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八月一日(後編)

 ──今、僕は電車に揺られている。

 向かう先は日和がいつも使っている駅だ。

 僕達はそこで待ち合わせをしている。


 手持ち無沙汰になってしまったので、さっきまでの母さんとのやり取りを思い出す。


「結局聞けなかったな⋯⋯」

 僕は父さんの死んだ理由を知らない。

 本当は最後の質問でそれを聞く予定だった。

 母さんもそれをわかったから身構えたのだろう。


 最近、父さんの話が出るようになったから聞いてみたくなった。ただ、それだけの事だった。

 それでも、僕には聞く勇気がなかった。


 母さんから言い出すのを待とう。言わないのには何か理由があるはずだから。


 そう思いながらも、少し残ったもやもやとした気持ちを紛らわすように、電車の窓から外を眺める。

 太陽は、まだ落ちきっておらず存在を主張していた。


 時間を見ると四時半。日和との待ち合わせにはまだ三十分の余裕がある。


 夏は日が落ちるのが遅いという事実を改めて実感しながら、夏至はいつだったっけ⋯⋯なんてそんな意味もない事を考えてしまう。


 日付の事を考えていると、夏休みの残り日数が頭に浮かんだ。

 今日は八月一日。

 もう一ヶ月しか休みがないと考えると、憂鬱になりそうだ。


 夏休みが始まった時から何も進んでいない、無駄な時間を過ごしているような錯覚を覚える。


 僕は、本当にちゃんと前に進んでいるのだろうか。答えのない問いを自分に投げてみた。


 ──僕が大きく息を吐くと、それは生ぬるい空気と混ざり合い消えていった。


 まだやらなければいけないことが一杯あるのに時間は待ってくれそうにない。


 そんな事ばかり考えていると、僕の思考は悪い方に転がっていき、気が滅入りそうになる。


 やらなきゃだめなんだ、と自分に言い聞かせながら、気合いを入れ直すために顔をパンパンと叩いた。


 そんな事を考えていると目的地である駅が見えてくる。


 祭りに行くのにこんなテンションじゃダメだ、これじゃ折角送り出してくれた母さんに顔が向けられなくなる。


 僕は気持ちを切り替えた。


 さて、日和は、一体どんな浴衣を着てくるんだろう⋯⋯それが気になって仕方ない。


 僕は電車が駅に着くと同時にホームへ降り、日和が前に待っていた所を見る。


 ──その瞬間、世界に色がついた。


 綺麗に浴衣を着飾った日和がそこに佇んでいる。それを見て思わず固まってしまう。


 日和はじっとこっちを見ている。


 電車から降りる人を見ていたのだろう、僕を待っているのだから当たり前の事なのかもしれない。日和が軽く手を振っているのが見えた。


 僕も何か返さないと⋯⋯固まる身体を無理矢理動かしたせいで、ぎこちない動きになってしまっていた。


 それを見て日和は、可愛らしく笑った。


「こんばんは、ハル君」

 僕が固まっているのを見て日和は自分から寄って来てくれた。

「こ、こんばんは」

 僕はなんとか返すがどもってしまう。


「ハル君がいきなりロボットダンスを始めたから笑っちゃったよ」

 さっきの事を思い出したのか、もう一度日和は笑った。

 僕は日和を見る。

 今日はトレードマークの帽子を被っておらず、僕から見て左側の髪の毛を編み込んでいる。今日もヘアピンを付けてくれていて、それがワンポイントになっている。


 浴衣の色は白色で、桜の花っぽい紫色の花が散りばめられた模様をしている。

 その花の色と同じ色の帯に目を惹かれてしまう。


 そして、足元には帯の色と同じ鼻緒の下駄を履いている。

 日和の肌が白いせいか、浴衣と合わさって清廉という言葉が似合う仕上がりになっている。


 気が付けば、僕は日和に見とれて返事をするのが遅れてしまっていた。

 しまった、と思いながら日和の顔を見るとにやにやとした表情で笑っている。


 どうやら僕が日和を眺めているのを待っていてくれたみたいだった。


 日和と視線が重なった瞬間、慌てて視線を逸らす。恥ずかしさで頭が沸騰しそうだ。


「どう、可愛い?」

 からかい半分の声で日和が聞いてくる。

 僕は視線を宙にさ迷わせながら必死で言葉をたぐる。

「まぁ⋯⋯うん⋯⋯」

 絞り出した言葉は曖昧な物だった。

 もっと褒めないといけない、と焦りながら褒めるポイントを探す。

「その()⋯⋯の模様すごく綺麗だね」

 咄嗟に出たのがその言葉だった。


 それを聞いて日和はジト目になる。何か失言をしてしまったのだろうか?そう考えて僕は焦る。


 少し低い声で「この花は()()だよ?」日和はそう告げた。


「⋯⋯間違えてごめんなさい」

 その日和の言葉に僕は素直にそう謝った。

 桜の花に見えたんだから仕方ないと言い訳をしたくなってしまう。


 これからは知識が無いことを言葉にすることはやめよう。

 そう心に深く刻み込んだ。


「まぁ、知らないなら仕方ないか」と日和は力を抜いて微笑んだ後、じーっと僕を見ている。


「ハル君、その服似合ってるね」そう言ってくれた。その言葉に僕は頬を緩ませる。


 この時、僕は父さんに心からの感謝をした。


 この甚平の事を日和に話そうとすると次の電車がホームに来たのが見えてくる。

 また機会がある時に話そう、そう思いながら周りの人達が嫌に自分達を見ている気がした。


 確認のために見回してみると、確かに注目を浴びていた。


 ⋯⋯どうやら、さっきの恥ずかしいやり取りを見られていたみたいだ。


 その人達の視線は温かい物もあれば冷たい物もあり様々な感情が込められていた。


 それは男女で分けられているように見える。

 女の人達は温かい見守るような視線を向けてくれている、初々しいカップルを見守るような目だ。

 逆に男の人達は嫉妬の視線を向けて来ていた。所々で舌打ちが聞こえてくる。


 穴があればそこに入っていたかもしれない。

 僕は一刻も早くこの場から逃げたくなってしまった。


 

