~告白の行方~
七月二十五日、夏休みも真っ盛り。多くの学生たちが長期休暇を満喫している時期だ。
多分に漏れず、僕『多田小春』も高校二年生の夏を過ごしていた。
まだ学生の僕は、ガンガンにクーラーを効かせた少し肌寒いと感じる部屋でパソコンの画面と向かい合いゲームをしている。ゲームの名前は『シャイニング・ファンタジー』、通称『シャイファン』。そのゲームはその時代で最も世界中で話題となっていたゲームだ。
今はとあるアイテムを手に入れる為、奮闘している最中だった。画面の向こうでは、僕の生き写しかと思えるほど精巧に作られたキャラクターが、画面に収まり切らないほどの大きな敵と戦っている。その敵のあまりの圧力に、寒い部屋なのにも関わらず緊張で手汗が滲んでいる。
敵の体力は既に一割を切っている。ここまで体力を減らすのに、五時間を要している。もし、今ワンミスをしてしまえば、最初からやり直しだ。それだけは絶対に避けたかった。
相手の右手による切り裂き攻撃を避け、その隙に相手の懐へと潜り込み、ジャンプをして脇腹を攻撃する。足を殴ってもダメージが全然通らないのでこうするしかなかった。これはリスクが大きい行動だ。着地の瞬間に攻撃を合わせられたら即死するリスクもある。今回ここまでこれたのは運がよかった。
本来、この敵は一人で戦う敵ではない。八人が集まって戦う敵だ。だけど、僕はこの敵から出るアイテムを独り占めにしたくて無謀な挑戦をしていた。
「ミスるなよ、僕……あと一発なんだから……」
敵の体力ゲージがもう見えない程になって、僕の心臓はバクバクと跳ね回る。恐怖と興奮がごちゃ混ぜになったもののせいでマウスを動かす手がおぼつかなくなる。なんとか相手の攻撃を搔い潜り、そして最後の一撃を叩き込む。その瞬間、ムービーが始まりあれだけ巨大な敵が霧散していく姿が映し出された。
「よっしゃァァァ!!」
無意識に出た雄たけびと共に宙へと拳を突き上げる。溢れ出る嬉しさを噛みしめるように、拳を強く握り締めた。この敵を倒すのに何度リトライしただろう。多分両手では足りない。時間で換算すると100時間は費やしてしまったはずだ。だからこそ、一際感慨深いものがあった。
「⋯⋯ふぅ」
大きく息を吐きながら椅子へ体重を預ける。椅子は訴えるように軽く軋んだ音を立てたが、その音は無視してモニターへと目をやった。
「さて、早く拾わないと」
僕はマウスの右クリックを連打して、アイテムを一気に拾う。取り残しが無いように、注視しながら。頑張ってこの強敵を倒していたのには理由がある、それはこの強敵を倒した時に落とすあるアイテムが絶対に欲しかったからだ。
せっかく苦労して倒したのにこのアイテムの回収を忘れてしまえばまた一からやり直しになる。もう一度やり直すことを少し想像してしまい身体が震える。それはきっとこの部屋で絶賛稼働中のクーラーのせいではない。
アイテムを全て拾った後、ショートカットキーを押してアイテム欄を開く。そして、目当てのアイテムである『魂の指輪』を見て、ほっと一息ついた。ようやくこれで……
「……告白が出来る」
脳裏に、その人と出会ってから今までのことが浮かんできた。
僕には好きな人がいる、その人の名前はお日様の日に平和の和と書いて『日和』。
黒髪で肩まで伸びたショートボブで、いつもその頭にはベレー帽を被っているのが特徴だ。僕はそのキャラクターに一目惚れをしてしまった。
出会ったのが半年前の冬休み、僕がお気に入りにしているスポットへと足を運ぶとそこに日和がいたんだ。
人が誰もいないその場所で日和は空を眺めていた。今にも空にも吸い込まれていきそうなすがたがあまりに鮮烈で今でも鮮明に思い出せるほどに僕の心は揺さぶられてしまった。
そのことに自分でも驚いたのを覚えている、気が付けば僕は声を掛けていた。あまりゲームでは人との関わりを持たないようしようと思っていたはずなのに。
その後、僕達はその場所で風景を見ながら話を始めた。どんな事を話をしたのかは覚えていない、覚えているのは緊張していたということだけ。
そこで僕達はフレンドになり、ずっと二人きりでパーティを組んでゲームをプレイした。日和は優しい人で僕の用事に付き合ったり、自分の時間を削って僕の話を聞いてくれたりしてくれた。
一緒に過ごす時間が増えていくにつれ近づいていく距離感に僕の中に芽生えていた気持ちがどんどん膨れあがっていくのを感じていた。
そして、抑えきれないこの気持ちを伝える為にこの夏に勝負を賭けることを決めたということだ。
昔の僕は、ゲームでの関係なんて現実世界に持ち込めるわけなんかないと笑っている立場の人間だった。でも、その人に出会って考えは百八十度変わってしまっていた。
新しい世界を教えてくれた日和には感謝しかない。でも更にその先を知ってみたい。
その為に『魂の指輪』を手に入れたというわけだ。
