日和の夢、覚悟の違い
「あんたが、お土産を買ってくるなんて⋯⋯」
お土産を渡した後の母さんの第一声がそれだった。
母さんは片手に銀色のビール缶を持っている、食卓の上には軽く見るだけで両の手では数えられない程の缶が空けられていた。その顔は驚愕に震え、目を見開いている。⋯⋯そんなに僕がお土産を買ってくる事が珍しいか。
「驚くことじゃないでしょ」
善意が蔑ろにされたように感じて、少しだけ口調がきつくなってしまった。親孝行をしようと思うとこれだ、する気がなくなるのも当然だろう。
「ごめんごめん!」
母さんは謝りながら包み紙を破く。派手な音を立てながら。せっかくのお土産なんだから、こう⋯⋯もう少し丁寧に開けるとかして欲しいところだ。
「早速いただきます、っと。うまっ! これはうまいわ!」
中にある真珠の形の饅頭を頬張りながら母さんは唸っていた。
そのままビールを口へと流し込み「ぷはーっ!」と一息つく。
その豪快な飲みっぷりは、まるで映画とかで見る海賊のようだ、時代が時代なら女海賊でもやってるんじゃないか? この人。
「うまいうまい、あんたが買ってきたやつだから尚更だわ」
その食べっぷりを見ていると饅頭に興味が湧いてきた。
しかし、あげたものを返して貰うのは格好悪いな、我慢しないと⋯⋯。
「いやー、これなら何個でもいけそう!」
⋯⋯⋯⋯余ったら後で一個いただこう。
プライドが折れる音が聞こえた気がした。
「しかし、戸羽水族館か久々にその名前を聞いたね」
そう言いながら、母さんは懐かしさに浸る様に目を細める。その口にはつまみのスルメを爪楊枝の様に咥えている。はしたないので止めて欲しい。
饅頭の箱は綺麗に空になっていた。身体壊すぞ、畜生め。
心の中には涙の雨が降りそうになっていた。
母さんの言葉を聞いて、僕も昔を思い出してしまった。
最後に行った時は父と母と僕の三人で行ったんだっけ。小さい頃の事だからあんまり覚えてないな。
「そういや、あれあったでしょ。トドかアザラシ触れるやつ」母さんは聞いてくる。
「あるよ、トドでもアザラシでもなくてセイウチだけどね」
その辺りわかってないと判別つかないよな、わかる。今日は僕も間違えたし。
「あれで、あんた怖がって泣いてたんだよね!」そう言ってからゲラゲラと笑いながら机をバンバンと叩き始めた。その衝撃で空き缶がぐらぐら揺れている。
⋯⋯こっちは何も面白くない。何がそんなに面白いのだろうか。
その時、人の覚えていない恥ずかしい過去は言わないでいて欲しいと切実に思った、僕も気をつけよう。
ずっと笑っているので無言で部屋に戻ろうとすると「ちょっと⋯⋯待って」と笑い声で止められる。
部屋に戻る僕を止めるのは始めての事だったので気になる。何か用事でもあるのだろうか。
「ごめんごめん、ついつい思い出したものだからさ⋯⋯」そう言いながら何本目かわからないビール缶の蓋を開ける。
──プシッ!と少し炭酸の抜ける音がした。
母さんも懐かしい過去に浸りたい時があるのだろうか。
たまには話を聞いてあげた方がいいかもしれないな、僕以外に過去を話せる人はいないんだから。
⋯⋯僕の恥ずかしい話以外でならな!