 日和もその視線に気付いたのか「ハル君、行こっ!」と言いながら僕の手を掴む。

 僕は引きずられるように、電車へと乗り込んだのであった。


「はぁ⋯⋯あんなに注目をされてたなんてビックリした⋯⋯」

 日和はそう言いながら大きく息を吐く。

 自分が注目を浴びるような綺麗さだってことを自覚していないらしい。


「そうだね」それを本人に言うのは恥ずかしいので無難な言葉を使っておいた。


 僕は、座れる席を探すが会社員の帰宅の時間に巻き込まれてしまったらしく、座れる場所がない事に気を落とす。


 結局座れないまま、電車が動き始めてしまった。


 ⋯⋯仕方ない、席が空いたら座ろう。

 そのうち人も降りるだろうし。


 ──その考えが甘い事を僕はまだ知るよしもなかった。




 ⋯⋯そして駅を二つ越えた今。


「──日和、大丈夫?」

 今の僕は日和を扉側にやり、周りの人混みから守っていた。

「うん、大丈夫。ハル君ごめんね」と謝ってくる。日和は何も悪くない。


 予想とは違い、今の電車内は満員になりかけていた。

 あの後、駅に着く度に人が乗り込んで来て今の状態に至る。


 向かう先が有名な花火大会だからなのかもしれないなと考えた。


 僕は「謝るより感謝の気持ちを言って欲しいな」そう言ってから、キザな台詞を言ってしまったことに気付き顔を赤くした。


 日和は小さい声で「ありがとう、ございます⋯⋯」と言いながらうつむく、その耳は真っ赤に染まっている。

 僕はそれを見て「どういたしまして⋯⋯」と返事をし、天井に顔を向けた。


 ──お互い恥ずかしさで、まともに顔を合わせる事が出来そうになかった。


 それからも人は減ることはなく更に人は増えていく。

 日和と密着になってしまいそうなのを必死で堪える。

 その間日和からいい匂いがしてきて色々と限界になりそうになってしまう。

 くっついちゃえよ、と僕の中の悪魔が囁くが雑念を振り払う。


 そこから電車が目的地に着くのに何時間もかかったように感じた。

 時間を見てみると一時間しか経っておらず、それを見た途端に力が抜けるのを感じた。

 駅に着いてから、僕達は人混みではぐれないように手を繋いで電車を降りた。


「ごめん、ちょっと休ませて」そう一言断りながら、僕は空いているベンチを見つけ腰をかけた。


 立ちっぱなしだったからか疲れが溜まって動けない。

 それに色々と我慢したせいか精神も磨り減っていた。

 しばらく歩けそうにない。


 日和はそれを聞いて「うん、わかった」と言い残しどこかへ歩いていった。


 御手洗いだろうか?と考えてから、しばらくぼーっとしていると頬にピタッと冷たい物が当てられる。


 僕が慌てて変な声を上げると、後ろには日和がいて笑っていた。

 その手には缶ジュースが握られている。

「守ってくれたお礼」そう言いながら僕にそのジュースを手渡してくれた。


 僕はありがたく、そのジュースをいただく事にする。

 それを見ながら日和は気分がいいのかにこにこと笑っていた。


 一休みして体力も戻ったので、僕は立ち上がり日和に手を差し出した。


「じゃあ、祭りにいこうか」

「うん、色んなものを見て回ろうね」

 お互いに手をしっかりと握ったのを確認して、僕達は歩き出した。


「まずは、何から回ろうか?」日和からの提案に僕はお腹の音で答える。

 今日はご飯を抜いていたことを今思い出す。

 それを聞いて「まずは食べ物からだね」と言いながら日和は苦笑した。


 僕は途中にあった屋台で焼きそばを購入した。

 うん、うまい。この濃いソース味が舌を刺激する。

 僕は無言で焼きそばをがっつく。


 日和はそれをじっと見つめている。

 食べたいのだろうか?

