
仕方がないので、よく一人で紅茶を楽しんだ。
私は紅茶をこよなく愛している。
◇◇◇
15歳になった時、パーティーも解禁になり、学園に通うことになった。
学園に入学すると始めの頃、周りは私のことを見て、誰であろうとヒソヒソと囁いた。
社交の場にほとんど出ることがなかったからだ。
そんなこと構いもせず、よく休み時間や放課後、学園の中庭のバラ園で一人紅茶を楽しんだ。
そこにふと乙女がやってくると、紅茶を誘った。
そうしている内に、なんだか私はお悩み相談のようなことをするようになっていた。
何故か乙女からはお姉様と慕われるようになったのだった。
乙女と戯れる一時は癒やされる。
時々はエルザ様もいらっしゃった。
エルザ様は元々美少女であったが、成長してさらに美しくなられた。
以前妖精のようだと表現したが、今は女神のようだと思う。
「今日も良い天気ですねえ」
「え、ええ」
暢気にそう言うと、エルザ様は曖昧に頷いた。
「何かお悩み事でも?」
私は首を傾げた。
「えっと……、あの」
エルザ様はどこか言いづらそうにしていた。
「フフッ」
目線を彷徨わせて、悩む姿が可愛らしいと思った。
私が微笑むと、エルザ様は少し頬を赤らめた。
「私は何を言われても、エルザ様の味方ですよ」
「あう……」
エルザ様はようやく口を開いた。
「あの、私、シリル殿下のことが好きなのです」
それは知っていたので、というか見るからに分かっていたので、驚きはしなかった。
「クリスティーナ様も、シリル殿下が好きなのですか……? 子どもの時はよくシリル殿下を見ていましたよね……」
イケメンに弱い私であるが、シリル殿下は何て言うか、イケメン以前に、アイドル的存在、というか、憧れの存在というか、そういう類いの感情である。
前世を思い出す前からそうだったと思う。
今世の私はイケメンに弱い、というものの他に、ミーハーでもあったのだろう。
「そうですねえ。私はミーハーなので」
「ミーハー……?」
「いえ、何でもありません。私のは恋愛感情とは違いますよ」
「そうなのですか……?」
「ええ」
私は安心させるようにしっかりと頷いた。
それから、エルザ様から恋の相談をされるようになったのであった。
恋の相談は元から多く、前世で男であったため男心を理解している私は、恋愛の相談相手としてはうってつけであったのだろう。評判は良いのであった。
そして、前世の日本とのギャップで、日本の方が良かったと思うこと、例えばこの世界では香水がきつかったり、メイクの仕方が違ったりすること等でアドバイスしたりもした。
しかしエルザ様の相談は責任重大であると思うのだった。
王太子と公爵令嬢の恋の相談……。
国王陛下と王妃様になる方……の相談?
私は身を引き締めて、精一杯エルザ様に親身になっているつもりであるが、中々成果はでないようで、というよりも…………。
「これでシリル殿下も落ちるでしょう」
「そんなこと、恥ずかしくて出来ませんわ!!」
「ええ?」
「出来ません、出来ませんわぁ」
「それなら――」
「無理ですわああ!」
という感じであるのだった。
中々に険しい道のりのようであった。
学園に入って少しした頃だった。私は浮かれいた。
今日はパティーだ。やっと解禁になって始めのパーティーである!!
メイクは全体的に少し濃いめ。私は大人びた容姿であるから、その方が映える。
泣きぼくろがとてもエロい。
髪は横に流す感じ。
落ち着いたブルーのドレスは豊満なボディを活かして、しかしわざとらしくはならない程度に、露出されている。
扇情的で魅惑的だが、ちゃんと清潔感、清楚さもある。
男心も理解している私であるかこその完璧なコーディネートである。
「あぁ~、自分で言うのも如何かと思いますが、何て麗しの美しい人……」
パティー会場に足を踏み入れると、懐かしさのあまり感動した。
この楽園、確かに存在していましたのね……。
幼い頃の妄想ではなかったのですね……。
男性からはいつも以上に熱い視線が……。
私は乙女も好きであるが、イケメンも好きなのである。
学園では、女性徒と紅茶を楽しみながら相談を受けたりして、乙女に寄り添っていた。
しかし今日はイケメンとお近づきになろう、そう決意した。
私の元には何人もの男性が群がった。
ウフフフッ、イケメン揃いだわぁ~。
私は大変ご満悦であった。
そして、私は人の集まりを見つける。
シリル殿下だわ!
私はシリル殿下の集まる女性の中に入っていく。
シリル殿下を目にすることができると、満足した。
――――――ああ、うんうん、相変わらず格好いいっ!!
私は相変わらず乙女たちに群れに押し出されて、しかし今度は地面に頭を打ち付けることはなく、ちゃんと尻餅をついたのだった。
私は立ち上がると周りをキョロキョロ見渡す。
ええっと、エルザ様は……?
私は男性と一緒にいるエルザ様を見つけた。
美男美女、これは眼福ですわ、でも、んー? 何か絡まれてる?