「──で、流石に水族館には一人で行くわけないよね⋯⋯彼女?」そう聞いた母の目は、ギラリと光っている。
僕の一挙一動を見逃さないつもりだろう。
その目を見て、部屋に戻ればよかった⋯⋯と後悔の念が押し寄せる。
こうなった時の母さんから逃げられない。それは今までの経験からわかっている。
全身から汗が吹き出てくる、脇の下がいやに冷たい。
父さんはこういう時どうやって逃れていたんだろう⋯⋯
映画の時にはぐらかしたせいで、それで今回きっちり確認したかったのかもしれない。
僕が黙っていても母さんの視線が身体に突き刺さったまま緩む事はない。⋯⋯これは観念するしかないな。
「うん、そう⋯⋯だよ」
言いながら頭に手を伸ばしそうになっているのに気付き、慌てて引っ込める。それを見て母さんは怪訝そうな顔つきに変わった。
「ふーむ、なるほど⋯⋯なるほど⋯⋯」何がわかったんだろう、不安でしかない。
しばらく間を置いた後に「小春、今は幸せ?」真剣な顔で、唐突に名前を呼ばれた。
「──幸せだよ」無意識のうちに言葉が出ていた。その言葉がすんなりと胸に染み込んでいく。それがいやに心地よかった。
「⋯⋯ならよし! こんなおばさんの話に付き合わせて悪かったね!」
母さんはいつもの表情に戻り、朗らかに笑いながらそう言った。
どういった意図があったんだろう⋯⋯掴み所のない人だからなぁ⋯⋯考えながら頭を掻いていた。
部屋に戻ろうとすると後ろから「一回その子の顔を拝んでみたいなー」と声を掛けられた。
後ろを見てみれば椅子をガタガタと揺らしながらおねだりをするようにこちらを見ている。
子供か!と言いたい気持ちを抑えつつ「機会があればね」と曖昧に返しておいた。
確実に面倒事に巻き込まれるので御免蒙りたい。
「ちぇー」と悔しがる声が聞こえてきたが無視をして部屋に戻ることにした。
さて、明日のデートの為に情報でも集めるとしよう。
⋯⋯その一時間後、僕は携帯を片手に悩んでいた。
調べた結果、近くに二つ程有名な美術館があった。それならまだいい、問題は別のことだ。
「美術館ってどっちへ行けばいいんだ⋯⋯」思わずぼやいてしまう。
絵の飾ってある美術館、彫刻専門の美術館その二つから決めなければいけないみたいだ。
美術館って絵画展みたいなものしかないと思っていた僕の認識が甘かった。
日和はどっちへ行きたいのかな⋯⋯そう思いながら、改めて日和の言ってた言葉を思い返す。
「確か、色々触れてみたいとかだったよな⋯⋯」そう言ってた気がする。
それなら駅の近くにある方でいいかなと思った所で、妙案を思い付く。
僕はその二つの美術館の所在地を確認する。「──やっぱりだ⋯⋯」思わず唇がつり上がる。
その二つは同じ県にある。
上手くすれば二つ共回れそうだった。
行けるなら両方回りたくなるのは当たり前の感情だと思う。
明日の予定を決めてから、日和に連絡をした。
六回程呼び出し音が鳴り、向こうが電話を取ったのを確認してから待ち合わせ場所を伝える。
その待ち合わせ場所は都駅にする事にした。まずは絵画がある方だ、そこを見てからまた電車で移動する。
明日は二つの美術館を回ることになると伝えると日和は驚き半分、楽しみ半分といった声をあげた。
おやすみと挨拶をしてから時計をみた。
眠るにはまだ早い時間だな⋯⋯僕はベッドから立ち上がり机へ向かう。
椅子へ座り電源を押してパソコンを立ち上げた。
画面に光が灯った瞬間、シャイニング・ファンタジーが目に入ってくる。
そういえば、日和と付き合い始めてからやってないな。
今はやる気もないし、また機会があればログインしよう。
そう思いながら、僕はデータをクリックしてネタ帳を広げる。
この前書けなかった続きから、楽しかった今日の出来事を書き込んでいく。
これではただの日記帳になりそうだ。そう考えて笑ってしまった。
明日は美術館か⋯⋯打ち込みながら、その言葉が頭に浮かんできた。
今まで、興味がなかったけど見れば世界が広がるかもしれないな。
そんな期待が、胸に押し寄せてきた。
──うん、楽しみだ。
明日は美術館。とネタ帳に打ち込みパソコンを閉じる。
さて、今日は早いけど寝る事にしよう。
僕はベッドに潜り込むと天井を見上げる。
「父さん、か⋯⋯」今は亡き父を思い出す。
子供の頃に亡くなったのであまり覚えていないその面影。
少し覚えているのは、僕が本を好きになったのは父さんの影響だということ。
父さんは僕が寝付けない時によく本を読んでくれたんだよな⋯⋯その声が⋯⋯気持ちよくて⋯⋯
読んでくれていた時の事を思い出すと次第に眠たく⋯⋯
──気が付けば朝になっていた、時計を見ると急がないと間に合わない時間だ。僕は急いで着替えをし、顔を洗ってから日和との待ち合わせ場所へと向かう。
今日はボーダーの服を着ている。急いで着てきたせいで鏡を見ている余裕がなかった。
駅に着くと丁度電車が入ってくるのが見えて僕は焦る。
駐輪場に自転車を止め、切符を買いに駅へと走る。
そして、ドアが閉まるすれすれで電車に乗り込むことが出来た。
なんとか間に合った⋯⋯気づけば全身に汗をかいてしまっている。
僕は額の汗を拭いながら、こういう時に電話じゃなくて軽く連絡出来るように何か作っておくべきだよな⋯⋯そんな当たり前の事を思っていた。
電車が駅に着く。駅の改札口から外に出ると日和がいる。今日はボーダーの上着みたいだ。
もしかしたら予想してお揃いの服にしてくれたのかもしれないなと考えてみた。
「ハル君おはよう!」日和は今日も明るい挨拶をくれる。
そういえば、昨日何かネタを考えて挨拶をしようと考えていたのを思い出す。
アドリブで何か思いつかないだろうか?