これは、このゲームで結婚した人が付き合う前に相手に渡したとされる縁起のいいアイテムで、ゲーム内で告白する時にはこのアイテムをプレゼントするのがお決まりになっている。
このアイテムを手に入れるのに一週間はかかった⋯⋯いや、今は振り返る時ではない。過ぎ去った時間はもう帰ってこない。
このアイテムを手に入れたからには告白を成功させる! 僕は心の中でそう決意した。
話をしたい事を伝える為に、僕はゲームの機能を使って日和の名前を探し出す。しかし、日和は今ログインしていないらしい。メールを送る為にクリックをして文を打ち始める。
しかし、何故か誤字が多くなってしまい何故だろうと首を傾げながらキーボードを見てみると手が震えていた。
その理由を考えてみたがわからない。仕方なくゆっくりと頭の中を整理する。そして、時間はかかったがようやく原因と思うものにたどり着いた。
何の事はない、この手の震えの原因は単純な事だ。⋯⋯ただ単に告白が始めての経験だから緊張して手が震えていただけだった。
こんな簡単な事すらわからなくなるほどに緊張してしまっているらしい。僕は頭を掻きつつ苦笑いをした。
理由がわかっても手の震えは止まらないままでいる。それでも書かないといけない、それが今僕のするべき事なのだから。
僕は頭を掻くのを止め、覚束無くなった手で必死にキーボードを打つ。相変わらず誤字が多い、それでもゆっくりと一文字ずつ打ち込んでいく。しばらくしてようやく完成した。ただ呼び出す為のメールなのに結構時間が掛かってしまった。
早速出来上がった文章を見直してみる。そこには短く「話したい事があるからいつもの場所へ来て欲しい、時間がある時でいいから気付いたら返信してください」と書いてあった。
考えに考え抜いたその文は短いけれど、いつもと同じ風に書くことを意識したらそうなった。あまり仰々しく書いてしまうと相手も警戒してしまうだろうとか色々と考えてしまう。チラッと今の時間を見ると八時になってしまっている。結局この文を考えるのに相当な時間を使ってしまった。
今の時間だと母さんは帰って来ているだろう、もしかするとご飯に呼ばれたのかもしれない。あまりに集中していたせいで気付かなかったと後で母さんに言っておかないと。
僕は出来た文章を誤字がないか再確認をした後、送信ボタンにカーソルを合わせる。そしてボタンを押そうとした所で手が止まった。ほんの二回クリックをするだけなのに手が動かない。
──もう後には引けなくなるぞ。
そう頭の中で誰かが囁いている気がした。
──夏休みはまだたっぷりあるんだぞ。もし失敗したらこれから寂しい夏休みになるぞ。
部屋の中はがんがんに冷房が掛かっているのに僕の額からは汗が流れ落ち頬を濡らす。そうだ、気付いてしまった。いや、気付かないフリをしていたが実は気付いていたのだ。目の前に告白というイベントがやってきてそれを直視してしまっただけで。
もし、日和にフラれた場合どう対処すればいいのかを僕は考えてしまった。そんな事を考えてしまえばそこで二の足を踏むのを理解していたはずなのに⋯⋯
──僕は、どうすれば⋯⋯。
「小春!」
ドンドンドン! と僕の部屋の扉がけたたましく叩かれているのに気付き僕は意識を取り戻す。
「あんた朝からご飯食べてないでしょ、早く出てきなさい!」
扉の外で母さんが叫んでいる。そういえば朝からご飯を食べていない事を思い出す。心配して当たり前だろう。
ドンドンとまだ扉が叩かれている、早く反応しないとそのまま扉が壊されそうだ。
僕は頭を掻くのを止め、椅子から立ち上がり扉へ向かう。
「母さん、そんなに強く叩いたら扉が壊れるから」
僕は扉の前に立ち、扉の向こうにいるであろう母さんに声を掛ける。いきなり開けると母さんの手を怪我させてしまいそうだったから。
扉を叩く音が止んだのを見て僕は恐る恐る扉を開ける。そこには明らかに怒りを撒き散らしている母さんが仁王立ちしていた。
僕より幾分身長の低い身体が錯覚か何故か大きく見える。背後からはゴゴゴゴと効果音が聞こえてきそうなのは気のせいではないだろう。
「心配をかけさせるな」
短く的確に自分の意思を伝えてくる辺り母さんらしかった。こういう時の母さんに逆らっても得がないことを知っている。
「ごめんなさい」僕は素直に謝ることにした。今回は全面的に僕が悪い。
それを聞いて母さんは「じゃあ、早くご飯を食べなさい」と言いながらにっこりと笑ってくれる。それを聞いて頷く、ご飯を食べたら少しくらいは気分転換になるかもしれない。
母さんは先に寝ると言い残し、僕の前から姿を消した。なんとなく時計を見てみると十一時を回っていた。
──母さん、明日も仕事あるはずなのに悪い事をしたな⋯⋯
もしかすると、今僕の中にある気持ちを母さんに相談すれば少しくらいは解決するのだろうか?