「日和は食べないの?」

 純粋な気持ちで聞いてみると「私はほら、これだから⋯⋯」と浴衣の上に手を置いた。

 確かに、白い浴衣が汚れたら嫌だものな⋯⋯納得してしまった。


 次は汚れづらい物を食べるとしよう、そう心に決めた。


「──日和、おいしいね」

「うん!」


 今、僕達は歩きながらりんご飴を食べている。

 やはり祭りと言えばこれだろう。

 普段は食べる機会なんてないしな。


 横を見ると、日和はペロペロと飴を舐めている。僕は飴を噛んでしまい、もうリンゴだけになってしまっていた。

 たいして甘くもないリンゴを食べ終わって僕は残った棒を目についたゴミ箱に捨てた。


「食べるの早いよ!」と日和は驚いている。

「早食いのプロだから」そんな自慢にもならないことをドヤ顔で言っておいた。


 ある程度お腹も膨れた事を日和に伝えると、僕達は本格的に縁日を楽しむ。


 金魚すくいや射的、輪投げ、かたぬき等色々と回っていく。


 残念ながら僕と日和はそういうのに全く才能がなく全部残念な結果に終わってしまう。


 二人とも失敗する度に苦笑いをしていた。それでも楽しいと思ってしまった。


 出来れば日和に格好いい所を見せたかったな⋯⋯と欲が出てしまったけど出来ないものは仕方なかった。 


「遊んだ遊んだ」僕は日和と並んで歩く。

「一回も成功しなかったけどね」日和は笑っている。

「でも、これだけでも貰えてよかったね」日和はそう言いながら金魚が入った袋を前に出した。

 僕と日和が金魚すくいを失敗していたら、屋台のおじさんが日和に一匹くれたのだ。

「自分でも何か取りたかったな」次の機会があるかわからないけど練習しておこうと思った。


「ある程度回ったし、どうする?」

「後は出店かな、まだ花火までに時間はあるしね」日和は時間を確認しながらそう言った。


 そういえば、出店はまだ見ていなかったな。


 あまりにも遊ぶのに夢中になっていて気付かなかった。

 ⋯⋯失敗しすぎて熱くなっていただけだが。


 お面のお店や、変な得体の知れない物が置いてある店など様々な店があった。


 僕達は興味のない店は素通りしていく。

 花火までの時間を考えるとなるべく早くいい場所を取りたいからだ。


 そして、あるお店の前に行くと日和の足は止まった。

 それは、色んな小物が置いてある店だった。


「何か気になる物でもあった?」僕は気になって聞いてみる。

「うん、何か良い物があるかなって」日和は店の物を見ている。

 その目はある一点で止まる。それは、指輪のコーナーだった。


 日和は何かを考える顔をしてそこから目を離さない。

 そんなに指輪が欲しいのだろうか、それならジュースのお返しにプレゼントしよう。


「おじさん、これもらっていい?」と言いながら赤色の宝石のレプリカが付いている指輪を指差した。


 赤色を選んだのは、なんとなくだ。一番目を惹いたのがそれだった。


 日和はそれを見て驚きで目を丸くする。

 僕が指輪を買うのがそんなに意外だったのだろうか。

 屋台のおじさんに指輪を袋に包んでもらう。


「これは日和にあげるからさ、先に花火の場所を取りに行こう」そう言って日和の手を引き、場所取りに向かった。

 日和が小さく何かを言ったような気がしたが、祭りの喧騒に飲み込まれて耳に届く事はなかった。


 花火会場に行くとそこは人だかりが出来ていて、とても落ち着いて花火が見れそうな雰囲気じゃない。


「人が居ないところ探した方がいいかな⋯⋯」

「うん、流石にね⋯⋯」

 僕達は人波から横にそれて誰もいないと思う場所へ歩いた。

 そして、ある程度歩くと少し離れてはいるが落ち着いた場所へとたどり着く。