「――――エルザ様」
私は駆け寄ってエルザ様に話しかけた。
「申し訳ありません、話の途中に……」
「いいえ! クリスティーナ様」
エルザ様は助かったとばかりに言う。
私は男性の方に上目遣いで、頬に手を当てて、さらに首を傾げて言う。
「申し訳ありませんでしたわぁ」
「うっ…………! 別に、構わない」
その男性は頬を赤くして目線を外した。
何て美しい人なんだ、それに滅茶苦茶エロいじゃあないか――――
うん、そう思っているに違いないわ。
「少し、エルザ様をお借りしてもよろしくて?」
「ああ」
「それではエルザ様――」
私はエルザ様を連れて外へ出た。
「大丈夫ですか……?」
「あ、あの、ありがとうございます、クリスティーナ様」
「いいえ、大丈夫ですよ?」
「シリル殿下の元に行きたかったのに……、中々しつこくて」
「それは、全く迷惑な話ですわね」
「そうなのです」
その時夜の風が吹くと、私は以前子どもの頃に、同じようにパーティー会場の外で、エルザ様と話したことを思い出した。
「懐かしいですね……?」
「?」
「子どもの頃に、パーティーの日、会場の外で会ったことを覚えていますか?」
「あっ、はい。覚えておりますわ。懐かしいですねえ」
「その時に、私が綺麗ですねと言うと、貴方は何がですか? と聞いたのです」
「?」
「フフッ」
相変わらず、彼女は変わっていないのだと思った。
「貴方のことを綺麗だと行ったのですよ? エルザ様」
「へ?」
パーティー会場から漏れる光から、エルザ様の頬が赤らんだのが見てとれた。
「あの時は妖精のようだと思ったけれど、今の貴方は女神のようですわ」
私は彼女の髪を一房取ると、愛おしげにエルザ様を見た。
「これほどの、美しい人ならば、男性が惹きつけられてしまうのも無理はありませんね。私も思わず魅了されてしまいました。
きっと……、シリル殿下もエルザ様のことが好きになりますわ」
「あ、ああ、ありがとう、ございます」
エルザ様は目に見えて動揺して言った。
ああ、彼女は特別なのだ。
大切にしなければならないと思い知らされる何かが彼女にはある。
学園ではよく乙女と寄り添っていたため、男性と縁がなかったが、パーティーで多くの男性とお近づきになれたことで、よく男性から告白を受けるようになった。
そしてある日、私は衝撃を受けた。
「好きです。付き合ってください!」
私の前には可憐な乙女が恥ずかしそうにしていた。
とてもキュンッとするのであった。
私が口を開こうとすると、彼女は焦るように言う。
「――――分かっています。気持ち悪いですよね。ごめんなさい!」
乙女はそう言って去って行こうとするが、私は腕を掴んだ。
「落ち着いて……?」
「はい……」
私は彼女に再び椅子に座らせると、対面して、柔らかく両手を握る。
「貴方の気持ちはとても嬉しかった。気持ち悪いだなんて1つも思っていないわ。でも付き合うことは出来ないの。ごめんなさいね……」
そう言うと、乙女は少しの間泣いたがなんとか立ち直ったようだった。
「お姉様、ありがとうございました、あの、私お姉様を好きになって良かったです。これからも好きでいても――」
その時である。
「――貴方!!」
いつも来てくれている3人の乙女が、いつものように私の元にやって来たようで、今の言葉を聞いてしまったようだった。
そして何故かとても怒っている。
「お姉様は私たち乙女全員のものなのよ!!」
「まさかお姉様を独り占めしようとでも!?」
「告白することは御法度!!! それを分かっているの!?」
へ? 何ソレ……?
「分かっています、分かっていますわっ!!
でも、どうしてもこの想いが抑えきれなくなって……!!!」
その後、結構揉めたが、結局私は告白をお断りしたわけであるから、この告白があったということはこの場にいる乙女だけの秘密事にしましょう、ということで収まった。
私はもう前世と今世の自分がもうすっかり混ざりきって、私、という存在を確立していた。
その結果、イケメンに口説かれる一方、乙女は愛でているわけだが、どちらも恋愛までいかずに満足するのだった。
うむ、私が男と女、2倍楽しめるからといって、それで調節を図っているのかもしれない。
◇◇◇
それから2学年に上がった頃、シリル殿下とエルザ様が婚約した。
家族団らん、夕食を囲んでいると、お父様からそう聞かされた。
「クリスティーナは良い人はいないのですか?」
お母様がそう聞く。
「ウーン、そうですわねえ……。
ああ、いないわけではないのですよ?
いすぎて、分からないのです」
そう言うと、お父様とお兄様は呆れたようにため息をついた。
「あらまあ」
お母様はどこか嬉しそうである。
私はパーティーでは多くの男性に囲まれていて、学園ではよく告白を受ける。
数々の浮名が流れているのである。
2つ年上で昨年まで一緒に学園に通っていたお兄様ならよく分かっていたのだろう。
――――エルザ様の元気がない。
私がそう思うようになってすぐ、ある噂が流れた。
1年生の女性徒がシリル殿下に近づいている、と。
その女性徒をエルザ様がいじめている、と。
エルザ様は思い詰めた様子だったが、どうしたのかと聞いても誤魔化していて私に話してくれることはなかった。
そして私は遭遇してしまった。
エルザ様と、エルザ様といつも一緒にいる乙女2人、そしてリボンの色からして1年生の乙女。
「貴方、シリル殿下に近づくかないでと何度言えばよろしいの?
シリル殿下の婚約者は私よ!?
婚約者のいる殿方にはあまり不用意に近づかないのがマナーというものですよ!」
「あの、私知らなくて……。
それにとても優しくしてくれて、私も、シリル殿下が好きなのです!」
「なっ!?」
エルザ様は絶句した。
「何を言っているの?」
「身の程知らずにもほどがあるわ……」
2人の乙女も顔を歪めて引いている。
それくらいあり得ない発言であった。
エルザ様の言う通り、婚約者の殿方には近づかないのがマナーであり、好きになるなどもってのほか。
それにシリル殿下とエルザ様においては、将来国王と王妃になる方々。
それを邪魔するなんて正気とは思えないのである。
現に、シリル殿下とエルザ様が婚約してから、シリル殿下はパーティー等で乙女に囲まれることはなくなったし、エルザ様も男性に言い寄られることもなくなった。
私は冷静に1つ息を吐くと、できるだけ温和な声音で呼びかけた。
「――――エルザ様?」
それに気が付いたエルザ様はとても驚いたように私を見た。
「クリスティーナ様…………!」
見られたくないところを見られた、という顔である。
徐々に絶望したような顔になる。
とても泣き出しそうであった。
そんなエルザ様を私は安心させるように微笑んで近づく。
そしてエルザ様の手を握ろうと手を伸ばす。
しかしエルザ様は絶望の色をさらに深め、私から逃げるように走り去って行ったのだった。
エルザ様のお友だちもエルザ様の後を追う。
その寸前、エルザ様のお友だちの腕をなんとか掴めると、私は言う。
「私はいつでもエルザ様の味方であると、お伝えできますか?」
「ありがとう、ございます、クリスティーナ様……」
そう言って、その乙女も去って行ったのだった。
「あの…………?」
取り残された乙女が私を見ていた。
淡いピンクの髪に濃く澄んだ青の瞳、とても可愛らしい容姿である。
庇護欲を駆り立てられるようである。一方でその瞳からの強さから芯の強さも窺える。
「可愛い乙女、早く教室へお戻り?」
私がニコッと笑ってそう言うと、乙女は安心したようで、立ち去ることなく言う。
「ありがとうございました」
「何がですか?」
「助けてくれました」
「フフッ、礼には及びませんよ?