そんなことを考えてはみるものの実際にそれをするとからかわれそうなので頭の中の選択肢から消すことにした。
ご飯を食べて腹が一杯になった所で眠気が押し寄せてくる。今日は一日気の休まる所が無くて疲れているみたいだ。そのまま寝ようとしたが、まだ結論が出ていないことに気付きシャワーを浴びて目を覚ます事にした。
「さて⋯⋯どうするか⋯⋯」
シャワーを浴びた僕はもう一度パソコンの前で画面と睨みあう。こうしていても一向に埒が明かないのは知っている。こんなにも僕は臆病なのかと自分の事が少し嫌になる。
⋯⋯これもいずれ話のネタになるかもしれないと記憶しておくことにした。
あぁ、少し思考が逸れそうになった。元に戻さないと⋯⋯いや、考えても変わらないのならいっそ自分の意識を変えるべきなのかもしれないな。
僕はインターネットを検索することにした。検索するワードは「──モチベーションの上げ方っと」。
そして僕はそこにある内容を熟読していく。こういう文章を読むのは大好きだ、自分の糧になる感覚がするからかもしれない。
そこにある文字を読んでいくとどんどん自分の中にある価値観が変わっていくように感じられる。特に目を引いたのはこの一文だ。
──自分に明日があるとは思わない方がいい。
なるほど、と関心をする。確かに心残りが出来るのは誰だって嫌だろう。僕だって男だ、死ぬのなら後ろ向きに倒れるより前のめりで倒れたい。
「──よしっ!」
一度両頬を手のひらで叩き気合を入れる。なに、フラれたって死にやしない。むしろ、今何かが起きて死んだときに告白をしなかったと後悔が残る方がもっと嫌だ。
僕はゲームの画面に戻りメールを日和に送信した。もう戻れない。戻るつもりもない。
送った時から心臓がドクドクと全身に血流を流している感覚がする。早く返事が欲しい気持ちとまだ来て欲しくない気持ちの狭間で僕の心は揺れ動く。
今はまだ深夜、日和は起きていないだろうし、明日起きてからが本番だ。今日はもう寝よう。
僕はパソコンの電源を切り、ベッドへと横へなる。しかし、一向に眠気が襲ってこない。どうやら気合を入れすぎてしまったせいで興奮が冷めず目が冴えてしまったらしい。
結局、その日の夜は一睡も出来ずに夜明けの光を見る羽目になった。朝台所で母さんとすれ違うと驚いた顔をしていた。最近十時ごろに起きる習慣が出来ていたせいだろう。
母さんを見送った後、部屋へと戻りパソコンを立ち上げゲームを始める。さて、日和はいるだろうか?
日和がいるか探してみるが、まだいないようだったので待ち合わせ場所へと足を向ける事にした。
「はぁ、やっぱり落ち着くなぁ⋯⋯」
僕はいつも日和と二人でいるお気に入りのスポットで空を見上げていた。この場所は切り立った崖の上でその眼下には森が生い茂っていた。少し遠くを見ればそこにはこのゲームで一番大きな王国がある。この場所からはそれが一望することが出来る。それがまた絵になっていていくらでも見飽きる事がない。
下に森があるせいか、ここはあまり人の来ない場所で誰も知らない名所となっていた。多分、ここの場所に来る方法が特殊なせいで誰も気が付いていないのだろう。その方が僕と日和にとって都合がよかったから誰にも教えていない。
じっと世界を見下ろしていると、ピロン! といきなりメールの音が鳴る。その音に驚いてマウスを落としそうになってしまった。フレンド欄を見るといつの間にか日和がログインしている。その名前を見て僕の身体が身震いをする。僕は震える手でメールを開く。そこにはこう書いてあった。
「今なら時間空いているけど、そっちは大丈夫かな?」
その文を見た瞬間から少しの間時間が止まったように感じられた。
──え、今から? じわじわとその意味が全身へと伝わっていく。あんなに決心したはずなのに内心は告白はまだ先になると高を括っていたみたいだ。
まずは深呼吸をして自己分析をしよう。今の僕はちゃんと想いを伝えることが出来るのだろうか?