 僕は、ポケットからさっきの指輪を取り出す。

「じゃあ、これをプレゼントするよ」そう言いながら、袋のまま指輪を渡そうとした。


 その言葉に日和は少し考えた顔をした後に「ハル君が私の指につけて欲しいな」そう言いながら僕の前に左手を出した。


「それくらいなら⋯⋯」僕は袋から取り出して迷う⋯⋯どの指に填めればいいんだろう。


「人差し指がいいかな」僕が悩んでいるのを察していたのか日和はそう呟いた。その言葉に僕は頷く。


 僕は日和の言葉通りにした。日和の綺麗な指に指輪を填めるのは緊張をする。手が震えてしまいそうになる。


 少し時間がかかってようやく填める事ができた。

 指輪はその指に合っておらず少しぶかぶかになっている。

 それでも、それを見て日和は嬉しそうに目を細めて感謝の言葉を言ってくれた。


 何だろう、胸の鼓動が早くなる。

 今の雰囲気はあれだ、キスをする雰囲気ではないだろうか。


 僕と日和は大分距離も縮まった気がする。

 しても、いいよな⋯⋯?


 僕が日和に真顔で向き合うと日和は少しビクッと硬直する。日和も何かを察してくれたようだ。


 日和の肩に手を置くと日和は目を瞑る。

 僕も目を瞑り日和の顔に⋯⋯



 ──こいつは男だぞ。


 そんな声が頭の中に響いた気がした。僕の動きは止まる。


 それでも、顔を前に──お前はそれでいいのか?


 その言葉で、完全に僕の動きは止まってしまった。


 日和は女かもしれない、まだ確かめていない。


 ──それを確かめる勇気はあるのか?お前にその現実を受け止める覚悟が。


 覚悟がなくても、関係を進めてからでも遅くないはずだ。


 ──その時はもう手遅れになるかもしれない。


 それでも⋯⋯


 ──男なんだ、どんなに綺麗に見えても、可愛く見えても結局は⋯⋯男なんだよ。


 ──ここでキスをしても、覚悟がない以上関係が進むことはない。


 ──結婚を出来るわけでもない、ましてや幸せな家庭になるはずもない。


 ──周りを不幸にしてしまうかもしれない。


 ──こいつは男だ、男だ、男なんだ。


 なら、僕はなぜ日和と付き合っているんだ?


 これは⋯⋯恋愛じゃないのか?


 疑問を投げかける相手はいない。全ては自分との対話だった。


 ──小説のためだろ?リアリティを上げるためだろ?


 僕の理性がそう告げた途端、全てが腑に落ちた気がしてしまった。


 違う、という感情が出てこない。

 小説のため、そう思うと気持ちが楽になる。


 そう思った瞬間、今までの楽しかった思い出が全部、色褪せていくように感じる。


 恋人と友達の違いがわからなくて当たり前だ。


 そうだ、僕のやっていたことは結局。


 ──恋人ごっこだったんだ。


 ⋯⋯僕は、そっと日和の肩を突き放すように遠ざけた。

 さっきまでの雰囲気はもう無くなってしまっている。


 ⋯⋯気付けば僕は頭を掻いていた。いつから掻いていたのかわからなかった。


 日和はそれを見て苦笑いをしながら「⋯⋯ごめんね」と謝った。


 ──ごめん。謝らなければいけないのは僕の方だ。

 謝罪の気持ちが心の中で渦巻く。

 僕はどんな顔をしているのだろう。

 自分ではわからない。


 僕は日和のその顔を直視出来ずに目を逸らした。


 向こうの空では花火が打ち上がり始めた。

 僕達は無言のままそれを眺め続けている。


 花火が終わりに近づいて来た時「小春日和⋯⋯か⋯⋯」日和はそう一言だけ呟いた。


 その呟きは花火の音に掻き消されて消えていった⋯⋯

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