なんとなく、険悪な様子であったので、図々しくも割って入っただけですから」
「先輩、ですよね? お名前を――」
「私はクリスティーナ。貴方はマリアさんね?」
「私のこと、知っているのですか?」
「ええ」
頷くと、彼女は悲しそうな顔をした。
彼女の噂はいろいろ流れていた。
私は励ますように言う。
「噂というものはあっという間に広がり、あっという間に消え去りますわ……」
「はい……」
「私は全ての乙女が愛おしいの。そして貴方も乙女だわ。
私はいつもバラ園にいるから、何か相談したいことがあったらいらっしゃって?」
「ありがとうございます……!」
マリアさんはとても嬉しそうに言う。
味方になってくれるのだと、エルザ様からかばってくれるのだと思っているようである。
私は申し訳なくも、釘を刺すように言った。
「あのね、マリアさん、私は全ての乙女が愛おしい。
エルザ様もそれは同じ」
心の中で、私はエルザ様は同じではないと否定する。
同じではない、エルザ様は特別なのだ。
「それは分かってください」
「分かりました」
マリアさんは少し気落ちしたようであったが、自分の中で納得したようでしっかりと頷いた。
「さあ、授業が始まってしまいますよ? 戻りましょう」
「はい!」
マリアさんは素直に頷く。
そう、素直であるのだろう、この子は。
それで、先ほどシリル殿下が好きだという発言、どうかしていると思ったけれど、彼女はそれほどお馬鹿ではなかった。ちゃんと考える力を持っているようであった。
私は次の日、エルザ様の教室へ向かった。
そしてエルザ様を見つけると駆け寄った。
いつものお友だちと一緒にいるのだった。
「クリスティーナ様……」
エルザ様は私を見るとハッとしたように驚いて、それから捨てられた子猫のようにシュンとするのだった。
「エルザ様、相談してくれなくて、私は寂しかったのですよ?」
私は拗ねたようにわざとらしくそう言った。
エルザ様は泣きそうになって、私の豊満な胸に飛び込んでくるのだった。
私はそれを受け止めて、優しく背中をさする。
エルザ様は泣いているようだった。
私はエルザ様のお友だちにアイコンタクトをして、お友だちが頷くと、エルザ様をバラ園に連れて行った。
バラ園の入り口にバラの文様の立て札がぶら下がっている。
それをひるがえし、表にした。
以前、女性徒からの告白を聞かれて揉めてから、聞かれたくない相談をしている時は、この立て札を表にする、というルールをつけたのだった。
いつものように、紅茶をいれた。
エルザ様は落ち着いたようだった。
一口紅茶を飲むと、ホッとしたように1つ息をはいていた。
泣いたから目元と鼻が赤くて、可愛らしいと思わず微笑んだ。
授業はもう始まっているが、今日だけは見逃してもらおう。
もっとも、公爵令嬢で、未来の王妃であるエルザ様がいれば、文句を言う教師はいるはずもない。
「シリル殿下が私がマリアさんをいじめていると言って責めるのです」
「そうだったのですか……」
「確かに、いじめているのかもしれませんわ……」
「何かしたのですか?」
「呼びつけて、シリル殿下に近づかないでと何度も言いました。昨日のように……。嫉妬心に駆られて、結構強い口調であった自覚はありますわ」
「それだけでは、いじめにはなりませんわ」
「そうでしょうか、やっぱりそうですよね? そうですよね……?」
「ええ、そうですよ。私が聞いた限りですと、物がなくなったり、壊れていたり、ということもあるようですが――――」
「それは違います!! 私ではありませんわっ!!」
「ええ、ええ、分かっていますよ」
「私ではないのに、私だと言われるのです…………」
そう言って、エルザ様は再び泣き出すのだった。
「ごめんなさい、泣いてばかりで……」
「良いのですよ、私の前では何も気にしないでいいのです」
「クリスティーナ様ああ……」
私はこんな時に、と思いつつもとてもキュンとするのであった。
「もうダメなのですわ…………。
シリル殿下はマリアさんが好きなのです、認めたくなかったけど…………!」
そう言ってエルザ様はさらに泣いて嗚咽を漏らした。
私はエルザ様の横に座り直して、寄り添って話を聞いた。
そして私は言う。
「とにかくシリル殿下に誤解は解かなくてはなりませんね」
「信じてくれませんわ。絶対に!!」
エルザ様は何故か無駄に強気で言う。
「あと、マリアさんも、誤解しているのですか?」
「分かりません」
「聞いてみましょうね」
「はい」
エルザ様はようやく安心できた、というように顔を緩めるのだった。
「ありがとうございます」
私は2日マリアさんが来るのを待とう、と思った。
このバラ園にマリアさんを誘ったのは確かだけど、強制ではないし、来るかどうかも分からない。
もし2日経っても来なかったら、こちらか伺おうと思った。
私が動いて噂ばかりが流れるのは良くないと思ったからだ。
しかしそんなことを思う必要もなかった。
何故ならその日の放課後、マリアさんは現われたのだった。
私は聞く。
「今日は、大丈夫でしたか?」
「えっと、体操服が破かれていました……」
「そうでしたか。それは辛かったですね……」
そう言うと、マリアさんは苦笑して言った。
「いえ、もう、慣れてきました」
「まあ」
私はキョトンとする。
何て強靱な精神を持つ乙女だろう。
つられて私も苦笑した。
庇護欲が駆り立てられると思ったけれど、どうやら違ったみたいですわね……。
「確認したいことがあるのですが、マリアさんのその嫌がらせは、エルザ様がやっていると思っていますか?」
「…………そうだと思っていますが、そうでないような気がする時もあるのです。
よく分からないのです……!」
「そうですか」
「クリスティーナ様は知っているのですか?」
「……私が言って信じてくれますか?」
「分かりません」
「素直でよろしいですね、マリアさんは。フフッ」
マリアさんのあまりのあけすけな性格に私は思わず笑った。
「エルザ様は昨日のようにシリル殿下に近づかないでと忠告することはありますが、それ以外のことをした覚えはないと言っていました。