少し考えた後、首を振る。この期に及んで逃げるという選択肢はない。
「大丈夫、いつもの場所で待ってる」
僕はしっかりとそう返事をした。もう後には引かない、そう覚悟を決めて。
僕はもう一度景色へと視線を移す。そこにあるを見ているとここで日和と過ごした日々がまるで走馬灯の様に思い返すことが出来た。日和との思い出に浸っていると、それが幸せな日々だったと再確認出来た。本当に今までの人生で一番だといっていい。
それを手離す可能性があることに怯えている、強がってはいるけどもその可能性が脳裏をかすめる度に身体が震える。それでもそのリスクを負ってでも彼女が欲しいとそう思ってしまった。
──まさか、青春を馬鹿にしてた僕が青春をする日が来るとは思わなかったな。
それほどまでに恋というのは人を変えるのだと身を持って体験している最中だ。
これも話のネタになるといいな。と頭の中に記憶した。
「──ハル君お待たせ!」
気が付くと日和が居た。時計を見ると三十分過ぎている、どうやら思い出に浸ることに夢中になりすぎていたみたいだ。
ちなみに、ハルというのは僕のキャラクターの名前だ。勿論僕の名前から取っている。
「いや、待ってないよ。来てくれてありがとう」
──嘘です。ログインしてからこっち、ずっとここに居ました。
「ハル君大丈夫? ぼーっとしてたみたいだけど」
心配をかけたくないから「大丈夫」と軽く言葉を返して本題に入る事にした。
「今日はね、日和に伝えたいことがあって呼んだんだ」
それを聞いて「うん」と日和は頷いてくれた。その顔はあどけなく、屈託のない笑顔だった。日和の顔を見た途端に二の句が出なくなってしまう。
──言え! 次の言葉を言え! 用意してた次の言葉を言うんだ!
自分を励ましながら考えていた手順を思い出そうとする。心臓がバクバクと暴れ回っていて頭が回らない。
僕の身体はまるで自分の物じゃないみたいな感覚に陥っていた。無意識に頭を掻いているのに気付かない位に。
──次の言葉を言わないと、日和に思いを伝えないと!
手を震わせながら一文字一文字打っていく。打ち間違えないように⋯⋯打ち間違えないように。
「ずっと前からすきでした、リアルでも会ってみたいです、会ってお話や遊んだりゲームで出来ないことがしたい」
折角考えていた手順や言葉が頭から全部飛んでしまった結果、直球を投げてしまっていた。
言ってから全身の血の気が引く感覚がするまで五秒もかからなかったと思う。でも言ってしまって心に背負っていた重荷はスッキリした。
その代わりに違う重荷を背負ってしまったけどね! と自棄になってしまっている自分がそこにいた。
溜まっていた物を出して少し落ち着いたみたいだ、それでもまだ心臓が跳ね回っている。
僕は画面をじっと見続けている。日和は告白してから何も反応がない。
⋯⋯微妙な空気が流れているような、そんな気がする。
逃げ出したい気持ちをなんとか抑えつけながら返事をじっと待つ。
時間にしてそれは三分くらいだっただろうか、一時間にも二時間にも感じられた時間を置いた後「少し考えさせて」日和はそう言い残して僕の前から姿を消した。
フレンド欄を見ると日和はゲームからいなくなっていた。どうやらログアウトしたようだ。
結局、告白が成功したのか失敗したのかわからず頭を掻きながら「今夜も眠れないな、これは⋯⋯」とポツリと呟いた。
そして次の日、案の定寝れなかった僕は昨日と同じ時間に洗面所へ向かった。
「おはよう、今日も早いじゃない⋯⋯大丈夫?」その途中で母さんに心配されてしまった。
「⋯⋯だいじょうぶ」喉から呻くような低い声が出た事に自分で驚いてしまう。
ふと母さんの方に目をやると母さんはこっちを見ていた。必然的に視線がぶつかる。
母さんの顔には心配といった心情がありありと浮かんでいるのが見えた。今の僕は一体どんな顔をしているのだろうか。
母さんは僕の顔をじっと見つめた後、一つ大きい溜め息を吐き「⋯⋯鏡で顔を見てみなさい」と言い残して台所へと姿を消した。きっと料理を作っている途中なのだろう。
「うん⋯⋯」と僕は気の抜けた返事をして洗面所へと向かった。
「うわ⋯⋯」
母さんに言われた通りに鏡を見てみると酷いことになっていた。目の下にクマがくっきりと出ている上に目が虚ろで放心した顔をしている。
目の下を少し揉んでみるといやに気持ちいい。疲れている証拠だろう。
これは誰が見ても心配するだろうな、と自嘲しながら水道のハンドルを捻る。
もうすぐで零れそうというくらいまで手に水を溜めて顔に浴びせる。そうすると一気に気怠さが引いていった。
「大丈夫? 何かあるんだったら言いなさいよ?」
洗面所で歯を磨いていると後ろから母さんに声を掛けられた。いつもぶっきらぼうな母さんだけど、僕の事を気にかけてくれているのはわかる。