「おはよう日和! 今日も可愛いね! というかRAINやってる?」
ナンパみたいになってしまっていた。
冷めた目で「やってないね」と軽くあしらわれた。「というか、連絡先交換した時にそれ言ったよね?」そうでした。
僕は日和の機嫌をなだめつつ、一緒に登録をしてIDを交換した。これでいつでも連絡が取れるようになる。
頭を見ると今日もいつものベレー帽とヘアピンがついている。毎日つけてくれているのだろうか?
「じゃあ、行こうか」僕は日和の手を取り美術館へと向かった。
美術館へ歩いてる最中にプレゼントのお礼をされた。僕へのプレゼントを選ぶのに集中してて自分の分を忘れてしまったらしい。
その言葉を聞いて嬉しさが込み上げた。
日和からもらったキーホルダーは今、携帯についている。大切に使おう、そう思った。
駅から十分程歩くと美術館が見えてくる。
日和と美術館に入り、美術館の規則が書いてあったので確認する。
ここの絵画は撮影禁止みたいだった気をつけよう。
まずは絵画コーナーに行くことにした。
僕は絵画の前に立ちながら見る。
うん、さっぱりわかんない。
精々わかるのは綺麗な風景だなというくらいだ。
こう見てみると、案外風景画は好きな部類に入るかもしれないな。
写真の延長線って感じがするし。
日和は何を見ているんだろうと隣を見ると日和がいない。
ぐるりと見回してみると、ある一枚の風景画の前に佇んでいた。
「日和?」その場から動かないのを見て僕は日和に近寄っていく。何か気になる物でもあったのだろうか。
それは何処かの農道を切り取ったような作品だった。
油絵で作られたそれは、夏が始まったばかりという感想がすぐに浮かんでくる。
夏の匂い、暑さ、太陽の光が当たる感覚。
まるで五感全てに語りかけてくるような⋯⋯そんな感覚に包まれる。
これを見ると写真の延長線と思っていたさっきまでの自分に叱りたくなってしまう。
これは、ただ切り取っただけの写真では表せない表現だ。
小説にも通ずるところがあるかもしれないなとも思う。
上手い文を読むと、自然とその情景が頭に浮かんでくるものだ。
時として、本物以上になりえるかもしれない。
この絵を見ていい刺激になった、来て正解だったと思う。僕もそういう事が出来るように精進していこう。
そういえば、日和が気になってたことをすっかり忘れてしまっていた。
日和に目をやると、集中しているらしくずっとその作品を見つめたまま動かない。
日和の顔の前で手をヒラヒラ動かして見るが反応がない。
肩をポンポンと叩くとビクッ!と反応してくれた。
「──あれ、ハル君?」僕の顔をみてそう呟いた後に「ごめん、集中してたよ」そう言いながら笑った。
僕は携帯で時間を確認する。もうすぐ一時に差し掛かろうという時間だった。
「とりあえず、まだ入ったばかりだけど休憩でもしようか。ご飯まだだよね?」
ご飯、と言った瞬間にお腹が鳴る。
急いでいたから朝御飯抜きだった事を思い出す。
それを聞いて日和は、クスクスとまるで鈴を鳴らしたような笑い声をあげながら微笑んだ。
「いいよ、私もまだだし食べに行こうか」そして、僕達はこの美術館にあるレストランに向かった。
注文を受け取った後、さっきの絵の事を日和と話し合う。
「今の絵って油絵だよね? それくらいしかわからないけど、引き込まれる感じがしたよ」
僕は食べながらそんな事を話す。日和はそれを聞いてコクコクと頷いた。
日和はごくんと口の中にあるものを飲み込むと語り始めた。
「⋯⋯あの絵の凄い所は日光の描き方と青色の出し方だね。見ただけで夏ってわかる空だから感性がいい人が描いたんだと思う、私も見た瞬間あの世界に引き込まれてしまったから」
日和はその後も語る。僕は何もわからなかったから、ふむふむ⋯⋯と言いながらわかったフリをして頷く事しかできない。
ただわかった事は、日和は僕が思ったより絵画が好きだってことだけだった。
「あの色はどうやって出してるんだろう、原色のようで混ざってるような⋯⋯重ね塗りとかしてるのかな?」
日和は止まらない。既に三十分は話を続けている。僕の食事は終わったけど日和のお皿を見るとまだ半分しか手をつけていなかった。そろそろ止めよう⋯⋯