私は多くの乙女の話を聞きましたが、エルザ様が妃教育で学園にいない時や、移動教室や、掃除当番などの関係で、エルザ様には不可能である嫌がらせが幾つもあります。
私がここでエルザ様と話している時に起きた嫌がらせもありますし」
エルザ様には相談されなかったが、さりげなく分からないように乙女たちに聞いて、ひっそりと情報を集めていたのだった。
「それに私はおこがましくもエルザ様のことをよく知っているつもりですが、エルザ様はそのようなことをする方ではありませんわ」
私は決してマリアさんのことを責める口調にならないように気をつけて言った。
「そうですか……」
マリアさんは難しい顔をして頷いた。
「マリアさんがエルザ様を信じられないのは仕方のないことですよ。エルザ様とは、シリル殿下と関わってから、忠告という形で初めて話したのでしょう」
「でも……」
マリアさんは何か決意したように言う。
「少し信じました」
「そうですか?」
「はい。全部は信じきれませんけど。
誰かに頼んだ、ということもあると思いますから。
シリル殿下もそう言っていましたから」
「それさえも、エルザ様は誰にも嫌がらせを頼んでいないと証明できれば、貴方はエルザ様を信じることが出来ますか?」
「はい」
マリアさんはハッキリと即答した。
私は改めて聞く。
「マリアさんはシリル殿下のことが好きなのですか?」
「はい」
「どうやって知り合って、どうやって仲良くなったのか聞いても?」
「最初、シリル殿下が、まさか王子様だったなんて知らなかったのです。
ただ、ハンカチを拾って、落ちましたよ? と言って差し上げただけで、そうしたら、とても驚いていました。そうですよね、王子様だと知っていたなら、そんな気軽に話しかけませんから。
それから、王子様だと知らずに、そのまま世間話をして。
そこは人通りが少なかったのですが、通る人はシリル殿下と私が話しているのをギョッとしたように見ていたので、私は不思議に思っていたのです。
そしてエルザ様も通られて、シリル殿下に、私は誰なのかと聞いて何やら険悪な感じになってしまいました。
その後、通りすがった人々が私のことを噂して、嫌がらせされるようになって、それをシリル殿下が庇ってくれるようになったのです」
「なるほど……」
話を聞くと、この乙女は悪くないのだった。
私の持っていた情報とも合致するのであった。
「分かりました。
やはり、誤解がいけないのだと思います
全ては、誤解が解けてからだと思いますわ」
「私もそう思います」
マリアさんも頷いたのだった。
私はその後、エルザ様とマリアさんには一日の行動、起きたことを細かく記録するように言った。
◇◇◇
それから乙女たちからの情報で、マリアさんに嫌がらせをしていた人たちはすぐに分かった。
しかし幾分人数が多いのだった。
犯人という犯人はいなかったのだ。
飛び抜けて多くの嫌がらせをしていた3人は、マリアさんのクラスメイトであり、エルザ様と面識はなく、エルザ様に頼まれて嫌がらせが行われていないとハッキリした。
随分記録も取れたし、情報も証拠品も集まったという頃、その3人に呼び出しをして説教をし、エルザ様、マリアさん、それぞれに謝罪の機会を与えた。
エルザ様に関しては、嫌がらせは全てエルザ様の所為になっていると分かっていながら行われていたからである。
嫌がらせをしていた人たちからマリアさんへの謝罪の後、私はマリアさんに紅茶を出した。
「ありがとうございます」
「いいえ」
「私、エルザ様がいじめの犯人でないとハッキリ信じられました。これだけの証拠があるのに、信じるな、という方が無理ですわ」
「そうですね」
「エルザ様には、私もきちんと謝りたいです。それに、シリル殿下にも、その誤解を解いてもらいたいです。私は変わらずシリル殿下が好きですが、そういった話はそれからだと思います」
この清々しいほどのサッパリした性格は好ましく思うのだった。
「私から、シリル殿下に言ってもいいでしょうか? エルザ様はいじめの犯人ではなかったと」
「エルザ様に聞いてみましょう。マリアさんと会ってくれるかどうかも、聞いておきますね」
「ありがとうございます、クリスティーナ様」
私はマリアさんと話したことをエルザ様に言った。
「マリアさんがエルザ様に謝りたいと言っていますわ」
「それは…………。クリスティーナ様、私、受け入れられる自信がありません。
絶対に許せないのです……!」
「それでは、もう少し、時間を空けてからまた考えましょうか?」
「はい……」
「いじめの犯人がエルザ様ではなく、シリル殿下の誤解であることはハッキリしました。これだけの証拠があれば、シリル殿下も信じると思いますわ」
「そうでしょうか……?」
エルザ様は自信なさ気である。
「エルザ様がいじめの犯人ではなかったと、私からシリル殿下に言ってもいいですか、とマリアさんが言っていましたが、それはどうですか?」
「それはやめてもらいたいですわ。シリル殿下はマリアさんから言われても絶対に信じませんから!
騙されているんだ、とか言い出すのではないでしょうか……? フフッ」
エルザ様はそう言って黒い笑みを浮かべた。
最近のエルザ様は、やさぐれているというか、なんていうか、そんな感じなのであった。
私は思わず苦笑する。
「ウーン、そうですねえ」
私は頬に手を添えて考える。
私としてはすぐにでもシリル殿下と話し合いの場を設けたいのは山々である。
これだけの証拠があるのに、シリル殿下はエルザ様のことを信じないわけがない、信じざるを得ないだろうと思う。
しかしエルザ様はそうは思えないらしい。
エルザ様にはあと一押しが必要なのである。
そして私としても、そこまでエルザ様を信じないというシリル殿下が、実際のところどういった人物であるのか知りたいと思ってきた。
私は1つ思い付き、それをエルザ様に聞くとエルザ様は同意した。
そして最後に言う。
「もう、いいのです! なんでもいいのです!!
