番外編その三、ありふれた春休みの一日
テーブルの上にある食器とカップを積み上げて片付ける。
そして何も置いていないテーブルを布巾で綺麗に拭いていく。
「統|これでよしっと…」
店内は新しく客が来ても問題無いくらい、全席綺麗になっている。
「統|さてと…マスター!」
「ん?ああ、もう掃除が終わったのか」
店の奥、調理場から顔を出したのはこの喫茶店、小鳥の休憩所の店主である度会照正。
俺はマスターと呼んでいて、この喫茶店でアルバイトをしている。
と言っても、長期の休みか臨時でしか店に来ないが。
「照|じゃあお客様も来ないし、食器を洗ったら休憩しようか」
「統|はい」
俺とマスターの関係は、従業員と雇用主以外に、俺の父親とマスターが同級生だ。
俺は父さんのおかげでこの喫茶店で働く事が出来ている。
つまりは、父さんのコネでこの喫茶店で働いているという事だ。
「統|…それにしても…人、来ませんね…」
「照|昼時を過ぎると大体こうなるものだよ。店だって大通りから外れているからね」
「統|ランチタイムの忙しさが嘘のよう…」
今店内は正にがら~んとしている状態だ。
ほんの一、二時間前迄人が居たとは思えないくらいに客が来ていない。
…この時間…俺居る意味があるのかな…暇だけど…
マスターが洗った食器を拭きながらそう思った。
「照|さて…掃除も食器の片付けも終わった。じゃあ少し休もうか」
「統|なら、アイスコーヒーをお願いします」
「照|ああ、すぐに用意するよ」
食器を片付け終わると、何もやる事が無いので休憩する事になった。
ちなみに、昼食は忙しくなる前に食べている。
「照|ほら、アイスコーヒーね」
「統|ありがとうございます」
マスターが用意してくれたアイスコーヒーを受け取り、カウンターの端で飲み始める。
ああ~…忙しい時間が過ぎてから飲むアイスコーヒーは美味しいな…
「照|こういう暇な時間も悪く無いけど、時々お客様が不意打ちのように来る事があるんだよね…」
「統|そうなんですか?俺、そんな時なんて無いですけど」
「照|統次郎君が居ない時にあったんだよ。私が覚えているのは、五月の時に一度あったね」
「統|五月って…俺ほとんど来てなかったですよね?」
「照|今でも覚えてるよ。その時は男女二人でね、
女の子が男の子に目潰ししてて、悲鳴が五月蝿かったよ…」
「統|何ですかその状況!」
何があったら女の子が男に目潰しするんですか!
「照|まあ男の子が目潰しされたのは、女の子に言っちゃあいけない事を言ったからなんだけどね」
「統|自業自得だったんですね…ちなみに何て言ってたんですか?」
「照|はっきりとは聞けなかったけど、確か胸がどうとか言ってたような…」
「統|うわあ…」
そんな…俺の知ってる奴が言いそうな事を言う人が居るんだ…まさか…本当に拓巳じゃないよね…?
自分の友達がそんな事になっていたかもしれないと思うと、
違っていてほしいな…と心中複雑な気持ちになった。
「照|その後女の子が出て行って、目潰しされた男の子がスマートフォンが置いてあったから、
持ち主が来たら此処に待たせてくださいって言って出て行ったな。
それでしばらくしたら、スマートフォンは持ち主に返したって報告しに来たし」
「統|女の子に失礼な事を言った割には律儀ですね」
ああ何だ…拓巳じゃないな…あいつが忘れ物を届けたなんて言うはずないし。
自分も失礼な事を思っているが、
そういう奴では無いと知っているので失礼では無いだろうと勝手に完結させる。
「照|まあそういうお客様も来るから、油断しないでおこうか」
「統|そうですね。一人も来ないより、人が来る方がいいですからね」
「照|そうだね」
話が終わってしまったら、何も話す事が無くなってしまった。
…何か話すべきかな…?
「照|そうだ、お父さんお母さんは元気かな?」
「統|一人暮らしな上に、そんなに連絡しないので分かりません」
沈黙に耐えられなかったのか、マスターが話を振ったがすぐに終わった。
だって本当の事だし、知らないものは知らないんだよ…
「照|そっ、そうか…二人もたまには店に来ればいいのにな」
「統|それなりに遠いので、来る気があるか分かりませんよ?」
「照|…そうか…」
またマスターが話を振ってきたが、即座に話を終わらせて静かな空気が流れる。
まあ、来ないって言うより、俺が来させないようにしてるんだけどな。
「照|あっ、身内の話で思い出した」
余程沈黙の空気が嫌なのか、マスターは三度目の話を振ってきた。
「照|姪っ子が、四月から躑躅野高校に通う事になってね。確か、君も同じ高校だっただろ?」
「統|へえ、そうなんですか。だったら、四月に学校で挨拶するので名前を教えてください」
今度は興味ある話だったので、何気なくそんな事を言った。
それが間違いだと気付いたのは、マスターの顔を見てからだった。
「照|ほっ、ほう…私の姪に、私が居ない時に会いたいと…宙吊りにされたいのかな…?」
「統|いえ違います!
俺はこの店の従業員なのでマスターのご家族にご挨拶しなければと思った次第であります!」
まずい…!地雷踏んでた!