しかし、今の状況を知られると確実に面倒事に巻き込まれるのでこう答えておいた。
「何もないから大丈夫」歯を磨き終わった僕は逃げるようにその場を後にした。
部屋に戻り扉を締めるとすぐにゲームを点けた。日和がいないか確認をするためだ。
その行動にまるでストーカーみたいだな、と思って苦笑いをしてしまう。
日和の名前を確認出来ない事に、安堵の気持ちと悲しい気持ちを同時に味わう事になってしまい複雑な心境になってしまった。
⋯⋯女々しいな。
自分の気持ちを言ってしまった後にうだうだと悩んでいても仕方ない。頬を軽く叩き気持ちを入れ直した。
「さて、夏休みの課題でもするか!」
そうして言葉に出すことで完全に気持ちを入れ換えようとした。
ゲームを点けたけどゲームをする気にならなかった。日和に気持ちを伝えた今、このゲームはやり終えてしまったような、そんな気分になってしまっている。
僕は夏休みの課題を鞄から取り出した。夏休みが半分も過ぎてしまったというのに全く手をつけていないそれを見て憂鬱な気分になった。
僕は緩慢な動作で夏休みの課題に手をつけ始めた。まずは得意な国語から⋯⋯
僕はその途中、点けたままのパソコンをチラッと見る。ついつい日和がいないかどうかを確認してしまう。
その後、日和のログイン状況が気になって、課題がほぼ手付かずのまま一日が終わってしまった。
これでわかった事は、僕には気持ちを完全に入れ換える事なんて不可能という事だった。
寝てなかったから頭も回ってないし、仕方ないな⋯⋯そう自分に言い聞かせる。
しばらくぼーっと呆けていると夕飯に呼ばれたので、重たく感じる身体を動かして食卓へ向かった。
夕飯を食べて風呂に入ってからベッドに横になるとどっと眠気が襲ってきた。
二日も徹夜してたから当たり前か⋯⋯と思い、抗う意味もないからそっと意識を手離した。
目が覚めて起きるとまだ少し気怠い感じが残っている、完全に疲れは取れなかったみたいだ。
時計を見ると今は十一時、カーテンの隙間からは強い日差しが差し込んでいる。
いつも通りの生活に戻ってしまったな⋯⋯
まだ完全に覚醒しきってない頭はそんな事を思い浮かべてしまった。
いつも通りに洗面所に向かおうとする前にゲームを点けて日和を確認することにした。メールが来てるかもしれないしな、うん。
ゲームが点くとフレンド欄を確認しようとメニューを開ける。
そこにメールが来ているのに気付くと半分寝ていた頭が一気に覚醒を始めた。
全身に血が巡る感覚がする。心臓が大きくドクドクと脈をうつ音が聞こえる。
そのメールの差出人が日和なのを確認して僕は目を閉じた。
⋯⋯この中に僕の今までしてきた事の結果が入っている。それに対して僕は怖さを覚えた。その結果によって僕の今後は変わってしまうだろう。
──それでも、中身を見ない事には何も始まらない。
頼む、最悪の結末だけはやめてくれ! 僕は願いながらゆっくりと目を開く。
その僕の今後を左右する文章を、一文字一文字見逃しがないように読んでいく。
そこにはこんな文章が書いてあった。「まずは先に謝らさせて下さい」。
それを見た瞬間に一気に心がドン底まで落ちた気がした、もうどうにでもなれ。
次に続く文は「いきなりログアウトしてごめんなさい」だった。
ドン底まで落ちた心が一気に普通に戻った、心が元に戻った所で最後まで一気に読むことにした、このままでは心が耐えられないと判断してのことだ。
「まずは先に謝らさせて下さい。いきなりログアウトしてごめんなさい。ハル君がそういう気持ちでいてくれたことがビックリしてしまいました、ハル君の言葉すごく嬉しかった。でも、返事にお答えする前に言わなければいけないことがあります、一回会ってくれませんか?」
そこにはこう書いてあった。
これは⋯⋯成功なのか失敗なのか⋯⋯会ってくれませんかってことはそういうことだよな? と自問自答を繰り返す。
しばらく考えてから日和と会えるってことに気付き心は天に昇った気分になった。
現実の日和に会えるんだ⋯⋯そう感慨深い気持ちになるけど肝心の会う場所と時間が書いてなくて早く会いたい気持ちが焦らされているように感じる。とりあえずこのまま日和を待つことに決め、先にメールを送る事にした。
今回のメールを打つ指は、震えていた時と違い今までで最速のタイピング速度を叩き出したことだろう。
十分程待つと日和がログインしてきた、さっきのメールを見てくれているのだろう。
──打った内容を思い出す。
「考えてくれてありがとうございました。夏休みはずっと暇なので、いつでもいいし何時でもいいしどこへでも行きますよ!」
送ってから気付いたけどがっつき過ぎたなと思ってしまった。日和、引いてないといいけどな⋯⋯
するとメールが返って来た。その瞬間最速でダブルクリックをする。目で字を追っていく。