「あの、日和さん。楽しく話している所悪いけどそろそろ行かないと」僕は恐る恐る話しかけた。
その言葉に──ハッ!と弾かれたようにピタリと止まった。そして、顔が下を向く。
「ごめんなさい、話し過ぎました⋯⋯」日和は顔を赤くしながら落ち込んでいた。
日和も話し始めると止まらないタイプか、僕と同じだな⋯⋯そう考えてしまう。
案外似た者同士なのかもしれないな、急いで残りのランチを食べる日和に親近感を覚えた眼差しを向けている事に気付いた。
日和とランチを食べた後、色々と見回る。
結局、あの後は絵画や彫刻では目ぼしい物はなかったが、日和にはいい刺激になったようだった。
僕達は次の美術館へ急いで向かう。日和は自分のせいで遅れたと思っているのか謝っている。
止めなかったのも悪いから大丈夫と言っておいた。
今の美術館でも中々楽しめた事で、次の美術館も期待出来そうでワクワクしてきた。
そして僕達は彫刻美術館につく。
中に置いてある彫刻はどこかで見たものが多くて何故か感動より先に笑えてくる。
スフィンクスやツタンカーメン、自由の女神、千手観音など世界各地に散らばっているどこかで見たことのある物達が、スケールを小さくして置いてある。
⋯⋯シュールだ。
その気持ちが心の中を埋め尽くしていく。
日和を見ると何だか目をキラキラと輝かせた良い顔をしていた。日和が喜んでいるなら良かったかな? そう無理矢理思い込む事で納得した。
そんな曖昧な感情のまま館内を回って行く。
日和はさっきからずっと僕の手を繋いだまま引っ張るような勢いで前を歩いたままだ。
周りから見れば日和に引きずられる様に見えるかもしれない。
僕は日和に引っ張られながら、この彫刻達が夜な夜な歩き出して戦う話とか面白いかなとか話を考えることにした。
ここの彫刻達が主人公に一目惚れをして主人公の家に押し掛ける話なんてどうだろうか?
擬人化すればいけそうだなと思いつつ、どうあがいてもB級の作品だったので記憶の底にしまっておくことにした。
ぼーっと考え事をしていると、いつの間にか日和はこちらを向いていた。
「つまらなかった?」
いきなりそんな事を聞いてくる。別につまらなくはない。
「いや、そんな事ないよ。ただ、なんか本物じゃないレプリカを見てても感動ってないな⋯⋯と思ってただけ」
これは僕が美術品にそこまで興味がないせいだと思う。
「⋯⋯そっか」それを聞いて日和は少し寂しそうな顔をした。
「あ、それでも楽しそうにしてる日和を見るのは良かった⋯⋯あ」
思わず口走ってしまった言葉に思わず顔が熱くなる感覚がしてきた。
日和を見ると頬を真っ赤にしながら下を向いている。今の僕達は同じ顔をしているのかもしれない。
「い、いや今のは」僕は日和から手を離し、大きなリアクションで違う違うと言いながら手を振る。
まずい、どんどん沼にはまりそうだ⋯⋯
何か話を変える物はないかと見回すと丁度いい所に大きな時計があった。
今の時間は四時を刺していた。帰るのに丁度いい時間だ。
「も、もう四時だ! 時間が経つのは早いなぁ! 帰る時間だ!」僕は時計を指差しながらわざとらしく声を出した。
「そ、そうだね帰ろっか!」日和もトーンの高い声で僕の作った流れに乗ってくれた。
⋯⋯助かった。僕は内心ほっとして日和に手を差し出す。
お互い一瞬手が宙をさまよったが、ぎこちないけどどちらかともなく手を繋いだ。
帰り道を歩いている最中、僕達の間には気まずい空気が流れていた。
何とかこの空気を変えないと⋯⋯話題話題⋯⋯
「あ、明日は遊べるかな?」悩んだ結果、無難な話の切り出し方をした。
もしかしたら少し唐突過ぎたかもしれないけど今はこの空気を変える方が先だ。
「あ、明日は習い事が⋯⋯」日和は申し訳なさそうに返事をしてくる。
違う意味でさっきまでの空気の流れが切れてしまう。僕は笑いながら「大丈夫だよ」と言った。
「日和って何の習い事をしてるの? 絵画とかかな?」
日和の習い事が気になったので何気なく聞いてみる事にした。
「そうそう、絵画教室通ってるんだよ」あっさりと答えが返ってくる。隠してる訳じゃなかったみたいだ。
「日和って将来はそういう仕事に付きたいとか考えてるの?」何も考えずに聞いていた。少し深く聞きすぎただろうか?