マスターは家族、特にお姉さんを大切にしていて、
お姉さんに関わる話をすると容赦なく恐ろしい目に遭わされてしまうのだ。
…マスターは四人家族だって聞いてるから、十中八九お姉さんの娘さんなんだろう…
父さんもお姉さんの事を聞いて、
ロープで街中を引き摺り回されそうになったって言ってたし、気を付けないと…
ちなみに、お姉さんが結婚すると聞いたマスターは、お姉さんの結婚先で揉めたらしい。
「照|そうか、下心が無いならよろしい」
「統|顔も名前も知らない子相手に、下心は抱きませんよ…」
「照|いや悪いね。どうも姉さんの事となると周りが見えなくなってしまうんだ」
「統|…今してたのは姪っ子さんの話では…?」
「照|あまり変わらないだろう?」
「統|家族で一括りにすれば、そうでしょうね…」
これ以上聞くのはやめておこう…またさっきみたいになったら大変だし…
深く聞くとマスターの逆鱗に触れそうなので、もう何も聞かない事にした。
「統|ごちそうさまでした。片付けしますね」
「照|いや、私が…」
アイスコーヒーを飲み終えた俺は、カップを片付けようと動く。
それと同時に、マスターのスマホから着信音が鳴った。
「照|ん?一体誰からだ?」
そう言ってマスターがスマホを取り出している間に、俺は自分の使ったカップを洗い始める。
マスターはスマホの画面を見ると、急いで店の奥に行きながら電話に出た。
「照|もしもし姉さん?こんな時間に電話するなんてどうしたのかな?」
マスターとすれ違った時に会話が少し聞こえた。
…マスターのお姉さんからか…そういえば、父さんから名前を聞いたな。
確か…名字が変わって、和水…駄目だ、思い出せない…
確か、この店の名前の由来になってたような…ってああそうだ、和水小鳥さんだったけ。
「照|相談?何かな、姉さんの頼みなら何でも聞くよ」
マスター、嬉しそうだな…何話してるか聞こえないけど、お姉さんからの電話が余程嬉しいらしい。
洗い終わったカップを拭いて、後ろの棚に戻しながらそう思った。
「照|えっ?四月から海鹿ちゃんをこっちに住まわせて欲しい?
別にいいけど、海鹿ちゃんはいいのかな?」
さて…やる事無いけどどうしようか…マスターは電話中だから聞けないし…
とりあえず、あまり使ってなくて曇ってるグラスを拭いて綺麗にしよう。
「照|あ、海鹿ちゃんが言ってるのか、なら大丈夫。部屋は用意するよ」
何かこうやってグラスを磨いていると、この店のマスターにでもなった気がしてくるな。
それで、可愛いウエイトレスが居れば文句無いんだけど。
そんな二重の意味で何言ってるんだと思われるような事を考えていると、
マスターが電話を切って奥から戻ってきた。
「照|悪いね、急に電話に出ないといけなくて片付けさせてしまって」
「統|いえ、いいんですよ。それより誰からの電話だったんですか?」
お姉さんからですか?と聞くと宙吊りにされそうなので、
誰からの電話か知らないふりをしてそう聞いた。
…さっきの二の舞は嫌だからな…
「照|姉さんからだったよ。噂をすれば、だね」
「統|そうだったんですか」
「照|しかも、姪っ子がこっちから学校に通いたいって言ってるらしくてね」
「統|そうなると、マスターの所に行くんですよね?店舗と住居は繋がってますし」
「照|…会わせる気は無いからね?」
「統|どうしても会いたいとは言いませんよ…」
触ったら祟られる神様に触りたくなんて無いですから…
俺に対しての信用の無さに、少しだけ悲しいなと思った。
「照|だったら深く聞かないで欲しいね」
「統|気になったから聞いただけです。それなのに疑われるのって、俺に彼女が居ないからですか?」
「照|そうではないけれど、あまりに女っ気が無いから心配でね。
友達と一緒に店に来れば安心出来るんだけれど」
「統|友達ですか…一人くらいしか居ないんですよね…」
「照|…君は私の姪に会うより、友達を作った方がいいんじゃないか…?」
「統|マスターが思ってる程、学校生活は悲惨じゃないですよ…」
別に作りたくないってわけじゃないけど、何でか同じクラスの人達が遠いんだよな…何でだろ?
「統|まあ、友達と店に来るのはいいですけど、あまり期待しないでくださいね?」
「照|三、四人で来れば大丈夫だよ。それくらいなら利益になるからね」
「統|店に友達と一緒に来いって、そういう意味ですか…」
要するに、店に客を連れて来いって事ですね…俺の心配はしてないと…
マスターの言葉の意味を考えると、切なくなった。
「統|でも、三人はちょっと難しいですよ」
「照|だから私は友達を作りなさいと…」
話をしている途中で、カランという音と共にお客が来た。
「照|ああ、お客様が来たよ。お水を用意して」
「統|分かりました」
やっと来た仕事に、さっきまでのだらけた気持ちを切り替えて接客を始める。
四月から来るマスターの姪っ子さんに、立派な先輩だと思ってもらえるように。
前に統次郎がアルバイトをしていると書いている時に、何となく思いついた話を書いてみました。
一応言うと、気にされてる五月十二日で入った喫茶店と、
正直者は幸せな夢を見る前編で拓巳が入れられた喫茶店は小鳥の休憩所です。
統次郎は違うと思ってますが、気付いていないだけです。
最後に、次に書く番外編は要と美尋が嘘の告白をする事になった経緯を書くつもりです。
本編が完結した後に書こうと思っているので、楽しみにしてもらえるとありがたいです。
本編は中途半端になると思いますが、最後まで書けるように頑張ります、それでは。