「えっと、じゃあ名小屋駅へ何時くらいにこれるかな?」僕は時計を見る、今は十二時。
頭の中で着替える時間、駅へ行く時間、電車を待つ時間等を計算してから返事をする。
⋯⋯一時間半くらいかな、名小屋までは三駅先なのでそこまで遠いわけじゃないし。
するとすぐに「じゃあ二時間半後に名小屋駅から一番近い喫茶店で待ってるね」と返ってきた。
それを見た僕は「うん、楽しみにしてる」と返し洗面所に直行。
髭を剃り髪を整えてから部屋に戻り服を漁る。
自分の中で一番のお気に入りをクローゼットから取り出して着た。
母親が仕事に行っててよかった、もし居たらあれこれ詮索されることは間違いなかった。
僕は机の引き出しに隠していたお金を財布に入れて玄関を開ける。
外に出た瞬間、もの凄い熱気が身体を覆う。そう言えば外に出たのは久々だな、そんな感想が頭に浮かんだ。
僕は汗をかきながら自転車で駅へと向かった。
駅に入るとひんやりとした空気で火照った身体を休ませる。次の出発時間は二十分後、名小屋駅までの切符を買い大事に財布へしまっておく。
このままだと一時間程早く到着しそうだなと思い、名小屋でプレゼントを見繕ってみようかなと考えながら電車を待つ。
時刻通りに電車がホームへ入ってきた、僕はそれに乗り込むと席に座る。
この時間帯の電車はガラガラでどこにでも座り放題だ。
そういえば駅から一番近い喫茶店って知らないなと思い、気になって携帯で検索をかけると徒歩一分の所に四つも見つけてしまった。
どこなんだろう、と日和に連絡を取ろうとするが連絡先を聞いてない上に容姿も聞くのを忘れていた。
⋯⋯次からはもっと綿密に聞いてから行動に移そう、そう心に深く刻みこんだ。
名小屋に着くと同時に時間を見ると予想通りに一時半を刺している、待ち合わせまで一時間残っている。
まずは何かプレゼントを探すとして残りの時間は喫茶店を探すとしよう。
名小屋に来るのは久々だし場所がわからないしな⋯⋯そう考えながら駅の中を歩いていく。
駅から外に出て周りを見ると辺りは大勢の人が歩いている。駅の中を歩いている時にも思ったけどやっぱり伊達に都会じゃないなと再認識をした。
後一つ思ったことがある。とにかく暑い。地元とは比べ物にならない。
ビルの建ち並ぶ街の中は太陽の熱に焼かれて空気が澱んでいる。
アスファルトから反射する熱で蜃気楼が見えるんじゃないかと錯覚する程に暑かった。
あまり時間もないから早く買い物をしにいかないとな⋯⋯日差しを身体に受けながらポケットから携帯を出した。
何にしようかと検索をかける。貰っても困らない物を選んだ結果、アクセサリーを買うことにした。
値段も安い方が気を使わないだろうなと検索した結果両方の条件に合う店が出て来る。
「流石都会」その事に舌を巻く、地元じゃこうはいかない。
頭の中で時間を計算し、早足で店へと向かう事にした。
店へ向かう途中に何をプレゼントするか考える。まず指輪はないなと考えた。
指のサイズを知らないからプレゼントをしても着けてもらえないかもしれない。そう考えると髪を止めるヘアピンが無難かなと思った。
考え事をしていると店に着く。意外と近くにあって助かった、あまり暑い中を歩きたくない。
僕は駆け込むように店内へと入る。店内は冷房が効いていて寒いくらいだ。
僕は手の空いていそうな店員に声をかけ、ヘアピンのコーナーへと案内してもらった。
案内をしてもらった先には様々なヘアピンが並んでいた。
時間を確認すると、悩んでいる時間はあまりなさそうだ。
僕はさっと目を通して、ゲーム内の日和をイメージして購入することに決めた。
⋯⋯もしイメージと違うならまた今度新しく買い直せばいいしね。
そう自分を納得させ、銀色に光るハートの形のヘアピンを手に取った。
買い物を手早く済ませ、足早に元の場所へ帰りながら次にやることを考える。
次は待っている喫茶店を絞る事をしないとな⋯⋯その事に気が重くなる。
無意識に頭を掻いているのに気付きやめる。髪型が崩れてしまうところだった、気を付けよう。
元の場所へ戻って来てもう一度検索をかけることにした、詳しく調べると微妙に距離が異なっている事に気付く。
日和もこれを見てるのかな? と不安が晴れないまま他に行く当てもないのでその店へと向かうことにする。
歩きながら日和はどんな姿なんだろうかと想像してみる。⋯⋯駄目だ、全然想像がつかない。
このままだと店の客全員に声をかけなければいけないのか、その最悪のシナリオを思い浮かべ足取りが重くなった気がした。
「ん、なんだ?」店が近付くにつれて何か違和感を感じた。その違和感の正体はすぐにわかった。
何故か店の前を通って行く男達が店の中をチラチラと見ているのに気付く。往復をして中を見ている奴もいる。何かイベントでもあるのだろうか?