なんでもいいから、最終的にあの女を捨てて私のところに来てくれればいいのです!!」
ここまで信じてくれないと言っていても、シリル殿下のことは好きなようだった。
◇◇◇
シリル殿下と仲の良い殿方は3人。
宰相の息子、騎士団長の息子、大商会の息子である。
私はそのシリル殿下のお友だちから、シリル殿下がどうしてエルザ様を信じないのかを探ろうと思った。
3人もエルザ様を犯人だと決めつけて、責めていたようなので、何かしら知っているに違いない。
ただ、身分的にエルザ様はかなり上なので、シリル殿下に同意する形で控えめに責めていたようであったし、エルザ様はシリル殿下のことしか見えていないので、3人のことなど気にもしていなかったようだったが。
ちなみに、マリアさんのいじめについて調べている時、マリアさんの記録で3人から贈り物をもらったことが書いてあり、もしかしたらこの3人もマリアさんを好きなのでは、と私は思っている。
これまたその内2人は婚約者がいるのであるが。
私は3人の中で唯一婚約者も恋人もいなかった大商会の息子、ロバート様とコンタクトを取ることにした。
ロバート様と同じクラスメイトの乙女に頼んで、バラ園にロバート様を呼び出したのだった。
ロバート様は緊張した面持ちで現われた。
そんなロバート様の緊張を解すように穏やかに言う。
「来てくださってありがとうございます、ロバート様。
さあ、お掛けください、お紅茶をお出ししますわ」
「ありがとうございます」
ロバートはホッとした様子で椅子に腰掛けた。
私は紅茶を入れて差し出した。
ロバート様はそれを一口飲んで、美味しいですと言う。
「それで、僕にどのようなお話でしょうか?」
「実は私はマリアさんと仲が良いのですわ」
「ええ、マリアからも聞いています。
最近はクリスティーナ様が良くしてくれるのだと。
いじめがなくなったのは貴方のおかげだと」
ロバートは探るような目で私を見た。
エルザ様とマリアさんと話し合った結果、結局マリアさんにはそういう風にシリル殿下、他3人に言ってもらうことにしたのだった。
疑うような眼差しを受けて、私は首を傾げると、どこか意味あり気に微笑んだ。
「フフッ、どうかしまして?」
「いや、何でも…………」
ロバート様は顔を赤くして私に見惚れるようにぼうっとしていたが、邪念を振り払うように首を振って言う。
「あ、貴方は、エルザ様とも仲がよろしいはずですが……」
それを聞かれると、いろいろ面倒だから聞かれたくなかったのに。
うーむ、私のチャームの魔法、あんまり効かなかった。
「そうですねえ、私はエルザ様ともマリアさんとも仲が良いですよ?」
「へえ……。それならいじめもなくなるわけですね」
そういう思考になるわよねえ。
私はどうしたものか、と考えあぐねるのだった。
険悪な空気ではシリル殿下のことを聞いてもきっと何も話してくれないわ。
私が少し可愛らしく聞くだけで、大抵の殿方はペラペラ話してくれるのだけれど、そんな殿方ではないようだし。とても警戒しているようだし。
さすがシリル殿下のお友だちでいられるだけあるわね。
考えた末、私は聞く。
「ロバート様は、兄弟はいらっしゃいますか?」
とりあえず世間話でも、と思った次第である。
「は? いますけど」
「そうですか。姉、弟? どういった兄弟ですか? 何歳離れているのですか?」
ロバート様は怪訝そうに言う。
「僕は長男で、弟2人、妹1人です。歳は随分離れています」
「いいですわねえ。私も下の弟妹欲しかったのですわ。私、子ども好きなんですのよ」
私は前世からずっと子ども好きなのだ。
ああ、可愛い天使たち……。
ロバート様は黙り込むと、少しして口を開いた。
「もしかして、脅しですか……」
「へ?」
脅し? ――――ああ、もしかして、弟妹を浚われるとでも……?
「そんなわけ、ないじゃないですか。
よくそんなこと思い付きましたね、フフッ」
私はそう言いながら思わず笑った。
いくらなんでも警戒しすぎである。
「弟妹とは何をして遊んだりするのですか?」
そんな私にロバート様は少し毒気が抜かれたようだった。
「あまり遊ぶ、ということもないですよ。
勉強を見てやったりはしますが、それは遊ぶ、ではありませんか。
ウーン、あとは追いかけっこになってしまうだけで」
「追いかけっこ?」
「ええ、何かというと、奴らは逃げるのですよ」
「フフッ、奴ら……?」
「あ、失礼しました」
「いえ、気にしていませんから好きな言葉をつかってください」
「はい、えっと、末っ子なんかは裸で外に出るし」
「ええ? ウフフッ」
「奴らは家の手伝いが終わってないのに遊ぼうとするから」
「まあ、子どもですからねえ。可愛らしいですわ」
「可愛らしいって次元ではありませんよ?」
「フフッ」
前世では弟も妹もいたので分かっている。
確かにもう、母親からしたら大変ったらないのだ。
「ロバート様、なんだか母親みたいですねえ」
「母親より世話してますからねえ」
ロバート様は家での愚痴を話し始める。
私は最初控えめに笑っていたが、徐々に笑いが止まらなくなってくるのだった。
腹を抱えて笑っている私をロバート様は苦労の滲む目で見ていた。
「僕からすると、笑い事ではありませんよ」
ようやく私の笑いが収まった頃、ロバート様は呆れたように聞いた。
「大丈夫ですか?」
「はい。失礼しました。もう大丈夫ですよ?」
「貴方は噂と随分違う人ですね」
「普段の私はこんなんじゃないのよ? 生まれて初めてよ、こんなに笑ったの」
私はいつものお淑やかさも上品さも何もなく、生まれて初めて素の自分と思えるような振る舞いをした。
私、前世も今世も混ざり合って、どうにか融合したと思ったけれど、自分が男か女かも分からなくて、ただの女誑しか、貴族の乙女なのか、本当はごちゃごちゃだったのかもしれない。
「そっかあ」
私は呟くように言った。
そして何故かとても優しい眼差しで私を見るロバート様に気が付く。
そんなロバート様に私も優しい視線を返して言う。
「ありがとう?」
「?」
「笑わせてくれて」
ロバート様は言う。
「だから僕からすると笑い事ではないんだよ」
「ウフフッ」
それから、私はもう取り繕うことも出来ないと思って、最初から最後まで素直に話した。
「信じてくれる?」
「まあ、これが貴方の演技であったなら、僕はもう何も信じられなくなるな。
信じるよ。少なくとも、先ほどの大爆笑は淑女が演技で出来る技ではない」
「アハハッ」
私は怒りもせずにただ笑った。
「貴方はおおらかな人だな」
「それで、どうすればシリル殿下は信じてくれるのかしら?