僕の問いに日和は下を向いた。また地雷を踏んだのかもしれないと内心で焦る。
「私のお母さんがね、アパレル関連の仕事をしてるんだけど、後二年もすればそこで働く予定なんだよね」日和は苦笑いしながらそう答える。
日和の事を一つ知る事が出来た。その事が嬉しい。
「お母さんにはね、今の教室は期限付きなら良いって言われているの。この夏の間だけなんだ、今は有名な先生が来ているから詰め込んで教えて貰いたいんだよ」
日和は苦笑いを崩さないままそう続けた。本当はずっと通っていたいんだろう。
「でも、仕事が決まってるならいいんじゃないの? そこまで必死に勉強しなくても」不況の今なら就職先が決まっているのはありがたい事だと思う。
そこまで絵画に力を入れる事はないんじゃないかそう考えてしまった。
その言葉に「そうかもしれないね⋯⋯」と頷いた後に「けど⋯⋯」と日和は否定する。
「──それでも、私は絵を描きながら暮らしたい。そう思っている」
日和は僕の目を見ながらハッキリとそう言った。
その顔は、水族館に向かう時に見た決意に満ちている顔をしている。その表情に目を奪われてしまう。
「甘い世界じゃないのはわかってる、それでも⋯⋯これを趣味で終わらせたくないの」
日和にとって絵とはどういう存在なのだろう。僕にとっての小説みたいな物なのだろうか。
どうする?ここで僕も小説家を目指している事を言うべきだろうか。
母さんにしか言った事のない事を日和に言うのか?
僕は日和みたいにハッキリと言えるくらい力を入れているのか?
日和に比べて僕のは趣味みたいなものじゃないのか?
もし、僕がこの道を諦めなければいけないならどうしていたのだろうか。
日和みたいに「それでも⋯⋯」と否定する事が出来るのか、わからない⋯⋯わからない⋯⋯
自問自答を繰り返す。頭が熱くなっているのに気付くと頭を掻いていた。
ここまで気付かない程考えてしまっていたらしい。
考えた末、僕は出した答えは⋯⋯
「頑張ってね、応援してる」
逃げてしまっていた。日和からだけではなく自分からも。
胸を張って言えるようになったら言えばいいだろう、そうやって自分に言い聞かせる。何でだろう、何故だか心が重くなったように感じる。
最初の美術館で親近感を覚えていた自分が恥ずかしくなる。僕と日和ではとても同じとは言えない。
⋯⋯覚悟が違っていた。
今はまだ言うべきじゃないんだ⋯⋯そう、今はまだ⋯⋯
そこまで思って、ようやく自分の心を騙す事が出来た。
「⋯⋯うん、ハル君が応援してくれるなら頑張れる気がする」
僕の顔をじっと見ていた日和はそう力なく笑った。
そこで、一旦話を切ることにした。
明日の昼は日和が絵画教室に行くから遊べないのか⋯⋯そう落ち込んでいると、何かを忘れている気がした。
昼は駄目でも、夜? 僕は急いで携帯を取り出し検索をかける。
明日は八月の頭で土曜日だ。と、いうことは⋯⋯見つけた。
そこには、花火大会と大きく書かれていた。
夏と言えば花火だよな、一回は行っておかないと。
日和に聞いてみると「門限が⋯⋯」と言われるが、「そこを何とか⋯⋯」そう頼み込むと日和は何かを閃いたみたいだった。
「新しい浴衣を宣伝すると言う建前なら、もしかしたら行かせてもらえるかも」
なるほど、母親がアパレル関係なのを逆手にとった良い手段だった。
何も夏祭りは明日だけではない。目を惹けばレンタルの浴衣がよく捌けるかもしれない。
しかも、モデルは日和だ。効果は抜群だろう。
というか、日和の浴衣が見れる事にテンションが上がっていくのを感じた。
「ダメでもガッカリしないでね?」そう念押しされてしまったけど、僕は明日への期待は収まる事はなかった。
電車が日和が降りる駅に着く。僕達はいつも通りに手を振り合いながらお互いを見送った。
さて、明日の夜まで時間が空いたし小説でも書こう。
僕も日和みたいに、本気で言えるようにならなくちゃな⋯⋯そう思いながら帰路についた。