店に着いた僕は頭に疑問を浮かべながら店へ入り、何か変わった物でもあるのかな⋯⋯そう考えながら店の中を見渡す。
その店はログハウスを意識しているのかカジュアルかつ少しレトロな感じの雰囲気を受ける。
時間帯が外れているからか、そこまで客がいなくて目に引くものはない。
店をキョロキョロと見ていた僕の目はある一点で釘付けになってしまった。
──その瞬間、息が止まり心臓が跳び跳ねる。
何回この顔を見てきただろう、どれだけこの人に思い焦がれてきただろう⋯⋯思わず涙が溢れそうになる。
視線の先、僕が目を奪われてしまった場所には、会いたくてやまなかった人が時計を見ながらそこにいた。
僕はその人に近付いていく。緊張からか心臓が跳ねる感覚がする。逃げ出したい衝動に駆られるけど一歩一歩と踏みしめながら歩く。
その人は窓の外へと視線を向けていた、人を探しているような視線の動かし方をしている。僕のことを探してくれているのだろうか。
「あ、あのっ! 日和⋯⋯さんです⋯⋯よね?」
側に近寄り声をかけた、声をかける時に声が少し裏返ってしまった上、後半の方はか細い声になってしまった。
恥ずかしくてやり直したくなる、その問い掛けにその人はびっくりした表情でこっちを振り向き「もしかして⋯⋯ハル君?」と返してくれた。
その言葉に、間違ってなかった⋯⋯と安堵しつつハッキリと「はい、そうです」と答えた。
──これが僕と日和が現実世界での出会いだった。
とりあえず味噌カツサンドを注文してから日和の前に座る。今日はまだ何も食べてなくてお腹が空いていた。
僕は緊張から話を切り出すことが出来ない。こうやって出会えただけでも嬉しいので、日和が伝えたいという話を切り出すまで待つことにした。
日和はさっきから無言で何か考え事をしているみたいだ、僕と同じで緊張しているのだろうか⋯⋯僕は届いた味噌カツサンドを頬張りながら日和の服装をチラっと見た。
髪型はゲームの中で見た日和と同じく黒髪のショートボブで、その頭にはベレー帽を被っている、服は上のシャツと下のスカート両方共に白が基調となっていて清潔感が漂っている。
顔は驚く位美人で肌はシミが一つもなく真っ白。そして全体的にスリムで、どこかでモデルをやっていると言われても疑わないだろう。
この子がいたから男達はこの店を見ていたのだろうと簡単に想像がつく。
何故なら現に鏡の向こうから痛い程の嫉妬と羨望の視線が突き刺さって来るからだ。
羨め羨め! と高笑いでもしたいのを堪えていると日和が「ハル君、ごめんなさい⋯⋯」とか細い声で謝ってきた。
「──え?」意味がわからず、僕は首を傾げる。
「まずは喫茶店のこと⋯⋯私ね、初めて名小屋に来たから喫茶店が近くに四つもあるなんて知らなかった⋯⋯」
ああ、なんだその事かと思う。別にもう気にしていないし、こうやって無事に会えたのだからむしろ話のネタになっていいんじゃないかとさえ思うくらいだ。だから僕は気にしてないことを日和に伝える。
「次に、連絡先を渡さなかった事⋯⋯私、色々と失敗してるね本当にごめんなさい⋯⋯」
いや、むしろ素性も知らない奴にホイホイ渡す方が危険だと途中で思ったから当然だと思う。これも後々話のネタになるだろうなと思った。
その話を言い終わった後、日和は少し顔を下げた。何かを言い出そうとしているのか口が少し動いている。しかし、声がでていない。
僕はもう一度首を傾げた。日和は何が言いたいのだろうか?