というか、どうしてシリル殿下はそこまで頑なにエルザ様を信じないの?」
「何故エルザ様を信じない、か。
元々シリル殿下とエルザ様との関係は悪くはないが良くもなく、シリル殿下はそこまでエルザ様の人柄を知らない。
ただザックリと、我が儘、プライドが高いと勝手に思っている。
貴方の話を聞いた限りだと、エルザ様がただ素直でなかったから生んだ誤解だな。
あと、ご明察通り、いつもシリル殿下と一緒にいる僕たちも同意していたから。
エルザ様には悪いけれど、本当にエルザ様が犯人だと思っていた。
だって、エルザ様、明らかにマリアを敵視しながら私じゃないって言うし、口調とか全部どこか捻くれているから。
それにシリル殿下の性格。
殿下もまた素直じゃあないし、頑なな性格をしていて負けず嫌い。
自分の非を認めたくない、というのはあると思う。
だからエルザ様のことを信じないのだと思う。無意識だと思うんだけどね」
そしてロバート様は最後に言う。
「でも、シリル殿下はちゃんと話せば分かってくれるよ? 多少毒は吐くかもしれないけどね。そういう人だから」
私はそれを聞いて安堵した。
今までの心労が報われたようであった。
「そうだったのですか、そうだったのですねえ」
私は早速うきうきとして、それをエルザ様に話した。
「なるほど……」
「しかし、シリル殿下は話せば分かるお方であるらしいですよ?
話してみましょうよ、エルザ様」
「まあ! まあ! そうだったのですねっ!」
エルザ様は嬉々とその提案を受け入れて、ふと気付いたように呟いた。
「ああ、私は自分のことを信じてくれないと言ってばかりで、私の方がシリル殿下を信じていなかったのですね…………」
◇◇◇
そしてある日の放課後、ロバート様にシリル殿下をバラ園に呼び出してもらった。
シリル殿下は、エルザ様とマリアさんを見ると驚いていた。
ずっとエルザ様とマリアさんとは別々に話をしていたので、こうしてバラ園に二人揃っているのは実際初めてであった。
わあ、こんな時になんだけれど、こんな近くでシリル殿下を見るのは初めてですわ……。うんうん、格好いいわ。
まずエルザ様が口を開いた。
「シリル殿下、来ていただいてありがとうございます」
「それで、一体どうした? マリアも呼び出したのか?」
私は言う。
「いいえ、呼び出されたのはシリル殿下だけです。エルザ様とマリアさんと話し合って、ロバート様に恐れながらシリル殿下を呼び出していただいたのです」
私など見ていないように、シリル殿下はエルザ様に言う。
「それで? ロバートをつかって今度は何を?」
「今度はも何も、最初から私は何もしていませんわ。いつもいじめていないと言っていたではありませんかっ」
エルザ様はシリル殿下に訴えかけるように言うと、キッとマリアさんを睨んだ。
それをマリアさんは受け止めて尚、平常心を保っている。
つ、強い…………。
そんなエルザ様をシリル殿下は不快そうに眉をひそめるのであった。
ロバート様を見ると、ほれこの通り、お手上げだ、というように肩をすくめている。
エルザ様は落ち込みながらも、エルザ様がいじめをしていないという証拠を出して話した。
最後にマリアさんも言う。
「嫌がらせしていた人たちにも謝罪していただきました。それに誤解していた私の方がエルザ様に謝らなくてはならないと考えています」
「分かってくれましたか?」
エルザ様が不安げに聞く。
シリル殿下は、少しの間黙った後に、諦めたように、どこか清々しく言う。
「分かった。今まで、信じなくて悪かったな。あれだけ言っておいて、今更だが」
私は感激した。
ちょっとのエルザ様とのやりとりを見た限りであるが、エルザ様が思っていたように認めてくれないんじゃないかと私も思ってしまった。しかしロバート様の言うとおり、シリル殿下は本当に分かってくれる人なのであった。
「いいのです、別にいいのですわ。分かってくれたのでしたら……!」
「あれだけお前のことを信じずに犯人だと言って責めたのだ。いいのか……?」
シリル殿下は不思議そうに聞く。
「はい。いいのです。私もシリル殿下を信じていなかったのです。どうせ話しても私のことを信じてくれるわけがない、と」
「確かに、もっと早く話してくれれば済んだことではあるな。
私だって、こうやって話してもらえれば分かる」
「ええ、申し訳なかったのです」
ええ!? なんでエルザ様がそこで謝る?
そして次の瞬間、シリル殿下は爆弾発言を放った。
「――――しかしマリアのことはまた別の話だ。悪いがお前との婚約はなかったことにしたい」
――――は!?