しばらく時間が経っただろうか流石に気になって声をかけると、日和はバッと顔を上げた。
その顔は覚悟を決めた顔をしていて、あまりの綺麗さに僕は息をするのさえ忘れてしまいそうになった。
「本当に伝えたかったことを言わせてもらうね」
僕はその言葉に「うん」と生返事をする。僕の頭は今、日和の事で一杯になってしまっている。
「ごめんなさい、私⋯⋯実は男なの⋯⋯」
言いながらどんどんと小さくなる日和の声を聞きながら、なんだそんなことか、大丈夫そんなことなら後々話のネタに⋯⋯
「──え?」思考がそこで止まる。
「ちょっと待ってください、今なんとおっしゃいましたか?」思わず敬語になってしまっていた。
日和は下を向いて「ごめんなさい、男なんです⋯⋯」ともう一度言った。
僕の頭は真っ白になる、え⋯⋯こんな可愛い子が男の子? むしろ男の娘? パニックになって変な思考になってしまう。
日和は下を向きながら、ごめんなさい⋯⋯ごめんなさい⋯⋯と延々と謝罪の言葉を吐いている。
その顔は泣き出しそうな顔をしていた。いや、実際に泣いているのかもしれない。
僕は日和を泣かしたい為に告白したんじゃない⋯⋯一緒に笑いながら過ごす為に告白したんだ⋯⋯僕はその為に⋯⋯
「だから、ハル君の気持ちには答──」
「それ以上は言わなくていい!」
僕は日和の続く言葉を遮った。
「え?」日和は目に涙を浮かべながらぽかんとした顔でこっちを見る。
──そして僕は出した言葉の後にこう続けた。
「まだ、確定したわけじゃない。君が一人で自分が男だと言っただけだ、なら僕視点からならまだ女の可能性は無くなったわけじゃない」
我ながらなんて無理な理屈を通そうとしているんだ⋯⋯言いながら自分を貶す。頭を掻いているのに気付いて手を引っ込めた。
そもそも、こんなに可愛いくて女の格好をしてるのに男だ!? 通る訳がないだろそんなもん!
誰に対して怒っているのだろうか、日和か自分かそれとも世界に対してだろうか。
やりきれない気持ちが胸を充たしていく、それでも僕の言葉は止まらない。
「だからもう一回言わせてもらおう、君が男だと言う理由で断るなら何度でも言おう」
そこで僕は⋯⋯ハッキリと言った。
「──僕と付き合ってください。夏休みの間だけでもいい、君といる時間を大切にさせて下さい」
僕は噛まずにちゃんと言えただろうか? なんで男って言ってるのに告白してるんだろうな。乾いた笑いが出そうになっていた。
──それでも、後悔だけはしたくなかったから。僕は自分のその気持ちを大切にすることにした。
告白を聞いた日和は耳まで真っ赤にしていて慌てている。その姿を見ていると僕は冷静になれる気がした。
相手が慌てていると冷静になれるって聞いたことがあるけどこんな感じかと納得する。
日和だって僕に嫌われる覚悟をしてここに来たはずだ。
カミングアウトをするのだって相当に勇気がいる、それこそ僕の告白位に。それが、まさかこんな返しを貰うなんて夢にも思わなかっただろうな。
日和は挙動不審に顔を真っ赤にしながら辺りをキョロキョロと見回している、その姿を見ていると心が和む。
しばらく経ってから日和は大きく深呼吸をして上目遣いに僕の事を見てか細い声でこう言った。
「は、はい⋯⋯こ、こちらこそ⋯⋯こんな私ですけど、よろしくお願いしますっ」よかった、これで断られたら間違いなく泣いていた⋯⋯
お金を支払い店から出る。財布をしまう時にポケットになにか入っているのに気付く。
⋯⋯そういえば、プレゼントを買っておいたんだった。
あまりにも大きな衝撃を受けて、忘れてしまうところだった。僕は前を歩く日和に声をかける。
僕は付き合った記念にと買っておいたプレゼントを渡すと日和は鞄から手鏡を出して、その場でつけてくれた。
ゲームの日和をイメージして買ったそのヘアピンは予想以上に似合っていて嬉しさが込み上げてくる。
その事を日和に告げると彼女は顔を赤くしながら感謝の言葉を述べた後、満面の笑みを見せてくれた。
──こうして、十七歳の夏。僕に彼女(♂)が出来たのであった。