「へ…………?」
エルザ様は今の言葉に頭が真っ白になってしまったようで、呆然としている。
シリル殿下は並び立てるようにスラスラ話し出す。
「婚約もしてからまだ1年も経っていないし、私の方からご実家には詫びを入れよう。それなら悪名にもならずに、今後婚約する際も避けられるということはないだろう。
マリアはまだ15歳、妃教育も充分間に合う。
マリアの実家は男爵位であるが、男爵の評判も良いから位を引き上げてもいいし、公爵家の養子になるのもいい。
父上……、現国王も、私と同じ歳の頃は、政略の移り変わり等が理由だが、何度か婚約者の変更はあった。
どうしてもと頼んだら父上も許してくれるはずだ。
それにマリアのサッパリした性格は母上も気に入ってくれるだろう」
マリアさんも追い打ちをかけるように言う。
「エルザ様、いじめの件は申し訳ありませんありませんでした。
あれほど悪者にしてしまって、いくら言葉を重ねても足りないと思っています。
しかし、それとこれとは話は別だと考えています」
ああぁ、マリアさんって本当にサッパリした性格をしているのねえ……。
「私はシリル殿下が好きですわ。
妃になる覚悟もあります。
どうか分かってくれませんか?」
エルザ様は口を開けたまま、固まってしまっている。
そして少し経ってからカタカタ震えてか細い声で聞く。
「な、何が、どうなって、こうなってしまったの…………?
シリル殿下はその女のどこか良いのですか……?
シリル殿下はどうして私のことを好きにはなってくれないのですか……?」
エルザ様……、自ら傷を広げるようなことを……。
「マリアは最初私が王子であることを知らずに、ハンカチが落ちたと拾ってくれた。流れで少し話したが楽しかったよ。
それから接していく内に、気を遣わなくていい、一緒にいて楽しい、中々肝も据わっている、王になった時、マリアが隣にいてくれたらどんなに良いだろう、と思うようになった」
シリル殿下はマリアさんに優しい眼差しを向ける。
マリアさんは恥ずかしそう微笑んだ。
「お前とは、一緒にいてもつまらなかった。
どうせ政略だし、お前は王妃になりたいだけだしな。
むしろ会わなければならない時間が面倒だったよ」
「そんな………………」
私は心の中でどうにもやるせない気持ちでいっぱいになった。
私は目線で訴える。
エルザ様、何か言い返してください……!
ちゃんと自分の気持ちを言わなくては……!
エルザ様…………!!
エルザ様はそんな私の視線に気が付き、怯えながらも言う。
「あの、シリル殿下、私は王妃になりたい、とかではなくて、ずっとずっとシリル殿下のことが好きでした。いつも素直になれなくて、あんまり表現出来なかったかもしれませんが、シリル殿下と一緒にいる時、私は幸せを感じていました」
シリル殿下はエルザ様の言葉を聞くと、少し動揺したようだった。
「それは、婚約破棄されたくないがための嘘か?」
「また、信じてくれないのですか……?」
「シリル殿下、私はそのエルザ様の気持ちは本当だと思いますわ。
いい加減信じてあげてください。
そしてそれを知った上で、私を選んでくれませんか……?」
うっ、また、マリアさんは……。
この乙女、本当に、つ、強い…………。
「ああ、最初から、マリアを選んでいる」
「ありがとうございます、シリル殿下」
マリアさんは空気を読んであまり喜びをださないようにしているが、とても嬉しそうなのであった。
「分かりましたわ………………」
エルザ様は囁くように小さい声で言った。
私はいい加減、見ていられなくて思わず口を出した。
「シリル殿下、あの、エルザ様と婚約して1年も経っていないと言いましたが、マリアさんと出会ってからも1年経っていませんわ。せめて、エルザ様ともう少し向き合って、マリアさんとももう少し長い時間一緒に過ごしてみてから決めた方が良いと思います」
シリル殿下はふと私を見る。
「ああ、貴方は有名な…………」
まあ、有名である自覚はある……。
いろいろ心当たりがあり過ぎて、どの有名を言っているのかは分からないが。
「マリアもエルザも世話になったようで、それには感謝する。
しかしもうこれ以上は口を出さないでいただきたい」
「ですが、あまりにもエルザ様が…………!」
私が食い下がると、シリル殿下はボソリと言う。
「フンッ、淫乱が……」
ああ、男性にモテモテで有名な私でしたか。
しかし私は純潔であることを言っておきたい。
私はひっそり苦笑した。
その時であった。
「――――――ク、クリスティーナ様に、今、何を、何を言いましたか……?」
エルザ様を見ると、顔面蒼白になって、とても動揺をしているようだった。
「クリスティーナ様に、クリスティーナ様、何てことを……!!」
「エルザ様……?」
私はエルザ様に呼びかける。
「許せませんわ……。それだけは!! クリスティーナ様のことだけは! 侮辱することは許しませんわ」
私は困惑した。
先ほどまでシリル殿下にあれほどまで酷いことを言われていても文句の1つも言わなかったのに、どうして…………?
シリル殿下も同じように思ったようで、怪訝そうにエルザ様を見ている。
「エ、エルザ様、落ち着いてくださ――」
「いいえ! いくらシリル殿下であろうと、これだけは許せないのですわ……!」
エルザ様は涙ながらに訴えるように言った。
「クリスティーナ様は優しくて、穏やかで、温かくて、いつも話を聞いてくれたのです。慰めてくれて、綺麗だって、可愛いって、いつも言ってくれて……。
ああ、シリル殿下なんかとは大違いだわ……!」
エルザ様…………。
私は胸が苦しいのだった。
私はなんとかエルザ様を落ち着かせようと手を伸ばした。
「痛っ…………!」
その手はエルザ様に触れた途端に弾かれて、それはとても強い力で私は軽く吹っ飛んで尻餅をついた。
え……!? 何…………?
私は突然のことに驚く。
エルザ様はハッとしたように私に駆け寄った。
そして私の手にかすり傷が出来て、少し血が滲んでいるのを見て狼狽する。
「わ、私、何をしたの!? なんて、なんてことを………………!!」
「だ、大丈夫ですよ、エルザ様」
周りのバラがみるみるしぼんでいく。
「な、何!?」
それを見てエルザ様はさらに慌てふためいた。
「大丈夫です、大丈夫ですよ、エルザ様……!」
私自身混乱しながらも、エルザ様をなだめようとするが、その声は聞こえていないようだった。
エルザ様は錯乱状態に陥っていった。
「どうして、こんなことに…………。私がやったの……? どうして!? どうして……!?」
雲行きが怪しくなっていった。
どこからか風が吹き始めて、エルザ様の心と同調するように、エルザ様が興奮すればするほどその風は酷くなり、立っていられないほどの嵐になっていった。
「すまなかった!! クリスティーナ殿、酷いことを言って悪かった、申し訳なかった!! エルザ、すまなかった!」
シリル殿下の叫ぶような声が聞こえた。
「エルザ様っ!!」
「エルザ様……!」
マリアさんもロバート様も、エルザ様を錯乱状態から意識を呼び戻そうとしている。
私は傷の出来てない方の手でエルザ様の背中をさすった。
その手は水分を失ってしぼんでいくのだった。
ああ、どうすれば…………。
――――エルザのその力は、破壊ではなく、本当は聖なる癒やしの魔法なのです。
え…………?
その時、私の頭の中に一瞬誰かの声が流れた。
私は納得するのだった。
ああ、そうだったのか、と。
やはりエルザ様は大切にしなければならない特別な存在であるのだと。
私は極めて優しく心がけて言う。
「エルザ様、大丈夫です。
エルザ様のその力は聖なる癒やしの魔法なのですよ?
私の傷を治してはくれませんか…………?」
私の言葉を聞いて、エルザ様は怯えた目で私を見た。
私はエルザ様に擦りむいた手を差し出しす。
エルザ様は恐る恐る私の手に、自身の手を当てた。
エルザ様の手は光を放って、私の傷が塞がっていくのだった。
私のもう片方のしぼんだ手も、周りのバラも、生気を取り戻していくのだった。
「ありがとうございます、エルザ様」
「え、ええ」
エルザ様は放心したまま頷いた。
◇◇◇
それからエルザ様は聖女だと祭られて、本人たちの意思関係なく、シリル殿下との婚約は確実なものとなった。
最初、シリル殿下は複雑そうで、エルザ様は不安そうであった。
一番立ち直りが早かったのはマリアさんで、キッパリとシリル殿下に言ったのだった。
「これはもう何がどうなっても、王妃になるのはエルザ様で、私は王妃になることはあり得ませんわ。私たちが結ばれるためには、シリル殿下が廃嫡になるしかありませんわ。シリル殿下にその覚悟はありますか?」
それにシリル殿下は首を横に振った。
それからマリアさんは、シリル殿下のお友だちだった宰相の息子と騎士団長の息子に言い寄られるようになったが、それまたキッパリと言った。
「私はもう絶対に、婚約者のいる方を好きになることはありません」
シリル殿下は、自分のことなど忘れたようにどんどん前に進んでいくマリアさんを見て、徐々に頭が醒めていったようだった。
そして改めてエルザ様に謝り、ちゃんと向き合って過ごすようになった。
今ではお互いに想い合っているようである。
今のシリル殿下からは、マリアさんの時のように熱い情熱のようなものを感じることはないが、エルザ様を見る目からはとても温かな愛情を感じる。
以前あったどこか棘のある空気は消え去り、二人の間にはとても穏やかな時間が流れているようだった。
平穏が訪れると、エルザ様は愚痴を漏らしていた。
「マリアさんとのアレは一体何だったのかしらねえ? フンッ」
「まあまあ、エルザ様、時として、男性の方が感情的で、女性の方が論理的になってしまうこともあるのでしょう。一時の感情に熱くなってしまって、今ようやく冷静になって頭が冷えたのでしょう」
男って一度は過ちを犯すものよねえ……。
男だった記憶もある私としては、一度くらい許してあげて欲しい!
学園の卒業パーティー、エルザ様はしっかりシリル殿下にエスコートされて中睦まじい様子であったし、マリアさんもイケメンにエスコートされていた。
私はお兄様にエスコートしてもらった。
その後、私は相変わらず、男性陣に囲まれて楽しいパーティーを過ごしていたわけであった。
疲れたと思って、私が会場の外で風に当たっていると、エルザ様がこちらにやって来た。少し雑談を交えた後、エルザ様は言う。
「クリスティーナ様、本当に、本当に、ありがとうございました。
感謝の言葉をいくら並び立てても足りませんわ……!」
今までは毎日のように会っていたが、これからはそうもいかない。
エルザ様は涙を浮かべていた。
「フフッ」
私は眩しげに目を細めてエルザ様を見ると、彼女の髪を丁寧に一房取り、それに静かに口づけた。
「麗しの可愛い乙女。
貴方の姿は女神のように美しいが、心はとても清純で、知れば知るほど可愛らしい乙女でした。
エルザ様と過ごした時間は、私の一生の宝物です。
私の方こそありがとうございました、エルザ様――――――――」
◇◇◇
彼女、クリスティーナ様は不思議な人だった。
美しく、魅惑的で、ミステリアスで……。
男性は彼女にどうしようもなく惹きつけ魅せられて、女性は彼女に憧れ慕っていた。女性であり、女性的であるのだが、しかしどこか男性性も持ち合わせているようだった。
クリスティーナ様は学園を卒業してから社交の場にでることはなかった。
僕、ロバートはどうしても、バラ園に呼び出された時に見た、クリスティーナ様の無邪気な笑顔がチラついて仕方がなかった。
僕は確かにマリアのことが好きだったのに、クリスティーナ様と話してからもう好きではなくなっていた。
だからといって、クリスティーナ様のことが好きになったか、と言われるとよく分からないのだが。
でも、どうしてももう一度会いたかった。
確かめたかった。
本当の彼女はどういう人だったのかを。
あの時のクリスティーナ様は、いつもの彼女の印象からはかけ離れていて、あれは夢だったのか、とさえ思い始めていたのだった。
僕は今日、小さな教会を訪れていた。
――――ここにクリスティーナ様がいるという。
教会では孤児が引き取られていて、元気な子どもの声がそこかしこから聞こえた。
教会の中に入ると、シスターの服に身を包んだ一人の美しい女性の元に子どもたちが集まっている。
「シスターこっちで遊ぼう」
「絵本読んでー」
「シスターお菓子食べたい」
「あらあら、全くもう、ほうら、落ち着きなさい? 可愛い可愛い私の天使たち」
その美しい女性、クリスティーナ様は、あの時の無邪気な笑顔を浮かべているのだった。